『夢と現実』
息を切らし走る。ずっと追いかけ続けるあの背中に手を伸ばそうとしても、ずっと追いつけない。
「……ッ!待って!」
その言葉に、こちらに背を向け歩く足が止まる。
「やっと止まってくれた……ユメ先輩」
膝に手をつき息を整える私を前に彼女は振り返る。表情はなく、眼球があるべきところに無い。虚ろな空洞から血の涙を流すその顔は、言葉なくこちらにこう告げるのだ
『なんで助けてくれなかったの?』
「──ちが、違う。私は」
一歩、後ろへと下がる。その度にこちらに歩み寄るユメ先輩は、こちらをじっと見るのだ。その度に私は自らの罪に、ユメの怨嗟に身を捩らせるのだ。
「うあああああ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛!」
そこで叫びながら私は体を起こして目が覚めた。
「……夢……」
汗が張り付く。額に纏わりつく髪をそのままに顔を両手で覆う。また悪夢を見た。ここ最近はずっとこうだ。夜も昼もなく、寝るたびにこうして悪夢を見る。
外はまだ暗い。日の出はまだ先だ。
「……顔、洗おうかな」
力なくベッドから降りて、洗面台に立つ。鏡の前に映る自分の顔は随分と情けなくて、まるで昔に戻ったみたいだった。
「……馬鹿だな、私」
振り切ったつもりだった。あの時とは違うんだって、後輩も沢山できて、こんなんじゃダメだと言うのに……どうして、今になって私をこんなに苦しめるのか。
──誰?
思い起こされるのはあの時の言葉。何故私はあの言葉にショックを受けたのか。わかっていた事だろう?ユメ先輩はもう居ない。それでもショックを受けてるのは、心の何処かでユメ先輩を探している自分が居るからではないか。
認めよう。確かにその通りだ。私はまだユメ先輩を諦めきれていない。だって、私があの人を忘れてしまったら、それこそ終わりじゃないか。例え誰もがあの人を忘れたとしても、私は覚えていなきゃならない。それが私の責任。あの日、あの時、あの人だけに背負わせた私の罪禍。
「……少し、外に出ようかな」
こんな様子では、寝たところでまた悪夢を見るだけだ。ならばいっそ、体を動かそう。考える暇もないくらい動かそう。
そう思って、いつもの服装に着替え外に出る。夜の冷たさが体の中に染み込む。今はその冷たさが私には丁度良く感じられた。
こんな時に私が向かうのは、砂漠となった区画の一つだ。無心で砂漠を見て心を落ち着かせようと思ったから。
そう遠くないそこに着くのはあっという間だった。遮るものがない砂漠の風は一際冷たい。
「そう言えば……ここにはアビドスの本校舎があったんだっけ、砂で埋もれて移転する前の」
ふとそんな事を思い出して、私は砂に埋もれた廃墟に足を向けた。少しコツがいるけど、分かる人には分かるように、まだ本校舎に入る事ができるのだ。
そう言えば……ユメ先輩も時々こうして、ここに来ては何か無いか探してたっけ。あの時は酷い態度をとってしまったな……
誰もいない砂に侵食された廊下を進む。風化していく廃墟には生徒たちが色んな青春を過ごした跡が刻まれており、少し寂しさを感じさせた。
そんな時だった。自分しか居ないと思っていた廊下の奥から物音がした。誰だろうか。もしや、またヘルメット団のような不良達が溜まり場にしてるのだろうか?それなら、お仕置きが必要だね?
廊下の奥、部屋から聞こえる物音の正体を見ようと、部屋の扉を開ける。
「イタズラしてるのは誰かな〜……って」
扉を開ける音に反応してこちらを振り向くのは、以前に会ったユメ先輩に似た雰囲気を持つ少女だった。
その手に持っていたのは、かつて私が破ってしまったポスターだった。あれしかないと思っていたけど、まだ……ここにあったのか。
「……前に会った」
こちらを見てそう呟く彼女は手に持っていたポスターを置いて、再びガサゴソと物を漁り始める。*1
「ちょっとちょっと、此処はダメだよ。大事な場所なんだから」
ムッと来て私は少し強めの語気で咎める。しかし、彼女はよく分かっていないらしく、首を傾げて、ポスターをこちらに渡した。*2
「これ、欲しそうだったから」
「いやそうじゃなくて──」
『ポスター、まだある?』
私の言葉を遮り一瞬だけ聞こえた声に、目を見開く。幻聴か、聞こえるはずのない声が、今。
今のは彼女が言ったのか?しかし、彼女はよく分かっていないようで、こちらの様子を見て首を傾げていた。*3
「お前は……お前は誰だ」
取り繕っていた仮面が剥がれる。私は怒りのままに、彼女の胸ぐらを掴む。
「どうして今になって!私の前に現れるんだ!あの人はもう居ない、居ないんだ!」
昔を思わせるポスターに、もう聞くことが出来ないはずの声。私はもう限界だった。あの時でなかった涙がボロボロと地面に落ちる。
「……ごめんね」
胸ぐらを掴まれ、何も分からない筈の彼女は、困惑して、しかし、優しく私を抱きしめて頭を撫でた。*4
「……うぅ……っ」
感情が先に溢れて、言葉が出ない。私は奔流に身を任せるままに、自分でも分からない涙を流しながら彼女の胸に顔を埋めた。耳に伝わる心音は、あの頃のままだった。