もしも第一部にアナスタシアを最初に召喚したら略して『ぐだアナ』 作:388859
こうして聖杯は回収され、第一特異点は無事に修正された。
カルデアとしては初めての特異点攻略。不測の事態ばかりだったが、マスターである藤丸立香、そしてデミサーヴァントのマシュ・キリエライト、両者が五体満足で帰還したならば、このオーダーは成功と言っていいだろう。
ロマニ・アーキマンは記録を書き留めながら、微かな頭痛に目を擦る。
彼がいるのはカルデアの管制室。あらゆるデータが集まるからここなら、より正確な記録が出来るためだ。
「いい加減休んだら? 一つ目の特異点攻略は終わったんだし」
と言いながら、マグカップを差し出したのはダ・ヴィンチだ。ロマニは受け取りながら、端末から目を離さない。
「第一特異点での戦いは今後の特異点攻略に大いに役立つことばかりだった。その記録はなるべく鮮明な内に書き出しておかないと……」
「まだ攻略が終わって一日も経ってないのに、もう次の特異点攻略のことを考えているとは、流石所長代理。でもこんなスケジュール、他のスタッフはついていけないぜ?」
「だからみんなを休ませて、僕一人でやってるんじゃないか。何か問題があるかい?」
「だろうと思ったよ、ワーカーホリック。異論なし、好きにすればいいさ」
元々聞き入れてもらえるとは思っていなかったのだろう。ダ・ヴィンチは肩を竦め、隣の椅子に腰を下ろす。
「で? どうだった、特異点攻略?」
「もう本当に、ハラハラさせられたよ。特にアナスタシアにはね。主従関係としては最悪だった最初も、主従として成り立った最後も、とにかく目が離せない。マシュとは別ベクトルで心配になる二人さ」
「当たり前だけど、召喚されるサーヴァントがいくら高性能だろうと、マスターとの相性が悪ければ特異点攻略もままならないからね。今回は運よく途中で認め合えたからよかったけれど、今後の教訓にはなったんじゃないかな。サーヴァントはもっと増えるだろうし!」
まぁ、すんなり協力してもらえるかは知らないけど、と呟くダ・ヴィンチ。ロシアの皇女でこれだ。もしこれで反英雄でも手違いで召喚しようものなら……そうならないことを祈るしかない、とロマニは苦笑する。
サーヴァントは皆、歴史に名を残した者ばかり。そんな存在が大人しく枠にはまるのなら、歴史の海に揉まれていることだろう。
「とはいえ、興味深いサーヴァントだったね、彼女。ロマノフ家にあんな使い魔がいたとは」
アナスタシアと言えば、処刑された悲劇の少女、というイメージがどうしても強い。それ以外の逸話はほぼないに等しいからだ。
「まぁ、本体がヴィイの方だからだろうね。恐らくあの精霊がいなかったら、彼女の霊基はいわゆる幻霊程度にしかならなかった。最初に召喚したのが彼女でラッキーと思っていいぜ?」
「コミュニケーションの部分で大分苦労させられたけどね……霊基の改造だって、スキルのおかげじゃなく、大本はヴィイの方だったみたいだし」
そういえば。ロマニはふとした疑問を口にした。
「……彼女があんな使い魔と契約していたのなら、なんで生前、誰も殺さなかったんだろう?」
「んん?」
「いやほら、アナスタシアは藤丸くんを異常なまでに怖がったろ? それって殺された相手には何も出来なかったこそのトラウマだ。でもあの力があれば、秘密警察でもなんでも復讐出来たはずだろ?」
「そりゃあ……使い魔との契約が死の直前だったからなんじゃ?」
「いや、むしろあんな力があったら普通はやけになって死なば諸共、ってなるもんだろ。家族も殺されたわけだし……それなら道連れにしたっていい。なのにそうならなかったのは、どうしてなのかなって」
年端もいかぬ子供が極限状態において何を仕出かすか、ロマニにもダ・ヴィンチにも定かではない。ただ、あれほどの力を持った人間が何をするか、ある程度の予想はつく。
ふーむ、とダ・ヴィンチは腕を組んだ。
「これはあくまで彼女が手を下さなかった、という仮定で話すけど……彼女はきっと、次の時を待ったのさ」
「次の時?」
可笑しな話だ。
だって、
「彼女はまさか、自分が英霊になると分かっていたのか? そんな馬鹿な、守護者でもないのに」
「そうじゃないさ。忘れたのかい? あの時、既に彼女は家族を全員失っていたんだ。つまり何をしようが、家族は戻ってこないと悟ったんだよ。そういう側面だから、キャスターで現界したんだ」
