もしも第一部にアナスタシアを最初に召喚したら略して『ぐだアナ』   作:388859

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それでも、たった一人来てくれた少女

 守られる度に、思っていた。

 君達は、俺を守ってくれるけど。

 じゃあ俺は、一体誰を守れば良いのだろう?

 

 

 

 

 それは、理解出来ない現象だった。

 

「……え?」

 

 ヴィイが集めていた魔力が霧散する。魔力を取り込んで軋みかけた霊基は、驚くほど正常に戻っていた。

 シュヴィブジックを使用した霊基の改造。それが、止まっていた。

 最初はビリーが何かしたのか疑った。何もしないと油断させて、見逃すわけないだろと。

 いいや違う。彼は何もしていない。マスターもマシュも、全員アナスタシアには何もしていない。

……もしかして。

 ある可能性に至り、アナスタシアは唇を震わせた。

 

「……うそ。まさか」

 

 己の手を見る。じっとりと浮き出た冷や汗に、たまらずアナスタシアはよろめいた。

 シュヴィブジックはアナスタシアの願いを叶えるもの。あの時、アナスタシアの願いは復讐だった。

 けれど。

 

「そういえば君、黒いジャンヌに言ってたね。私に復讐なんて無理だったって」

 

 ビリーは軽薄な笑みを滲ませて、 

 

「なぁ。君、もしかして願いなんてない(・・・・・・・)んじゃないか?」

 

「そんな、わけ」

 

 ないのなら、どうしてシュヴィブジックが発動しなかった?

 いいや、仮に復讐が自身の願いだったとして。それが己には無理だったとして。

 それに代わる願いが自分にあったか?

 あるには、ある。世界を救う。カルデアの、焼却された今の未来を取り戻す。ジャンヌやマリーのように、後に続く者のために戦う。それだけで、願いとしては。

 でも。

 そうなりたくない(・・・・・・・・)と願ったのは。

 一体、誰だ?

 

「……違う。違う、違う、違う違う違う!! 私は、ジャンヌやマリーのように、命を懸けて!!」

 

「でも、そうなりたくないんだろ? アハハ! こいつは傑作だ! 君も僕と同じじゃないか! 何の願いもなく、無意味に殺し合うためだけに呼ばれた存在! だろ!? そうでなきゃ! この状況で! まともな英霊なら命を懸けないわけがない!!」

 

 ああ、その通りだ。

 アナスタシアはマスターに言った。踏み台にはなりたくないと。犠牲を肯定したくないのだと。それは言い換えれば、己の命を懸けるほどの気概はないということ。

 戦場に出たことのない、蹂躙される側の感情。

 笑われて当然の、少女の我儘だった。

 

「……あー、笑った笑った。うん、なんかもう満足したや」

 

 笑いすぎて出た涙を拭きとって、ビリーは告げた。

 

「んじゃ――――こいつら殺せ、トカゲ野郎」

 

 無慈悲な竜の暴力が、襲い掛かった。

 ゼノ・ニーズヘッグの前足が、曲線を描いて振るわれる。させるかとジークフリートが聖剣を構えて割って入るが。

 受け止めた瞬間、竜殺しの両腕が衝撃に耐え切れず、弾け飛んだ。

 

「、づ、ぉ、おおお……!?」

 

 まるで冗談のような光景だった。大英雄であるジークフリートの肉体は、竜との戦闘にすら五体満足で生き残ったほどの頑強さである。その両腕が、純粋な膂力のみで千切れたという事実は、幾ら消耗が激しくとも到底理解し得ない現象。もしくは彼がそれほどの代償を払って戦っていたのか。

 ジークフリートのみならずそれは全員予想外だった。だから続いて襲い掛かってきた、尾による波状攻撃への対応が遅れた。

 暴風でも生温いほどの爆風を伴う尾は、一振りでオルレアンの街を倒壊させた。一個人ではなく、街を対象とした馬鹿げた範囲攻撃に、抗う術は誰にもない。

 アナスタシアもそう。馬鹿みたいに絶望している間に、全部が終わっていた。

 砂嵐ではないかと疑うほどの砂塵が、ようやく消える。

 最早オルレアンなどそこにはなかった。

 あったのは瓦礫。かつて町と呼ばれていたもの。アナスタシアはそうした瓦礫の一つの上で、へたり込んでいた。

 たったの一回。

 尾を払ったのみで、この被害。サーヴァントが、人が立ち入ってどうにかなるものじゃない。

 どうして。

 どうして私は、

 

