妖夢side-
「……契約は、成立した」
その言葉が空間を震わせるようにして放たれた瞬間、視界の色がわずかに変わった。
空間が“契られた”のだ――そう直感した。
Atlassia様の指先が空を撫でるたび、虚空に無数の光の文字が刻まれていく。それらは私の理解を遥かに超えた、根源的な法則……この世界の根底を成す文脈そのもの。まるで言語が世界を支配しているかのように、光は私の魂に焼き付いていった。
…それはまるで、契約が世界の理となったが如くでした。
「……魂魄妖夢」
名を呼ばれた瞬間、私の中で何かが“確定”した。
それは、過去の清算であり、未来への契約。赦される代わりに、縛られる。生き延びる代わりに、抗えぬ責を背負う――。けれど、それで良かった。いや、それしかなかったんです。
私は、紫様も、幽々子様も、誰も守れなかった。
あの場にいたのに、無力だった自分。
だから、せめて――何かを差し出さなければ、この想いの行き先がなかった。
契約が結ばれた瞬間から、Atlassia様の“威圧”は消えていた。
空間を支配していた重苦しい霊気は霧散し、静けさだけが残された。
だが、それは“和解”などという安っぽいものではなかった。
紫様は、沈黙のまま。
幽々子様は、わずかに眉をひそめ、私の方へ目を向けてくる。
そしてAtlassia様は、私をまっすぐに見据えながら、再び歩を進めた。
「……さて。契約は済んだ。だがの、魂魄妖夢。これで終わったと思うなよ?」
その声音は、かつて聞いたどの神格の声よりも深く、重く、そして――慈悲深かった。
「契約とは、取引ではない。責任じゃ。ぬしは、今ここに幻想郷という構造の一部を、己が魂で支えると誓ったのじゃ。たとえ主君が死のうとも、友が去ろうとも……な」
「……はい」
私は、自然と頭を垂れていた。
「ぬしが感じておる痛み、悔い、怒り、それらは“本物”じゃ。ゆえに、儂はそれを価値あるものと認め、契約の基とした。だが……真に恐れるべきは、ぬしが“その痛みを忘れる日”が来た時じゃ」
「…………!」
「忘れれば、ぬしはもう“契約者”ではなくなる。単なる一個の凡俗となろう。それだけは、避けるのじゃぞ。ぬしが契りし者の名にかけて、な」
私は息を詰め、胸に手を当てた。
熱い。魂が……燃えている。
それは、自分がまだ“存在していてよい”という証。
そして――まだ、守るべきものがあるという証でもあった。
…何故でしょう。妙な気がします。
力?能力…?いや…まさか…そんなわけ無いですね。
「さて、紫よ。幽々子よ。ぬしらは……この小娘に、恩を感じるか?」
その問いは鋭くも、どこか意地悪だった。
だが同時に、それは“救済の機会”でもあったのだと、私はすぐに悟った。
紫様は、しばし沈黙したあと、ふっと息を吐き――その膝を、静かに折った。
あの紫様が、膝を?
「……感じざるを得ませんわ。今この瞬間、彼女がいなければ、私は貴女の手で“消されていた”。それは、真実」
その声音には、虚飾も傲慢もなく――ただ静かな、感謝があった。
幽々子様もまた、わずかに頭を下げるようにしながら、言った。
「……妖夢、ありがとう。こんな馬鹿な主のために、ここまでしてくれて……本当に」
「っ、私は……っ」
私は、言葉を返せなかった。ただ涙が、頬を伝うだけだった。
涙など、戦いの中で流したことなどなかった。
だが今だけは、泣いてよい気がした。
「……ふむ。では、これで今回の“裁き”は終いとしよう」
Atlassia様がそう言ったとき、時空が揺れた。
空間のひずみが解けると同時に、私たちは幻想郷の霧の中へと戻っていた。
そこは、何もかもがいつも通りのように見えたが――
確かに世界は、変わっていた。
Atlassiaという“外”の神格が、一つの契約とともにこの地に“印”を残したのだ。
私はまだ、その意味すべてを理解していなかった。
だが、胸に残る熱が教えてくれる。
私が下した選択は――間違っていない、と。
数日後。白玉楼。
「……ねえ、妖夢。本当に、よかったの?」
縁側で茶をすする幽々子様の問いに、私は静かに笑って答えた。
「はい。ようやく、命の使い道を、少しだけ見つけられた気がします」
幽々子様が、くすりと笑った。
そして、どこか寂しげに、空を仰ぐ。
「……貴女が“契約者”でいる限り、私は……守られてしまうのね」
「それでも、私は」
――「貴女をお守りしたいのです」
その言葉は、もう口にする必要もなかった。
ただ、風がそれを代わりに伝えてくれた気がした。
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