もしも第一部にアナスタシアを最初に召喚したら略して『ぐだアナ』 作:388859
町に着いた藤丸達は、すぐにその巨大な影に気付いた。
翼を広げ、町を飛び去っていく巨大な竜。
さながら城がそのまま動くようなスケール。それまでのワイバーンが所謂雑種だということを再認識させられる莫大なプレッシャー。
あれが、ファヴニール。
フランスの人々を襲い続けるワイバーン達の親玉。ニーベルンゲンの歌、あるいは北欧神話において絶大な力を誇った怪物。
……
「なん、だ、あれ……?」
ごうごうと唸る吹雪。
それを中心に起きる魔力の爆発は、凄まじい勢いで町を駆け抜け、全てが凍りついていた。
局所的な豪雪はそれ自体が威力を持つようで、立っているのもやっと。目も開けられないほどの雪に慣れるまで約三秒。
戦争跡のような銀世界に屹立しているのは、青黒い巨人。
サイズだけならファヴニールと対を成すと思われるくらいの超巨大な巨人は、仄暗い光を持った目を血走らせる。
「■■■■■■■■■■■■……」
それが発するのは言葉というより、音に近かった。隙間風が吹くような、悪魔の笑いのような、不気味な高い音。雪が白い線となって乱舞する中で屹立するそれは、生物として余りに異質。
ファヴニールは確かに、恐ろしかった。生物として頂点に位置する命として、本能的に藤丸はそれに恐怖した。
だが目の前のこれは、その対極。フォルムはぬいぐるみをそのまま巨大化させたようなもので、ファヴニールに比べるべくもない。しかし、藤丸の理性が語りかけるのだ。
これを、野放しにしたらいけないと。
「………■■」
ビキィ!!、と亀裂の入るような音が、鮮明に藤丸の鼓膜を叩いた。瞬間、巨人の周囲で雪に埋もれそうだった家屋が幾つも崩れ、氷の欠片となって吹雪へと失せていく。
「……間違いない。この反応と、今の魔眼。あの巨人は、アナスタシアだ」
「あ、あれが!?」
思わず藤丸はロマンに聞き返す。
「アナスタシアの反応と通信機の位置はあれを指している。それに彼女の魔眼は、因果を捻じ曲げて弱点を生み出すもの。ただの凍結で建物が砕け散るなんて現象、魔眼の力でもなければ不可能だ」
「……で、でも、なんで? あれがアナスタシアだとして、あんな力があるなんて一言も……!」
「僕だって分からない。何らかの要因でアナスタシアが暴走しているんだろうけど、こんな大質量まで霊基を改造したら、魔力が尽きるとかそんな次元じゃ……」
こうなった原因は何なのか、探ろうとした時だった。
巨人の目が、こちらへと向けられた。
「! 皆さん私の後ろへ! 疑似宝具、展開!!」
続くマシュの詠唱は、とんでもない暴風によって掻き消された。
三メートルの高さを誇る雪崩はマシュの宝具によって防がれるが、その勢いたるや、激突と同時にマシュの体が斜めに崩れかけるほどだ。
「マシュ!」
「大丈夫です! しかしっ……そう、長くは、保ちません! 急いで退避を!!」
「……退避って言ったって……!」
藤丸が見回すが、雪崩の範囲が広すぎて、一番安全なのはむしろマシュの後ろ以外どこにもない。
万事休す。
「いえ、皆さんそのままマシュさんの後ろに!」
ばさ、と藤丸の頬を旗が撫でる。
ジャンヌだ。彼女も誰かと戦っていたのか、鎧が陥没し、乾燥した血が金髪に残っている。
いや彼女だけではない。
白い外套を羽織い、竜を模した肩当てをした男は、ジャンヌと共に並び立つと腰の直剣を引き抜いた。
「
絶望的な雪崩を裂く、一筋の光。
それは攻撃ではなくあくまで守護。マシュの宝具を包むように、光は雪崩を寄せ付けず、真っ向から押さえつけた。
宝具の真名、そしてその効果。そう彼こそが、
「まさか、君はゲオルギウスか!?」
「いかにも、顔の見えない魔術師殿のおっしゃる通り! しかし今はここを離れるのが先決です! 藤丸殿、失礼!」
「へ? うお!?」
男、ゲオルギウスは藤丸の首根っこを掴み、強引に持ち上げたかと思えば、何かに乗っかっていることに藤丸は気づいた。