「……、ぇほ、あ、アナスタシア……!」

 

 ごほごほ、と後方で聞こえて、ゆっくりと振り返る。

 大体十メートルほど後ろ。足を撃たれて、まともに動けない少年がいた。流れ出る血で砂が身体中に纏わりついているが、足以外はそれほどの外傷はない。恐らくそれは、彼の横で気を失っているマシュのおかげだろう。

 アナスタシアは。

 もう逃げろとも言わなかった。もう、どうしようもなく状況は詰んでいるのだから。

 

「やあ、皇女さん」

 

 カチャ、と額に突き付けられる黒銃。

 ビリー・ザ・キッド。ゼノ・ニーズヘッグも主の後ろで静観している。

 絶望で真っ白な頭が真っ黒に染まる。死が、そこまで来ていた。

 

「アナスタシア!!」

 

「君のマスターを殺さないでおいたのは、君の頭をたっぷり撃つためなんだけど……うーん、やっぱ殺すかぁ? 横で何か怒鳴られても興ざめだし」

 

「、やめて!!」

 

 もう充分だ。誰かが撃たれるのは。

 その一心でアナスタシアは縋るように叫び、銃を直視する。それだけで、喉の奥からか細い悲鳴が出た。

 それが情けなくて、でもそれがアナスタシアという英霊の本質だ。

 悲劇の少女。齢十七歳で家族共々秘密警察(チェーカー)に処刑されただけの子供。

 その姿がたまらないと、ビリーは銃口を彼女の額に押し付ける。

 

「そうさ。君は俺と同じじゃない。君は撃たれる側、僕は撃つ側。君が僕に勝てるはずがないんだよ。それは何も、僕がここにいなくても変わらない」

 

 何も耳に入ってこないほど、余裕がないのに。その声は脳に直接響いてくる。

 

「哀れな女だ。ただ殺されただけ(・・・・・・)の子供が、世界を、未来を救えるわけないだろ」

 

 それは。

……それは、何者も変えられない、決定的な真実だった。

 アナスタシアは何も成し得ていない。

 功績も、悪業も、何も。

 彼女が歴史に残ったのは、可哀そうな事件だったね、と世界中の人間が憐れんだだけのこと。

 それだけなのに、それ以外のことを成し遂げられるはずも、なかったのだ。

 分かっていたのに。

 そんなことは初めから、ずっと、分かっていたのに。

 どうして私は、ここにいる?

 どうして、こんな舞台に立ってしまったのだろう?

……唯一の力であるヴィイすら手放して。

 アナスタシアは、その銃口を見つめることしか許されなかった。

 

「サヨウナラ、楽しかったよ。だから君も楽しみなよ、二度目の死を」

 

 湧き上がる感情は最早ない。

 ただ。

 また撃ち殺されるのかと思うと。

 震えるような寒さが、全身を襲った。

 

 

 

 

「アナスタシア!!」

 

 叫んで、ビリー・ザ・キッドの銃が僅かにこちらに向けられた。

 それだけで、背筋から脂汗が更に噴き出した。

 だって藤丸の体は知っている。

 あれは痛いなんてもんじゃない。

 撃たれた足が地面に縫い付けられたみたいに動かない。気力も体力も傷から血と共に流れ落ちていく。こんなものを押し付けられて、立ち向かえるわけがない。

 ましてやマシュも、ジークフリートも、ゲオルギウスだってもう戦えない。

 そう、誰も藤丸の代わりにあの魔竜と英霊と戦える人間はいないのだ。

 

「やめて!!」

 

 アナスタシアが庇うが、彼女も銃口を向けられて、先の勢いが萎んでいく。

 彼女は藤丸以上にその痛みを知っている。それでも庇うのは、藤丸が死んではこれまでの全てが水の泡となるから。

 でも、戦えるサーヴァントがいなくなってしまったら結果は同じだ。

 だからって藤丸が立ち向かっても。

   

「そうさ。君は俺と同じじゃない」

 

 ビリーが銃口をアナスタシアの額に押し付ける。

 

「君は撃たれる側、僕は撃つ側。君が僕に勝てるはずがないんだよ」

 

