杏山カズサ「別に宇沢はただの友達だから」   作:アカネカジカ

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 柔らかく崩れやすいモノが落ちた音がした。

 部室の入り口の方からだった。

 私が自嘲気味に言葉を口にした直後だった。

 

 おかしいでしょ、そういうの。

 

 外に出てみると、そこにはアイリが呆然とした様子で立っていた。

 そして、その手には形が崩れたケーキの箱。

 角から落としたんだと思う。長方形のはずの箱の角が、床にめり込もうとしたかのように大きく凹んでいた。

「これ、レイサちゃんが……」

「宇沢が……?」

「……聞いてたのかしら、さっきの話。カズサが強がったりするからっ」

「あーあ……」

「つ、強がった訳じゃないでしょ……! 事実っていうか……そもそも、変な事聞いてきたナツのせいでしょ!?」

「待って、カズサちゃん……レイサちゃんが買ってきたこれって……」

 アイリに手渡されたその箱の崩れた部分から勢いよく溢れ出したクリームが私の指に付いてしまった。

 淡い茶色のクリーム。

 私はそれを口に入れると、甘い栗の風味がじわっと広がる優しい舌当たりに、微かに桃の風味が感じる生クリームの味。

 あいつがわざわざ何をしに来たのか気づいて私はもう誰もいない廊下の向こう側に咄嗟に視線を移していた。

 

 ……そんなつもりで言った訳じゃなかった。

 

 それなのに、あいつ……すぐ、真に受けるから……

 

 最初は友達とすら思っていなかった。

 自称正義の味方面をしているストーカーだった。

 先生に相談して、秘密が部活のみんなにもバレて、紆余曲折あって気づいたら、あいつとは友達みたいな距離まで縮まっていた。

 でも、今の私の中で、この気持ちは多分、友達とは違う感情に変わりつつあった。

 いつも私を追いかけてきていた彼女の背中を、気づいたら私が追いかけていた。

 

 時計の針が一秒一秒をゆっくりと刻んでいくように、一歩、また一歩と、私のあいつに対する気持ちが、友達よりももっと深い関係に向けて進んでいた。

 ナツとヨシミがからかうように聞いてきた、あの時から。

 アイリに渡された箱の中身を知った、この瞬間から。

 

 ……本当にめんどくさい。

 

 勝手に傷ついて逃げ出すあいつも、からかってくる周りも。

 そして、勘違いしたあいつを何とかしなくちゃって、必死になってる私の煩わしい気持ちも。

 

「──……宇沢っ!!」

 

 私はテーブルに崩れた箱を置くと、部室から飛び出してあいつを追いかけた。

 

 薄々、自分でも気づいてた。

 私もあんたのことが……

 

 ────

 

 ……はあ、また売り切れてる。

 

 D.U.外郭からゲヘナ自治区にさしかかった辺りにある洋菓子店『ルワゾー・ブッレ』では、数量限定のモンブランが売られていた。

 元々、限定品という訳でもなく、普通のメニューの一つとして販売されてた商品だったらしいけど、口コミが広がっていつからか、今まで作っていた量に対して、需要が上回ったらしい。材料や一日の生産量の都合から、実質的に数量限定販売になってしまったモンブランを今日も買うことが出来なかった。

 ナツが言ってた『ケーキ』じゃなくて『ケーキの価値』に目を付けられるようになるとか、どうとか色々言ってたことをふと思い出してしまった。殆ど聞き流してるから、本当に断片的にだけど。

 話題になってしまえば、食べられる内に食べなきゃって、みんなそっちにも気を取られるようになってしまうから、余計に買うための競争率は上がるばかり。

 休日は余程早く並ばないと買えないし、狙うなら平日がいいのかもしれない。私が買いに行くには授業の都合でどうにも、お店から次の授業までにトリニティに戻るのに間に合いそうにないから、最悪サボるしかなかった。でも、ただでさえ再試を受けることがあるんだから、下手な真似をするわけにもいかなかった。