白馬だ。ゲオルギウスの愛馬か。
「皆さんこちらへ! 私が先導します!」
必要最低限の言葉だけで、ゲオルギウスは馬を走らせる。この吹雪の中だというのに、白馬は一切の迷いなく全力で銀世界を走り抜ける。
揺れる視界の中で、サーヴァント達がついてきているか藤丸は不安だったが、それは杞憂だった。巨人の追撃もないまま、藤丸達は馬車を止めた街の入り口まで戻った。
「っとと……ありがとう。えーと、ゲオルギウス」
「いえ、礼には及びません。むしろ緊急時とはいえ、乗馬の経験もないあなたには酷だったでしょう」
今も平衡感覚がぐっちゃぐちゃだなんて言えないので、苦笑いだけ返すと、続々とサーヴァント達が退却してくる。
全員いることにホッとしている藤丸の代わりに、ロマンが尋ねた。
「それで、ゲオルギウスとはいつコンタクトを? 確かにこの町にいるとは聞いていたけど、ジャンヌと一緒にいたなんて」
「顔の見えない魔術師殿の疑問は最もですが、なに、簡単なことですよ。私がこの町の人間を外に逃している間に、彼女達が町を守ろうと戦った。会話こそしませんでしたが、命を懸けて戦う姿は私にも見えていました。ならば助太刀するのは当然です」
「彼女達、というのは……アナスタシアとマリーで間違いないかな?」
「ええ。ですが……」
ゲオルギウスが言葉を濁す。
それだけで、藤丸にも結果は分かった。
当然、目敏い彼にも。
「マリアは死んだ。だろ、ゲオルギウス?」
「……アマデウス」
「気にすることないさ、マスター。マリアはそういう女だ。戦争なんだ、こうなることも目に見えてはいた……二度目でも、辛くはあるけどね」
何てことない、と言う彼の目に、涙はない。
やるべきことがあると、目は語っていた。
「それよりもアナスタシアだ。どうしてああなった? ファヴニールもトンズラするレベルのデカさだったぜ? ああなれるって君は知ってたのかい、マスター?」
「……宝具とかじゃないと思う。彼女のステータスやスキルは確認したし、該当するものは無かった、はず」
発動したことのない宝具もあったが、あれは宝具の名前からして彼女自身が巨大化するものではないだろう。
「……恐らく彼女は、自身のクラスを無理矢理変質させようとしているんだろう。何のためにかは分からないが」
そのロマンの言葉に、サーヴァント達が色めき立つ。
知識のない藤丸でも、それがまともな行いではないことは察しがついた。
「ど、どういうこと?」
「サーヴァントは基本的に七クラスに割り振られて現界することは、藤丸くんも知ってるね?」
サーヴァントは過去の英霊達を召喚した者だが、英霊そのものを召喚しているわけではない。聖杯にそこまでの力はなく、その英霊の持つ一つの側面を器にして、英霊のデッドコピーを召喚しているに過ぎない、だったか。
「つまり、召喚された英霊のクラスを変えることは、原則的に無理だ。しかし彼女にはその無理を可能にする、己の願望を叶えるスキルがある」
「……シュヴィブジック?」
確か、精霊であるヴィイのスキル。小さな不可能を可能とするスキル。
「でも、それでこんなことが出来るの? だってあれは、悪戯くらいにしか使えないって」
「ああ、無理だ。あくまで小さな不可能を可能にするスキル。起こせる奇跡なんてたかがしれている。だがそれでも願ったんだろう。それこそどうなってもいいという覚悟で。そしてヴィイは霊基の改造を始めた。ただ一度始めれば変化は止まらないし、終わらせることも出来ない。だからあんな黒い巨人のような姿となったんだろう。だが」
ロマンはそれこそ医者らしく、重い口調で告げた。
「明らかに暴走している。あの調子ならアナスタシアの霊基はあと数分と保たない。この町が雪に埋もれるのが先か、自壊するのが先か、二つに一つだ」
どうすればいい、よりも。
何故こんなことに、という疑問が藤丸の中では勝った。
決して戦いを楽観視していたわけじゃない。
だが、
(……何処で、間違えた?)
