もしも第一部にアナスタシアを最初に召喚したら略して『ぐだアナ』   作:388859

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初対面ですよね?

 

「可笑しいと思うんだよね」

 

 カルデア、中央管制室。

 薄暗い蒼光に支配された部屋は、カルデア内において最重要と言っても過言ではない施設だ。レイシフトを行うためのコフィン、惑星の模型であるカルデアスなど、一つ一つが超抜級の礼装や機械ばかりである。

 そんな有識者が見ればぶったまげるであろう部屋のど真ん中で、藤丸立香は体を動かしていた。

 具体的に言えば、筋トレしていた。腕立てを。

 

「なにがだい、藤丸くん。というかこんなところで汗水垂らすんじゃなくて、トレーニングルームに行ったらどうだい?」

 

 やや投げやりに返事したロマニ。その間にも藤丸は、端末からワイヤレスイヤホンに流れるロックに負けないよう体を動かす。

 

「あのアナスタシアってサーヴァント、召喚してから全っ然話聞いてくれないんだけど。可笑しくないですか? 俺まだ彼女に、挨拶だってされたことないんですよ???」

 

 事の発端は三日前。第一特異点攻略のため、サーヴァントを召喚したときである。

 つつがなく召喚が完了した瞬間から現在まで、藤丸はあのサーヴァントとコミュニケーションが一切取れていないのである。

 例えば、すれ違いかけたときに、やあ、と言えば。

 

――話しかけないで。

 

 例えば、食堂でおはよう、と言えば。

 

――喋りかけないで。

 

 例えば、廊下で迷っていそうな彼女に声をかければ。

 

――下がりなさい、邪魔です。

 

 である。取り付く島もない。

 

「しかもね、追いかけようとしたら足元を凍らされたり、何処からともなくバナナの皮が滑り込んだり、それで頭からずっこけた俺をどんくさい奴だなぁみたいな目で見て去っていくんですよ!? そんなのされたらなにくそぉ!!ってなるじゃないですか!!」

 

「それで追い回したの? 結果は?」

 

「雪玉を頭にぶつけられて、四時間気絶してました」

 

「頭が冷えるね、それは……」

 

 曲がり角に消えようとする彼女を追ったら、角を曲がった瞬間気絶したのだ。どんな速度で投げたらそんなことになるというのか。

 

「まぁ、彼女はシュヴィブジックだからねぇ」

 

「しゅ……なんですか、それ?」

 

「彼女のスキルだよ。ステータスは確認したろ?」

 

「……一回だけですけどね。ダ・ヴィンチちゃんに見せてもらいました」

 

 ちなみに藤丸はアナスタシアの名前もダ・ヴィンチから聞いた。なんであんな胡散臭さの塊しかないモナリザ野郎とは話せて自分とは話せないのか、藤丸としては誠に遺憾である。

 

「シュヴィブジックっていうのは、ロシア語で小悪魔、みたいな意味の言葉さ。彼女には己の願望を叶える力がある。物を浮かべて引き寄せるとか、そんな悪戯にしか使えないスキルだけど……君には効果あったわけだ」

 

「……じゃあ俺が気に喰わないから、遠ざけるために悪戯してるってことですか?」

 

「それか普通に君が嫌いなのかもねぇ」

 

 それを言われちゃおしまいである。

 こちとら名前を教えてもらうどころか、自己紹介だってしていないのだ。

 

「うーん、そうだねえ。正直、その件については僕もちょっとお手上げかなあ」

 

 書類に目を通しながら、ロマニは相槌を打つ。

 

「彼女、アナスタシアがどうして君と距離を取っているのか、僕からしても理解が出来ない。このカルデアにおいて、科学、もしくは魔術に染まっていない人間は君だけだ。一般人にラベリングされる君は、むしろここでは一番話しやすい相手なはずなんだけど……」

 

「だよね!? ドクターもそう思うよね!? 俺、なんっっっっっにもしてないよね!? ただ! ちょっと! お話くらいは望んだっていいよね!?」

 

