木蓮の暗殺者   作:マイケルみつお

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3話 髀肉の嘆

「俺は父親の顔を知らない。元々物心がつく前に父は死んでいて、あまり裕福でもない中女手一つでお袋が俺を育ててくれたから」

 

円佳の質問に答えるかのようにして、男は自らの半生を語り始める。

 

「中学を卒業する時、そのお袋が死んだ。医者から聞くに過労が祟ったらしい」

 

経済基盤が不安定な事に加え、当時男は年頃の反抗期を迎えており子育てによるストレスも母を蝕んだ。

男がその事に気づいた時には既に手遅れで、謝罪と感謝を伝える事はついにできなくなった。

後悔と無念を思い浮かべ、男は無意識に拳を強く握る。

 

「父もお袋も、生きている親戚はもう誰もいなかった。二人とも一人っ子だったし。そんな状況で高校の授業料を払い続けられる訳もなく、俺は高校には合格していたが入学する事なく働き始めた」

 

学歴的に男は中卒。昔に比べて多少緩和されたとはいえこの国は依然として学歴社会だ。それは一度麻薬を手にした者が脱却できないように。

そしてそれは中学では優秀で、地域でもトップクラスの進学校と呼ばれる高校に合格した男と言えども例外ではない。

 

「仕事一つ探すのでも大変なんだな。お袋が残した少ない遺産が日に日に減っていって......それは焦ったもんだ」

 

それはまるで自分に残された時間をはっきりと突きつけられているようで。

 

「でもそんな時、俺を採用してくれる会社と出会った。会社、と言っても()()()()()を作る小さな企業なんだけどな」

 

男のその台詞に、円佳は目を一瞬見開かせる。

 

「とても威心地のいい職場だった。これまでの地獄が、苦労が報われたと思って神様にも感謝したよ」

 

だが働き出して数年。男は職場から追い出される事になる。

 

「年下の部下だ。今考えてみれば上司に対して取り入る事が凄く上手なタイプの奴だった」

 

男の脳裏には、乗用車(トラック)によって哀れな肉片へと化した木場の姿が浮かぶ。

 

「ある日の事。会社は大事な取引先との商談があった。光栄な事に俺はその担当責任者に選ばれた」

 

そして男の下には木場がついていた。

 

「最初の方は凄く順調で、俺も会社に対する恩義を少しは返せるかなって思ってたんだ」

 

しかし順調だったのはあくまで最初だけ。

 

「いつ頃からか取引先との間で細かな数量に誤差がでるようになった。そしてその小さな誤差は日を重ねるごとに無視できないほどに大きくなっていった」

 

当然、その責任は責任者たる男に対して科せられた。社運をかけた取引での大失態。会社に対して大損害を与えた事から自然とその責任も重いものとなる。

 

「勿論その誤差を認識できなかった俺が悪い。それは弁明のしようもない」

 

ただし男は初の大抜擢に舞い上がりながらも慎重だった。男の能力は決して低くはなかった。通常であればその誤差に男が気づかぬ訳がない。──何者かの作為さえなければ。

 

「......全てが終わった後に知った事だが、俺はその部下に嵌められたらしい」

 

「全てが終わった後......?」

 

「ああ。それは会社にとって本当に重要な取引で、会社に対して大損害を与えたとされる俺は解雇処分になった。会社での発言力を失った後で、俺はその部下に嵌められた事にようやく気づいた。......間抜けなもんだな」

 

「............」

 

策謀によって男は職を追われた。いくら冤罪だろうと既に会社を追われた身であるため会社に対して潔白を証明する術は最早ない。証拠だって処分された後だろう。それに、男は与えられた職務を忠実にこなす事や、一般的な能力には長けていたが、組織の中で上手く立ち回るという意味の政治力や、策謀、謀略といった能力には劣っていた。

会社から追われて暫く経った時、それでも男はどうする事もできない中──男の地位(ポスト)には男を嵌めた部下が収まったという事実を風の噂で知る事となる。

 

「俺は再び全てを失った。家族もなく職もない。そして前と違ってそれでも生きようとする気力さえもう俺には残っていな()()()

 

男は先日出会ったあの異形の悪魔の姿を脳裏に浮かべる。

 

「......あまり言うべき事じゃないだろうけど俺は......俺から全てを奪ったあいつを憎んだ。それも殺してしまいたいくらいに」

 

「............」

 

円佳はこんな時、何て言葉を投げればいいのか分からない。これが作り物の世界なら「人を殺す事は間違っている」と言うべきなのだろうが、円佳は目の前の男の半生を聞いた上で上から目線の正論を一方的に投げつける事ができるほど強くない。

 

「でもできない」

 

「え?」

 

そう、男が木場を殺す事などもうできない。

 

「昨日、あいつは俺の目の前で交通事故に遭って死んでしまったから」

 

「昨日って......」

 

それはとても大きなニュースとして報じられた事故であり、円佳も知っている。だって近所だし。

 

「あれだけ恨んでいたというのに......いざ目の前で死んだ姿を見た時......俺の中に生まれた感情は喜びではなかった。なぜか俺の心に浮かんだのは......喪失感だった」

 

もし木場が生きていたら、男は「復讐」という新たな生きる糧を手に入れていたのかもしれない。しかしその「希望」は男の目の前で失われた。

 