確かに、とロマニは納得する。だが一番の疑問は残ったままだ。
「でも、次って? 当時の彼女にとっての次って何なんだ? あんなことがあったら、次なんて考える暇もないだろ?」
「ああ。だが、それでも契約した。すぐに死ぬと分かっていたのに、ね」
ロマニは頭を傾ける。何が何やらサッパリだ。確かにダ・ヴィンチの推論は間違っていないのだろう。だが肝心の答えがとんと浮かばない。
そんな彼に、ダ・ヴィンチは答えを聞かせる。
「簡単な話さ。目が覚めたその時に、この力で誰かを守ろう。そういう次ってことさ」
「……んん??? いやでも、彼女の家族はその時にはもう」
「そういう現実的な話じゃないのさ、恐らく」
何もかも失った後に、与えられた力。
絶望し、嘆き、だから彼女はこう願ったはず。
「もしもまた、家族と会えたら。そんな誰かに出会えたなら。この力をそのために振るおう……とかね」
「そうかなぁ……?」
「おや、推測を最初から否定するのかい? 彼女が数多の英霊を押し退けて、ここに召喚された理由だって一応は説明がつく」
「だから最初は敵の殲滅にこだわっていたって? 家族になるかもしれない相手を守るために?」
「あくまで推測だ。確証はないけれど……」
「けれど?」
己の胸に手をあて、ダ・ヴィンチはウィンクした。
「何せ少女の心は多種多様。その美しさは表現出来ても心はどうにもね。特にうら若き乙女の心ってヤツは、根源に到達するよりも難しい命題なのさ」
「はいはい、どうせ僕は彼女を途中で見捨てた冷血漢ですよーだ。君には理解出来ないってはっきり言えばいいじゃないか」
「おいおいしょげるなよ。君の判断は間違ってなかったぜ? ただまぁ現地調査員がそれを無視して助けちゃっただけさ!」
ドンマイドンマイ!、とダ・ヴィンチは肩をぶっ叩いてくる。思わず潰れた蛙みたいな声が出るロマニ。
アナスタシア・二コラエヴナ・ロマノヴァ。本当に不思議なサーヴァントだ。これまで観測した英霊の中で最も人間に近いサーヴァントと言って良い。
つまり藤丸やマシュと、同じ目線で立てるサーヴァントだということ。問題こそ色々起こしてくれたが、彼女との交流であの二人が得たものは多いだろう。
その時だった。
隣のモニターで映していた計器が、とある数値を見せる。
ロマニはそれを見て、思わず椅子を蹴飛ばして立ち上がった。
椅子にかけていた白衣を引っ掴んで、
「藤丸くんが目を覚ましたみたいだから行ってくる!」
「お、そっか。いってらっしゃい」
自動で開く扉の隙間を無理矢理通りながら、ロマニは廊下を走る。
その日のことを、私は忘れることが出来ない。
ロマノフ王朝が滅んだ日。家族が死んだ日。そして、私が死んだ日。
いつかは死ぬと分かっていた。
あの館に監禁された以上、きっとそう遠くない内に死ぬのだと。
何故ならこの身は当時のロシアにとって、余りに不確定な存在だった。
だから、どう殺されるかなんて、一ミリも考えたことなかった。
ざく、ざく。
手足を切って、目玉を潰して。
ぱん、ぱん。
頭を撃って、はい終わり。
大の大人も年端もいかない子供も、誰も彼も平等に。
やめて、なんて声は生きている証拠にしかならない。
すすり泣くことは、まだ息がある証拠にしかならない。
だから念入りに、均等に、殺し尽くされた。
痛みは感じなかった。感じる前にそういう機能は停止したから。
ただ……寒かった。
肉体的にも、精神的にも。本当に、寒かったのだ。
浸かっている血の海がまるで降り積もった雪のようで。少しの風が、本当に冷たい。風が傷口に触れるからだろうか。それとも現実が余りに苦しかったからなのか。死ぬ一歩手前の脳では、判別もつかない。
世界はあっという間に狭まって、一人ぼっちで、最期を過ごす。
このまま寒いまま、死ぬのだろうか。
家族がそうやって死んだように。
……それに何の意味があるのだろう。
仮にあったとするなら。
私達は、苦しむために生まれてきたのだろうか。
「……、」
目を閉じて、それを受け入れる。
でも、何故か。
たすけて、ともう一度呟いた。
誰にも届かないとしても。
それで傷つけられるとしても。
……その寒さに、私は耐え切れなかった。
意識が浮かび、藤丸立香は目を開ける。
シーツにくるまっていた体が、何故か冷たい。さっき見た夢のせいだろうか?