 ビリーはジャンヌオルタが対アナスタシア用に特別に調整したサーヴァント。故に、勝てるわけがない。当然の理屈。

 彼女は当然のごとく撃ち殺される。

 それは、藤丸も理解して。

 

「哀れな女だ。ただ殺されただけの子供が、世界を、未来を救えるわけないだろ(・・・・・・・・・)

 

 だから。

 その言葉が、妙に、琴線に触れた。

 

「……ぁ?」

 

 別に、それは可笑しい言葉ではなかった。

 子供が世界を救えるわけもなく。未来を守れるわけもない。

 いつだってそれをするのは英霊達で。藤丸のような人間の出番は、きっとなくて。

 だからビリー・ザ・キッドの言っていることは、正しい。

 だけど。

 なのに顔を上げる。

 アナスタシアが、泣いていた。

 あの人(オルガマリー)と、同じように、死を悟って、泣いていた。

 

「……、」

 

「藤丸くん……? 何を……」

 

 ぶしゅう、と足から鮮血が噴き出す。立ち上がって、どうしてこんなことを、なんて思ったりもした。ロマンの困惑も最もだ。

 そうだ。

 自分はいつだって、守られて、救われてきた。

 戦うと言っておきながら、お願いしてきた。

 出来ないことは、確かに仕方ない。

 藤丸には剣を持って戦う技術はない。

 人並外れた魔術も、いかなる状況も変える知恵も。

 だけど。

 じゃあ彼らが倒れた時も、同じ言い訳をして、縮こまっているのか?

 

「……ち、がう」

 

 いつも思っていた。

 君達は俺を守って、救ってくれるけど。

 俺はじゃあ誰を守り、助ければいいのだろう。

 こんなことに、意味なんてないのかもしれないけど。

 きっと、自分が行うべきではないのだろうけど。

 それでも。

 

「……って、たまるか……」

 

 もう、二度と……!!

 

「……その涙を、裏切ってたまるか……!!」

 

 礼装の魔術を足にかける。瞬間強化。効力はたった十秒にも満たないが、飛躍的にその力を引き上げる対サーヴァント専用の魔術。

 負傷した足で一歩踏み出せば、もう痛いだのなんだのは考えられない。

 強化された脚力でアナスタシアへ跳ぶ。

 それでも間に合わないだろうから、礼装の魔術をもう一つ発動させた。

 瞬間回避。自分ではなく、それをアナスタシアにかける。

 ビリー・ザ・キッドはそれに気付いても、引き金を引くことを止めないだろう。

 だから。

 自分を盾にするように、彼女を力一杯、抱き締めた。

 それで守れるなら、と。

 藤丸の腹を、三発の弾丸が撃ち抜いた。

 

 

 

 

 現実を思い知ったはずだった。

 だから抵抗もしなかったし、アナスタシアはその結末を受け入れた。

 なのに。

 何故か自分は、少年に抱き締められていて。

 銃声が響いた時には、横倒しにされていた。

 

「……え?」

 

 何があったのか。何をしているのか。アナスタシアにはよく、分からない。

 ただ、腹部が妙に温かい。白いドレスはとっくに砂と土で見る影もなかったのに、そこに鮮烈な赤が混ざっている。

 それが少年の血だと理解する頃には、少年はアナスタシアの上で、力なく倒れていた。

 

「……マス、ター?」

 

 まさか……マスターがサーヴァントを庇ったというのか?

 確かに通常の聖杯戦争であれば、それもあり得ることかもしれない。だがこの戦いにおいて、サーヴァントは消耗品。対してマスターは一人だけ。そのマスターがあろうことかサーヴァントを庇うなんてことは、

 

「マスター!!」

 

 先の銃声でようやく気が付いたマシュが、ビリー・ザ・キッドを追い払うように盾を力任せに振るって、無理矢理アナスタシアの前に入り込んだ。

 

「おや、盾の英霊が寝坊かい?」

 

「、……アナスタシアさん、これを!!」

 

 盾の空いたスペースからマシュが取り出したのは、救急キットだ。それを乱暴に地面に置いて、

 

「これでマスターを! その間、絶対に私が守ります!!」

 

