もしも第一部にアナスタシアを最初に召喚したら略して『ぐだアナ』 作:388859
藤丸立香に趣味があるとするなら、それは音楽を聴くことだ。
両親の影響で、昔から多彩な音楽を耳にしてきた彼にとって、大抵の曲は素晴らしく感じる。原始時代から続く音の開拓は、他のどんな文化よりも古く、洗練されてきた。
故に。
鼓膜がぶっ壊れるほどの酷い歌が、この世にあるなんて、藤丸は思いもしなかった。
「づぁぁーー……ぁぁーー……」
自分が今どんな声を出しているか耳鳴りで分からないまま、藤丸は耳から垂れる血に戦々恐々とする。ぺたぺた耳を叩きでもしなければ、気持ちが悪くて仕方ない。
「ああ、何とお労しい……ますたぁ、安静になさってください。後ほどあのトカゲはわたくしの方で処理させてもらいますから……」
「子イヌが負った火傷はアンタのでしょ!? まあ、アタシのこの金星もぶっ飛ぶ歌が凄すぎて、凡人の耳が耐えきれないのは確かに罪だけれど?」
「金星が粉々になるの間違いでしょうに……」
「あ?」「なにか?」
藤丸の後ろでやいのやいの言っているのは、ティエールで出会ったサーヴァント達だ。
水浅葱色の着物を羽織った少女、清姫。
毒々しいピンクのフリルのドレスを着た少女、エリザベート・バートリー。
この二人に共通しているのは、頭に角があること。
ロマンの解析によれば、二人は竜種の特性を持つサーヴァントであり、その戦闘力は……無人のティエールがこの二人の喧嘩で半壊していたことからも、察せられるだろう。
そう、喧嘩である。世界の危機だというのにそっちのけで、この二人はお互いが気に食わねぇと喧嘩を始めたのである。
藤丸の負傷は、その喧嘩を止めようとして、エリザベートの怪音波、もといブレスをもろに食らってしまったからだった。
「竜種が歌うと息吹扱いになる……ならまだいいんですが、その、エリザベートさんの歌は破壊行為というか、二重の意味で破壊兵器でしたから……これも一種の拷問と考えれば、確かに真名に沿ってますが……」
盾としてその歌と炎を存分に浴びたマシュと共に、藤丸は項垂れるしかない。
無論、彼女達が探している聖人なわけがない。曰く、
「わたくしが出会った聖人の真名は、ゲオルギウス。彼ならわたくし達の真反対、西側で出会ってそれっきりですが……」
ゲオルギウス。聖ジョージとも呼ばれる、ドラゴン退治を成し遂げた聖人だ。
それほどの聖人ならば間違いなく、ジークフリートの解呪も可能なはず。そんなわけで西側のアナスタシア達と合流すべく、今は捨ててあった馬車を走らせているところである。
「あの二人から逃げられるなら、御者の真似事でも何でもするよ。むしろさせてくれ、頼む。お願いだマスター、僕をこれ以上苦しめないでくれぇ!」
アマデウスは大喜び(半べそ)で手綱を握って、早々に一抜け。ジークフリートは体力回復で寝ているわけで、キャットファイト中のサーヴァント二人の対処は藤丸とマシュに任されたのだ。
「戦闘で俺は活躍出来ないし、こういうことなら喜んでやるけどさぁ……」
「何よ、そのぼくちん不幸ー!みたいな顔は。いい、子イヌ? 分不相応にもこのアタシの相手を任されたんなら、少しは楽しませようって気概はないのかしら? こんなに退屈なんだし」
「わたくしは、マスターと一緒にいられるだけで、この上ない幸福です……ふふ、休まれるなら膝の上に頭を乗せていただいても構いませんよ」
「清姫さん。その役は私で事足りてますので、必要ないかと」
あっちもこっちも自由気まま。何だかマシュまでもこの二人の雰囲気に呑み込まれているのか、よく分からないことを言っている。
そりゃ疲れもする。確かに進展はしたが、こっちは骨折り損なのだし。
「あのー、ドクター。アナスタシア達とはまだ通信出来ないんですか?」
「彼女達に持たせた通信機の信号は拾えているし、機械そのものが故障したんじゃなく、やっぱり何らかの障害だね。彼女達のいる町に、結界か障害を引き起こす何らかの粒子だとかが散布している……のかも?」
「つまり現地に行ってみないとアナスタシア達がどうなってるかは分からない、と」