「まあ現状、君はコミュニケーションを取ろうとする余り彼女のストーカーみたいになってるから、それで嫌われてたらおしまいなんだけどね。ちなみに僕も彼女と話したことはないんだよ。お揃いだね」

 

 お揃いだねじゃないんだよこの野郎と言いそうになるが、まあロマニは藤丸の十倍ぐらい働いているブラックな環境なので、余り強い言葉も吐けない。ストレスになっては困る。

 

「にしたって、挨拶くらいしてくれても良くないかな……そんなに俺が嫌だったなら、召喚したこっちとしてはちょっと申し訳なくなってくるんですけど」

 

「それはないんじゃないかな。だって、彼女は君の声に呼ばれてきたんだ。カルデアの英霊召喚システムは、あくまで英霊側の同意も得られないと成立しない。つまり、君の呼び掛け自体には好印象だったはずなんだ。それこそ君の元へ、一番に駆けつけるくらいにはね」

 

……やはり、何か嫌なことでもあったのだろうか。それとも、カルデアの実情が余りに悲惨だったからか……それはアナスタシアにしか分からないが。

 

「この前、シミュレーションがあったんですけど……ドクター、覚えてます?」

 

「あー……うん……まあ」

 

 ドクターが目を細める。あれかあ、なんて顔をして。

 

 

 

 

「戦闘訓練、ですか」

 

 遡ること、二日前。召喚された翌日、藤丸はアナスタシアをトレーニングルームに呼び出した。正しくは、マシュにそう伝えてもらった、だが。

 

「はい。私もマスターも、戦闘経験が不足している上に、アナスタシアさんの能力がどれほどのものなのかも分かっていません。ですから確認のために」

 

「……ええ、いいわ。私もマシュがどれほど前衛として動けるのか、知りたかったところだもの。願ってもないわ」

 

 マシュの誘いに、アナスタシアは快く頷く。当然彼女はこちらを一度たりとも見ない。嫌悪している、というよりは、無関心に近いか。

 

(……まあ、俺以外の言葉に耳を傾けてくれるのなら、まだいいか)

 

 最悪はカルデア自体を嫌悪し、リソースだけを貪られることだ。アナスタシアはカルデアそのものを嫌悪していないし、自分が無視されるだけならやりようはある……だろう。多分。

 そう思わないといけないことがまず可笑しいのだが、藤丸としては自分なんかに傅かれるのもそれはそれでむず痒いし、案外丁度いいのかも……と思っていたときである。

 

「ところでマシュ、一つ聞きたいのだけれど」

 

 つい、と目を離し、アナスタシアが瞳を向けたのは、何と藤丸。ぎょっとするマスターに、アナスタシアはこう言った。

 

「魔術もまともに扱えない人間が、どうして前線に出た場合のシミュレーションをする必要があるのかしら?」

 

 ぴき、と空気が凍りつく。

 あのマシュですら、客観的な思考を奪われたようで、口をぱくぱくと開く。

 代わりに藤丸が応える。

 

「……それは否定しないよ。俺が狙われれば、守るために戦力が割かれる。一手間違えたら終わる戦いで、それは致命的な隙だって言うのも、ドクター達から聞いてた。同時にカルデアからのパスを繋ぐために、俺が前線に出る必要があるってことも」

 

「そう。理由もなくするわけじゃないなら安心したわ」

 

 当たり前と言えば当たり前の反応で、返答も用意はしてある。

 だが、その先を用意してはいなかった。

 

「まあ、あなたにとっての戦いは、後ろで突っ立っていることくらいだろうけど」

 

 それは、嘲りや皮肉などではない事実。

 なのに藤丸は、まるで傷口を捩られたような痛みを感じ、言葉に詰まる。

 

「アナスタシアさん、そんな言い方は……」

 

「事実よマシュ。私はキャスターでも特殊な方だけれど、基礎的な知識や素養くらいは見分けられる。その私が断言する。そこに立っている男に出来るのは突っ立っていることくらいよ、それ以外はなにも出来ない。するべきじゃない」

 

 違う、と言えるならどれだけ良いか。

 あのときも。藤丸は見ていることしか出来なかった。

 

――いや、いや!! いや、助けて、誰か助けて!! わたっ、わたし、こんなところで死にたくない!!