 言うだけ言って、マシュはビリーへと目を戻した。

 アナスタシアは緩慢な動きで藤丸の体を引き剝がして、救急キットを手に取る。

 彼の傷は酷いものだった。何らかの魔術を使ったのだろう、両足の関節が腫れあがっていて、撃ち抜かれた膝からは骨が露出している。腹部には穴が三つ。噴き出す血の量は既に血溜まりを作るほどで。

 手が震えて、救急キットが滑り落ちる。べちゃ、と湿った音。アナスタシアは両手で口を覆って、隙間から荒い息が漏れる。

 

「……なん、で?」

 

「アナスタシア!! 早く藤丸くんを!! 急がないと手遅れになる!!」

 

 通信で急かされ、アナスタシアは叱られた子供のように背を縮こませて、処置していく。

 幸い手先は器用な彼女が躓くことはなかった。ただそれでも、焦燥感だけが募っていく。

 これで本当に助かるのか。何か出来ることはないのか。もし助からなかったら、その責任は。

 

「……アナ、スタシア」

 

 

 

 

 何処からの激痛なのか、脳が酸素を求めているのか、血を求めているのかすらも定かではなかった。

 ただ、泣きそうな彼女の顔で、骨折り損にはならなそうで、本当に安心した。

 

「……よか、った」

 

「よかった……? これのどこが!? あなたが死んだら、カルデアは、人類はどうなると……!?」

 

「そういうんじゃ、なくてさ」

 

 喉奥の血を嚥下して、

 

「君を、守れて。ほんとうに、よかった」

 

「…………、………………」

 

 世界も、未来も。自分の手で守れるとは、到底思っちゃいないけれど。

 それでも、一人くらいなら守れると分かったことが、藤丸には嬉しかった。自分にも何か出来たことが、本当に、嬉しかったのだ。

 

「……それで死んだら、元も子も……」

 

「そうかな……ああ、そうかも……」

 

「そうかもって……」

 

 衝動的なことだったから、後先なんて考えていなかった。アナスタシアは包帯を巻きながらも、藤丸へ喚き散らす。

 

「私を見捨てたって、よかったでしょう!? あなたを怖がって、遠ざけるために沢山つまらない悪戯ばかりして! なのにちっとも役に立たないサーヴァントを、どうして!?」

 

「……役に立たないなんてこと、ないよ」

 

「役に立ってないでしょう!?」

 

 ぽた、と藤丸の胸に水滴が落ちてくる。

 アナスタシアは、泣いていた。

 不甲斐ない己に対して、そこまでされて何も返せていないことに対して。

 

「威勢のいいことばかり言って、いざ戦闘になれば足を引っ張ってばかりで! 仲間を失えば暴走して、なのに助けた代価は何もなくて、あげくサーヴァントの責任もマスターも守れず!! こんなっ……こんな風になるのなら、私なんかじゃなく、他のサーヴァントが召喚されたら!! こんな、最悪な事態にはならなかったのに……!!」

 

 確かに、彼女の言っていることは正しいのかもしれない。

 でも。

 藤丸立香は、そんなことを思ったことは一度だってない。

 

「……未来なんか、これっぽっちも見えなかったんだ、あの中じゃ」

 

「え……?」

 

 それは誰にも話したことのなかった、きっと誰もが思っていたこと。

 

「過去でも、未来でも、今ですらない場所に逃げて。外は真っ暗で何も見えなくて、立っている場所が現実なのかも、分からなくて。そんな場所にいたから……俺、さびしかったんだ」 

 

 だから毎朝、音楽を聴いていた。

 父と母の残滓を、世界がまだあった頃に、思いを馳せて。

 

「俺、本当は、召喚した英霊なんて誰でもよくて。一人でも多くの人に会いたかったんだ。こんなところに、よく来てくれたねって……俺の声を聞いてくれて、ありがとうって、言いたかった」

 

「……だから、あんなに拒絶しても、私に関わろうと……?」

 

「だって、君は、来てくれた、だろ?」

 

 世界が滅んだ後に。

 それでも、たった一人来てくれた少女。

……そりゃあ、気にかける。

 そりゃあ助けるとも。

 本当に、心の底から嬉しかったのだ。

 だからちゃんと話したかったけど。

 そうなれなくても、良いのだ。

 

「俺は……君を、召喚してよかった、と思ってる」

 

 意識が朦朧になっていく。

 それでも、伝えるべきことだけは。

 

「だって、俺に応じてくれたのは……騎士でも、戦士でも、復讐者でも、なく。君、だから」

 

 そう。

 何故ここまでして、助けるのか?