 一日の最後の授業を受けてからでは、間に合わないということは既に実証済みだった。

 ため息を吐いた後、銃の肩紐を引っ張って肩にかけ直し、洋菓子店に背を向けて学園の部室に戻っているその時だった。

 

「──杏山カズサぁぁぁぁっ!!」

 

 後ろから、忘れるほうが無理というほど聞き慣れてしまった声が聞こえて私は振り返った。

 その直後、顔に平手打ちでも受けるかのような勢いで封筒を叩きつけられて、私の視界は塞がれるのだった。

 

 ────

 

「──痛っ……あんた、これ叩き付ける力くらい加減しなよ……痕になったらどうすんの……」

「あ、あははっ……すみません……今までの癖で、つい……」

『普段見かけない場所で見かけたから』って、宇沢は私が嫌がっている『呼び名』を声高々に上げて襲いかかってくるのだった。

 いつものように私は何とかそれをあしらいながら、学園の方までこいつを誘導しつつ相手にしていたら、私が放った銃弾が額に命中して伸びてくれたお陰で、漸く大人しくなるのだった。

 当たり所が当たり所だから、心配だったのもあって、こいつが起きるまでしばらく待っている間、放課後スイーツ部のみんなに部室に戻るのに遅くなることを連絡していた。それからすくっと何事も無かったかのように起き上がった宇沢と私は、お互いに珍しくあの辺りにいた事情を話し合いながら歩いていた。

 中学の頃までまともに話し合ったこともなかったけど(というかこっちの話を聞いてくれる様子もなかったけど)宇沢の一方的なコミュニケーションだったことが原因だったことにも、先生と相談したことで何とかこいつも余裕を持ってくれるようになったのは幸い、私にとっても助けられることになっていた。

「それで、杏山カズサはどうしてあんな所にいたんですか……? シャーレからの帰りにしては、やけに遠回りのような……」

 確かに宇沢の言う通りだった。

 直感的に襲い掛かってきたとはいっても、こいつなりに考え合っての疑い方があったみたい。そこを直せって言ってるんだけど。

 ひと気のない踏み切りを過ぎて、公園のある住宅街を歩いていると、風で揺れる木々に合わせて、私の隣を歩く宇沢の横髪が微かに揺れた。

 色の付いた綿菓子を思わせるような、パステルカラーの紫とピンクといった少しメルヘンチックな色の髪から、シャンプーの匂いよりも一日過ごした後の汗の匂いも混じっていたのかもしれない。

 私とそんなに背丈も年も変わらないはずなのに、身体のどこにそんな無垢な物を残しているのか、子どもっぽいミルクのような香りが私の鼻を擽った。

「あの辺り……ゲヘナ自治区の近くにまで行くと洋菓子店があるんだけど──」

「──洋菓子店! んー……待ってください、むむっ……あっ!! 知ってます!!」

「……っ、宇沢、ちょっとうるさい……」

「あ……す、すみませんっ……」

 静まり返った住宅街でのこいつの声はまるで山岳から返ってくる山彦でも聞いているみたいに、遠くまで大きく反響を繰り返していくのだった。

 自分の声量を押さえ込むように、宇沢は両手で口を押さえて謝った後、一息吐いて声を落ち着かせてから、もう一度話し始めるのだった。

「あの……確か『ルワゾー・ブッレ』ですよね! 今、話題の! 友達が言ってました!」

 やっぱりこいつも知っていて、それも友達づての情報なら、もうかなりの規模になるくらい広がっているんだなって二つの意味で口コミとしての認知度を知ることになった。

 ……というか、こいつ私たち以外にもちゃんと友達いたんだ?

 

 へぇ……良かった……

 

 そう思って鼻から息を漏らすようにため息を軽く吐くと、少し胸の奥が冷たくなったように感じてしまった。

 私、もしかして少し嫉妬した? ……こいつに? 嘘でしょ?