 

 伸ばされた手を掴むには。この身は余りに遠く、無力で。だから少しでも最善を尽くしたいと思った。

 けれど、じゃあ何が出来る?

 

「あなたが死ねば、そこで全てが終わるなら。あなたが敵の手に落ちれば、それでこの世界の未来は消えてしまうなら。あなたは何もしないで、ただ隠れていればいい。指示なんてとんでもない。赤子みたいな指示を出されて、戦場が混乱するのは目に見えているわ」

 

「ちょっと待ったアナスタシア、それは違う」

 

 拡声器からロマニの声。戦闘訓練は任せると言っていたが、流石にこれは看過できないとみたか。

 

「藤丸くんにはカルデアの技術の粋を集めて作った礼装を預けてある。有事のときは必ず役に立つはずだ」

 

「礼装が壊れたら?」

 

「例え礼装が壊れても、魔力を注入すれば自己修復機能があるからね。それか血や生命力を使えば、礼装は使えるようになるはずさ。余り多用はおススメしないけど」

 

「……危険なことには変わらないじゃない」

 

「アナスタシア」

 

 藤丸が名前を呼んで、頭を下げる。

 

「頼む。今はこれだけしか出来ないんだ。だから、頼む。少しでも、迷惑をかけないために」

 

「……何もしないよりは、遥かに合理的、と? ふむ、分かりました」

 

 白い髪を揺らしながら、

 

「では教えてあげる。私が出来るのは、凍らせて、砕くぐらい。でも、あなたはそれ以上に何も出来ないのよ、マスター」

 

 吐き捨てるように、冷気を解き放った。

 

 

 

 

「結果、滅茶苦茶凍らされたわけでして……」

 

「等身大の雪だるまがぽんぽん出来上がる様は、見てて結構楽しかったよ?」

 

「凍死しかけてたんですがそれは」

 

 ぶるりと藤丸は体を震わせる。雪だるまなんて可愛いものじゃない。単に凍死しかけただけだ。

 

「……ていうか、今更考えると生きてるのが不思議ですね……」

 

「彼女と契約して、冷気への耐性がついたのかもしれないね。ま、アナスタシアの戦力は一応分かったんだし、頼もしいと思うよ? 前線はマシュが張り、それをカバーする固定砲台のアナスタシア。構図は完璧じゃないか」

 

「どうですかね……結局指示なんてまともに出したことないし、マシュと連携とか出来るのかなあ」

 

「連携なら問題ないよ。どうやら君がいない間に二人で話し合ってたみたいだから」

 

「マジでへこむんですけどそのハブられは。なに? 俺なんかそんな罪深いことやった?」

 

 少なくとも彼女の尊厳は最大限守ってきたつもりである。ストーカー予備軍が尊厳守れているかはさておき。

 

「アナスタシア、ちゃんと指示に従ってくれますかね。数日後には第一特異点の攻略が始まるし……」

 

 そう。アナスタシアとの交流、性能確認、そして霊基の調整を含め、猶予は五日とあらかじめ決まっていた。それが過ぎれば、第一特異点の攻略を始めなければならない。

 

「このままじゃ会話すら覚束ないから、ここに来たわけだ。じゃあここは人生の先達らしく一言」

 

 おほん、とロマニは空咳を打ち、

 

「君はがむしゃらに彼女を追い回しているようだけど、まずはアナスタシアという英霊がどういった存在なのか、知るべきなんじゃないかな」

 

「……と言うと?」

 

「下準備さ。彼女の生前から、会話の糸口を見つけるんだよ。何も知らないでひたすら話しかけるよりは、少しでも相手のことを知って、話題を振っていく方が興味をもたれるだろう? あとは、いきなり話しかけるのもよろしくないかもね。彼女からすれば、君と話すことそのものが不都合な可能性もあるから」

 