そうだねぇ、と呑気にコーヒーを啜るロマニ。無論藤丸としては、馬車より早く走ることなんて不可能なわけで、どうすることも出来ない状況だが。
(……大丈夫かな、アナスタシア)
確かに宝具や素の火力は高く、あの容赦のなさは戦いにおいては必要だ。
しかしそれ以外の面で、アナスタシアは不安定過ぎる。不発弾のように、何か衝撃があったら炸裂するようなイメージが彼女にはあった。
「彼女達の応対で大変だろうけど、本番はここからだ。アナスタシア達と合流するまで、今は休んで備えるんだ、藤丸くん」
「はい。じゃあそれまで……」
音楽でも、と藤丸はイヤホンを手に取ったが、左右で騒ぐ彼女達を見て渋々イヤホンをバッグに押し込んだ。
不安は、ずっと消えなかった。
硝子の馬が跳ね回る。
道を、屋根を、空を。
縦横無尽に動き続ける姿は、とても少女二人を背に乗せているとは思えないほど軽やかで。加えて吹き荒ぶ冷風が、バーサク・ガンナーの動きを封じようとする。
だが、
「そーれっ」
そんなものは露知らず、ビリーはゆっくり狙って、硝子の馬目掛けて発砲する。弾丸は硝子の白馬の腹を掠めていくが、一発で当てようとは彼も思っていない。続いて二発、三発、とゆっくり狙い、徐々に白馬の進路を狭めようとするが……。
「……流石に空を駆け回る相手に闇雲に撃ってもダメか! うーん、困った!」
風ではためくハットを押さえつけ、バーサク・ガンナーは快活に笑う。わざとらしいお手上げポーズをするが、すぐにまた銃を構える。
「それじゃ、数撃ちゃ当たれだ」
ダダダダン!、と破裂音は何度あったか。ただ、アナスタシア達の側をかすめる弾丸の数が増えた。
それだけで心の奥がキュッ、と縮んだ。その様子を地上からでも感じ取ったビリーは、ねっとりとした笑みを隠さない。完全に弄んでいる。アナスタシアは苦し紛れに氷の塊を何発か放ったものの、ビリーは軽やかにそれを避けていく。
最後の氷がかわされたところで、アナスタシアは馬上で不快感を露わにする。
「……氷の足場で空中だって駆け回れるのに、とんでもない圧迫感ね……」
「それはそうよ。だってわたし達、ずっと頭の横に拳銃を突きつけられたままだもの。彼ならやろうと思えば、相討ち覚悟でどちらとも殺せるわ。それをしないのは単純に、まだ楽しみ足りないから、かしら?」
「……それで、ジャンヌからの連絡は? やっぱりまだ?」
マリーが頭を横に振る。
バーサク・ガンナーとの開戦後、すぐアナスタシア達はジャンヌと合流しようとしたのだが。
――ごめんなさい! こちらもっ……手一杯、でして! このバーサーカーを退けたら、すぐに向かいますから!
「すぐだなんて、相手が強いなら見栄を張らなくていいのに」
町の外で散発的に続く爆音から、その激しさはアナスタシア達も分かっていた。マスター達との通信も出来ない、応援は来ない。
そしてマスターから離れて行動している今、いくら燃費のいいアナスタシアでも魔力には限度がある。マリーも同様。宝具を発動させられるのは、たった一回のみ。
だからこそ練った。町の住民を逃がし、自分達だけでこの狂った銃使いを倒すための作戦を。
「……私は、まだ納得していないのだけど」
「あらあら。我儘も可愛いものだけど、こんなときくらいは我慢してね、アナ」
アナスタシアはそれ以上何も言わなかった。
代わりに、ヴィイを抱き締める。
「……それじゃ」
「ええ、行きましょうか! 華麗に、踊るように!」
ダン、と。それまでは軽やかだった硝子の白馬は、力強く空を蹴って急加速。目を覆いたくなるほどの眩い輝きを放ちながら、落下していく。
「おっと、こりゃマズイ……!?」
回避のため、バーサクガンナーが拳銃をホルスターに納めるが、そこで異変に気付いた。
足が見る見るうちに凍りついていくことに。
バーサクガンナーのステータスでも凍らされたとして、抜け出せただろうが……目的は足止めだ。
「ヴィイ!」
アナスタシアはヴィイを掲げると、目に当たる部分が青白く光り、噴き出した冷気が白馬を包む。
更に加速した白馬は、
作戦は簡単。
「今回だけの特別!