 自分の中で理性と感情が二つ別々の意見を持っていることにすぐに気づいてしまった。もう高校生なんだから、今更友情とか恋に気づいてうろたえるような年でもないことは分かっているつもりだった。

 散々中学の時から追い回してきていたこいつのことだから、私はてっきり殆どの時間を私に割かれているものだと少し思い込んでいたのかも。

 ……いや、そう思い込んでしまうのも仕方ないくらい宇沢のストーカーっぷりが酷かったんだと思う。はいはい……この話はもうおしまい……

 私はそう決め付けて、さっさと面倒な独占欲が大きく膨らむ前に胸の隙間の中にでも捻じ込むつもりで抑え付けて有耶無耶にした。

「……どうかしました?」

「え──? あ……いや、なんでもないけど」

「もしかして『へぇ、こいつ友達いたんだとか』失礼なこと考えていませんでしたか!?」

 本当はこいつ凄く察しが良いんじゃないかって思えるくらい、心を読んでくることがあるの何なの? そこまで人の気持ち窺えるなら、その突っかかってくるのもやめればいいのに。

「あんたが私のことずっとスケバンって先入観が抜けてくれなかったのと同じ……どれだけ私に突っかかってきてたと思ってるの……?」

「そっ……それもそうでしたね……実際、あなたとの関係を改めるまで友達と呼べる友達もいなかったので……」

 先生に相談したことで変わったのは私たちだけではなく、宇沢の生活にも色々変化はあったみたい。

「私が考えすぎているだけみたいでした……思い切って私からも近づいてみたら、皆さんとても優しくて……温かくてっ……! 見てくださいっ、これ! 『ルワゾー・ブッレ』ではありませんが……ほら! 既に友達とカフェにも言ったんですよ!!」

 多分『カフェ・ミルフィーユ』で撮ったと思われるスイーツの写真の他にも、テラスに並ぶパラソルが立つテーブルを、他のトリニティの生徒と一緒に囲んで楽しそうにしている写真も見せてくれた。

 その時の、こいつの表情が私に挑戦状を叩きつけてきたときのように楽しそうで、眩しい日差しのような快活とした笑顔で話しているから、本当に友達が出来て嬉しかったことが伝わってきた。

 他人事なのに、まるでその気持ちをしっかりと伝わるくらい。

 私が知らない所での話を続ける宇沢は、まるで陽だまりの下で話しているみたいに明るかった。そんな明るい話を、私は日陰から見つめるような気持ちで聞いていた。

 

 あー……こいつのこと棚に上げてたけど、傍から見れば私も十分めんどくさいのかも。

 

 さっき押さえつけたはずのモヤモヤが、蓋の隙間から漏れ出すように胸の中に広がるような心地がして、私は顔を小さく左右に振った。話題でも変えよう。

「……そういうあんたは、あそこで何してたの? あんたのパトロール範囲ってD.U.に来るくらい広かったっけ?」

 なんか、こいつのパトロール範囲も自然と覚えてしまっている自分もちょっとストーカーみたいで嫌だった。でも、あの時はその一帯を避ければ比較的に出くわすこともなかったし、身に染み付いてしまったというか。

「本当は別の方の担当区域だったんですけど、体調を崩されたみたいで私が引き受けていたんですよ! 普段のルートからちょっとお散歩程度に伸びたくらいだったので何の問題もありません! 私は自警団のエースにして『みんなのヒーロー』宇沢レイサですから!」