……さらっと『お前は相手にされてないんだから気軽な会話は諦めろ』と言われてしまい、なんだかなあと藤丸は肩を落とす。

 しかしそこは十代。立ち直るのも早く、踵を返して、

 

「……分かった、ありがとうドクター。試してみるよ」

 

「ん。健闘を祈るよ、藤丸くん。次のブリーフィングまでには日常会話くらいはこなしておいてね」

 

「全然そんなビジョン浮かばないけど頑張るよ、俺! ほんとそんな未来あるのか分からないけども!!」

 

 

 

 

 アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァ。

 二十世紀初頭、当時帝国として名を馳せたロシアで生まれた、第四皇女。それがアナスタシアだ。

 皇族の生まれと聞けば、誰もが高慢な性格を思い浮かべるが、祖父であるアレクサンドル三世の代から続く質素な生活が影響をもたらし、アナスタシアは皇族とは思えない生活をしていたらしい。

 例えば、メイドを手伝ってベッドメイキングを行ったり、刺繍などの雑務は自分で行うなど、それこそ慎ましい生活をしていたのだとか。

 

「……ほんとかぁ……?」

 

 その割には着てる服とか滅茶苦茶高そうだったけどな、と端末の情報とにらめっこする藤丸。

 てくてくと白壁が続く廊下を歩きながら、彼は資料をスクロールする。ちなみに耳にはイヤホンをし、音楽プレイヤーに入った曲をシャッフル再生している姿は丸っきり学生みたいである。少し前までよくこんなことやってたな、と懐かしさすら感じた。

 

「えぇっと、なになに……悪戯好きで、お転婆娘で道化って呼ばれてた? いやいやそれもないだろ……」

 

 やんちゃどころか、こちらが声をかけようものなら凍らされるのである。主に口とか目とか。

 あれを悪戯と言い張るには、藤丸の命を脅かし過ぎだ。

 これほんとに合ってるのかな?、と信憑性を疑い始めた藤丸だが、資料はそこから段々と暗雲が漂い始める。

 

「……、」

 

 ロシア革命により、ロマノフ朝は滅亡。同時にアナスタシア達皇族は軟禁を強いられた。そして軟禁場所を転々としながらも、彼女は自由に行動することはない。 

 突然の変化……いや、これは、転落か。国が崩壊した激動の時代。しかしアナスタシアは笑顔を忘れることなく、時には進んで喜劇を生み出し、家族と触れ合っていたのだ。

 時には手紙を、時には言葉を、時には共に過ごすことで。

 資料は数十行にもなる文と、数枚の写真しかないが、そこに書かれたことは、藤丸の脳裏にある景色を浮かばせるのは簡単なことだった。

 誰かを笑わせようと、必死に足掻き続けた少女が。アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァという、ただの少女が。

 しかし、それも長くは続かない。

 一九一八年七月十七日。悲劇が起きた。

 かの有名な、ロマノフ家の処刑である。

 

「……酷い……」

 

 読んで、思わずそんな声が藤丸から漏れた。

 イパチェフ館の半地下室に集められたアナスタシア達元皇族は、秘密警察による銃の乱射によって父、母が死に、そして次々と家族や召使いも死んでいった。弁明の機会も、命乞いの機会すらも与えられず、ただ命を奪われたのだ。

 護身のためか、はたまた皇族故か。衣服に縫い付けてあった宝石が彼らを銃弾から守った。それでも銃で心臓を撃ち抜けば即死しただろう。だが子供たちは一人、また一人と、銃剣の刃先で顔が穴だらけになるまで刺されたり、喉を突き刺して死ななかったから頭を拳銃で撃ち抜いたり、処刑とは名ばかりの殺戮だった。

 そしてアナスタシアは、それらを全て見届け、最後の犠牲者となった。

 自分が殺される意味も、家族が殺された意味も、きっと理解は出来ても、納得など欠片も出来ないまま、無力に。

 

「……享年、十七歳か」

 

