窓がなく暗い廊下で隣を歩くスグリは、トウカのことを気にしているらしくちらちらとこちらをうかがっている。
「あの、初対面なのに変なこと言って、ごめんなさい」
「別に、変だと思ってないから大丈夫」
「う、うん……」
バンダナと同じ黄色のショルダーベルトをぎゅっと握りしめた姿は、小動物のように丸まっていた。
スグリはゲームの中で最も変化が大きく描かれたキャラクターだ。最初は気の強いゼイユに付き従う内気な弟として登場したが、主人公との関わりを通して強くなりたいという欲求を露わにし、強さのために己も他人も犠牲にするような荒れた人物になった。
この彼も勝利に執着するようになるのだろうかと内心疑問に思った。見た限りではそうは見えなかったが、ゲーム内でもその変化を驚かれていた描写が多く、どうなるのか推し量ることはできなかった。
「それに、俺もスグリのこと、どこかで見たような気がするし」
「え! ほ、ほんと? わや不思議……あ、訛り、ごめん」
スグリは事あるごとに謝る癖がついてしまっているようだ。いちいちまともに取り合うべきではないと判断したトウカは軽く受け流した。
「気にしてないよ。どこの方言なの?」
「え、えっとキタカミっていう……りんごが有名! りんご飴みたいなポケモンっこも、いる」
「へえ、りんごかあ。食べてみたいな」
実のところスグリの地元がどのような場所なのかは知っていたが、喋るスグリが余りにも楽しそうだったから適当に相槌を打った。
「キタカミのりんごさうんめーから、いつか絶対食いに来てな!」
「いいね。楽しみが増えた」
スグリは両手で口を隠すようにして笑った。ゲーム内でもよく見た仕草だった。親近感を抱いたのか、スグリは少し心を開いたように話しかけた。
「ねーちゃんが褒めるなんて相当だから、おれ、トウカのバトル見るの今からすごく楽しみ」
「しばらくはバトルできないと思うけどね」
「そうなの? なんで?」
「手持ちの子が戦えるか分からなくて」
不思議そうな顔をするスグリの前で、モンスターボールを取り出した。
「たぶん驚かせちゃうけど、出してもいい?」
「う、うん」
ボタンを押すと青い光線がほとばしり、シルエットはうねうねとしながら人の形に変化した。光が収まったとき、そこにはブルーベリー学園の制服に身を包んだトウカが立っていた。
「どひゃ! トウカが二人!?」
「この子はメタモンだよ。人に化けるのが好きみたい」
「モン!」
メタモンはにこやかにスグリに片手を上げた。いつの間にか人の振る舞いが上達したような気がする。
「すごい似てる……! あ、でも表情はちょっと違う?」
「ああ、メタモンはいつも笑顔だからね。俺にはできないよ」
メタモンは上機嫌にスグリの周りをうろうろとした。スグリは落ち着かなくなってきた様子で、助けてほしそうな目をしてこちらを見た。
「まあ、こんな感じでフレンドリーなんだけど、バトルできるのかはまだわからないんだ」
トウカはボールにメタモンを戻した。スグリは圧倒された様子でこくこくと頷いた。
「ほんとにそっくりだった。近いとびっくりしちゃうぐらい……」
俺に近づかれるのは嫌ってことか、なんて弄りたくなったが、なんとなくスグリの気持ちもわかって何も言わないでいた。自分も内気な人間だから人に距離を詰められるのは得意ではない。
だからこそ、ゲームについての記憶しか覚えていないのだろうか。
「あ、見えてきた。テラリウムドームへの入り口」
スグリが指さした先には、外のような日差しが差し込んでいた。
「もう夕方だ」
「実際の時刻と連動しているのか?」
「そう……あ、言ってなかった。テラリウムドームは海中にあるけど、壁と天井に本物そっくりの風景を表示させてる。四つのエリアに分かれて自然を再現していて、それぞれサバンナエリア、コーストエリア、キャニオンエリア、ポーラエリアって呼ばれてるんだべ。それと、あの天井から釣り下がってるのが、ブライア先生が作ったテラスタルコア。あ、テラスタルって知ってる?」
「知ってるよ。使ったことはないけど」
「おれも。ブルーベリー学園では優秀な生徒にだけテラスタルオーブっていうのが与えられて、それで自分のポケモンをテラスタルさせられるんだ。ねーちゃんはオーブ貰ってるけど、おれはまだ」
スグリは肩を落とした。
