ゴウン、ゴウンと洗濯機が動いているのを渋谷かのんはボンヤリと見つめる。
酷い目にあった…いや、酷い目とかいう次元の話なのだろうかこれはと二日酔いで痛む頭を我慢しながら自らに問いかける。
音楽科に落ちたのを知って落ち込んでいた自分に話しかけてきた男の勢いに乗せられて、何かの飲料を飲んだ後の記憶がまるでない。
今となってはそれの中身が酒だったと言うことを知ったのだが、これに関しては本人も知らなかったらしい。本当かどうかは定かではないが、全裸で土下座し続けたあの姿からすれば本当なのだろうと思っている。
「…何でこんなことに…」
ずぅんと影を背負うような雰囲気を背負いながら、かのんはバスタオルを巻いた状態で体育座りをしていた。自分の服がぐちゃぐちゃな上に、色んなもので汚れてしまったことで洗わざるを得なくなり、当然のことながら代わりの服もないため、タオルなどで代替するしか無かったのだ。
「ま、まあ、何だ。元気出せよ」
そんなかのんの姿を本人から見るなと言われた丈二は窓の外を見ながら話しかける。
「今の私の境遇のどこに元気を出す余地があるって言うの?」
無いと思う。丈二はそう言いかけて口を閉じた。
大切な音楽科の試験に落ちた日に自分の大切なものまで失ったとあってはこんな反応にもなろう。
「ほ、ほら、笑う門には福来るって言うだろ?」
「福よりも服が欲しい…お気に入りの服だったのに」
「洗えば…使えるだろ」
「色んな意味で汚れたのに?私はこの服を見るたびに今日のことを思い出すんだよ…」
自分の発言で更に暗い雰囲気になるかのんに丈二は言葉を探す。
何となく悟っていたが、美人で明るそうな外見と異なり、中々に暗い性格の持ち主だ。下手なことを言えば更に落ち込んでしまいかねない。
普段であれば無視するところだが、流石に落ち込んだ原因の一端が自分にあり過ぎて無視するという選択は取れない。
もう一方の方は幾ら慰めても墓穴を掘る気しかしないので、もう一つの方に話を変えることにした。
「あー、あれだ。ほら、さっきも言ったけど音楽科のことなら気にする必要ねぇよ。別に普通科だって歌えるだろ」
「無理なんだよ、私は。才能ないんだもん」
「そんなもん中3で決めるもんじゃねえだろ。それにほら。お前さん喘ぎ声も綺麗だった気がするしってグホッ」
「そういう事言わないで!殴るわよ!」
「殴ってから言うんじゃねぇよ!」
真っ赤になって殴ってくるかのんの拳を丈二は顔面で受け止めた。何か段々と遠慮がなくなってきている気がしてならない。まあ、あんなことまでしておいて今更遠慮されても扱いに困るので別に構わないのだが。
丈二がそんなことを考えていると、洗濯が終わったのかメロディーを奏で始めた洗濯機にかのんが駆け寄る。近寄って服の状態を確かめるが、当然の如く濡れている。
「うー…脱水させたのにやっぱり濡れてるか…」
「そりゃ、そうだろうよ。どうすんの?それ着て帰るのか?」
流石にそれを乾くのを待ってから帰るのはあり得ないだろう。近くのコインランドリーに持っていくにもどの道代わりの服は必要だ。
「それは嫌」
「んじゃ、親か友達に持ってきてもらうか?」
「この状況をどう説明するのよ」
「裸の付き合いしたって言えば?」
「そんなこと言うくらいならこの服着て帰るわよ…」
説明の仕様がない状況だった。更に丈二が言うように、真実を言うこともできない。何せ色々終わっている。
「それじゃ、俺の服着るか?」
「…何か嫌」
「何でだよ。それしかないだろ」
「だって、その…この状況で相手の服着るとか…事後そのものじゃない…」
「そりゃ、事後だからな」
「だから、そう言うこと言わないで!」
丈二から見れば妙なことを気にしているかのんだが、他に選択肢がないことを分かっているのか極限まで悩みながらも結局服を借りることに決めた。
「返さなくて良いぞ。迷惑料としてやるよ」
「いや、返すわよ。悪いし」
悪いどころか迷惑料としては破格に安いと思うのだが、何故か妙に気にするかのんに丈二は疑問を抱くが、良く考えれば事故とはいえ自分の初体験を奪った男の服があるなんて嫌だろう。
それは考えとして理解できるが問題が一つある。
「それだと俺ともう一度会う必要あるけど、良いのか?」
「良いわよ、別に。それに、多分学校も学年も同じだしお互い普通科でしょ?このまま3年間会わないでいるなんて無理よ」
「まあ、そりゃそうだが」