 藤丸はスクロールし切った画面を消し、端末を懐に仕舞う。

 壮絶だった。

 サーヴァントは全盛期の状態で召喚されると聞いたが、彼女にとってあの姿は、それこそ晩年のものだろう。それでもあの姿で召喚されたということは、やはりアナスタシア・ニコラヴナ・ロマノヴァという人間は、そのときが全盛期だったのだ。

 

「……俺が下手に生前のこと話しかけても、怒られるんじゃないかな……」

 

 ドクターは生前を知れば、会話の糸口も見つかると宣っていたが、全くそんなことはない。むしろ地雷が見えただけだ。それに触れずに興味を持ってもらえるかなど、藤丸には到底想像もつかない。

 そうこうしている内に、食堂についた。

 カルデアの食堂は、それこそ通っていた学校の食堂とは大違いな内装をしていた。幾つかのテーブルの先に調理場とカウンターを組み合わせたものがあり、専門の栄養士数人が今日のメニューの様子を逐一確認しているくらいで、まだ職員の姿は見当たらない。

 そんな食堂の隅。ポツンと座っているのは、現代に降り立った白雪姫。

 アナスタシアだ。

 

「……」

 

 時刻は十時半。手には文庫本、テーブルには紅茶と今のカルデアには大変貴重な茶菓子があり、どうやら優雅なティータイムらしい。

 大変絵になる光景だ。文庫本を読む彼女は、柔らかな表情をしていて、正直近寄るのも憚れるが、ここで引き下がる理由もない。

 音楽プレイヤーをポケットに突っ込み、なるべく刺激しないよう歩いていくと、アナスタシアの座るテーブルに、藤丸も座った。

 対面ではなく、あくまで対角線上になるように。

 

「……」

 

「……」

 

 わざわざ同じテーブルを囲んだというのに、アナスタシアは文庫本から視線を外さない。やはり話す気はない、ということか。

 ならば、と藤丸は秘密兵器を取り出す。

 

「……?」

 

 彼が取り出したのは、何の仕掛けもないスケッチブックだった。それにマジックペンでさらさらと書き込むと、アナスタシアへと差し出す。

 流石にそれは無視出来なかったのか、アナスタシアはちら、と視線に入れる。

 そこには、こう書かれてあった。

 

――こんにちは、俺は藤丸立香。よければ君の名前を教えて欲しい。 

 

 普通に話すことが難しいのであれば、文でやり取りすればいい。簡単だが、それでも媒体が違えばあるいは……と。

 単純な思い付き。だが、それだけ本気でコミュニケーションしたいのだと彼女に伝わればいい。

 藤丸がペンとスケッチブックを彼女の手元に差し出して、待つ。

 ため息をつきながらも、アナスタシアは文庫本を閉じて、マジックペンを手に取る。スケッチブックに書き込む姿は、史実に伝わる悪戯娘だ道化だのとは程遠く、まるで日記に今日の出来事を書き記すお姫様そのものだ。

 やっぱり可愛いなあ、と藤丸はちょっと下心が混じりつつ、返されたスケッチブックを覗き込んだ。

 

――Уши вянут。

 

「へ?」

 

 なんだこれ、という言葉が口から出かけたが、その文字にはかすかに見覚えがあった。ロシア語だ。

 無論、藤丸に読めるわけがなく、スケッチブックを意味もなく傾ける。

 

「これは……」

 

 どういう意味なんだ、と問い掛けようとして。

 無表情だったはずのアナスタシアが、落胆したような顔で視線を反らす。

 

(……まさか、マスターなのにロシア語も読めないのかお前とかそういうんじゃないだろうな……)

 

 生まれも育ちも日本、旅行は国内だけの高校生が読めるわけねぇのだが。

 しかもその間上品にパクパクと茶菓子を放り込み、紅茶で流し込むと、アナスタシアはそのまま席を立ち上がる。

 

「あ、ちょっと……!」

 

 冗談じゃない。まだ会話らしい会話もしていないのである。それなのに帰られては困ると、藤丸も立ったのだが。

 

「わぷ!?」

 

 ぱちん、と少年の顔に何かが飛来した。紙の切れ端だ。たまらず目を閉じていたら、その時にはもう、あのお姫様はいない。

 やられた。藤丸が肩を落としていると、顔に飛んできたスケッチブックの切れ端を確認して、更に脱力する。

 