薄ぼんやりとした光景に、見覚えがあった。カルデアの医務室だ。ということは、レイシフトから戻ってきた……ということなのだろうか。
「ぃ……、つつ」
体を起こそうとして、ピリっとした痛みが全身から響いた。見れば、右足が包帯でぐるりと巻かれ、器具で吊るされている。そういえば膝と腹を撃たれたんだっけ……と思い返し、鈍い痛みが腹からも走る。よく見れば、見たことのない機械がわんさか室内にはあった。どれも最新鋭の医療機器なんだろうが、
「……この点滴? 薬? すっげぇ真っ黒だけど、何が入ってるんだろ……?」
身体に管で繋がれた液体の色に戦々恐々としていると、ベッドの横でもぞもぞと動く影。
マシュだ。彼女も傷をかなり負っていたが、付きっ切りで看病してくれていたようで、寝ぼけ眼を擦る。
「……ます、たー……?」
「やっ。おはよう、マシュ。傷、大丈夫?」
「あ、はい。デミ・サーヴァントですのであなたよりは……って、マスター!?」
ガタン、とパイプ椅子から跳ね起きて、右往左往するマシュ。
「カルデアに帰還して一日が経っても目覚めないので、もしやレイシフト時に何か不具合があったのかと心配してたんですが……その、お加減は?」
「ちょっと薬の匂いがキツいくらいで、それ以外はまぁ大丈夫だよ」
ぐ、と拳を握ってみせる。
「そ、そうですか……そう、ですか……」
はぁ、と深く息を吐いて、マシュはまたパイプ椅子に座った。
「……本当に、良かったです。何事もなくて。あなたを守るのが、私の役目ですから。そこまでの傷を負わせてしまったことは、恥じるばかりですけれど」
「あー……いやその、主に悪いのは勝手に飛び出したのは俺というか……この怪我の大半は自業自得というか……」
撃ち抜かれた膝はともかく、それ以外の傷は大体無理をした結果だ。マシュがその責任を負う必要はないはずなのだが、
「いえ。そもそも先輩がそうせざるを得なかったという事実は変わらないんです。他のことならともかく、こと守りは私の仕事のはず。だから私の責任です」
「……で、でもですね……」
「私の、責任です」
鼻息荒く言い切るマシュ。
そういうことにしていいのかなぁと思いつつ、認めなかったらずっと責任の所在を語りそうなのでひとまずそういうことにしておく。
「ここ、カルデアの医務室だよね? ていうことは……」
「はい。先輩は気を失われましたが、聖杯を回収したことで特異点は修正され、今回のミッションは達成されました。まず一つ、我々の勝利です!」
勝利。七つの内の一つ目。じわりと生まれてくる達成感に、藤丸は笑顔を隠せない。
「そっか……はぁ~~、よかった……」
「ええ、本当に。一時は生還すら危ぶまれましたし……」
「ほんとね。でもマシュやみんなが頑張ってくれたおかげだ。……って、あ! ゲオルギウスやジークフリートにお礼言ってない! それとアマデウスも!」
サーヴァント達の霊基を削るような尽力が無ければ、特異点攻略は成し得なかった。
「ああ、それならゲオルギウスさんから伝言を言付かってますよ。またカルデアで会いましょう、とおっしゃっていました。ジークフリートさんも言葉こそ喋れませんでしたが、同じ思いのようでした……アマデウスさんは、その。所在が分かりませんでしたが……」
「召喚したらプレイリスト見せてくれって言われてたから、専用の奴作っとくよ。多分それで返礼になるから」