言われてみればその通りだ。この事を思い出すだろうから会わないほうが良いだろうと思ったのだが、現実的に不可能だ。であれば、それはそれとして割り切ってしまった方が話が早い。
しかし、だとしたら会った時に備えて自分たちの関係を定義しておく必要がある。二人で会うならともかく、複数人で会うならどういうスタンスで話すのか決めておかないと不都合が生じるだろう。
「あのさ…一つ提案があるんだけど」
「何?」
「お互い、このことは忘れないか?」
「…」
「待て、待て、待てぇぇぇぇぇぇぇ!!無言で包丁を持ち上げるな!頼みますから冷静になってください!」
「…冷静にクズを処刑しようとしてるんだけど」
「処刑って言ったよこの娘!」
言ってることはクズでしかないが、丈二の意見にも一理あった。
かのんが訴えるつもりならともかく、そうでないのであればこのまま関係を続けるか、関係を終わらせるかの二つに一つしかない。
かのんも丈二もこのまま関係を続ける気はないので、選択肢としては関係を終わらせる一択だ。
そして、関係を終わらせるのであればお互い泥酔状態での出来事だ。忘れた方がかのんにとっても良いことだと考えたのだが…
「随分と図々しい話よね」
「仕方ねぇだろうよ…金で済ませるとしても金ないからローンでお願いします…」
「その発想に至るのもクズだけどね」
かのんは金で解決しようとしているクズをジト目で見つめる。とは言ってもかのんに代替案があるわけでもない。
泥酔状態である上に、音楽科に落ちたことで少し自暴自棄になっていたとは言え同意した自分に非が全くないとは言い切れない。
残念ながら善人過ぎるかのんはその立場で丈二を責め立てることは出来なかった。金なら取れるかもしれないが、自分の貞操と引き換えの金など欲しくもない。
はぁ、とため息を吐いた。
「分かった。全く納得できないけどそうする」
「おお、マジでか!ありがとう!」
「ただし、今後は成人するまでお酒は呑まないこと!」
「はい!」
「付き合ってもいない女の子とこんなことはしないこと!」
「はい!」
「…とりあえず、はいって言っとけば良いって思ってるでしょ」
「はい!」
「もしもし警察ですか?」
「嘘!冗談!本当に反省してますから警察だけはご容赦ください!」
即座に土下座の姿勢に移行したクズをかのんはジト目で見る。
本当に放置して大丈夫なのか、この人?と言っているような目だ。既に信用性が地に落ちていた。
「本当に反省してる?」
「命に賭けて誓います!」
「随分と軽そうな命ね…」
何か頭が痛くなってきた。悪い人間ではなさそうだが、それ以外の問題点が多過ぎる。
「とりあえず信じてあげる。それと悪いけどやっぱり服借りるわ。ちゃんと返すけど」
「おう、その方が良いだろ。別に返す時は服は洗わないで良いぞ」
「洗うに決まってるでしょ、この変態!」
かのんは近くにあったクッションを投げつけた。
丈二の服に着替えたかのんは長居は無用とさっさと帰ろうとする。
「それじゃ、服を返す準備ができたら連絡するわ。そんなに遅くはならないと思う」
「へいへい」
「あー、そうだ。まあ、どうでも良いんだけどさ」
そう言うと丈二は自分の頭をかきながら目線を合わせずに告げる。
「お前さんは嫌いかもしれんが、俺はお前さんの声嫌いじゃねーよ」
丈二の言葉にかのんはポカンとした顔を浮かべるが、言葉を理解すると出会ってから初めて心からの笑顔を浮かべた。
「そう?ありがと」
その笑顔は丈二の時が一瞬止まるほどの笑顔だった。
そんな丈二の反応にかのんは首を傾げるが、特に気にせずそのまま家を出た。
(何か変な人だったな…それにお互い名前も言ってなかったっけ)
これまでの流れでそんな風に思えるかのんも十分変な人なのだが、心中の呟きなのでツッコむ人は誰もいない。
それに何より先にかのんには考えなくてはならないことがある。
チラリと自らの携帯を見ると、親友からの着信とメールが凄いことになっていたのだ。
どうやら、昨日親には親友の家に泊まったと報告していたようなのだが当然親友への口裏合わせなどしていなかった。親からの連絡に咄嗟に合わせてくれた親友だが、昨日はどこに居たのかと理由を求めていた。
(何て説明すれば良いんだろう…)
こんなこと正直に説明できるわけがない。かのんは真っ赤な顔のまま俯いていた。
この時ばかりは、音楽科に落ちたことなど頭から完全に消えていたかのんだった。
かのんファンが居たら、主人公フルボッコにされんだろな