さながら巨大なレイピアだった。
硝子の美しさと、氷の残忍さを加えたその一撃の威力は凄まじく、ビリー・ザ・キッドに激突した瞬間、その半身を抉り、同時に周囲の建物ごとその肉体を凍りつかせていく。
それだけでは止まらない。
二人を乗せた白馬は宝具を維持したまま、再度空を駆け、形成された氷の天井を蹴る。
落下、往復する形。目標は勿論見えている。今も直下で凍って制止しているあの悪漢──!
「もう一回っ!」
ソニックブームを巻き起こすほどの加速を経て、白馬は地上に着地した。
凍った側から砕けていく、恐ろしい光景。蹄はビリー・ザ・キッドを完全に捉え、その衝撃たるや伝播した地面が脈打ち、ひび割れるほどだ。
仮に宝具を撃たれてもそれごと粉砕したと言えるほどの破壊力。
だが、
「ああ、そうかァ」
「……!?」
白馬の蹄に、臓器を踏み潰されながら。
ビリー・ザ・キッドはまだ、生きている。
それどころか、湿った音を立てて体が再生し続けている。
「牽制も無しの最大火力。僕みたいなガンマンに使うには過剰とも言える火力だけど……そういえば君達は、マスターが近くにいない。知ってるぜ? 人間が近くにいないと魔力供給すら覚束ない、だから短期決戦か、理に適っている」
「あな、た……何者!? 半身を抉られて再生するなんて……!」
「言ったろ? 僕は嫌がらせなんだ。簡単に消えちゃなーんにも面白くない。だから、この身体は
バーサク・ガンナーの瞳孔が縦に細長く変化すると、ずるるる、という粘ついた音と共に、右半身が一気に再生する。
まるで爬虫類の脱皮。
「……自分の霊基を改造して、竜の特性を取り入れたの!? っく!?」
がくん、と白馬が揺れる。ビリー・ザ・キッドが再生した腕で、白馬の蹄を受け止めたのだ。既にアナスタシアの
「改造されたのさ、あの魔女に。酷い話だ。勝手に呼んで狂わせておいて、トカゲと混ぜたんだぜ? 僕じゃ役不足だと言ってるようなもん、さ!」
ビリーは白馬の足を両手で掴むと、猛然と投げ飛ばした。
少年の体からは想像もつかない剛力。これも竜の力だというのか。
アナスタシアとマリーが宙に放り出される。その隙を、ビリーは見逃さない。既に手は銃にかけられて。
炸裂音が、木霊する。
「……?」
思わず。アナスタシアは目を閉じた。もしも撃たれるならば、銃で死に、それに恐怖するアナスタシアの方。だから痛みがやってこないことに、一瞬安堵して。
目を開けて、後悔した。
マリーの胸に、穴が空いていた。
どしゃ、と二人して地面に叩きつけられる。受け身も取らずに、ただ落下する。
「……マリー……?」
マリーが撃たれたのは左胸、心臓だ。だくだくと流れる血の量は一か所から流れる物とは思えないほど。天真爛漫な彼女の顔は苦痛に塗れていて、アナスタシアに名前を呼ばれてようやく、笑みを作る。
「だい、じょうぶ……まだ、動ける。ほら、立ってアナ」
撃たれた。マリーが撃たれた。
その事実が脳を痺れさせる。嫌でも過去がリフレインする。
あの時と同じ。
私は、私はまた生き残って、
「アナ」
ぎゅっと。マリーの指が、アナスタシアの袖を掴んだ。
急所を撃ち抜かれたとは思えない、力強さ。それが、アナスタシアの痺れを解きほぐす。
「分かってるでしょう? 言ったじゃない、さっき。こうなるかもねって」
それは二人で作戦会議をしたときのこと。
「――まぁ、ここまでやっても全滅することもあるわ、きっと」
「じゃあ駄目じゃない、この作戦」
数分前。バーサク・ガンナーをおちょくるように冷気を送りながら、アナスタシアはダメ出しする。
「最終局面ならともかく、少しでも頭数は揃えるべきよ。こんなところで死ぬのはそれこそ論外でしょう?」
「余裕があれば、それも出来るかもしれないけれど……あくまでそれは、彼がわたし達より弱ければの話。二人共生き残れるほどこの戦争、甘くはないでしょう」