 そういって誇らしげに胸を反らして、拳を作って軽く胸部を叩くようにポンッと叩いていた。

 私よりも胸の発育が少ない分、セーラー服越しながらはっきりと僅かに反らされた胸部が綺麗な曲線を描いていた。

 誇らしげになんか恥ずかしいことを言ってる。

 私だったらその場で取り乱しそうなくらい恥ずかしくて口が裂けても言えたものじゃなかった。

「はあ……それ、この前は『スーパーアイドル』じゃなかった?」

「──っ! はい! そうでした! 覚えていてくれたんですね!」

「い、いや、ちがっ……あまりにもアイドルが戦う事と関係なくて覚えてただけだから……!」

 公園を過ぎて、しばらく歩くと見慣れた通学路にまで戻ってきていた。既に帰宅部のトリニティの生徒たちがちらほらと寮や自宅に帰っていて、私たちとすれ違っていた。

 ふと気づいたけど、前に一人であの洋菓子店に行った帰りと違って、ここに着くまであっという間だった。

 一つの授業を逃しそうなほど長いはずの帰り道が退屈しなかった。

 

 今まで迷惑に感じていた宇沢にこういう関係になるなんて、昔じゃ考えられなかったかも。

「──あ、戻ってきた」

「ただいま」

「あ……お、お邪魔しますっ!」

「いらっしゃい、レイサちゃんっ」

 部室に戻ってくると、談笑していたヨシミとアイリが出迎えてくれた。

 私がいると分かって入ってくる宇沢はいつも当たり前のように部室のドアを開けているにも関わらず、私がいなかったりこうして一緒に入ったりするときは相変わらず変にかしこまっているのだった。

「カズサちゃん、やっぱりモンブラン売り切れだった……?」

「うん……やっぱり、休日無理して並ぶか授業サボるしかないのかな……」

 私と宇沢はそれぞれ荷物を置くと、私は話しながらアイリの隣の椅子に、宇沢はヨシミの隣の椅子に一度小さくお辞儀をしてからおずおずと座った。宇沢のわざわざ改まった様子に少しおかしく感じてヨシミはクスッと笑ったあと、いつものように歯を見せるように笑って宇沢と話していた。

「……そういえば、あんた達さっき一緒に帰ってきたんでしょ? レイサはクラス違うんだし、カズサの代わりに行ってもらったら?」

 ここにいる宇沢以外、私たち三人ではクラスは違っても授業の時間に間に合わないことは分かりきっていた。だったら、ほぼ間違いなく宇沢も間に合わないと思う。

 ……そういえば、部室に戻ってきた時、ヨシミとアイリの二人は部室にいたけど、あと一人足りなかった。

「えっと、学校がある時間帯の間に行かなければいけないのであれば、私も間に合わないんですけど……で、ですが、どうしてもというのであればっ……!」

「宇沢、真に受けなくていいから……」

 私が一人足りないと薄々気になっていた、その瞬間だった。

「──話は聞かせてもらったよ」

 部室の引き戸が勢いよく開けられて大きな音を立てた。

 

 ──バァンッ!!

 