マリーは死に、アナスタシアも直に死ぬ?
自分が何かを間違えたのならば、後悔もしようがある。
しかし、全員が納得して挑んでこうなってしまえば、原因なんてない。
単純に、そうなったという事実しか残らない。
「……どうして……」
魔力渦巻く豪雪の中、藤丸は独りごちる。
彼女は、アナスタシアは強い人間だった。狂化英霊に囲まれても物怖じせずにあの黒いジャンヌを言い負かすほどの気性。確かに不安定で、儚い印象もあったけれど。そんな印象と同じくらい強さが、冷徹さがあった。あったはずなのに。
何故……。
「多分、マリーが目の前で死んだからさ」
「……え?」
藤丸は目を丸くする。
こんがらがっていた感情が、一瞬でほどけていく。
「……マリーが、死んだから? それで、ここまで?」
だって彼女は復讐のために、カルデアに来たのではないのか。
それ以外のことはどうだっていいから、あんな態度を取っていたんじゃないのか。
そうでないなら、何故。
「ああいや、そうか。君は知らないのか、彼女がどんな話をしているのかも。いつも離れているし」
アマデウスの言う通りだ。
藤丸はいつもアナスタシアとは一定の距離を置いていた。自分がいては気まずいだろうから、と。だから彼女が誰とどの程度仲が良いのか、分からない。
だから、たった一日であっても……マリーとアナスタシアの方がよっぽど分かり合っていたのも、事実なのだろう。
「……だから言ったじゃないか、復讐なんてろくなことにならないって。皇女なんだから」
そう。関わった時間が短すぎて、振る舞いが鮮烈過ぎて忘れていたこと。
彼女はロシアの皇女。戦争どころか剣も握ったことのない、ただ力を持った少女。
同じなのだ、藤丸と。
藤丸はそれすら、分かってなかった。
だから、こんなことになってしまったのだ。
「■■■■■■■■……!」
彼女のことは何も知らない。
だから、これも見当違いなのかもしれない。
それでも、この込み上げる感情は、無視していいものではなかった。
「……ドクター」
「アナスタシアを助けたいって言うんだろ?……すまないけど、許可は出来ない。これは所長代理としての判断だ」
その決定に、マシュがたまらず反論する。
「そんな……! ですが、アナスタシアさんは貴重な戦力です! 今失うわけには!」
「救助が間に合うかは五分五分。そもそも今の彼女は魔眼を全方位に放つ怪物だ。近づこうにも近づけない。藤丸くんが魔眼の効果を受けたら、その時点でどんな攻撃も致命傷になりうる。この巻き起こる吹雪ですら、だ」
だが、とロマンは説明する。
「逆にこのまま退却すれば、彼女は勝手に自壊する。アナスタシアの力は惜しいけれど、今はそれよりもこれ以上の犠牲を出さないことが肝要なんだ。それに……彼女はあくまでカルデアと契約したサーヴァント。いざとなれば、再召喚だって」
「ドクター!!」
「残酷なことを言っているのは分かる。それでも、今はデメリットが多すぎるんだよ」
マシュが食いかかるが、ロマンの言うことに間違いはない。
既にサーヴァントが一人退去し、もう一人は暴走している。これ以上の損失は大きすぎるから退却すべき。
……理屈は理解した。
でも。
じゃあどうして、こんなにも、目の前の彼女から目を離せないのだろう。
「……■■■……■■■■■……■■■■■■■■……!」
甲高く、吹き付ける風。
遠くから大気を震わせる音は断続的で、聞き苦しくて。
それは、まるで。
「……泣いているんです」
「え?」