召喚、か。
彼らを召喚しても、特異点のことは覚えていない。あの時オルレアンで出会った彼らはあそこで消えた。それはそれで寂しいけれど、一番寂しいのは。
やっとの思いで心を通わせた彼女も、あそこで消えてしまったこと。
「……あともうちょっとで帰れたんだ、アナスタシアも」
「そうですね。でも、笑っていらっしゃいました。最期まで、何の憂いもなく」
「うん……」
無意味なんかじゃない。マリーと同じ言葉を、彼女は口にしていた。
ならば彼女は、あの戦いで何かを見つけられたのだろうか?
辛く、寒々とした中でも、決して忘れない答えを。
「さっき、夢を見たんだ。多分、アナスタシアの過去、みたいなものを」
「アナスタシアさんの夢ですか。確かに契約したサーヴァントの過去を、マスターは夢として見ることがあるみたいですが……」
「そうなんだ? じゃあ、知っていてほしかったのかもね」
「? 何をですか?」
「私はこう生きたんだ、って。俺に教えたかったのかもしれない」
彼女が恐れたもの。許せないもの。彼女はそれを知ってほしかったに違いない。
「その上で、無意味じゃないと言えるようになったのは……きっと、いいことだと思うんだ」
「ええ。この特異点では、色んな憎悪を目の当たりにしました。ですがそれを呑みこむ気高さのようなものも見てきました。……私にはまだ、そんな強さはありません。皆さんのように、己を見失うことなく戦えるでしょうか……」
「俺だってないよ、そんな強さ」
でも。
藤丸もマシュも、見たはずだ。
英霊となってなお、その憎悪と気高さの狭間で苦しんだ彼女を。
「失ったら幾らでも悩んで、泣けばいい。俺はそれを弱さだなんて思わないし、思いたくない。受け止め方は人それぞれなんだから」
「……はい!」
マシュは納得したように頷いた。
その時だった。
タタタ、と外で小走りする音の後、病室のドアが開かれた。
入ってきたのはロマニだ。ろくに寝てないのか、目元に特大の黒いクマを作った彼は、入るなり挨拶もなく藤丸の肩を掴んだ。
「藤丸くん調子はどう!? 何か体に違和感ない!? 例えば片腕ないとか、心臓がなんかポッカリ穴が空いてるなーーとか!!」
「な、何もない、何もないです! ていうか片腕はともかく心臓に穴に空いてたら生きてないんじゃ?」
「感覚的な話だよ! ほら、レイシフトは僕らが君達を観測して初めて成り立つ。何か不具合があるなら、例えば心臓はあるけどない、証明出来ない状態になってるかもしれないだろ? そうなってたら……!」
「落ち着いてくださいドクター。もしそうなら自覚させたこの瞬間に先輩の心肺は無いものとなって死にますし、何よりその心配はないとダ・ヴィンチちゃんも言っていましたよ?」
さらっと怖いことを宣うマシュ。そもそもレイシフトにそんな意味分からん副作用があることに藤丸はびっくりなのだが。
「先輩は今療養中です。お静かに、ドクターロマン」
「……は、はい……以後気をつけます……」
ぴしゃりと言うマシュ。気勢を削がれたロマニは萎びた雑草のようになった。
所長代理の前に一応ロマニは医師なのだが、そんなことはマシュには関係ないらしい。
でも心配されるのも悪くない、そう思ったときだった。
「――本当にそうよ。休まないからそんな勘違いを起こしたんじゃないかしら? 長としては零点もいいとこね、所長代理?」
聞き覚えのある声は、ロマニが開けっ放しにしたドアから。