アナスタシアもそれは理解している。
ろくな逸話が残ってはいない自分ですら、ヴィイという存在があるのだ。ビリー・ザ・キッドに同じものがないとは言い切れない。
「わたしの宝具をあなたの魔力で強化したとしても、そもそもわたしの宝具は対軍宝具。ビリー・ザ・キッドという英霊なら、素の宝具でも耐えられるわけがないの」
「……つまり、返しの一手が怖い?」
「そもそもわたしの宝具を無効化する宝具。彼はあくまで囮で、伏兵がいる、とか。戦争なら、考えられることは全部あり得るわ」
「だったらもっと考えましょう、マリー。宝具を闇雲に撃つよりは、もっと牽制とか、何処かに誘い込むとか……」
「だからこそ、なのよ、アナ」
マリーは、
「わたし達にとって有利に働くことがあるなら、そんなセオリーを無視出来ること。全てを使って、死んでも一人は退場させること。相討ちなら万々歳、二人生き残れたらもう最高!……全滅したなら、しょうがない。一度死んでるんだもの。マスターには悪いけど、ね」
「……、」
その誤魔化すような笑いは、今から悪戯を仕掛ける子供のものだ。だが、その瞳には確かな強さがあった。
彼女は命を落としても、やり切る覚悟がある。
「そんなの」
あんまりだ、とアナスタシアは思う。
死にたくないわけではない。
ただ、
「意味なく死ぬのは、嫌よね」
「……マリー」
「けれど、意味ならあるのよ。例えその時に意味がなくても。自分の死が、いつかは意味があるものになるって、わたしは知っている」
その言葉の意味を、アナスタシアは理解出来なかった。
それでも、感じ入るものはあった。
ならばせめて全力を尽くそうと、そう決めたのだ。
彼女を死なせないために。
「……あなたは、本当に強いのね」
「強くなんてないわ。可笑しいことを言うのね、アナは。わたし達は、強くないからここにいるの」
でも。
「そんなわたしでもいいって、そう呼んでくれた人のためなら、いくらでも頑張っちゃう。ただ、それだけなの」
そう。
だから、ここまでは予定の範囲内だと思い出した。
「……、」
アナスタシアが、気力を振り絞って、魔力を解放する。
まさかトラウマとも言うべき光景を目の当たりにして、動くと思ってなかったのだろう。バーサク・ガンナーは遅れて、アナスタシアの昂ぶる魔力に気付く。
だが、もう遅い。
「!? なんだ、氷だけじゃ、ない?」
パキパキ、とバーサク・ガンナーの腕を覆うのは、硝子。霊核を撃ち抜かれながらも、振り絞ったマリーの最後の力。
早撃ちはおろか、銃の使用を封じた。これでチェック。
「ヴィイ……全てを凍てつかせて、凍り尽くしなさい」
魔眼の全力解放。これこそ、アナスタシアの全力、
「悪いけど、それ、ナシね」
彼が何を言っているのか、分からないまま。アナスタシアは魔力を漲らせ。
目の前で、雷光が走った。
「ぐ、ッ、!?」
アナスタシアはそれが、銃を撃ったことによるマズルフラッシュだと、腹部に受けた三発の銃弾で無理矢理自覚させられた。
ヴィイの自動防御なんて到底間に合わないほどの神速。
銃撃。確かに封じた十八番。しかしビリーの凍結されたはずの腕は、氷と硝子の混合拘束を既に破壊して、自由になっていた。
アナスタシアは知る由もない。
……
ビリー・ザ・キッドが唯一持つ宝具。
その効果は、極度の集中によって周囲をスローモーション化、状況を把握した上で、斬撃、打撃、魔術、あらゆる
つまり、
「君、アクションが遅いよ。寝てても先撃ち出来る」
主の命令を聞いたヴィイが、宝具を発動させようとしても。
それは雷よりも遅く、音よりも遅い。
何も知らない華奢な少女は、地面を転がって民家の壁に激突する。
「う、……、っ、く……!」
「む。やっぱ急所じゃないと宝具の効果は落ちるか。銃で撃ち抜いただけなのに、そんな飛ぶとは、加減も考えものだなあ」
「何処が、加減、してる、のよ……!」
「