「アナスタシアが、泣いてるんです」
右の拳を握り締める。
赤い痣。彼女との繋がりなんて、これしかないけれど。
「俺達のために、身体を張って戦ってくれた人が。後ろで突っ立ってることしか出来ない俺達のために、戦ってくれた人が。苦しくて、泣いてるんです」
これしかないから、それだけは手放してはいけない。
「ごめんドクター。俺は、アナスタシアを助けたい」
これは、誰にも譲ってはいけない。
「俺は。彼女のマスターだから」
例え絆なんて、欠片も無かったとしても。
ここで見捨てる理由になんて、なりはしない。
「……ドクター。アナスタシアを助ける方法は?」
一拍だけ置いて、通信が返ってきた。
「……昏倒させるのが一番早いと思う。あの巨人は、言わば魔力の塊だ。アナスタシア本人が変化しているというより、風船みたいに巨人が膨らんでいるに過ぎない。本体はあの中。表皮の巨人を突き破って中に入り、彼女の意識を刈り取る。それだけで霊基の改造は止まるはずだ」
「つまり、あの巨人にゼロ距離まで近づく必要がある。だよね?」
「ああ。だけど簡単なことじゃない。無差別に放っているあの魔眼の範囲を突破し、近距離で宝具クラスの火力を放つ必要がある。だがそもそも、あの巨人の表皮を削り取る火力なんて、こっちでは限られる」
「あら、
ざく、と靴をスパイクのように地面に突き刺してきたのは、エリザベートと清姫だ。
「アタシ達の宝具が合わされば、氷の城モドキなんて木っ端微塵よ。ていうか早くやらせなさい。こちとら竜なんだから寒いとこは苦手なの! ハリアップ!」
「わたくしは別にそんなことはありませんが、ますたぁ様のためですもの。ええ、わたくしは別にそんなことは、ありません。絶対に」
「あっうん、そだね。そういうことにしとくよ」
念押しする清姫をなるべく刺激しないよう、藤丸は目を逸らす。
ならば、とゲオルギウスが提案した。
「藤丸殿の守護はマシュさんとジャンヌ・ダルクが。その間にエリザベートと清姫の宝具で巨人の表皮を破り、あとは私が昏倒させる。どうでしょう?」
「それなら伴奏も必要よね? とっておきのがいるじゃない、ほら、指揮棒持ってる奴が」
にんまりと笑って、エリザベートが指差したのは。
アマデウス。
「……おいおい、勘弁してくれよ。ただでさえマリアのことで傷心中だって言うのに……」
「よし。どうドクター? 行けそう?」
「おい僕の意見は無視か?」
アマデウスはともかく。
「……それしかないか。作戦は了解した。だが、時間的にもトライは一度だけだ。それ以上時間をかければ助け出せてもアナスタシアの霊基が自壊してしまう。失敗した時点で、みんなマスターの安全を最優先に考えてくれ」
全員が頷く。
今なお慟哭する巨人を見据えて、藤丸は頭を下げた。
「みんな頼む。アナスタシアを、助けてくれ」
ロマニ・アーキマンはすっかり冷めたコーヒーで喉を潤したが、どうにも気分は晴れない。
「……ほんとに大丈夫ですかね、こんな作戦で」
そう言ったのは、コフィン管理担当のムニエルだった。金髪にふくよかな体型の彼は、呆れたように。
「シンプルで強力ならそりゃ一番ですけど、今回失敗したら俺ら今度こそ後がないですよね? なのに」
「本人がやるって言ってるんだ、ここは任せよう。むしろ大変なのは僕らさ。アナスタシアの霊基修復は僕らに丸投げなんだからね」
そこで、はぁ、とロマニは嘆息する。
「疲れたんなら休んだ方がいいですよ、所長代理。昨日から寝てないんでしょ?」