床に引き摺りそうな白いドレスに、雪を編み込んだような白髪。人形のように均整の取れた顔を、見間違えるはずがない。
アナスタシア・二コラエヴナ・ロマノヴァ。
藤丸立香が初めて召喚したサーヴァントである。
「あ、アナスタシアさん!? た、確かオルレアンで退去されたはずじゃ……!」
マシュも彼女が帰ってきていたことを知らなかったらしい。藤丸もこんな彼女は初めて見るくらい驚いている。
「ええ。確かに霊基にガタはきていたけれど、今回の召喚はあくまで霊基の情報はカルデアにある。つまりは簡易的な座、とでも言えばいいのかしら。実体化している私は端末のようなもの。本来なら消えているところだったけれど、そのおかげで一足先にカルデアに戻れたってわけね」
「そ、そうだったんですね……でも、それならそうとドクターも言ってくれれば」
「彼女に口止めされてたんだよ。そっちの方が
「あ、アナスタシアさん!」
もう、とマシュが地団駄を踏みかける。そんな彼女に、アナスタシアは微笑む。
その顔は、あの時消える間際で見たものと同じで。
それでようやく、彼女が帰ってきたのだと藤丸は実感した。
「……よかった。また会えて、本当に嬉しいよ、アナスタシア」
すると、アナスタシアが顔を藤丸から逸らした。
……やはり、まだこの目が怖いのだろう。でも彼女は、もう藤丸を無視しない。
「……ええ。私も」
「……うん、良かった!」
「水を差すようで悪いけど、良いことばかりじゃないよ」
ロマニは、
「アナスタシアの霊基はボロボロだ。現時点のカルデアでは彼女の霊基を完治させられない。よってレイシフト、特異点攻略からはしばらく外れてもらうことになる」
それは……仕方のないことだ。彼女の戦果を考えれば。
「それでも残ってくださるんですね、アナスタシアさん。本当にありがとうございます!」
「……そこまで歓迎されるとは思っていなかったけれど。むしろいいのかしら? 戦えないサーヴァントなんて、半分穀潰しのようにも思えるのだけれど」
「そんなことはありません。アナスタシアさんは人理修復とは別に、親交を深めておきたいと思ってましたから!」
「そ、そう。意外とぐいぐい来るのね、あなた……」
若干その熱意に押し負けるアナスタシア。
「僕らとしても、君は貴重な戦力だ。レイシフトや特異点にはいけなくとも、シミュレーションでの訓練、サーヴァントそのものの研究が進めば、君の治療も比較的に早く進む可能性があるからね。というか、今ここで消えられるとかなり辛いのがカルデアの現状でして……」
投資した物資を考えるとあと特異点二つ分は働いてもらわないと……などとぼやくロマニ。聖杯を手に入れてもリソース不足は解消されなかったようだ。
「先輩も、アナスタシアさんにはここにいてほしいですよね?」
「うん、もちろん。アナスタシアがよければだけど」
「……使えないと判断してもらったら、すぐに退去させてもらって結構よ」
それでもいいのなら、と彼女は言う。
相変わらず視線は合わないが、これまでのような刺々しさはない。
それだけで、藤丸は充分だった。
充分すぎるくらいの報酬だった。
夜になった。
藤丸が起きたことで、付きっ切りだったマシュは自分の治療に専念するため、別室で待機。ロマニは引き続き仕事に戻り、アナスタシアはいつの間にか消えていた。
