その日の夜はとても騒がしかった。昨日は聞こえなかったポチエナの遠吠えらしき声やおそらくホーホーのものであろう羽ばたく音が絶え間なく続いていてなかなか寝付けない。もしかすると何か異変があったのではと布団から起き上がる。恐る恐る足を踏み出すとなんとか歩けそうだったので、制服に着替えて鞄を持って外に出た。
夜のスイリョクタウンは田舎らしくひっそりとしていた。キタカミセンターの方向からホーホーが群れを成して飛んできていた。やっぱり変だと思い、ボールからオノノクスを出して言う。
「オノノクス。あっちの方まで連れていってくれない?」
「ギュオ」
オノノクスも警戒するような顔つきになり、トウカをその腕にしっかりと抱いた。
キタカミセンターへ向かう坂を中腹まで登り、さらにその奥地からホーホーが次々と飛び出していることに気が付いた。そこにあるのはおそらく、ゲームの中でサザレと向かうことになる、強大なポケモンが住み着いている森だ。そのポケモンとはアカツキと呼ばれる特異個体のガチグマ。対戦環境では超火力の鈍足アタッカーとして勇名をはせているポケモンだが、それが現実のものとなるとどれほどの脅威になるだろうかとトウカは想像して冷や汗をかいた。
なだらかな草の斜面を滑り降りしばらく走ると滝の流れ落ちる崖が目の前に立ちふさがった。オノノクスではこの崖を上ることができない。トウカは逡巡し、自分の力を試すことに決めた。
「オノノクスありがとう。ここからは一人で行くよ」
「ギュオ!?」
「大丈夫。何かあったらまた皆に頼るから。ちょっと休んでて」
心配そうにトウカを見やるオノノクスをボールに戻した。鞄を背負いなおして岩壁を見据える。オノンドを飲み込んだ氷柱、あれをアレンジする要領でトウカは地面に手を付け念じた。土の中の水が氷結していくのをさらに上へ引き出す感覚。トウカは体がぐんと持ち上げられた。地中から現れた氷の柱によって。
成功に湧くこともなくトウカは足を踏み出した。また立ちふさがる土壁を同様に突破し、見えてきた川の中の飛び地も水面を凍らせれば問題なく渡ることができた。
最後、高くそびえる崖もまた氷柱の足場で登り切ったトウカは、ぼんやりとした頭痛を感じながら鬱蒼と広がる森を見下ろした。脇のゆるやかな傾斜を下っていこうと思ったその時、崖下で人が動いているのを発見する。目を凝らすと美しい青い髪が見えた。今日の昼会ったばかりのサザレさんだ。どうして今ここにと疑問に思ったのも束の間、彼女の目の前にアリアドスが飛び出してきたのを見て慌ててボールを投げた。
「オノノクス! サザレさんを守れ!」
「ギュオオ!」
「キミは、トウカくんのオノノクス!?」
オノノクスがアリアドスを追い払っている間に坂を急いで下りた。アリアドスに驚いて尻もちをついているサザレに手を差し伸べると、苦笑しながらサザレはトウカの手を借りて立ち上がり、相棒のガーディがすかさず彼女の足元にぴったり寄り添った。
「こんな時間に出歩くなんて、と言いたいところだが、ありがとうトウカくん。おかげさまで助かったよ。ワタシのポケモンたちでは追い払うのも難しいからね」
「いえ。それよりサザレさんこそどうしてここに?」
そう尋ねるとサザレは険しい顔つきになり、首から下げたカメラを固く構えてトウカに話した。
「ワタシはここに住むとあるポケモンを撮りに来たんだ。アカツキって呼ばれるポケモンでね。本当はおでこに黄色い月の模様があるガチグマっていうポケモンなんだけど、そいつの月は赤いんだ。まるで血が重なったようににじんだ赤い月……だから"赫月"」
サザレは月を見上げるかのように空を仰ぎ、そしてトウカを見た。月光に照らし出されたその顔は昼とは打って変わって真剣そのものだった。
「アカツキは他のポケモンよりよっぽど用心深いから滅多に人の前に姿を現さないんだけど、昨日からこの森が騒がしくてね。今なら出てきてくれるかもって調査しに来たんだ」
「昨日から?」
「そう。今日はますます騒がしいみたいだけどね。一昨日まではもっと静かだったよ」
トウカは思い当たってしまった。この森が突然騒がしくなった理由に。昨日といえば、トウカたちがキタカミの里に降り立った日だ。
自分のせいなのか。