「……藤丸くんが、彼女のマスターであることからよく逃げなかったなって。ただそれだけさ」
「あー、それで切り捨てる判断しちゃった自分が恥ずかしくなっちゃった的なことすか。所長代理ってそういうの気にしますよね、結構」
「一から十まで説明されると余計情けなくなるからやめない?」
ロマニからすれば。
アナスタシアを見捨てようが見捨てまいが、正直どっちだっていい。あの火力は惜しいが、必須というわけではない。それを決めるのはカルデアであり、藤丸はただの現地調査員のようなものだからだ。彼の意志を無視しても良かった。
それでもなお、藤丸の意志を尊重したのは。
――俺達のために、身体を張って戦ってくれた人が。後ろで突っ立ってることしか出来ない俺達のために、戦ってくれた人が。苦しくて、泣いてるんです。
「……君にそれを言われると、助けるしかないじゃないか」
何の力もない少年の双肩に、自分達は全てを懸けた。
何も出来ない? とんでもない。彼は無理矢理この舞台に立たされたのだ。憤慨こそすれど、何も出来ないと嘆かれては、こちらの立つ瀬がない。
ならば、精一杯助けるしかないのだ。
彼がやりたいことを、ちゃんと終わらせられるように。
「……とはいえ、やっぱりこれはどうだかなぁ……」
「どうですかねぇ……」
そう言うロマニとムニエルの目はモニター。
あの巨人の真正面に立つ、藤丸立香の姿があった。
暗く、昏く、苦楽。
ここで思い出すのはいつもそればかり。
苦しかったことも楽しかったことも、ここでは等価値だ。
心地いい憎悪が快楽になって、気色悪い快楽が憎悪になる。
復讐とはそうだ。
まともではいられない。目を突き破るほどの感情が荒れ狂い、自分を変質させていく。アナスタシアという外殻が崩れ、その業が顕になっていく。
だから。
憎い、
この怒りを抱えて、どうして人でいられよう。
だから報復するのだ。
誰だっていい。
そうしないと息をするのも辛い。
こんなもの、
(うばったな)
解き放てば楽になれる。
この世界はいつだってそうだ。
幸あれ、という願いを踏み荒らし、どうか、という愛を踏み潰す。
(奪ったな……!!)
感情は激しさを越え、震えるような寒さを覚えるほど、穏やかになっている。
激情が浸透し、燃えるような憎しみだけが、体に沈殿していく。
アナスタシアという少女が、消えていく。
その時だった。
「……?」
ちか、と目蓋に当たったのは、か細い光。
それは灯台ですらない、松明のような赤い光だ。
暖かな、しかし爪先を焦がすような熱。
その目障りな光に、アナスタシアは既視感があった。
だが今となってはどうだっていい。
その光から視線を外し、
「――――令呪を持って命ずる」
ずっと、何が出来るか考えていた。
「……アナスタシア」
白馬、ベイヤードから降りた藤丸は、真正面のそれに呟く。
青い巨人。人形のような見た目のそれは、今も息をする度に吹雪を起こし、魔眼の影響は止まっていない。
あと半歩進めば、少年はこの吹雪が掠るだけで凍り付き、圧死するだろう。
だというのに、藤丸は一歩も引かない。
「ごめん。俺はずっと、君に何もしてやれなかった。会話も、挨拶も、筆談だって上手くいかなくて。でもそれでいいんだって思ってた。ゆっくり仲良くなれば、それで」
けれど、
「何も良くはなかったんだ。ここは戦場で、ゆっくりなんてしてたらあっという間に死ぬ。俺は、何も知らないまま誰かを失うなんて嫌だ。もう二度と、そんなの味わいたくない」
だから、ここから始めよう。
