ネモは表情を一転させ、暗い面持ちになって言った。
「アカデミーはいいところなんだけど……最近スター団っていう不良集団が暴れててさ。大変なんだよねー」
「不良集団?」
「そう。授業に出ないわほかの生徒を勧誘するわで、先生方も手を焼いてるみたい……」
スター団のことも前世のゲームの記憶の中にあった。主人公は宝探しの最中にスター団の元関係者を名乗る人物から依頼を受け、スター団のボスを撃破していくことで団の解体をすることになる。
その主人公がいないこの世界で、彼らは誰を頼りにするのだろう。
「授業に出たくない気持ち、正直俺は分かるよ」
「えー、なんで?」
「信用できないから。先生のことも、同じ教室にいる生徒のことも」
冷たいトウカの言葉にネモは一瞬びっくりしたように固まった。トウカはネモを怖がらせてしまったことに気が付き、言い訳がましく言葉を続けた。
「そういう人もいると思うんだ。長い学校生活では傷つくことも沢山ある。同級生に傷つけられたり、それを咎めるべき先生が守ってくれなかったり。そんな風に裏切られた人は、学校になんて行きたくなくなるでしょう」
「た、確かに……でも本当に悪い奴らで……この前だって無理やり誰かを勧誘しようと、ポケモンまでけしかけてたの!」
「ただの反骨精神で所属する人もいるだろうね。でもスター団が結成された理由は、何か切実なものなんじゃないかな」
そう言うと、ネモは目を伏せてしまった。
ゲームをクリアしたトウカはスター団の実情を知っている。五つあるアジトを取り仕切る五人のボス、そして彼らをまとめていたマジボスと呼ばれる存在、その子たちは全員いじめの被害者だった。当時の教師陣にすらも見捨てられた彼らは。自らの力で逃避場所を作り上げたのだ。トウカはそんな彼らに尊敬の念を抱いていた。
少し間を置いて顔を上げたネモは真剣な表情で言った。
「もしそうだとしたら、わたし……その人たちを助けたい。だって学校は楽しいところであるべきで、学生は楽しく学ぶべきだもん!」
トウカは思わず息をのんだ。どうして他人のためにそんな、覚悟が込められた目つきができるのかと思った。主人公の代役は彼女が務めるのだろうと、凡庸な観客の取るに足らない感想のような思いが、トウカの胸中に去来した。
「ネモならできそう。俺もできそうなことがあったら協力するよ。駆けつけるのは難しそうだけど」
「ありがと! そっか。連絡先交換したから、帰ってもお話できるんだもんね」
ネモは嬉しそうに屈託なく笑った。トウカはなんとなくむず痒い気持ちになった。
「いつでも連絡できるとは限らないけどね。なにせポケモンバトルで忙しいからね」
「いいなー、ブルーベリー学園楽しそう! そう思ったらポケモン勝負したくなってきた! ね、今からしようよ!」
「今日は疲れてるから明日ね。……そうだ、オリエンテーリング一緒に回るのはどう?」
トウカがそう誘うと、バトルを断られて残念そうだったネモの顔が一瞬にして明るくなった。浮足立っているのが分かる声色でネモは返事をした。
「いいね! キタカミのポケモンも気になってたし、トウカとバトルもできそうだし!」
そこでトウカは伝えなければならないことを言っていなかったと思い出した。意気込んでいるところに水を差すような形になって申し訳ないと思いながら、トウカはネモにおずおずと切り出した。
「キタカミのポケモンを見たいなら俺と一緒じゃない方がいいよ」
「えー、なんで?」
「ポケモンに怖がられる体質なんだ。野生のポケモンもすぐに逃げちゃって……」
そう言うとネモは目をまんまるにして、すぐにネモらしくきらきらとした笑顔を浮かべた。
「じゃあ、わたしがポケモンたくさん捕まえて見せてあげる! 一緒にキタカミ周ろう!」