臓器に一発ずつ撃ち込んでおいてよく言う。
アナスタシアは口を覆ったが、せり上がった血の塊が手の隙間から漏れ出す。ぬるりとした生温かい感触が、嫌でも脳裏に過去を過ぎらせる。
凍りついた家族。
溶かされる死後。
……失敗した。
失敗、した。
(……妨害されたから、宝具を撃つ魔力は残ってる。でも、相手のアクションが速すぎて、私にアドバンテージがいくらあっても、どうしたって後手に回される。マリーの馬に乗ってないだけで、こんな簡単に当たってしまうなんて……)
違う、そんなことを考えてる場合じゃない。アナスタシアは真っ白な頭の中をシェイクするように頭を振る。
「君は、後だからね」
故にそれを、止められるわけ、なかったのだ。
バーサク・ガンナーは、マリー・アントワネットの頭を、銃で撃ち抜いた。
「……は、?」
頭の痺れがまたやってくる。現実に感情が追い付くまでに、一体どれだけかかるか。
対してバーサク・ガンナーは無邪気な笑いを隠さない。
「く、ふ。くふ、あは、あははっ、あははははははははははははははははは!!」
まるで可笑しくて仕方がないと膝を叩くように、ダンダン、と更に二発マリーの頭に銃弾を撃ち込んだ。
「ヴィイッッ!!」
怒りが、麻痺も現実も追いやる。
アナスタシアは周囲の被害も何も考えず、全力で冷気をバーサク・ガンナーに解き放つ。
瞬く間に広がる冷気は怒涛の勢いで襲いかかり、しかし稲光がその向こう側で起こる。
ダメ出しの三発。急所に幾らでも撃ち込めるだろうに、またも腹部に殺到する弾丸に、アナスタシアは最早動くこともままならない。
集束した冷気が消え失せる。
「そう騒ぐなよ。見慣れてるだろ、人が撃たれてるところくらい」
「……マ、リー……っ」
ドレスを引き摺りながら、アナスタシアは手を伸ばす。
無意味な死になんてさせないと誓った。
こんな奴に、こんな場所で、何も果たさずに死なせはしないと、そう決めて。
「ねえ、アナスタシア皇女。君、なーんでキャスターなんてやってるの?」
そんな疑問が、頭上から飛び込んできた。
「……は?」
「いやさ、疑問だったんだよ。君みたいにすぐ氷を飛ばしてくる女は、それこそ復讐者がお似合いだ。逸話からして、人を憎んでも可笑しくない。なのになんで君は、キャスターなんて普通のクラスで現界したのかなって。そんなご立派な使い魔がいるなら、もっと質の悪いサーヴァントになれたろうに」
「……知った、ことですか」
「君、ホントは復讐なんてどうだっていいんだろ?」
…………。
「復讐がしたいんなら、使い魔に頼りっぱなしのキャスターなんかお呼びじゃない。少なくとも、キャスターなんかで召喚される器じゃないだろうに。つまるところ、本気じゃないんだよ、お前は。マスターに従わないのだってそうだろ?」
「……ち、がう……私は……っ!」
自分はそうではないと言うのは簡単だ。
ただ、アナスタシアは現にバーサク・ガンナーに勝てない。ヴィイという優秀な使い魔がいながら、彼女は力任せに魔力をぶつけることしか出来ない、ただの少女でしかないのだ。
「いいからそこで見てなよ」
させるか、とアナスタシアがヴィイに命令を飛ばそうとするが、身体は動かない。
むしろ身体が震えて、アナスタシアは動けなかった。
重なる。
過去と今、まさに同じことが起ころうとしている。
バーサク・ガンナーが銃をマリーの頭部に添える。
「マリー・アントワネットの処刑だ。生で見られることなんて、二度とないぜ?」
そして、引き金が引かれる。
「……さっきから。置いてけぼりなんて、酷い、わ」
直前に。
光が、差し込んだ。
「なに……!?」
死に体だったはずのマリーに放たれた弾丸は、光と共に弾かれた。それどころか、光が広がると共にバーサク・ガンナーは何かに吹き飛ばされ、逆にアナスタシアはその光に包まれる。