「うわぁっ……!? 何ですか!?」

「ナツちゃん!?」

「うるさっ……」

「あ、帰ってきた」

「ふっ……栗が三年かかって実るように、中学から関係を築いた二人が、モンブランによって巡り合う……これもまたスイーツのロマンだと思わない?」

 わざとらしく勢いよくドアを開けたナツが、そのまま入ってくることなく、その場で一人納得した様子でドアの縁に片手でついたまま語っていた。

「また変な口調で何か言ってる……っていうか、ナツどこ行ってたの?」

「私はただ、飽くこと無き探究心で生じた代償を払いに行っただけだよ」

「つ……つまりどういうことでしょうか……!?」

 宇沢が興味津々な様子でナツに聞き返していた。別にそのノリに付き合ってあげなくてもいいのに。

「寝坊して出し損ねた提出物を出しに行っただけでしょ。そんなカッコつけて言えることじゃないわよ」

「うーん、ダメかー……今のはいけると思ったんだけど」

 ヨシミの言葉を聞いて、ナツは変にキメ顔じみた表情から、すんとしていつものように据わった目を開いて、空いてる椅子の方へと向かっていた。

「おかえりナツちゃん、モンブランの話聞いてたんだ?」

「うん、途中から~……レイサも間に合わないって言ったところから聞こえたから、多分その話かなって」

 閉まったドアの前で何をしていたんだか。

 ナツは昨日の夜、スイーツ探しのために遅くまで色んなサイトや雑誌を読み漁っていたみたいで、そのせいで今日は寝坊したみたいだった。

「ルワゾー・ブッレのモンブラン……今まで当たり前のように買えていたはずのスイーツが、価値が変わって買えなくなった時代の変化による代物の一つだね」

「あっ……!! 『ケーキ』ではなく『ケーキの価値』に注目が集まるという話ですね!! えっと、捩れた資本主義……みたいな……!」

「おや、レイサ……限定品を求める上で起こりうる弊害、スイーツであってもそれがあるということ、そこを理解しているのは素質があるね?」

「ほ、本当ですか!?」

「ちょっと、あんたナツのそのノリに乗らないでよ! 余計に面倒なことになるんだから!! だいたい素質って何の素質よ!?」

「……はぁ」

「あはは……」

 元々、宇沢が同い年相手にも後輩気質なところを見せるのもあって、ナツと一緒にいる時間が増えれば自然と馬が合いそうな気がしていたけど、今この時点でも合っているとナツの悪ノリに拍車がかかるから大変なことになりそう。

 そんなことを思いながら私はカバンから、マカロンを一つ取り出して口にしようとしたその時だった。

 私の手の動きよりも、カバンの方に向けた私の顔を覗き込もうとしているような視線を感じて私は顔を上げた。

 ナツだった。

「っ……」

「……何? さっきからジーっと見て」

「……ううん、何も」

「……そう」

 少し引っかかるところはあったけど、特に何かしてくるわけでもないなら私も気に止める訳もなく、再びにカバンに目を落とすのだった。

 

 今日も変わらず、平和な一日だった。

 宇沢が一度襲いかかってきたことを除いて。

 それでも前までのように、争って最後はお互い肩で息をすることもなく寛いだ時間を過ごしていた。

 しばらくして宇沢は、夜のパトロールがあるからと私たちよりも先に部室を後にしていた。

 あいつが広げた手のひらを見せるように片手を目一杯伸ばして、子どもみたいにこっちに振っている様子を見て、私は小さく手を振った。

 

 そんな『友達』としての関係が少しずつ当たり前になってきていた。

 あいつが綿菓子のような色合いの髪で作ったツインテールをこちらに靡かせながら勢いよく背中を見せたとき、ふと私は、部室に帰ってくるまでの、胸の内で湧き出た冷たく黒いモノの存在を思い出していた。

 まだそれが何なのか、私は気づかないままでいたかった。

 

 

 * * *  * * *

 

 

 平日の昼下がり、私は杏山カズサとの話をふと思い出し、D.U.外郭区まで来ていました。

 私は今日の最後の授業を受け終えて、放課後スイーツ部のみなさんよりも先に放課後を迎えていたので、以前のパトロールルートを巡回しつつ、ここまで来ていました。

 杏山カズサが言うには、放課後を迎えた頃には売れ残っているところを見たことがないとのことでした。

 ダメ元でしたが、少しでも彼女の期待に応えたくて、僅かな期待に胸を膨らませながら、私はゲヘナ自治区の方へと足を進めていました。

 杏山カズサが私との一件をシャーレの先生に相談されてから、私たちの関係は大きく変わりました。

 そして、その相談のおかげで私も先生と知り合い、私の生活も変わるきっかけになりました。

 宿敵だったはずの杏山カズサを含め、優しい同い年の放課後スイーツ部の皆さんや、今まで私を気にかけてくださっていたクラスメイトの方々と友達になりました。

 人に迷惑をかけたくなかった私に先生が背中を押してくださったおかげで、本当は私が一人尻込みしていただけだったのだと教えてもらいました。

 そして、友達が増えれば増えるほど、ふと杏山カズサの後ろ姿を見かけた時の、何か胸の内から湧き上がるような特別な物へと変わっている気がしました。

 あ……見えてきました! 洋菓子店『ルワゾー・ブッレ』!