押し黙ってしまったトウカをオノノクスが気にかけるように伺った。サザレはトウカの様子を知ってか知らずか言葉を続ける。
「トウカくん。ここは危ないから早く帰るんだ。いつアカツキが出てきてもおかしくない」
「……でも、サザレさんこそ危ないじゃないですか。アリアドスにすら勝てないんでしょう」
「痛いところを突くね。そうなんだけどさ。アカツキとバトルしようとは思ってないし、臆病なアカツキは滅多なことでは襲ってこないから、ワタシだけでも大丈夫……」
サザレは突然口を閉ざした。様々なポケモンが逃げ惑う中でも明らかに異質な大きな足音。それが近づいて来ていることに二人は気が付いた。ガーディが注意を促すように吠える。
「オノノクスはサザレさんとガーディをお願い。キュウコン、俺と一緒に戦って」
ボールから出てきたキュウコンは嫌そうな顔をしたものの、隙の無い警戒の構えを怠らなかった。戦う姿勢を見せるトウカにサザレは言いつのる。
「トウカくん、無茶はダメだよ」
「善処します。でも、無茶をしないといけない状況かと」
そう言葉を交わした途端、木々の合間からぬっと巨体が姿を現した。ゲームで見るときとは段違いの迫力、命を奪うことに躊躇のなさそうな、明らかにこちらを敵対視している鋭い瞳。そして額の赤い月。
サザレが思わず後ずさって呟いた。
「アカツキ……本当に出会っちゃった……」
アカツキはサザレのことは気に留めず、ひたすらトウカを注視していた。その視線に晒されてトウカは一歩も動くことができない。ただ相手の出方を慎重に伺った。
「ぐふうん?」
「そ、そうだ。カメラ……」
背後でサザレがごそごそとカメラを構える。トウカはまずいと思った。前世の記憶がトウカにそう思わせた。アカツキとの戦闘の導入とそっくり同じ状況だ。
「いい子だから大人しくしててね……」
トウカが制止しようとする間もなく辺りに閃光が満ちる。アカツキは驚いて野太い声を上げた。
「ご、ごめん! フラッシュ焚いちゃっ……」
「ワギヤアアアアア!!!!!」
一気に興奮状態になって襲い掛かろうとするガチグマの前にトウカが躍り出る。それに続いたキュウコンは口から白い息を吐いて雪を降らせた。
「キュウコン、オーロラベール!」
「キュウ!」
「ワギアアア!!!!」
アカツキの目はキュウコンに引き付けられた。オノノクスがサザレたちを庇っているのを確認しトウカは戦闘に集中する。ふいにアカツキの額が赤く光り、トウカは慌てて指示を出す。
「やばい! キュウコン避けろ!」
「キュウ!?」
トウカの鋭い声に素早く反応してキュウコンは飛び退る。そこにアカツキの赤い月から放射された光線が直撃し、舞い上がった土埃の中からすっかり焼け焦げた地面が現れた。
ブラッドムーン、反動で少しの間動けなくなる代わりに作中屈指の威力を誇る、アカツキ専用の特殊技。まともに食らっていたらひとたまりもなかっただろう。殺人兵器を相手にしているような恐怖がトウカの心に入り込んできた。
動きがぎこちなくなったアカツキに向かってキュウコンはふぶきを仕掛けた。アカツキは腕で守るもそれなりに食らっている様子だ。
「よし! いいぞ。ふぶきで攻めろ!」
「この臨場感すごいすごい! そのまま続けて続けて……!」
キュウコンを相手にしていても埒が明かないと判断したのだろうか、アカツキはふいに向きを変えて額の月を輝かせる。その先を見てトウカは声を張り上げた。
「オノノクス!」
「ギュオ」
サザレとガーディの前にオノノクスは真っすぐに立ち腕を交差させる。そこに恐ろしい赤い光線が襲い掛かった。光はオノノクスの巨体を飲み込みながら辺りも焼き付かせる。その隙にキュウコンがふぶきで応戦するも、アカツキは月を輝かせながら冷静に腕で体を守った。光が収まると、オノノクスは焦げ付いた腕をだらりと下げてその場に崩れ落ちた。瀕死の重傷だ。トウカは茫然としながらオノノクスをボールに戻し、慌ててサザレの元へ向かった。
「大丈夫ですか!?」
「ああ……少し眩暈がするだけさ。それよりもアカツキを……」
「ぐふん!」
ゴンと鈍い音が聞こえてはっと振り返るとアカツキの目がトウカを捉えていた。キュウコンは腕で薙ぎ払われて木に頭を打ち付けてしまったようだった。のろのろと起き上がるキュウコンを案じる暇もなく、目の前でアカツキの赤い月が煌々と光を放ち始めた。