傷口を凍らせたアナスタシアの目に見えたのは、水晶の宮殿だった。調度品、美術品、照明に至るまで水晶のそれは、見たことはないが、聞いたことはある。そう、確か。
「
「マリー……!」
生きていたの、と声を目で追って、アナスタシアは絶句した。
何故なら、水晶のソファーに腰掛けたマリーの輪郭が、徐々に薄れていたからだ。なのにその表情は安らかで、まるで日を浴びているだけのようにも見えて。
キャスターだからこそ、アナスタシアは彼女が何をしているのか、分かった。
「自分を構成している魔力で宝具を!? そんなことをしたらあなたは……!」
「いいの。どうせすぐ消えちゃうもの、わたしは……」
マリーの額から血が流れ、霧散する。それだけではない、心臓などもぽっかりと穴が空いたまま、血は流れていなかった。霊核を何回も撃ち抜かれた今、そういう機能も停止してしまったのか。
「マリー、撤退しましょう。そんな無茶苦茶なやり方で発動させても、この宝具はそう保たないでしょう? だから解除して」
「いいえ、アナ。これはあなたと最期にお話したくて、発動させた宝具だもの。それに」
ズン、と水晶宮が揺れる。
外部からの攻撃。バーサク・ガンナーに、この宮殿を震わせるほどの力はない。つまり、
「援軍が到着しちゃったみたい……そんなに時間もないわ、きっと。だからもう、これはお話じゃなくて、お願いね」
ぎり、とアナスタシアが歯を思わず噛んだが、マリーは取り合わない。
「ねぇ、アナ。復讐は否定しないけれど、それに従い続けるのは難しいこと。キャスターで現界してるあなたなら、とっくに分かっているはず」
「それこそ、あなただって分かってるでしょう、マリー! 恨む理由が分かるなら、こんな無意味にあなたを終わらせたくはないの!」
「無意味なんかじゃないわ。無意味なんかじゃ、ないの」
意識も虚ろだろうに、マリーは喋ることを止めない。
「でも、そうよね。あなたはそこまで強くなれないまま、死んでしまった。だから、理解なんて出来ない」
言葉は声にならない。
フラッシュバックする。
誰も彼も死んだ、あの時が。
思わず、アナスタシアはその手を掴んだ。
祈るように、その手を自分の額に擦り付ける。
「何も言わなくていい。ここで死なない、死なせない。そのために応じたの。こんなことを二度と起こさせない、だから、私は……!」
「……ご家族のときとは違うのよ、アナ。わたしはただの友人。出会って一日、それだけの」
「一緒よ! あなたも、
だから、
「昔も今も、私は、わたくし、は……」
何も出来ない、子供のままだ。
手から伝わるこの熱が、逃げていく様を。
ずっと見ているだけの。
ただの、子供だ。
「……そうね。ごめんなさい、嘘をついちゃった、わたし。本当は、本当はね。少し、後悔してるの。どうしてあなたと、もう少し早く出会えなかったのかなって」
お互い世界を救うために呼ばれた。
だからこんな感情は、多分不要で。
でも、
「焚火の前でお話したのも、この町で遊ぶように斥候したり、食べ歩きしたのも……本当に楽しかった。出会ってすぐでこんなに楽しかったなら、もっと一緒にいられたら、きっととっても素敵な時間を過ごせたんじゃないかなって……そう、思ってしまうの」
「……私もよ、マリー」
本当に楽しかった。
そう、言い切る前に。
マリーが告げる。
「――彼は、
「……、」
それは、唐突な言葉だった。
……だというのに、何のことか、誰を指しているのか、嫌というほど分かった。
でもどうして分かったのかと聞く前に、首をぐい、と引っ張られて、そのまま放り投げられる。
硝子の馬、マリーの愛馬だ。その背に乗せられた時には、馬は走り出していた。
宮殿の外へ。
「マリー!」
名を呼ぶ。同時に、宮殿の天井が砕ける。
見えたのは、恐ろしい邪竜。水晶の宮殿よりも更に大きな巨体。あれがファヴニール。
マリーは崩れ落ちていく宮殿の中でも、そよ風を浴びているようで。変わらず、手をこちらへ振った。