何が出来るか、考えた。
自分に出来ることがあるとすれば。
それはまず、目を見て話すことだ。
「令呪を持って命ず」
右手を掲げる。
「――――俺を見ろ、アナスタシア」
令呪の閃光が、豪雪を切り裂いて、その効果を発揮する。
恐ろしいほどの静寂。
雪も、風も、鳴り止んで。
刹那。
ゴォゥッ!!!、と。
魔眼が、藤丸立香を睨んだ。
「
「
マシュ、そしてジャンヌが宝具を発動させ、藤丸に襲いかかる魔眼と冷気を抑え込む。
騎士王の
だが。
「ぐ、う、ううう!! うううううううッ!!!」
マシュが苦悶の声を上げる、結界が徐々に徐々にだが、凍りついていく。
聖剣の攻撃には程遠いが、しかし。
「アナスタシアの宝具は、因果率にすら作用して弱点を作り出す! どれだけ堅牢な盾であろうとも、あの魔眼に晒される限り、内側から崩れていっているようなものだ! あくまで防御するしかないマシュとは相性が悪すぎる!」
「でも、時間は稼げる!!」
半ば悲鳴をあげるロマニに、白い息を吐きながら藤丸は礼装の術式を発動させる。
一つはマシュに回復、そしてもう一つはアナスタシアの真横の。
「頼んだ! 清姫!!」
サーヴァント一騎の大幅強化。
魔力を迸らせる清姫は扇子を勢いよく開いた。
藤丸は囮。今ならどれだけ近付こうとも、魔眼は令呪によって主へと向けられている。
「ええ、マスター。あなた様のためならば」
「ぬぬぬぐ……アタシが脇役なんて納得いかないけど、今回だけは見逃してあげる。
それじゃあ、ラストナンバーよ!
「……僕の人生において、今日ほど音楽家であることを呪ったことはないよ……ホントにね!」
げんなりしたアマデウスの横で、エリザベートがマイクスタンドのように、槍を雪に覆われた地面に突き刺す。それにより地面から召喚されたのは、アンプがびっしりと設置された城。
魔力を炎に変換する清姫と、息を限界まで吸い込んだエリザベート、そして本当に嫌そうにアマデウスは同時に宝具を発動させる。
「転身火生三昧!」
「
「……
とぐろを巻いて極寒の世界に顕現したのは、竜。
大蛇にも似た形のそれは己の体を炎にし、巨人の腹部に巻き付き、焼き尽くす。
清姫の宝具、転身火生三昧。それは己を竜に変化させるものであり、体長だけならアナスタシアの巨人にも劣らない。
礼装によって強化された竜は、巨人の腹を見る見る内に削っていく。
そこへ。
かつてないほどの
「La……!!!」
物理的な破壊力を持つ怪音波は、ドリルのように更に巨人の体表を削っていく。
巨人が魔眼を清姫やエリザベートに向けようとしても、無駄なことだ。令呪によって視線を固定されている彼女には、魔眼を藤丸立香から外すにも時間がかかる。
平時ならともかく。今の激情に駆られた彼女では、少なくとも数テンポは要する。
あとは腹部から摘出したアナスタシアを、ゲオルギウスが昏倒させるだけでいい。
ただし、それはこちらが保てば、の話。
「く、……!?」
ビキ!、と亀裂が入るマシュの宝具。一度入った亀裂は凍った湖面のように、あっという間に広がっていく。
更に状況は動く。
「、アナスタシアの霊基反応、急激に低下! 不味い、もう数十秒も彼女の体がもたないぞ!」
「そんな……!?」
このままだとマシュとジャンヌの宝具が破られるのが先か、アナスタシアの魔力切れが先か。
いや。
「ジャンヌ、君も攻撃に!!」
「で、ですが! それでは守りがマシュ一人に!」
「マシュなら大丈夫! 俺は、マシュなら大丈夫だって信じてるから!」