 治安が悪いことで名高いゲヘナの自治区に差し掛かった辺りにあるとはいえ、街並み自体はD.U.の近くにあるだけあって、清潔さを保たれていました。外郭区の高層ビルが建ち並ぶD.U.の街並みが、少しずつ赤レンガと木組みの建物に変わり始める地区の境辺りに、その目的地はありました。

 店のドアの前には小さな黒板のような看板があって、ここぞとばかりに売りにしているかのように、杏山カズサが求めていたモンブランの絵が手書きで描かれていました。

 残っているのでしょうか。ここではなくてもカフェには何度か友達と行っているので、大した緊張感もないはずでしたが、リュックの肩紐をかけている肩がやけに強張っているように感じました。

 

 ──カラン、カランッ……♪

 

「あっ! いらっしゃいませっ!」

 ドアを引くと、内側に付けられたベルが心地良く音を立てて、入店音として奏でられました。その音に気がついたかのように、ケーキが並ぶショーケース式のカウンターの後ろに立つ店員さんが振り返り、はにかむような笑顔で迎えてくれました。

 私と同い年の方でしょうか? 私より目線がほんの少し低くて小柄な体格で、八重歯がチラッと見える笑顔が素敵な店員さんでした。髪色は赤くて、私と同じようにツインテールを作っている髪形をしていました。

 よく見ると後頭部から左右の側頭部にかけて灰茶色の角が一本ずつ生えていました。やはり、場所が場所なだけあって、ゲヘナの方が店員をされているみたいですね。

「ご注文はお決まりですか?」

「えっと……あ──!!」

 横にずらりと並ぶ色とりどりのケーキはどれも目移りしてしまうくらい美味しそうで、目的を忘れてしまいそうに思えるほど上に下に、右に左に、寄り道をするようにふらふら、ふらふらと視線が揺れていました。

 そして、誘惑が溢れているガラス張りの中に、一つだけぽっかりと目立つようにスペースが空いているケーキがあって、それがモンブランでした。それに、二つも残っています。

「はい!! モンブランを二つお願いします!!」

「えーっと……すいません、お客様。モンブランはお一人様一つまでとさせていただいています……」

「え──あっ……!? す、すみませんっ……!!」

 よく見てみると、値札の横にお一人様一つまでと注意書きが書かれていました。

 代わりにどれを選ぼうか狼狽えていた私を見かねたのか、店員さんは目線を左右に移して辺りの様子を確認した後、カウンターから背伸びをして、身を乗り出して話しかけてきました。まるで耳打ちでもするかのように、左手を広げて頬に当てて、こそこそと話すように。

「……ねえ、別にあんたの見落としを責めてる訳じゃないのよ……! でも、いくらお金があって沢山食べたいからって、ダメなものはダメよ。本当は私だってストックしてでも後で食べたいくらいなんだから……」

「あ、いえっ……! えっと、友達の分も買おうと思っていたんです……私がちゃんと見ていなかったのが悪いので……」

「だから責めてないってばっ……! ……ふーん……友達ね──ふぅ……」

 ストンと、伸ばしていた足を戻してカウンターの後ろに立ち直して、カウンターの角の形がくっきりと付いてしまった制服のお腹周りを軽く叩いて戻していました。

 彼女の動きに合わせて、腰から生えた横に細長い赤い蝙蝠のような羽根の先がゆら、ゆらと揺れているのが微かに見えました。

「それで、何にするか決まった? 代わりと言ったらあれだけど、まだだったら私のオススメを教えてあげても良いわよ?」

「……っ! 本当ですか!? それでは、オススメをお願いします!!」

「任せてっ、オススメは──」

 