自分にはできない表情だ、と敗北宣言のような声がトウカの胸の中で渦巻いた。トウカは目を閉じ頷いて、薄ら暗い感情に蓋をして言った。
「ありがとう。楽しみにしてる」
ネモは表情を取り繕うトウカに無邪気ににこりと笑いかけた。まだ見ぬキタカミのポケモンに思いを馳せているらしいネモがわくわくと喋っているのを聞きながら、トウカの心は沈んでいくかのようだった。
スター団の話をしたとき何かを思い出しそうな気がした。でもそれは、下水道の汚泥の中から何かをすくい上げるような、気持ちの悪い手触りがあった。トウカはその悪臭に耐えることができなかった。たとえ大切な思い出がそこに埋まっているとしても。
「じゃあまた明日ね!」
太陽が傾き始めた頃、明るい声で手を振るネモに見送られて自室へ戻った。彼女はこれから近場のポケモンを捕まえに行くらしい。
一人になった途端に疲れがどっと押し寄せてきた。部屋に入ってすぐにベッドに倒れこむと今にも寝てしまいたいほど頭が重くなった。それでもあの下水道のような実感と、窓から漏れる太陽の陽ざしが、トウカの意識を冴えさせた。体を動かすほどの元気はなく、かといって何もしないのも悠長に思えて、とりあえずスマホを取り出した。
イッシュ地方のニュースを見ると、雑多な記事に混ざってプラズマ団の話題もあった。他にも金融や技術などの大きな話題もあり、ゲームではあまり描かれない社会的営みも随分と盛り上がっているんだなとしみじみ思った。テラスタルの解析なんて話もある。ブライア先生に研究のことを聞かせてもらうのも面白そうだ。
トウカはスマホを見ながら寝返りを打った。休むためとはいえ無駄な時間を過ごしているように思えて気が焦ってしまう。このどうしようもない焦燥感も慣れ親しんだものに感じられた。寝そべってぼんやり液晶の光を浴びるのもよくあったことのような気がした。でも、これに慣れてしまいたくないという気持ちもあった。
何かやるべきことを探してトウカは身を起こした。そうだ、メタモンにスカーフを渡すのを忘れていた。
よろよろとベッドを下り鞄に手を伸ばした。そしてベッドの縁に座って鞄を膝上に置き、中を探ってスカーフとメタモンのボールを取り出した。そのボタンに指をかけながらトウカは優しい声色で言った。
「メタモン。さっきはありがとう。訓練に付き合ってくれて」
「モン!」
飛び出したメタモンはトウカの姿に早変わりし、上機嫌な声で返事をしながらトウカの横にすとんと腰掛けた。甘えるように寄りかかってくるメタモンの頭の重みを肩に感じながら、トウカは手に持ったスカーフをメタモンに見せた。
「モン?」
「これはこだわりスカーフって言って、技が一つしか出せなくなる代わりに素早さが上がる持ち物だよ」
メタモンがどれほど理解できるか分からないがトウカは一応一通りの説明をした。どう持たせるべきかと逡巡し、一先ずスカーフらしく首に巻いてもらうことにした。とはいえ結び方など分からないので、首輪のようにぐるぐると巻き、リボンのように結んでそれらしく形を整えた。
顎が邪魔にならないよう大人しく天井を見上げていたメタモンは、結び終わったスカーフを手でぺたぺたと触ってにこにこと喜んだ。その幼い表情は水色の可愛らしいスカーフと似合っていた。たしかにタロが言う通り、可愛いと言うべき顔かもしれないと思った。これとそっくりらしいことがどうにも腑に落ちないが、スカーフという区別があればゼイユももう間違えることはないだろう。
そうだ、メタモンの写真でも撮ってゼイユに送ってあげようか。そう閃いたものの、自分とゼイユの関係で突然写真を送ってもよいものなのか。そもそもメタモンの顔は自分と同じなのだから実質自撮りになるわけであって、それを誰かに送ってもよいのだろうか。そんな戸惑いが結局トウカを踏みとどまらせた。