「サリュ、アナスタシア皇女。……どうかあなたのその瞳に、星の輝きが宿りますように!」
そして。
マリー・アントワネットは、笑顔のまま、邪竜に踏み潰され。
アナスタシアの中で、また何かが割れて、砕け散った。
「……………………………………、」
僅かな浮遊感と、臀部に衝撃。マリーの愛馬が役目を終えて、主の元へ帰っていく。
静寂は一瞬だった。空が暗くなり、唸り声が響く。
ファヴニールだ。
マリーの命を奪った奴が、宮殿を踏み潰したまま、アナスタシアの目の前まで来た。
アナスタシアは。
睨みさえしなかった。
憎いという感情さえも消えてしまったように思える。
「いい目ね」
ぴく、とアナスタシアの肩が動く。
声は頭上。声の主はファヴニールの頭に乗ったまま、嘲笑を隠さなかった。
「復讐なんてしたこともないお嬢さん。これが、戦場よ。虐殺よ。無駄死、犬死、そこら辺に転がっている理不尽の一つ」
声、ジャンヌオルタは、
「マリー・アントワネットはここに死んだ。何も得ず、何も守れず。ただ一人、お前を除いては」
「……私を殺す気?」
「
ねえ、と。
竜の魔女は語りかける。
「思いっ切り、出来るのだもの。きっと私よりも苛烈で、凄まじくて、怖気が走るような殺気を、私に叩きつけてくれるのでしょう。あははっ、楽しみで仕方ないわそんなの! サイコー過ぎて、今ここで殺したくなるくらい!」
でもそれではもったいない。
尻餅をついたアナスタシアを見下したまま、ジャンヌオルタは宣言した。
「来なさい、アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァ。お前の憎悪を滾らせて、私を凍り尽くしてご覧なさい。そうしたら……あなたの心臓を穿ち、墓標を作ってあげる」
ファヴニールが翼をはためかせる。
それだけで瓦礫は吹き飛び、巨大な竜は飛び上がると、あっという間に空へ消えていく。
そうして、アナスタシアだけが残った。
「………………」
アナスタシアは、表情一つ変えなかった。
自分の中で割れて、散っていったそれが、アナスタシアには何なのか分からない。
ただ、拾い集めないといけないと思った。
生前もそうだった。ただ拾い集める前に死んでしまったから、再構成されただけのこと。
少女は、それが何なのか分からない。
故に。
「やっ、どう? 元気?」
その声が、聞こえたとき。
アナスタシアの中で、何かが、渦を巻き始めた。
「おや、ひっどい顔。まあ銃で撃たれたならそうもなるか。ははっ、そうだったそうだった。君はどっちかと言えばそっち側の人間だものね」
ぺらぺらとそれが喋る度に、アナスタシアの中のものが、かき混ぜられていく。
それは、感情だ。
アナスタシアという少女の核であり、隠したかったものであり、従えなかったもの。
「うーん……契約を破るけど。目の前のご馳走をほっとけないよね?」
憎悪。
それを認識した瞬間。
ヴィイのないはずの目が、裂くように、開いた。
「うばった、な」
「あ?……!?」
魔力が、吹き荒ぶ。
異様なまでの魔力の放出は空へ立ち昇り、やがて天候すら変えていく。
雪。それも猛吹雪だ。牧歌的な街はあっという間に銀の世界へ変わっていく。
「また、うば、ったな」
まるで自分の声ではない、低く、地の底から響くような声だった。
なのにそれは、嘘偽りない本心だった。
それを発信するには、呪い殺し、奪い殺すためだけのシステムがいる。
「ヴィイ」
アナスタシアの体が浮かび、薄い膜を形成。瞬く間にそれは膨み、風船のように大きくなっていく。
そうして生まれたのは、巨人。
それはアナスタシアがいつも宝具を発動するときに現れる巨人。しかしサイズが桁違いだ。天を突く勢いで膨れ上がったそれは、最早巨人という形容すら正確ではない。
悪魔。
極寒の冬をもたらす悪魔が、フランスの地に顕現した。