――食器の片付けくらいしてね。

 

「……普通に日本語書けるんかい、あんの雪国育ち……」

 

……これは中々に骨が折れそうだと思っていると、藤丸は気付いた。

 食器の横。アナスタシアが読んでいた文庫本が残っており。

 そこには、こう書かれていた。

 ロシア帝国の最後、と。

 

 

 

 

「アナスタシアさんが、ご自身のことが書かれた本を借りているんですか?」

 

 夜八時。一通りシミュレーションなどを終え、いよいよ猶予も無くなってきた時間帯。資料室にいたマシュに、藤丸は相談していた。

 資料室は薄暗く、他の部屋に比べるとやや埃っぽい。書庫にも近いが、そんなモダンな雰囲気はなく、寂れた倉庫に近かった。

 

「うん。確か、マシュと一緒にここに来てたよね。召喚初日に」

 

「あ、はい。借りたい本があるからと、ここに案内しました。そのとき借りていた本までは把握してませんでしたが……それが?」

 

「忘れ物を届ける前に、ちょっと思うところがあってさ」

 

 藤丸は拝借した文庫本をパラパラと捲る。そこには写真付きで、やはり藤丸の見聞きしたことと概ね違わない内容が書かれてあった。

 

「アナスタシアのこと、色々調べたよ。英霊なんて言うと、きらびやかな印象しかないけど、彼女は違った。本当に、ただの女の子だったんだ。最期の最期まで」

 

「……はい。私も知識としては、知っています。最期の皇帝の娘。その立場だとしても、余りに惨い最期だったと」

 

「……なのに、アナスタシアはわざわざ、そのことが載った本を借りてる」

 

 正直なところ、アナスタシアがどういう少女かなんて、藤丸には分からない。見聞きした知識が全て事実かも、それを確かめる術もない。

 だけど分かっているのだ。例え無視されようと、こんな時に駆けつけるくらいの情を持っている人間なのだと。

 

「……とはいえ、迂闊に触れられるもんでもないよなあ……」

 

「ええ。我々にとってはただの知識でも、サーヴァントにとっては過去です。アナスタシアさんがどんな英霊かはまだはっきりとはしていませんが、それでも簡単に触れていいものではないでしょう」

 

 そもそも英霊だって、みんながみんな協力的だとは限らないのだから、当たり前のことだが。

 それはともかく、と藤丸は別の話題を切り出す。

 

「マシュはアナスタシアと何を話すの? 時々話すよね」

 

「話題ですか? 特段変わったことは何もありませんが……先輩と同じだと思いますよ」

 

「なんでもいいんだ。だってほら、俺まだ彼女と一回も……話したこと……ないし……なんか言ってて悲しくなってきたなあ……」

 

「あっ……」

 

 口を押さえてまだだったんだ……と暗に顔で言ってしまう後輩。先輩の面目なぞ三日で丸潰れである。

 

「なのでお願いします、はい。アナスタシアさんとの話を僕に聞かせてくれないでしょうか」

 

「分かりました。と言っても、本当に変わったことは何もないんですよ?」

 

 マシュ曰く、アナスタシアは本当に気軽に話すらしい。例えば雪国のお姫様なのに、外は寒そうだからここはあったかくていいとか、マシュは自分より華奢なのに前線で頑張っていて偉いだとか。あとは夕食が祖国の料理と比べてやや質素だとか、それこそ普通の少女のように。

 

「……うーん。普通だなあ」

 

「はい、普通でした。正直びっくりです。アナスタシアさんは皇族ですから、質素とはいえやはり振る舞いや嗜好もそうなのかと決めつけていましたが」

 

「いや、それもそうなんだけどさ」

 

 藤丸はアナスタシアが忘れていた本を見せて、

 

「仮にも普通の女の子が、自分の家族が惨殺された話を、微笑みながら読めるかな。そんなの、どう考えたって普通じゃないよなって」

 

「あ……」

 