数時間前の騒々しさはどこへやら、医務室はとても静かだ。藤丸に取り付けられた正体不明の器具も大方外れていて、思ったよりも体は元気だが……十時間以上寝た今の藤丸には些か静か過ぎる。
故に、ランダム再生したプレイリストに耳を傾けている。
曲は様々だ。ロック、バラード、ヒップホップ……生まれてこの方聴いてきた曲は、藤丸立香の人生を彩ってきたものばかりだ。父が教えてくれた曲、母が教えてくれた曲、親戚や友達が教えてくれたもの、その全てがある。
それはかつて彼らがいた証だ。だからこそ聴く度に、涙が零れそうになる。
会いたい、あの日々に戻りたい。聴けば聴くほど寂寥感は増していくが、それだけが今の藤丸には彼らの声に思えてくる。
「……あと六つ」
イヤホンを耳から外して、藤丸はため息を一つ。
水滴一つ落ちる音すら反響してしまうような静けさが、医務室に充満する。
と、その時だった。
コンコン、とドアを叩く音がした。
「……? はい、何か?」
一向に開かれないので、藤丸は応答したが、何故かドアは開かない。
さっきまで大音量で音楽を聴いていた弊害だろうか?、なんて思っていたところで、もう一度ドアがノックされる。
「……あの。いいですよ、入ってきても」
返事はやはりない。ただドアの前で動く影があった。それは少しだけ見えなくなった後、完全に見えなくなり。
ドアが開かれる。
そこにいた、いやあったのは。
「……紙袋?」
今しがた置かれた紙袋一つだけ。人っ子一人いない。
誰かの差し入れなのだろうが。
「……今気軽に動けないんだけど、俺」
両足は包帯でぐるりと巻かれているので、本当に動きたい時以外はなるべく安静にしておきたい。
困ったなぁと考えていたら、紙袋が一人でに浮かび上がった。
そのまま移動した紙袋をぽとん、と藤丸はキャッチする。
なんともまぁ……不思議なこともあるもんである。
「ま、回りくどい……ええっと中身は」
紙袋をひっくり返す。落ちてきたのは小型端末だ。藤丸も使うものだが、新品をプレゼント!……というオチではないだろう。
端末の電源をつけると、メッセージが一件だけある。
送り主は、
「……アナスタシア?」
扉の方を見る。いつの間にか閉まった扉の向こうで、薄ぼんやりとした明かりが見える。それは液晶の光だ。
彼女がそこにいるのか。なんでまたこんなことを、と疑問は尽きないが、藤丸はメッセージを開いた。
はい、マスター
見えてるかしら、このメッセージ?
見えてるよ。でもなんでいきなりメッセージ? 近くにいるなら直接話せばいいんじゃ?
それが出来ないからこの形なのよ、察しなさい
「察しなさいて」
藤丸からしたらどうしてこうなっているのか分からないのだ。
というか、アナスタシアが端末を普通に扱えていることに藤丸は驚きだ。
聖杯からの知識は多岐に渡るわ
あと私はこう見えて器用なの
それはさておき。
結局何故面と向かって話せないのか。それが知りたい。
……少しの前の私であれば、あなたが近づくことすら拒絶していたでしょう
しかし誤解も解け、本当の主従になれた今、私はあなたと会話がしたい
しかし面と向かって話すだけでは……今までの時間を考えると、足りないかなと
ふむふむ、つまり?
端末越しでも、私と話すことを許します
光栄に思いなさい、マスター
「いや普通に話しませんか? てか昼間も話してたじゃん」
単純に二倍話せるんです、お得でしょう?
何か質問は?