「スグリはテラスタル使いたいの?」
トウカがそう尋ねると、スグリは逡巡するかのように頭をかいた。そして爪を噛みながらトウカのことを見上げる。
「テラスタル使いたいっていうか、強くなりたくて……。そういえばトウカはポケモンバトルしたことないのに、どうやってねーちゃんに認められたんだ?」
「知識量を認められただけだよ。ポケモンバトルは戦略も大事だからね」
「すごい……。あの、トウカが良ければなんだけど、おれにいろいろ教えてほしい!」
トウカが素直に答えると、スグリはぎゅっと目をつぶって俺に頭を下げた。先生役が自分に務まるとは到底思えなかったが、せっかくの期待を裏切りたくもなくて、消極的に請け負う。
「俺が教えられることなんてそんなにないと思うけど、それでもいいなら、喜んで協力するよ」
「ほ、ほんと? ありがとう……!」
スグリは嬉しそうにはにかんだ。落ち着かなさそうにそわそわと鞄をいじり、ぼそっと照れたように言った。
「なんだか、にーちゃんができたみたい」
「にーちゃん?」
「あ、嫌だった? ごめん……」
「嫌じゃないけど、なんだか照れくさくて」
にーちゃんと呼ばれたとき、心のどこかがざわついたのを感じた。そういえば家族のことを覚えていなかった。この体のだけじゃなくて、前の世界での自分についても。何か思い出せそうだったがあまりいい気分ではなかった。
スグリを心配させないようになるべく穏やかに答えると、彼は安心したような顔を見せた。
「じゃあ、ドームの案内するから、ついてきてほしい。学園ではおれのほうが先輩になるし……それならおれがにーちゃんかな? にへへ、確かに照れるべ」
「俺は自分の年齢が分からないから、もしかすると本当にスグリのほうがにーちゃんかもね」
「えっ、年が分からないの……?」
「そう。年齢も家族も住んでいた場所も分からないんだ。自分に関することで覚えてるのは名前ぐらい」
「そ、そうなんだ」
スグリは下を向いた。言うべきではなかったかと思ったが、ゲームでのスグリは主人公に隠し事をされたことにひどく憤っていたことを思い出した。スグリも、そしてゼイユも、一度嫌われたらとても面倒なことになりそうだ。トウカは慎重に言葉を選んだ。
「だからもし、本当に家族みたいに思ってくれるのなら、すごく嬉しいよ」
「……! うん!」
スグリの顔に笑顔が戻る。その無邪気さは年相応の少年でしかなく、トウカはそっと胸をなでおろした。
いよいよテラリウムドームに足を踏み入れる。トウカよりもわくわくした顔でスグリが両手を広げた。
「ここがテラリウムドーム! 目の前に見えるのはサバンナエリア、だよ」
スグリの背後では土煙を上げながらドードーやサイホーンが走り回っており、到底この中へ飛び込んでいこうという気持ちにはなれなかった。
「そうだ。にーちゃんはまだメタモンしか捕まえてないんだべ? ついでにここでポケモンさ捕まえていこう」
「捕まえたい気持ちは山々なんだけど、生憎ボールを持ってなくて」
「そんなら俺があげるべ。5個でいい?」
「スグリ、ありがとう。とても助かるよ」
スグリはお腹に回した鞄からボールを取り出した。それを受け取って少し迷った末に、制服と一緒に渡されたスクールバッグの脇ポケットに入れた。
「サバンナエリアで捕まえていく? それとも先に他のエリアさ見る?」
「ここのポケモンはちょっと気性が荒そうだから、できればほかのところがいいな」
「穏やかなポケモンが多いのは……コーストエリアかな。一緒に行くべ」
スグリが先行して一緒に歩く中、思っていたよりも野生のポケモンが近づいてこないことにほっとした。ゲーム内では構わず突っ込んできたケンタロスなどでさえ近くにくるとその足を止めた。
「エリアは少し高さのある構造物で区切られてるから、エリアをまたいで移動するにはセンタースクエアっていう中央の施設まで行かないといけないんだ。空を飛べるライドポケモンがいれば多少移動が楽になるんだけど……。あ、でも空飛ぶタクシーは使えるから、不便ってほどではないと思う」
空、というか天井を見上げるとたしかに無骨な乗り物が何機か飛行しているのが見えた。ゲームでは可視化されなかった他トレーナーの生活が垣間見えて、少し胸が躍った。