 そんなこと、考えるまでもない。

 

 

「──誰よりも、早く。駆けつけてくれた君を。俺は、誰よりも、信じてる」

 

 

 景色がかすれる。

 ふわりと浮かんだ世界で、少年は笑って。

 藤丸立香は、目を閉じた。

 

 

 

 

 瞳が閉じられる。

 笑うための力すら抜けて、少年は血溜まりで眠りについた。

 ああ、とアナスタシアは思う。

 考えなかったわけじゃなかった。

 こんな重荷を背負った人間が、果たして本当にまともでいられるのか。世界を救うことは、革命よりもよっぽど困難で。そんなものに触れた彼はきっと狂っていくのだろうと……そう決めつけていた。

 だけど。

 本当はそんな難しい話ではなくて。

 ただ、寂しかった少年がいて。

 それに声をかけた少女がいた。

 どんな相手でも関係ないのだ。

 一人ではない。それが何よりの救いになることが、この世にはある。

 もう意識のない手を握って、その温もりに、アナスタシアは顔を歪ませた。

 背が曲がってしまうくらいの感情が、体を走り抜ける。

 

「……ああ、……」

 

 最初からそうだった。どれだけ遠ざけても、どれだけ転ばせても。彼は変わらずにアナスタシアと向き合い続けた。

 そう。彼は単純に、アナスタシアと仲良くなりたかったのだ。

 隣人として、友として、助け合おうとした。ただそれだけ。

 

「……、そうだったわね」

 

 今も、痛みは消えない。

 銃声も鳴り止まない。

 恐怖は一生、薄れない。

 それでも。

 幸せだったときの記憶が、語る。

 彼こそが、私の守るべきもの。

 願いの形なのだと、アナスタシアはようやく、思い出した。

 

 

 

 

 少年の言葉を、彼も聞いていた。

 自分よりもよっぽど脆く、か弱い少年が。身を挺して、他者を守ろうとした瞬間を。

 

「……、」

 

 両腕を失い、立ち上がることすら覚束ない体で、ジークフリートは思う。

 

(ああ、マスター)

 

 少年は恐らく、知らないだろう。

 あの時。全員が暴走したアナスタシアを助けようとしたとき。

 無力だったのは、少年だけではなかった。

 あのとき、一番無力だったのは。

 

(俺だ)

 

 誰よりも、見ていることしか出来なかったのは、自分だ。

 倒壊していく家屋、英霊でも凍える極寒。呪いに侵された体では歩くことすら困難だった。だから壊れかけの馬車の中で一人、待つことを強いられた。

 故にジークフリートにはよく見えていた。

 最前線にいながらも。

 ジークフリートと同じように、待つことを強いられた少年を。

 その固く握られた拳が、何を思っているのか、よく分かった。

 

(……だから俺は、あなたの分まで戦うと決めた)

 

 かつて願望器のように、人々の願いを叶えたように。

 少年の願いも叶えられたらと、二度の霊基再臨すら厭わず、戦った。

 けれど、そんなのは思い上がりだった。

 そんなものは必要なかったのだ。

 例え英霊でなくとも、人は人を守れる。

 そんなことすら忘れていたのだ。

 この身を恥じるばかりだと、ジークフリートは心の底から思う。

 だからこそ、竜殺しは覚悟を決めた。

 

「……ゲオルギウス」

 

「……はい」

 

 同じように負傷の酷い守護聖人に、ジークフリートは頼んだ。

 

「俺にもう一度だけ、宝具を発動してくれ」

 

「……ですが、あなたの霊基は」

 

 ゲオルギウスの懸念は、ジークフリートが一番理解している。

 ゼノ・ニーズヘッグの一撃で両腕が吹き飛んだのは、二度の霊基再臨による反動で、ジークフリートの霊基自体が崩壊しかけていたから。

 これ以上の霊基再臨は不可能だろう。

 だが、ジークフリートが求めるのはその先だ。

 

「構わない。……マスターにあそこまでさせておいて、今更己が惜しいなど思っていない」

 

「……勝算は?」

 

「五分五分にはならないが、時間は稼げる。代わりにあなたは俺に宝具を発動し続けることになる。それでも?」

 

「それこそ構いません。あなたに比べればね」

 