「多分、アナスタシアはその関係で何か隠してる。だから俺を避けてる、っていうのは、自分本意に考えすぎかなあ」

 

 もしかしたらただ嫌いなのかもしれないが、そこはそれ。そんなことは後でいい。

 

「彼女が無理をしているなら、何とかしてあげたい。だって喚んだのは俺だ。だったら俺がその助けにならなきゃ、これから世界を救ってもらうのに申し訳無さすぎる」

 

「……ふふ」

 

「? どうしたの?」

 

 すみません、と軽く頭を振ると、マシュはこう言った。

 

「先輩は、アナスタシアさんのことをよく考えていらっしゃるんだなと。それこそ、相手にされなくても」

 

「……うーん、どうだろう。どっちかと言うと、世界を救うのに必要なことだから、かもしれない」

 

 藤丸はまだ知識としてしか、アナスタシアのことを知らない。だから恐らく、こんな感情もただの同情や打算的なものでしかないのだろう。

 

「だけど、ほっとけるわけもないからさ。会話だってそうだよ。ただ嫌なら、いいんだ。俺はそれに納得する。でも、少しでも違う感情を持っているのなら、俺はそれをどうにかしたい。仲良くなりたい。こんな世界だから、一人でも多くの人と」

 

 すれ違ってそのままなのは、とても悲しいことだ。藤丸にだってそういう人間が沢山いて、それは世界が滅んだことで、もうどうすることも出来ない。

 だから思うのだ。

 少しでも、心残りなんて残したくないと。

 

「……大丈夫です。きっと、先輩ならアナスタシアさんともすぐに仲良くなれます。それはこの、マシュ・キリエライトで実証済みですから」

 

 胸に手をあて、誇るように。彼女はそう言ってのける。その信頼を裏切りたくはない、と藤丸は改めて奮起した。

 

「ああそうだ。マシュはロシア語って読めたっけ?」

 

「あ、はい。日常会話程度なら可能ですが……何故そんなことを?」

 

「いやこれなんだけどさ」

 

 ぺら、とアナスタシアが寄越した走り書きを見せる。もしかしたら何かのメモかも、と思っていたのだが、

 

「……あー……うー……そのぉ、ですね」

 

 マシュは心底言いにくそうに、だがこちらを出来るだけ慮って言った。

 

「……『聞くに堪えない』、だそうです」

 

「………………そっかぁ……」

 

 そうなのかあ、と遠い目をする藤丸。

 少年の心は、最早ズタボロであった。

 

 

 

 

 それでも行かねばならないのが、人類最後のマスターの辛いところである。

 

「…………なんか滅茶苦茶振り回されてるなあ」

 

 ここ最近の無視も悪戯な気がしてきた。そう思いたい。明日にはごめんねこれからよろしくぅ~~みたいなプラカード掲げて部屋に突入してくれないものだろうか。

 アナスタシアが生活してる居住区自体は、藤丸の部屋とそう離れていない。マシュと別れてすぐ、そこへ立ち寄った。

 無論本を返すため、そして話をするためだ。

 緊張からか、いつもならすぐ開く目の前の扉も、まるで銀行が保管する金庫のように頑丈に見える。

……どうせ相手にされない。

 どうせすぐ会話も終わる。

 

「……行くかぁ」

 

 黄昏たって仕方がない。

 だって、ほっとけるわけがないだろう。

 例え一端でも知ってしまったのなら、投げ出すことだけはしたくない。

 手にもった文庫本を握り締め、深呼吸すると、藤丸はブザーを鳴らした。

 

『…………なにか?』

 

 お姫様は何故か不機嫌であった。

 少年、めっちゃ怖くてちょっと震える。

 

「……ふ、藤丸立香だけど。その、昼に本を忘れたでしょ? だからこれ、届けにきたんだけど」

 

『……そう。じゃあ廊下に置いておいてくれるかしら。あとで回収するから』

 

「待って。頼むから、そのまま。そのまま切らないでくれるかな。話がしたいんだ。明日のこととか、これからのこととか」

 