「センタースクエア以外の場所だとタクシー待つの結構長い……けど、センタースクエアはそうでもないべ。コーストエリアまでタクシーで移動してもいいけど、にーちゃんはどっちがいい?」
「野生のポケモンをたくさん見たいから、徒歩のほうがありがたいかな」
「分かった。……おれもにーちゃんと歩けるの楽しい、って、わわ!?」
上機嫌そうに歩くスグリが突然見えなくなった。下をのぞくとスグリは砂地獄に腰を浸からせてしまっていた。焦ったように立ち上がろうとするスグリを慌てて制止する。
「スグリ、動かないで! 動いたらますますはまるよ」
「あ、えっと、どうしよう、ボールも出せん」
息を吐きだして考えを巡らせた。俺には連絡手段がないから助けを呼ぶことはできない。人が通りがかるのを待つとしても、日が暮れる方が先になるとスグリの体がもたないだろう。
トウカは意を決してメタモンのボールを取り出した。この砂地獄の主はおそらくナックラーだ。ナックラーは進化していないポケモンで、攻撃力自体はそこまでないはずだ。メタモンは他のポケモンに変身することで戦う。ナックラーをコピーすれば、なんとか撃退することができるかもしれない。
いざメタモンを出そうと構えたとき、トウカは重大なことに気が付いた。メタモンは相手の技も含めてコピーする。つまりナックラーの使える技を指示しなければメタモンは攻撃することができないのだ。対戦でほとんど使われない進化前のポケモンの技はさすがに覚えていなかった。万事休すかと思われたその時、上空をタクシーが通っていくのを見た。
「そうだ……メタモン! エアームドに変身!」
「モン!」
トウカは真上へボールを振り投げた。上空で輝いた光線は鋭い羽の怪鳥の姿を取って滑り降りてくる。
「スグリを!」
短い指示を瞬時に理解し、エアームドに変身したメタモンは頷いてスグリの両肩をつかみ砂から引き抜いた。そしてトウカの横へゆっくりとスグリを降ろし、すぐに俺に変身する。
「なんでそんなに俺の姿になるのが好きなんだ?」
「モン?」
首をかしげながらメタモンはトウカに投げっぱなしだったメタモンのボールを手渡した。
「ありがとうにーちゃん、メタモン。……怖かった」
砂にまみれたスグリがへたりと座り込む。その横にメタモンも座って慰めるかのように背中を撫でた。
「結構移動するだけで大変なんだな」
「いや、おれがうっかりしてただけ……」
たしかゲームでも、大人しいときの彼は学園でゼイユとほとんど常にともに行動していたはずだった。それにはこういう事情もあるのかもしれない。たしかに、目が離せないわけだ。
「にーちゃんはすごいな。こんなときでもすごく的確な指示だった。たしかにバトル、上手くなるかも」
「そんなことないよ。頭が回ったというより、俺とメタモンがお互いに信用したから、うまく行ったんだと思う」
「モンモン」
メタモンはしたり顔で頷いた。
「信用……。たしかに、信用が一番大事だな。おれも信用されるようにけっぱらねーと」
立ち上がり砂を軽く払うスグリの表情は暗かった。自分を責めているようなその姿が痛ましく思えて、柄にもなく慰めの言葉が口から出てくる。
「スグリ。カキツバタさんが言ってたけど、スグリはバトルを楽しんでるんだって?」
「……うん、そのつもりだけど」
「それだけで十分、ポケモンにとっては信頼できるパートナーだよ」
「そうかな……」
それを聞いてもスグリは不安そうに鞄をさすっていた。
「バトルを楽しむトレーナーは、ポケモンと一緒に成長することも楽しめるんだ」
「ポケモンと一緒に?」
「そう。一緒に横で楽しそうに走ってくれるなら、ポケモンも嬉しいでしょ」
その言葉を聞いたスグリは、目を見開いて手のひらをぐっと握りしめた。
「そっか……。たしかに、そうだべな。にーちゃんありがとう」
にっと笑うスグリを見れて安心したトウカは目を細める。傍らにいたメタモンも嬉しそうな顔になり、突然スグリの手を上機嫌そうに握った。
「モン!」
「どうやらメタモンは、スグリと手をつないでいきたいみたいだな」
「え、は、はずかしい」
手をつないでいた方が危なくないだろうし、メタモンをそのままにする。スグリは涙目で引っ張られていった。
「センタースクエアはそっちじゃなくてあっちだべ。あと、手え放して……」
「モンモン!」
「ううう」
仲睦まじい一人と一匹をほほえましく思いながら、トウカも歩き出した。