『狼』
その出会いは偶然だった。偶々予定通りに事が運ばず、風紀委員達に追いかけられていたからこその出会い。何かが掛け違えていたなら、起こらなかった出会い。
「……おや?これはこれは……随分と憔悴しているな」
路地の影に隠れて、追いかける風紀委員をやり過ごした事を確認した時、背後から音がしたから振り返ってみたら、そこには痩せて、しかし目だけが鋭利な刃物の如き鋭さを持つ少女がいた。
私の第一印象は、飢えた犬だろうか。しかし、その目に宿る一種の……気高さ?うーむ、言い表せないが、私の琴線に触れるものがあった。
「……ご飯」
そう小さく呟く少女。私はその一言である程度の事情を察した。なるほど、目の前の少女は、行くあてもなく彷徨う野良犬と言うわけだ。
ならば、そこに手を差し出すのも悪くはない。この出会いは偶然だが、こうして出会った事には何か意味がある。ロマンチストのような考えだが、浪漫とは温泉に通ず。心躍らせるスパイスだ。
「なるほど、君に一つ提案をしよう」
その言葉に、視線が向いた。どうやら目の前に誰かいる事すら分かっていなかったらしい。
「私についてこないか、今なら三食つける好待遇だ。あぁ、もちろんこれは勧誘だ。判断は君に委ねるとも」
そう言いながら差し出される手、少女に向けられる細めた目には見るものを誘惑する色気があった。僅かな沈黙、その後に少女がどんな判断を下したか、それは分からない。*1しかし、差し出された手と手はがっしりと握手をしていた。
「契約、成立だな」
その日から、温泉開発部に1人メンバーが増えた。
数週間の時が経ち、今ではすっかりうちの部員とも仲良くなった。いかんせん少女は無口かつ無表情なもので、最初のうちは苦労した。
私も人心掌握が得意と自負しているが、相手の感情が読みずらいと言うのは中々に気苦労が多い。しかし、一度コツを掴んでしまえばコミュニケーションはわかりやすい。少女は表情こそ硬いが、感情がキチンとある。嬉しい事も悲しい事も、無表情のまま表現できる器用さがあった。
今もこうしてモキュモキュと支給された弁当のおかずを頬張る少女の顔は無表情ながら何処か楽しそうだった。*2
「しかし、こうして部員となったというのにいつまでも少女と呼ぶのは味気がない」
少女には名前がない。本人も知らないだけであるのかもしれないが……そうだ、ならば今ここで名前をつけよう。
そうだな……名前、名前か。そう考えた時、私は初めて会った時の少女の目を思い出す。吸い込まれるような、何もかもを喰らいそうな雰囲気を。
「よし、『大神リル』。そう名付けよう!」
「うむぅ?」
そんな私の様子など知らずに、頬いっぱいご飯を掻きこむ少女は私の大声に首を傾げた。
「名前だよ名前。今日から君の名前は大神リルだ。良い名前だろう?」
「……ん!」
頷き一つにサムズアップで同意する少女。そうかそうか!気に入ったか!
「ハーッハッハッ!なら良し!さぁ名前も決まったところで作業再開と行こうか!休憩は終わりだ!一気に爆破するぞ!」
周りにいた部員と共にオーッ!と歓声があがる。しかし、そんな雰囲気に水を差す報告が見張りにいた部員の1人から飛び込んできた。
「部長!風紀委員会がこっちに接近中との報告が!」
「むぅ、ここからが良いところだと言うのに……」
不満げでありながらも、すぐに頭の中で算盤を弾く。前もって報告を受けた分こちらの初動は早い。何かしらの要因でも無ければ普通に逃げ切れるだろう。
「空崎ヒナの姿も確認できているようです」
「むむ、それはいかんなぁ」
私の大の苦手とする相手だ。言葉も通じず、戦力でおいてもまともに当たるのは避けたい相手。だがしかし、率いているのが空崎ヒナだとするなら逃げるのも容易くはないな。適当に幾つか爆破で足止めしながら逃げるのがベストか?
「ならば撤収だ!荷物を纏めた者から逃げてよし!いつも通り合流ポイントの秘密アジト……何番だったか。まあいい!そこで合流といこう!」
そう言いながら、少なからず捕まるだろうな。と冷静に考える。しかし、必ずチャンスはある!そこに温泉がある限り!
「……先に行って。足止めする」
そこで待ったをかけたのは少女……大神リルだった。それは嬉しいが……どうして?
「恩は返さなきゃ」*3
ただの気まぐれでしかない手助けを、リルは恩だと言った。もう無関係じゃない。私の部員の1人だ。その部員がそう言うのだ。それに否を言えはしなかった。だから私は代わりに言った。
「また後で会おう!忘れるなよ、君はもう温泉開発部の部員だ!」
必ず再会しよう、と約束して私たちは離れた。その後、リルの行方はまだ分かっていない。しかし、私は信じている。必ず戻ってくる、と。
「なんだと!?何故!?」
私は斡旋人の襟元を掴んで引き寄せる。いつも通り斡旋人に受けた依頼の報告をしたついでに、彼女を誘ってラーメン屋に行こうと思っていたが、斡旋人の口から彼女はもう来ない、と告げられた。当然私は問いただす。斡旋人の口からは
「あの無表情で何考えてるか分からねぇヤツなんて気味が悪いからよ、適当にフカして弾いただけだよ。クライアントからの印象も悪かったしよ」
そんな理由で……!?確かに表情こそ固く、無口だが彼女には感情がしっかりとあった!私は知っている。ラーメンを食べる時の彼女がとても楽しそうだった事。初めて銃を買った時は嬉しそうだった。世間話の代わりにと、格闘術や射撃術を教えた事もあった。彼女は私の友人だ!
それを気味が悪い、だと!?ふざけるな!ただでさえ彼女には金がない。ここを追われては金を稼ぐ手段などないだろう。私は逸る気持ちを抑えながら扉を乱雑に開けて外へと飛び出した。
「待っていろ!すぐに行く!」
そうして彼女が拠点にしていた廃墟に足を運んだが、既に放棄された後だった。