 ────

 

「──ありがとうございました~! またのご来店をお待ちしてます!」

「はいっ! また来ます!!」

 

 ──カランカランっ……♪

 

 少しだけ店員さんと仲良くなれた気がします……!! あっ……!! お名前を聞きそびれていました……折角とても良くしていただいたのに……

 ケーキが二つ入った箱を持って、以前、杏山カズサと一緒に歩いた道を一人で歩いて部室まで向かっていました。

 ……ですが、凄く退屈です。いえ、こうして放課後スイーツ部の部室に向かうまでの間、ついでにパトロールにもなるんですから、全然悪い事ではないんですけど……

「──っ、あはは……すごく静かですね」

 独り言でした。次に私以外の言葉が返ってくるなんて、当然ありえませんでした。

 それなのに、杏山カズサの返事が欲しくなっていました。

 しかし、帰ってくるのは住宅街の木々の梢が風で揺れ触れ合う音。それから、今、目の前で道を塞ぐように降りてしまった踏切の警報音だけでした。

 保冷材も入れてもらったので、しばらくの間は溶ける心配もありません。

 大げさな秒針のように繰り返されるカーン、カーンと鳴り響く警報音。

 杏山カズサの反応を想像しただけで思わず漏らしてしまった笑い声だってかき消されてしまうのでした。

 瞬きをした一瞬の内に、線路の向こう側が見えていたはずの景色が通りすぎる灰色の車輌に遮られていました。

 電車が掻き分けた風圧が、セーラー服の裾や袖から入り込んで、制服を膨らませるようにぼふっと吹き込まれるのでした。

 彼女と会える帰り道を塞ぐこの踏切が早く上がらないか、今か今かと舞い上がるような待ちわびている気持ちを体感するかのような心地でした。踏切が上がる瞬間がこんなにも楽しみに感じることは今まで他にありませんでした。

 

 ──ガタン、ゴトンッ……ガタン、ゴトンッ……

 

 これを渡した時の杏山カズサがどんな風に受け取ってくれるのか、それを考えるだけでも期待からドクドクと高鳴る私の鼓動を曖昧にするように、線路を駆ける車輌の振動が繰り返し鳴り響いて、地響きとして身体に伝わってくるのでした。

 ついそれに合わせてゆっくりとリズムでも刻むように小さく足踏みをして、今すぐにでも彼女に会いたい気持ちでいっぱいでした。

 以前にも放課後スイーツ部の部室へお土産を買って持って行ったとき、早く会いたい一心ばかりに駆けて行ったのもあって、中身をぐちゃぐちゃに台無しにしてしまいました。ですから、今日は両手で箱の底を持って大事に大事に持ち歩いていました。

 可愛く八重歯が見える店員さんが入れてくれた保冷剤がしっかりと効いているかのように、箱のそこは冷えていて、私の手のひらにまでそれがはっきりと伝わってきていました。

 

 トリニティ総合学園の敷地内にある部室会館に、放課後スイーツ部の部室はありました。少し退屈にも思える帰り道を歩き終えて部室の入り口の前まで着くと、ドアが開いたままになっていました。

 杏山カズサたちがいる部室の廊下の奥にまで、ヨシミさんの怒鳴り声が聞こえてきていました。ヨシミさんも、私と同じくらい声が大きい方なので、みなさんから弄られているのだと、遠くからでもすぐ伝わってくるのでした。

 そして、開いたままのドアの近くまで来ると、杏山カズサの声が僅かに聞こえました。買いに行った甲斐がありました、これで渡す事ができますね。

 

『──私と宇沢が……?』

 

 ……私と杏山カズサが何なのでしょうか?

 一瞬聞こえた、彼女の少し不満そうな声色が聞こえて、私の足はピタッと止まってしまいました。

『そうなの? カズサ? あんた抜かりないのね』

『違うって……だいたい言えないようなことって何……?』

 

 私が、私が何なんですか……?

