《アーミヤの手記》
時の流れは、人々から海への恐怖を消し去ってしまいました。
シーボーンが去るにつれ、エーギルは再び傲慢で排他的になっていき、陸の国々も疑惑と対立の中へと戻って行った。この大地に存在する脅威はシーボーンだけではなく、人々はこれまで同様源石や天災、そしてそのほか多くの道の苦難に立ち向かわなければいけません。
ロドスはというと、相変わらず大地の上を駆け回っては、鉱石病抑制用の薬剤を開発するかたわら、人類の共存共栄の可能性を模索し続けています。
ロドスの責任者として、ドクターの肩にのしかかる負担は並大抵のものではないでしょう。
それでも、毎年とある日がくると、ドクターは車に乗ってロドスを離れ、Tulipさんの護送の下でイベリア国内へと向かいます。翌朝太陽が昇って来た頃に帰ってくると、また息つく間もない仕事の日々へと身を投じます。帰って来たドクターは、何事もなかったように仕事へと戻るのです。
ある人たちから見れば、ドクターはただ貴重な時間を浪費しているにすぎないのかもしれません。本来なら、その一日を使っていつもにように外勤オペレーターを率いて難題を解決することも、各地の事務所に力を貸して、複雑な問題を処理することもできたはずなのかもしれません。
でも、ドクターの中では、この行動にはある種の儀式性があり、メンタル面の調整のためには必要なことなんです。
一年前、全てを終えてロドスへと帰って来たドクターは、酷く疲れて、悲しんでいました。それだと言うのに、いつもより仕事をこなし、夜寝ている所を見なくなるほど、働き続けていました。
見かねた私は、ドクターに休むように言いましたが、受け入れてもらえず。せめて心理的負担を支えてあげたいと、ドクターの心の傷や恐怖心を吸収しようとしましたが、拒まれてしまいました。
「これは、自分で背負わなければならないことなんだ。心配してくれてありがとう、でも、大丈夫だ」
ドクターのそんな言葉に、私は自身の無力さを嘆きました。涙も流れました。私には、ドクターを助けてあげられるだけの力も知恵もないのだと。
ただ、そんな私の姿を見てなのか、その翌日、ドクターはようやく休息を取ってくれました。
多くの人は、ドクターのことを全知全能の「神様」だとか、あるいは機械と肩を並べるような超人だと思っていますが、それは間違いです。ドクターも、結局はただの人間。普通ではないかもしれませんが、人であることに変わりはないのです。
ゆえに、誰にも打ち明けられない多くの悩みや悲しみを抱えています。
この大地は、そうした感情を受け入れることはできませんが、海になら、きっとそれができるのでしょう。何を打ち明けたところで、海は答えてくれる。
だからドクターは、海へ向かう。
私にできることは、ドクターが居ないことに不満を漏らす方々を説得し、その行動への文句を言わせないこと。ドクターがいなくとも、きちんとロドスを動かすこと。
そして、帰って来たドクターに、笑顔で「おかえり」を言うこと。
《ドクターの手記》
夜の帳が降りて来ると、海に紺碧の光が点々と浮かび上がる。
私が波を踏みしめそこを歩いていくと、砂浜にはきらきらと光る足跡が残った。
ぱしゃっ、ぱしゃっ……。
海はいつからこんなにも温かくなったのだろう? 言葉にするのがはばかられるそんな問いを、私は心中に抱えていた。
潮汐を沈めたのはたった一人のオペレーターであり……彼は、二度と帰っては来なかった。
唯一残された形見は、こうして年に一度やってくる、紺碧の光を伴う潮流だけだ。だからこそ、私は毎年ここへ足を運んでいる。
ただ何をするわけでもなく、海岸線を眺め、手で海に触れ、浜辺を歩き、一人瞑想して、悩みを、悲しみを打ち明ける。
人間の思いがこもったその言葉と、絶え間なく響く自然の音……それらはいずれも意義がある。行きては帰り、問うては答え……。
「鉱石病の研究は、相変わらず難航している」「新たな薬品が完成した」「ケルシーに怒られた」「行動予備隊の子たちが成長した」「陸の上で、恐魚たちは見ていない」
一年間何が起きて、どうなったのかを海へと伝える。
そうした行動を通じて、心の底に、わずかばかりの慰めが生まれるものだ。
それで、私の心に開いた穴が塞がることは無いが、その慰めを求めて、私はこうした行為に多くの時間を費やす。
私の声は、ミヅキにも聞こえているだろうか? いや、ミヅキならきっと聞いてくれているだろう。私は固くそう信じ、そう望んでいた。
そうして、私が砂浜を横切った時、波がそのくるぶしを浸した。
海水は私の靴にそっと引っかかる。かと思えば次の潮と共に引いていく。濡れた靴に浮かび上がった紺碧の光は、きらきらと輝いていた。
なんだ、やっぱりそこにいるんじゃないか、ミヅキ。
《ミヅキの思考の欠片、僕はまだここにいるよ》
意識が浮かび上がるのを感じる。どれくらい時間が経ったのかな。僕は海面へと泳ぐように昇って行く。月明かりが眩しい。深海にいる僕には、月の光だって強すぎる。
しばらくその光と格闘しているうちに目が慣れ、視界には浜辺が広がって行く。
そんな浜辺には、一人の見慣れたフードを被った人物がいた。ドクターは波を踏みしめ歩いていくから、イタズラのつもりで、足元へと手を伸ばした。
気づいてくれたかな?
ドクターはしばらくふらふらと歩くと、その場に座り込んで、一人話始めた。
「鉱石病の研究は、相変わらず難航している」「新たな薬品が完成した」「ケルシーに怒られた」「行動予備隊の子たちが成長した」「陸の上で、恐魚たちは見ていない」
そのどれもが、僕を楽しませるには丁度いいものだった。ドクターは一年間何が起きたのかを、僕に教えてくれているみたいだった。
夜が明けて来る。ドクターとおしゃべりしている間に、月は沈み、日が昇り始めた。
それと同時に、僕の意識も段々と薄れていく。ごめんドクター、僕もう眠くなってきちゃった。また、お別れの時間かな。
ドクターは立ちあがり、ひざ下が海水につかる深さまで海へと入る。
「ミヅキ、また来るからな。また、何度でも来るから……」
それだけ言って、ドクターは浜辺を後にしようと、海から上がり、陸へ陸へと上がって行く。
ああ、ドクター。僕はまだ、ここにいるよ。僕が居るうちは、まだ大丈夫さ。
それを伝えたくて、最後にもう一度、ドクターの足元へ手を伸ばす。陸に上がったドクターの靴に僕の手が触れると。ドクターは振り返り
「なんだ、やっぱりそこにいるんじゃないか。流石ミズキ、隠れるのが上手だな」
そう零した。
僕はロドスの、潜伏者の役目を持ったオペレーターだよ? 当たり前じゃないか。
バイバイ、ドクター。また今度、話を聞かせてね。
【凪の代償END】