 と、そこで、ビリー・ザ・キッドが大きく下がって舌打ちした。

 

「あーもう面倒くさいなぁ! そこのマスターが死んじゃったらどうするのさ! そしたら君らの頭、撃ち抜けないだろ! もったいないじゃないか!」

 

「させません!」

 

「うぇ、馬鹿マジメ……いいやもう。ゼノ・ニーズヘッグ!」

 

 名を呼んだ途端、周囲に影が差し込んだ。

 魔竜、ゼノ・ニーズヘッグがその桁外れの力を解放する。

 

「そこの皇女サマ以外全員殺せ。一匹残らず」

 

「■■■■■■■■■■■■■■ーーッ!!」

 

 ゼノ・ニーズヘッグは返答代わりに前足を振りかぶる。

 ジークフリートは叫んだ。

 

「ゲオルギウス!!」 

 

汝は竜なり(アヴィスス・ドラコーニス)!!」

 

 竜の刻印がジークフリートに刻まれ、その身に宿る竜の因子が活性化する。

 都合三度目の活性化。そしてジークフリートの思惑通り、その意識は深層へと溶け込んでいく。

 イメージは暗い洞窟。そこを松明も持たぬまま、ジークフリートは一人駆ける。見知ったその洞窟の最奥まで、最速でジークフリートは辿り着いた。

 あったのは、黄金だ。

 だがそれは見た目だけのもの。普遍的な認識として可視化されただけであって、それの本質は身に余る欲望そのものである。

 

「……まさかこうなる日が来るとはな」

 

 皮肉にも程がある。

 自分に欲望など無いと思っていた。ましてや、こんな考えが浮かぶなど。

 だが、

 

「彼に託された役割が、俺に過ぎたものだと言うのなら」

 

 強き者が正義だと言うのなら。

 

「世界を救うことが、俺には過ぎた欲望だと言うのなら!!」

 

 俺は、喜んで邪悪に堕ちよう────!!

 

 

 

 

 

 まず変化が起きたのは、血が流れ落ちる両肩。

 そこから、人のものではない何かが、ずるりと生えた。

 それは異形の腕。いや、腕というよりは前足だ。続いて体が変色し、見目麗しい顔は細長く、巌のような肌へと染まったところで。

 体が、肥大化した。

 

「□□□□□□□□□□□ーーーーッッ!!!」

 

 産声と共に、ジークフリート、否、それはゼノ・ニーズヘッグの前足を体そのもので受け止めた。

 押し戻されながら、しかし竜の四肢はその攻撃を耐えきり、ついにその体の変生が終わる。

 その姿は、

 

「ファヴニール……!?」

 

 ビリーが目を丸くする。それもそのはず。ゼノ・ニーズヘッグと張る巨体に、漆黒の鱗に胸には蛍光色の痣。違うところがあるとすれば、それは瞳。

 知性を感じさせるエメラルドの瞳は、邪竜に堕ちてなお、色褪せない輝きを持っていた。

 伝承に曰く。ファヴニールは元々人であり、財宝を手にしたその独占欲で竜へ転じたらしい。つまり、人には過ぎた欲が竜へ転じさせることがある、ということ。

 ジークフリートが行ったのはそれと同じ。だが、その気高さは失われない。何故なら彼は竜殺しの大英雄、ジークフリート。それが過ぎたものであっても、その欲が邪であるはずがないのだから。

 邪竜と魔竜が相対し、我慢ならぬと二匹の竜が睨み合う。

 牙が空を切りながらも、最早彼らは目の前の相手しか見えていないようだった。

 

 

 

 

「……ジークフリート」

 

 アナスタシアが名を呼ぶと、彼だった竜が一瞥もせず、ただ頷く。

 すると竜となったジークフリートが、ゼノ・ニーズヘッグへと突進した。ゼノ・ニーズヘッグがそれに応じる形で受け止め、両者翼を広げるともみくちゃになりながら空中戦へと移行する。

 

「ジークフリート、いやもうあれはファヴニールか!? とにかくこれなら、ゼノ・ニーズヘッグの邪魔は入らせない!! なんたって竜としては最上位のドラゴン! 簡単に負けは」

 

「……おいおい、ここにいない奴が威勢のいいこと言ってるけどさぁ!」

 