ジャンヌは一度逡巡したが、即座に頷いた。
「……分かりました。では、マシュ。マスターを頼みます」
「は、い……アナスタシアさんを、お願いします。ご武運を!」
たん、と彼女の姿が消える。
瞬間。マシュの細い体が藤丸まで押し戻された。
慌てて藤丸はマシュの体を両手で支えた。
「お、っと……!」
「す、すみませんマスター! 危ないのでもう少し後ろへ!」
「大丈夫。それよりも、支えてるから、頼んだ」
「……はい! 絶対に、ここから後ろには下がりません!」
亀裂は走る。
それを見てもなおマシュの盾を持つ手は、力強かった。
藤丸は巨人を見る。
あとはもう、間に合うことを祈るしかない。
藤丸は、拳を握って、ただ耐える。
自分はマリーが、どう死んだかは分からない。
けれど、あの冷静な彼女があんなに怒っているんだから、きっと酷い死に方だったのだろう。
「……ありがとうございます、マスター。私を行かせてくれて」
ジャンヌは走りながら思わず呟く。
全身鎧のバーサーカーと戦いながらも、彼女の最期の言葉は、ジャンヌにも聞こえていた。恐らくマリーはジャンヌにも聞こえるように、通信機を持っていたのだろう。
――無意味なんかじゃないわ。無意味なんかじゃ、ないのよ、アナ。
ジャンヌには、その言葉の意味が分かる。
けれどアナスタシアには理解出来なかったのだ。戦場に出たことも、皇帝でもなかった彼女には。
「あなたは……知らないといけないんです、アナスタシア」
彼女の言葉の真意を。
ジャンヌは声を荒げた。
「ゲオルギウス!」
「ジャンヌ!?」
ゲオルギウスは驚いたが、
「私がアナスタシアを助けます。助力を!」
「……分かりました。ならばその役目、あなたに託します。ベイヤード!」
霊体化を解いたベイヤードにゲオルギウスは飛び乗り、そのまま最高速で今も巨人の腹部に巻き付く清姫に乗り上げる。
「清姫殿!」
「……!」
察した清姫は巨人の腹部を一段ときつく締めると、竜化を解除。ギリギリのタイミングでベイヤードは飛び降り、ゲオルギウスは直剣を引き抜いた。
「汝は竜……」
巨人の腹部に現れる紋章。それはゲオルギウスによって付与された竜の特性。
一見利敵にも見えるそれこそ罠。彼はこのフランスにおいて、もう一人のドラゴンスレイヤーにして聖人。
その彼が、竜に向けて直剣を振りかぶる――!
「害意と悪意を乗り越えて! 行くぞ!
光り輝く十字の剣閃。
青白い巨人の腹を見事に解体され、本体であるアナスタシアが露出する。
ゲオルギウスは落下しながら、巨人の体をベイヤードで蹴りつけた。
「今です!!」
「はああああ!!」
疾駆したジャンヌは落下してくるゲオルギウスへ飛びかかり、その肩を足場に更に跳躍。放物線状というには速すぎる弾道で、ジャンヌは投石のように旗を振り下ろした。
「いい加減、泣くのはやめなさい、アナスタシア!!」
ッゴン!!、と。拳骨を何倍も重くしたような一撃。
それだけだった。
それだけで青白い巨人は、どろりと溶けて、形を無くした。
あれだけ吹雪いていた風も何もかも、悪い夢だったと言わんばかりに、消えた。
「っと……」
ジャンヌは旗を投げ捨て、アナスタシアを抱える。
意識はない。額には痣が出来ているが、彼女は確かにここにいる。
籠手越しにアナスタシアの手を掴んで、ジャンヌは思わず空を見上げた。
「……よかった、間に合って」
祈るように、願うように。
ただその手を握り続けた。
今はもう握れない、友の分まで。