 すごく気になります。

 それでも今ここで飛び出せば、その話もはぐらかされてしまうかもと思って、私はドアに背を向けて立って、こっそり盗み聞きをしていました。

 あ……なんだか、この感じ、凄く嫌ですね……陰口を叩かれているのを盗み聞きしているみたいで……

 あ、あははっ……違う意味で心臓が凄くバクバクしてきてしまいました。

 

 体内の血管が無理に広げられて血流が早くなっているかのような心地。全身の鳥肌が立って、何の変哲も無い空気にさえピリッと感じるほど嫌に神経が研ぎ澄まされているかのような錯覚さえありました。

 杏山カズサはなんて答えるのでしょうか。そもそもの話題の主旨も分かりませんが、彼女の答えが気になって仕方がありませんでした。

『えー、そんなのヨシミだって分かりきってることだよ。そうでしょ?』

『ちょっと、絶対考えてなかったでしょ!? 何で私に振るのよ!!』

『ヨシミ……?』

『えっ……た、例えば……き、キスとか……! そ、そうでしょ!?』

 キス……? 私と杏山カズサが……?

 彼女とはそんなに身長差はなかったので、それなりに顔を近づけて話し、たまに額がぶつかり合うことも多々ありました。

 そんな杏山カズサと、私がそんなことをするなんて……ちょっと良いかもなんて思ってしまいました。

 最近、杏山カズサと宿敵から友達になれて、私は浮かれていたんだと思います。

 私がずっと夢見心地の世界にいる中、杏山カズサが見えている世界はずっと現実なのだと知ることができました。

 

『宇沢はただの友達だから……』

 

『おかしいでしょ、そういうの』

 

 ──ドサッ……

 

 何か、落ちる音が私の足元でしました。

 それでも、私の頭の中には、杏山カズサの言葉の意味を何とか都合よく捉えられる判断材料が無いか調べることいっぱいでした。

 

 ただの……友達……?

 

 それもそうでした。

 そもそも、私が変に解釈しているだけだったのですから。

 中学のころからずっと、彼女の代わりになれるような人物はいませんでした。

 そんなすがりたくもなるほど、たった一人の相手に思いを寄せているのなんて、私……

 部室の中から、ヨシミさんとナツさんの声が聞こえてハッとしました。

『……? 今の何の音?』

『外から聞こえたけど?』

 

 音……あ、あれ……ケーキの箱……つ、潰れてしまいました……

 

 一瞬、両手が無くなってしまったかのような錯覚がありました。

 箱の底を両手で抱えて持っていたはずなのに、両手をすり抜ける床に落ちてしまったケーキの箱。

 落とす直前、私はどんな風に持っていたのか、それさえ思い出せなくなっていました。

 

 と、とにかく拾ってここから離れないと……みなさんが来てしまいます……

 

 私は屈んで拾おうと手を伸ばしたその時、同じタイミングで、視界の上の方から、白いセーラー服の袖からスラッと伸びた細く色白の指先がスッと差し出されるのでした。

「──レイサちゃん? 大丈夫っ……?」

「あ、アイリさんっ……あ、あははっ、え……えっと……」

 ああ、ダメですね。作り笑いで必死でした。

 本当なら誰にでも優しく接しているアイリさんが私を邪険に思うはずがないのに、私は彼女の顔をちゃんと見れませんでした。瞬きをして、次に見えたのは廊下の窓。そして、アイリさんがいる方と真反対の廊下でした。

「はぁ、はぁ……す、すみませんっ……!」

 私は振り返って、そのままどこに行くか、特に当ても無いのに逃げていました。

「レイサちゃんっ!?」

 後ろから引き止めてくれる友達ができたのに。

 ポロポロと頬を伝うくらい大粒の涙を流してるところなんて見せられないじゃないですか。

 杏山カズサは何も悪くないんですから。

 私がこんな感情を抱かなければ……

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