「私は、そんな風にはならないわ」
PRTSが話を終了した早々に、スカジはそう断言した。
「はい、これはあくまで推測に過ぎず。万が一、ハンターの皆様が見つけたエーギルと思われる町が深海司教の手に落ちていた場合、及びそこに罠を巡らせていた場合に発生する事象です」
「違う。万が一私がその罠に踏み込んだとしても、私は全てを片付けて、ここへ帰って来れる」
「このルートを踏んだ場合、罠を回避しロドスへ帰還できる確率は――」
「大丈夫だPRTS、計算を止めてくれ」
スカジの言葉に反論しようとしたPRTSを、ドクターが制止する。
「了解しました」
ドクターの言葉に、PRTSは素直に従う。ケルシーはその様子を横目に、マグカップを傾けた。
「PRTSの検証は精度の高いものだ、その可能性の道があることは、受け入れるべきだろう」
ケルシーの言葉に、スカジは視線を逸らす。
「確かに、私の中には海の怪物の中でも、特別な血が流れているわ、狂人号で戦ったシーボーンも、私のことを『イシャームラ』と、その血の名前を呼んだ」
「報告にもあったな、シーボーンたちが、君を求めていると」
ドクターの言葉に、スカジは頷いた。
「私の周りに降りかかる災難は、ほぼ全てがシーボーンか深海司教たちによるものだった。その全ては、私を再び海の中に戻し、『イシャームラ』を呼び起こすための策。私が生き続ける限り、恐らく永遠に続くのでしょうね」
「それに、深海司教たちが何をしなくとも、ハンターたちは己の力を使えば使うだけ、体のシーボーン化は進む。すでにグレイディーナの首には、鱗のようなものが確認されている。グレイディーアと同等に戦っている君も、そのような兆候は表れてもいいはずだ。しかし君にはそれがない。それは君が上手く抑え込めているのか、血の濃さ的なものが影響しているのか。つまりは、君にはまだまだ謎が多い」
ケルシーの長ったらしい発言に、スカジは耳を貸さず、言う。
「でも、私はここを気に入ってるの。誰にも迷惑をかけないよう、流浪のハンターとして生計を立てていた時期より、よっぽど有意義な時間になった。かつての仲間の、ローレ――スペクターもいるし、ドクターもいる」
ちらりとドクターの方へスカジは視線を送る。その眼は柔らかく、乙女の赤色が覗いている。
「私は、私。アビサルハンターで、バウンティハンターだった、ロドスの前衛オペレータースカジよ。それ以外の何物でもない。任務を片付け、ここへ戻って来てドクターへ報告する。その仕事を、止めることはないわ、どんなことがあっても」
力強いスカジの言葉に、ドクターは頷く。
「ああ、私もそれを望んでいる。これからもよろしく頼むよ、スカジ」
「ええ、もちろんよ。それじゃあ、ここらで失礼するわね」
スカジは自身の帽子を手に、ドクターへ手を振った後、部屋を後にした。
「今回の任務を通して、スカジの身体に現れた変化の資料だ」
スカジが部屋を出たのを見送り、ケルシーはドクターの机の上に、数枚の紙を並べる。
「大まかには問題がない。ただ、我々の技術と知識では計測できないことの方が多いがな。強いて言うなれば、明らかに彼女は、イシャームラのことを気にするようになっている。狂人号内で遭遇したシーボーンの言葉が、いやでも頭に残っているのだろう。表情や態度的な所の変化は見られないが、恐らく心理的には何らかの干渉を受けたはずだ」
ケルシーは空になったマグカップに視線を落とし、ふたたびソファーに腰掛けた。
「情報ありがとう、ケルシー。少し気にかけてみよう」
「伝わったようで何よりだ」
熟年夫婦と言わんばかりの理解力で、ドクターはケルシーの言葉を受け止める。言葉が無くても通じるのではなく、言葉が多すぎても要点をまとめ、「つまり」を理解できる。
「彼女が心配か?」
ケルシーはドクターと視線を合わせずに聞く。ケルシーは、万が一スカジに異変が見られたり、スカジ周りのことで、ロドスでは対処しきれないような事態が起きる場合、スカジを切り捨てる選択しは常にあると言うことを、ドクターに常々伝え続けてきていた。
数秒の沈黙の後、ケルシーは立ちあがって続けた。
「いや、愚問だったな。ロドスの責任者たる君が、オペレーターを気にかけてやらない、一切の心配をしないなどありえない。いや、そうでないと困る」
勝手に一人で納得してしまったケルシーを、ドクターは呼び止める。
「ケルシー」
扉を開ける手前、振り返らずにケルシーは立ち止った。
「なんだ」
「私は君のことも心配している。根を詰めすぎて、休めていないのではないか? 責任を背負いすぎていないか? きちんと、休養を取ってほしい。君には、いつも助けられているからな」
マスクで表情は見えないが、ドクターの声は、非常に穏やかなものだった。
そんな心配する言葉を聞いたケルシーは、小さな声で笑い。振り返った。
「気持ちだけ受け取っておこう。ありがとう、ドクター」
そう言い残して、ケルシーは部屋を後にした。ケルシーの硬い表情がその一瞬だけ、僅かに緩んでいた。
♦
自室に戻ったスカジは、椅子に腰かけ、天井を見つめながら、PRTSの考察、狂人号での一件を思い出していた。
「私が、イシャームラになった世界、ね……」
体感には落ちていない。自分自身の意識が溶けてなくなることなど、想像することなどないだろう。スカジは考える。もし、スカジという人格そのものが、イシャームラの一部でしかなく、結局自身は紛い物でしかないのだろうかと。
しかしすぐに首を振る。スカジは、生まれた時からスカジであり、所詮イシャームラの血は、後から混入したものに過ぎないのだ。でも、すでにイシャームラと自分が完全に融合し、スカジ=イシャームラとなっていたら……?
フルフルと体を震わせる。
「何にせよ、自分が自分でなくなるなんて、いい気はしないわね」
そんな考え達と同時に、スカジの中で一つの疑念が浮かんできた。
「何故、イシャームラはドクターを求めるのかしら?」
イシャームラはドクターという人間を知らない。PRTSは、「スカジの意識の名残から」などと言っていたが、スカジにはそれが腑に落ちなかった。
「私が、ドクターを求めているとでも言うの?」
もし、ドクターがこの世界から消えたら。ドクターが居なかったら。そんな想像を巡らせるスカジだったが、全身を駆け巡る寒気でその思考を止めた。スカジは本能から、そんな状況を拒絶したのだ。
それと同時に、体内で自分以外の何かが、激しくそれを嫌がったのをスカジは感じていた。
「……そう、なのね。そこだけは認めるわ、それについては確かに、私と貴女は同じ存在よ」
スカジは、自身の中で答えを出した。
イシャームラは、スカジの中から、スカジが見るものを見て、感じたことを感じていると。だからきっと、私と同じようにあの人のことを……。
そこまで心の内で言語化し、スカジは頭を振った。
「やめましょう。自分から化け物になることを考えるなんて、時間の無駄」
迷いを振り払うように席を立つ。
「確か、今週のドクターの秘書はアーミヤだったはず。でも彼女は今、アイリーニの案内でしばらくは戻ってこない」
スカジは、自身の中に呼びかける。
(貴女が目を覚ますことなど、一生無い。せいぜい私の中から、私があの人の側に立ち続ける姿を見続けなさい)
それは、スカジの精一杯の強がりであり、自身に向けた覚悟だった。
スカジは、足取り軽く向かう。あの人、自身の求める人物の元へと。