 ビリー・ザ・キッドが最早ガンマンとは言えない構えで銃を向ける。

 

「戦えるのはそこの守ることしか能のないお嬢さんと、皇女だけだろ? なのに僕に勝つ? 聖杯を持つ僕に? マスターを守りながら?」

 

 勝てるわけがないと、嘲笑する悪漢王。

 確かに。聖杯を持ったジャンヌオルタの力は凄まじいものだった。ならばビリーがそれを持てば、それだけで苦戦は必至だろう。それに、明確な攻撃手段はアナスタシアだけ。つまりそれは、アナスタシアが倒れてもマスターが狙い撃ちにされてもいけないということ。

 未だ糸口は見えない。

 なのに。何故か、アナスタシアはもう絶望していなかった。

 思い出したのだ。

 どうして彼の声に応じたかを。

 

「……、ああ」

 

……騎士でも、戦士でもなく。誰よりも早く駆けつけた自分。

 そう、この舞台を選んだのは自分だ。

 何故そうしたのか。

 声がした。

 恥も外聞もなく、泣き叫ぶような声だった。

 助けて、と。

 ひたすら、その声は誰かを求めていた。

 自分は何も出来ない。

 それでも世界を救わねばならない。

 だから助けてほしい。

 お願いだから、どうか。

 俺を、助けてください。

 その声が、余りに必死なものだから、私は思わず手に取ってしまったのだ。

 

「……ふふ」

 

 その時の必死な声を思い出し、微笑んだ。

 だって、仕方ない。

 かつては私もそうだった。

 死を前に、痛みを抱えながら、たまらず泣きじゃくって、こう思った。

 誰か助けてください。

 どうか家族を、死に行く私を、助けてください。

 そう叫んで、そして死んでいった。

 誰にも届かぬまま、その声は土に埋められたのだ。

 そう。それが、召喚に応じた本当の理由。

 

「──泣き叫ぶあなた(わたくし)を、守ろうと。私は、あなたの手を取ったのね」

 

 アナスタシアは復讐よりも、悲嘆を選んだ。

 暴虐ではなく、涙を選んだ。

 それは、間違いなく弱さで。英雄(彼ら)のような自分を犠牲にする強さなんか、これっぽっちもないけれど。

 ああ、でも。

 それでも。

 

「私は、あなたに応じた」

 

 悲嘆を選んだからこそ、その声が誰より聞こえた。

 

「私は、あなたを助けるために、ここにいる」

 

 涙を選んだから、その悲しみを誰より融かすのだ。

 手放したヴィイが浮かび、アナスタシアに寄り添う。

 何をしたいのか、分かってくれたらしい。

 アナスタシアはヴィイを抱いて、

 

「……お願い、ヴィイ。私の願いを、叶えて」

 

 瞬間、ヴィイの目蓋が開き、青白い閃光が走り抜けた。

 スキル、シュヴィブジックによる霊基の改造。

 さっきまでとは違う。願いを見つけたからこそ、そのスキルは正しく発動する。

 それはまるで青い空のような眩さで、アナスタシアの霊基が雷を伴って再臨する。

 可憐なドレスは厳かな装飾のついたものへ。頭には帝冠にも似たティアラと、まるでロマノフ朝の皇帝のような装いに目を魅かれるが、一番の変化はその背後。

 あの巨人を人間大にまで縮めたような影は、アナスタシアを背後から抱擁するように佇んでいる。

 流石のビリーも、嘲笑は既に無くなっていた。

 あれは危険だ、と。

 アナスタシアは藤丸の背中に片手を回し、呟いた。

 

「……残光、忌まわしき血の城塞(スーメルキ・クレムリ)

 

 白い光に包まれて現れたのは、クレムリン、ロシアの城塞。

 絢爛なそれはむしろ、神殿にも近い。しかし銃弾も死の冬も遠ざける堅牢な作りはまさしく国を守護する絶対領域。

 その名を残光、忌まわしき血の城塞(スーメルキ・クレムリ)

 アナスタシアが持つ防御宝具。

 藤丸は既に城塞の中へと取り込まれた。ここならば、誰も彼を攻撃出来ない。

 これで何の心配も要らない。

 アナスタシアは絶対零度を思わせる面持ちで、敵対者へと告げた。

 

「凍てつく冬への覚悟は出来た?」

 

 

 

 

 

 

 

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