「そんな時に君が現れた。俺は......自分が死ぬために君を利用した。体のいい自殺の道具に利用した。──だから君が謝る必要も、そもそも俺に礼を言われる資格なんてないんだ」

 

「............」

 

先ほどと同様に男の発言を否定する事は──今の円佳にはできない。それは男の半生を聞いてしまったから。安易に否定できるほど軽いものではないと理解してしまったから。

 

「ありがとう。お礼は十分に頂いた」

 

初めて自分の境遇を聞いてもらった事で男の中のモヤモヤが少し晴れた。最後まで口を挟まず聞いてくれただけで男は満たされた。故に礼は既に尽くされた。

 

「もう俺の事は気にしなくていいから」

 

「嫌です」

 

「え?」

 

「だから嫌って言ったんです!」

 

「は?」

 

突然の大声。立場逆転。今度は男が円佳を理解する事ができなくなった。

 

「確かに、あなたが私を助けてくれたのはあなたの自己満足だったのかもしれません」

 

「なら......」

 

「それなら! 私があなたに感謝したいという自己満足にも付き合って下さい!」

 

自己満足に付き合う。意味不明な言動だ。しかしそれは今し方男が言った事。男は円佳の論理を否定する上手い言い訳を持ち合わせてはいない。

 

「先ほども言いましたが、あなたがどのような目的で動いたにせよ、あなたが私を助けてくれた事は変わりないんです。私はあなたにちゃんと何かを返したい。あなたがどう言おうと、私は勝手にあなたにお礼を言い続けます。諦めるのなんて──嫌ですから」

 

「そうだな。円佳の言う通りだ」

 

「そうそう。......ってお父様!?」

 

男と円佳が病室で話している中、音を立てずに扉から入ってきたのは円佳の父親。

 

「ノックはしたが──盛り上がっていたから気が付かなかったようだね。廊下まで声が聞こえてきたから教えに来たよ。円佳、病院ではお静かに、ね?」

 

「す、すみません......」

 

「(高そうなスーツ着てるなぁ)」

 

男は円佳とその家の事を知らない。取り乱した事はあったが、それまでの円佳の所作から良いとこの育ちなんだろうなという事は察していたが。

 

「こ、こんにちは」

 

「そんなに畏まらないで。君は娘の命の恩人なんだから」

 

「は、はぁ......」

 

客観的に見ても男は円佳達親子にとっての恩人。確かに男が畏まる必要などないはずなのだが......

 

「(なんだか条件反射で敬語を使ってしまった......)」

 

それは円佳の父の服装からか、放つオーラからくるものか。男がこんな感覚を覚えたのは二回目だ。

一度目は前に勤めていた会社の社長と対面した時。しかし今回は前回よりも遥かに大きく、強く男の胸に刻み込まれた。

 

「ごめんね。盗み聞きするつもりはなかったんだけど......さっきの話、部屋の外から聞かせてもらったよ。壁に耳を付けるどころか普通に廊下を歩いているだけで聞こえたし」

 

「......別にいいですけど」

 

自らの半生。それも失敗談。本来ならあまり人に聞かれて欲しくないもの。しかし男は不思議と嫌悪感を感じなかった。それは円佳の父に対して何かしらの念を抱いていたからか、或いは既に自らの生に区切りをつけていたからかは分からなかったが。

 

「ふむ、その様子だとまだ気づいていないようだね」

 

そんな男の様子に円佳の父は思うところがあったらしい。

 

「君が勤めていたのは......精華工務店で合っているかな?」

 

「え? あ、はいそうですけど」

「(何で知っているんだ?)」

 

円佳の父が出した会社の名前はまさしく男が勤めていた職場だ。しかし先ほどまでの円佳との会話で会社の名前を出した覚えはない。

 

「(いや、木場の事件から特定したのか。大きなニュースになっているだろうし)」

 

自分が見ていた中では犠牲者は木場のみだったが、事故が起きた場所は東京でも屈指のスクランブル交差点。全国放送されるメディアや新聞は所詮東京の会社。地方で大きな出来事が起こったとしてもそれより東京での小規模な出来事の方が優先される。

距離とはそのまま人間の当事者意識に結びつくものだから。どれだけ凄惨な出来事であっても遠い場所で起こったのならば、それは見る者にとっては他人事。所詮画面越しでしかその場所を訪れる事もないのだから。

しかし普段自らが画面越しではなく直接訪れる場所で起こった問題ならどんなに小規模だとしても身近なものとして当事者意識を強く持つ。画面越しに映る数万人単位の犠牲者を出している戦争よりも普段自分が使う商店で起きた強盗、交通事故、小火騒ぎの方が真に人を惹きつける。なぜなら画面を挟まずにその場所を知っているから。

 

「何やら小難しい事を考えているようだけど、多分外れかな。別にこの前起こった事故から割り出した訳じゃないよ」

 

「え?」

 

「私は今回の事故が起こるより前から君の事を知っていた。直接会った事はなかったけれど、君の話は聞いた事があったよ」

 

百聞は一見に如かず。見てもらった方が早いかな? と言いながら円佳の父は胸ポケットから名刺を取り出す。

 

「初めまして、私は月松円也(えんや)。月松自動車の社長をやっている者だよ。──鹿治劉星(しかはるりゅうせい)くん」

 

差し出された名刺を見て男は目を疑う。円佳の父親は──男の取引先の社長だった。

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