……まぁ、ないですが
「……!」
返答はそれだけ。素っ気ないが、それでもアナスタシアは無意識に、端末を持つ手を喜びに震わせる。
アナスタシアは歩きながら端末をスクロールして、メッセージ欄を更新し続ける。その手付きは電子機器を使い始めて半日とは思えない。
この端末はアナスタシアと藤丸、お互いの連絡先だけを登録した、特注の端末だ。私用の端末は他にあるが、彼は恐らく気付かないだろう。何せ見た目が同じである。ダ・ヴィンチに無理言って作らせたが、こうして特定の相手だけにメッセージを送り合えるのは、文通みたいで少し懐かしさもあった。
「……、」
アナスタシアは返信を考えながら、昼間のことを思い出す。
あれはアナスタシアの霊基の現状を確認して、ロマニが下した診断だった。
「君の霊基は、恐らく
ロマニは淡々と語る。
「これは例えるなら心肺を摘出した状態と同じだ。君には今、幻霊ほどの力しかない。いくら霊基の大本がカルデアにあっても、あれだけのフィードバックは、霊基情報そのものが消去しても可笑しくなかったから、存在してるだけ奇跡なんだけど」
それでも結果は同じだ。
事実上の再起不能。それが今のアナスタシア。
「君の霊基を以前のものに戻すことは、新しく召喚したサーヴァントの霊基再臨よりも困難だ。そうなると君の治療は後回しにせざるを得ない。戦えるのは恐らく最後の戦いのみだ。そこまでいけば、聖杯などのリソースを君に注げるだろう。だが逆に言えば、それまで君は何もすることが出来ない。それでも君は、カルデアに残るかい?」
それは厳しい道だ。
アナスタシアは藤丸を助けに来た。しかしレイシフトすら出来ない体では、どれだけ助けたくともアナスタシアは藤丸を助けられない。
そして最後の戦いであろうともそれは変わらない。その頃にはアナスタシアよりも強いサーヴァントが幾らでもいる。なのにアナスタシアにわざわざ聖杯を割くわけがない。もっと強力なサーヴァントがいくらでもいるのだから。
それでも、アナスタシアは残った。
それは自分の霊基が修復されると信じてるから……ではない。
どんな己であっても、そこにある限り無意味ではないと知っているから。
「……そうよね、マスター」
人は意味を求める。
あの時起きたことに何の意味があったのか。己の人生に意味があったのか、そればかり考えて、日々を生きていく。
アナスタシアはそれを考えながら死んだ。
血を流し、恐怖に怯え、何故、と考えた。
だから今も考えてしまう。
あの死に、意味はあったのか、と。
残ったものが、悲劇でしかなくても。
アナスタシアは今日初めて、少年の目を真っ直ぐ見た。
どうしようもなく彼らに似ていて、どうしょうもなく違う、その瞳を。
例え弱くとも。選ばれ、力の差に絶望しても。なお立ち向かう彼が、無意味でないのなら。
例え戦えなくとも。喚ばれ、力のほとんどを失って。なお残った自分だって、無意味ではないのだ。
「……今更、仲良くなろうだなんて、烏滸がましいでしょうけど」
面と向かっては……多分まだ、本心では話せない。
でも、この端末でなら、彼と話せる気がするのだ。
アナスタシアはメッセージを打ち始める。
それじゃあ、改めて自己紹介をしましょう。
「
私の名前はアナスタシア・二コラエヴナ・ロマノヴァ。
趣味は……何か見つけないとね。
そして。
あなたの願いに応じた、初めてのサーヴァントよ。
これからどうぞ、よろしくね。
簡潔な自己紹介が送られ、扉の方の明かりが廊下へと流れていく。本当に会話を端末越しに済ませようとしているらしい。
これは……つまり、メル友ということか?
「……ま、会話してくれるだけ、いいか」
藤丸は苦笑する。彼女から貰った端末を弄りながら、またイヤホンを耳に付ける。
曲は切り替わって、何の因果かそれは丁度六日前……アナスタシアが召喚された日に聴いた曲になっていた。
【
【
【
歌詞に思わずくすりと笑う。
まさに現状にぴったりな歌詞だ。
【
心の底から叫び続ける。
【
いつか出会うと信じている、愛する人に。
【
Everybody need somebody to love。
誰もが愛する誰かを求めている。
それは藤丸もアナスタシアも同じ。
「
俺の名前は藤丸立香。
趣味は音楽を聴くこと。
そして。
君を召喚した、人類最後のマスターだ。
これからよろしく、アナスタシア。
まるで最終回みてぇだァ……()
これにてオルレアン編完結なだけでお話は続きます
ここからはアナスタシアさんの都合上ダイジェスト風味になりますが、不定期更新になるのでゆったりお待ちいただければと思います
来年もよろしくお願いします