 明らかにアナスタシアから、苛立った雰囲気が伝わってくる。それでも切らないでいてくれたことに、今は感謝しかない。

 もう相手の顔を伺ってたって意味がない。だから、藤丸はもう本心を隠したりはしなかった。

 

「聞きたいことは山程ある。俺とどうして距離を取るのか。君がどうして自分が処刑される本をわざわざ借りたのか。他にも沢山。だけどきっと、君は話したがらないだろうから、これだけは確認させてほしい」

 

 真っ直ぐと、

 

「君は何のために、召喚に応じてくれたのか。それを、俺に教えてほしい」

 

『……それは命令かしら、マスター?』

 

「ううん。これはそんな偉そうなものじゃない。ただのお願いだ、アナスタシア」

 

 壁一枚隔てていたって関係ない。それでも、伝えなければならないことが沢山あるのなら。一つでも、多くのものを。

 

「俺は君のことを何も知らない。いくら調べたって、それは誰かの視点で書かれたアナスタシアだ。本当の君を、俺は知らない。だから聞きたいんだ。もしも君が、これからの戦いを望まないのなら。俺は君と一切関わらないことを、ここに約束する。だけどもし、応じた理由が、戦う理由があるというのなら。特異点攻略のときだけでも、最低限の会話をしてほしいんだ。世界を、救うために」

 

 言葉を探して、何とか訴えた。

 果たして、どれだけその想いが届いたか。

 アナスタシアは興味なさげに、

 

『……世界を救うためよ。それ以外の理由があって、マスター?』

 

 英霊としての、模範解答。

 ともすれば、誤魔化しにしか取られない。

 けれど、藤丸にはそれで十分だった。 

 

「分かった。信じるよ、君を」

 

『……何故?』

 

「何が?」

 

『何故。私を、信じるのですか? あれだけ拒絶してきたのに』

 

「信じない理由なんて、一つもないでしょ?」

 

 そう、ロマニが言っていた。

 英霊召喚システムは、カルデアとサーヴァント、両方の合意があって初めて為せる奇跡なのだと。

 

「君はどういう理由であれ、俺の声に応えてくれた。マスターとしては最弱の俺の声に。なら、目的は同じだ。少なくとも、今は協力してくれるってことでしょ?」

 

 それに、

 

「ぶっちゃけちゃうと、特異点攻略もマシュと二人じゃ心細くてさ。ほら、俺達まだ新米だから。だから君にその気があるのなら、今はそれだけでいいよ。初めからハイタッチ出来るような相手を探してるわけじゃない。俺達は、一緒に戦ってくれる人を待ってたんだ」

 

『……』

 

「それだけだから。今日はゆっくり休んで、明日からよろしく。アナスタシア」

 

 藤丸はそう言って、自室へと戻っていった。

 

 

 

 

 画面を閉じて、アナスタシアはふと、考えた。

 ずっと拒絶してきた相手。邪険にしてきた相手。今だって壁があったのに、何故か当たり前のように、こちらを信じてきた。

 形振り構ってられないから、尻尾を振ってきたようにも見える。アナスタシアとて皇女だ、いくら慎ましく暮らしても、そういった臭いには敏感である。

 けれどあれは……。

 

(……本当に、私を信じていた)

 

 一片の曇りすらないわけじゃない。多少の打算もあったにはあった。

 だが、確かにあの少年はアナスタシアの答えに満足していたのだ。

 ただのおためごかし。それが分からないほど、愚鈍でもないだろうに。

 見覚えのある瞳。

 大切なものを奪った奴と、同じ瞳。

 

「……気味が悪い」

 

 ぎゅっ、と人形――ヴィイを抱き締める。

 どうだっていい。これで付き纏われないなら。そう思ってアナスタシアはドアを開ける。

 扉を隔てた先には、彼が届けた本がある。それは紙袋の中に入っていて、本を汚さないようにという配慮が見て取れた。

 

「本当、気味が悪い」

 

 優しすぎて、本当に。

 気味が悪いと、アナスタシアは吐き捨てる。

 そこに。

 少しの憎悪すら、混じらせて。

 

 

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