萌えゲーアワード受賞作に転生できたと思ったら設定が似てる洋館ホラゲーだった件【書籍発売中】 作:シン・タロー
数歩も進まないうちに、エイイチの靴に泥水が浸透する。不快な感触だ。なるべく柔らかい地面を避けようと思っても、背中にマリの重みが加わっているのでどうしても足は沈む。
「よく降るねー、マリちゃん。暗くてふらつくかもしれないし、危ないからしっかり掴まっててくれよ」
応答はない。マリの体に掛けてやった赤いレインコートが、雨粒をボタボタと弾く音以外に返ってくるものはない。
エイイチが不安になっていると、ティンティロリン、デデドン、デデドン、ティンティロリン。と立て続けに電子音が鳴った。
「はは。法則性は守ってくんないと。そんなめちゃくちゃ押したら、マリちゃんの感情わかんないって」
エイイチの首へ回されていた、マリの腕がずるりと滑り落ちる。電子音を鳴らすためのおもちゃが、唯一のコミュニケーション道具がぬかるみの中へ落下した。
しばらく立ち止まったエイイチは、前を向く。マリを背負い直し、脱力している体をしっかりと支える。
「ちょっとお尻に触れるけど、わざとじゃないからな! いやーでもやわらかい、さすが安産型なだけはある!」
セクハラ発言にもエッチ、だの変態、だのマリの憎まれ口は聞こえない。真っ暗な森で雨に打たれ、立ちはだかるような木々は慎重に迂回し、エイイチは会話を絶やさなかった。
返事がなくとも、脱力したマリの体に冷たさを感じても、首に垂れるぬるい粘液が涎なのだと察していても。エイイチは一人で喋り続けた。
「……大丈夫だから」
ときおり、そう言葉を挟んで。奇跡を信じ込むような眼差しで、前だけを見据える。
どれくらい時が経っただろうか。マリをおんぶしたまま、エイイチは山道を抜けた。雨は止むどころか激しさを増していく。
もう深夜の零時は回っているはずだ。タイムリミット当日なのだ。
「…………ぇ……ぅ……」
まだマリには息がある。けれど、いつこのか細い息遣いが消えるかわからない。
ガードレール沿いに坂道を下り、エイイチは夏休みの話に花を咲かせる。海や花火、定番のイベントが盛り沢山なのだと。一般的にそれらのイベントはホラーゲームで取り入れられないものだが、エイイチは得意分野だと言わんばかりに流暢に語り聞かせた。
「だからさ――。違うよ、こんなの」
暗い雨の夜に、二人きりの散歩デート。会話はなく、日も当たらない。まるで逃避行のような最後。
こんなもので終わっていいはずがない。
マリとの未来がこんなもので塗り潰されていいはずがない。
「……なに、やってんだよ。いつまで待たせんだ……!」
エイイチはこの夜はじめて、苛立たしそうに自身のこめかみを叩いた。
断じて逃避などではないのだ。エイイチが選択したマリとの旅は、生存のための一歩。
土砂降りが続く中、深夜の田舎道には人影がない。脇に広がる田園とあぜ道、シオンの教会があった場所だ。今はその教会も夢か幻かのごとく消えている。
レインコート越しでも雨は浸透し、マリの体温は奪われていく。立ち尽くすエイイチは、どす黒い雨雲を睨みつけた。
「いいかげん――とっととよこせッ! このクソヤロウッ!」
突如、空を切り裂くスパーク。豪雨が呼んだ稲光は、エイイチの叫びに応じたようにも思えた。天空から飛来した見えない
「ぎ――ぐ……っ!?」
脳が波打ち、揺れる。ふらつく足で踏ん張り転倒はこらえたが、エイイチは頭を垂れると嘔吐した。胃が痙攣し、さらに胃液を何度も吐く。
「おえッ……ハァー……! ハァー……! ハァー……!」
雨に滲んでいく吐瀉物を見下ろしながら、エイイチは“本”を持ってくればよかったと後悔した。だが問題ない。ほとんどが白紙のページを、浮かび上がる文字の法則を、消えた文字列を、思い出しながらやればいい。
「ぐ、ぐっ……グ、ルビエル、バウ、シュカ」
暗闇に等しい田舎道へ、光が差した。落雷の轟音が鳴り響くも、稲光の明るさではない。
エイイチが顔をあげる。シオンが過ごしていた教会が、たしかに数十メートル先に在る。教会は光の道筋をエイイチの足元まで延ばしている。
まだ終わりではない。引きずり出すのだ“元凶”を。激痛が走る頭を押さえ、歯を食いしばる。今一度エイイチは胃液で濡れた口を、開く。
「――ゾラウ、ベスリィラ、モルドゥ、くそなげえ……っ、ミシスア、アティマ、シュガルグヨネ――ッ」
ふと。教会の光を掻き消すほどの、一段と濃い影が落ちた。建物のすぐ後ろだった。教会よりも遥かに高い背丈を誇る化物が、エイイチを見下ろしていた。
いや、目玉があるのだろうか。人型ではあるが、その巨躯の顔部分は赤黒い肉塊だった。逆に体に肉はなく、腕も足も含めて数えきれないほどの人骨と蛇のような生物が絡まり合って構成されている。
「やっと……みつけた」
エイイチは斜め上へと、おぞましい化物を見上げていて気づく。マリの瞳に映っていたのはこいつなのだと。今のエイイチと同じく、マリの視線は常に上を向いていた。こんなものを前にして、よくこれまで気丈に振る舞っていたものだ。
「すげえよ、さすがマリちゃんだ」
屈んで、アスファルトにマリを下ろすエイイチ。
離れ際、マリが震える手をエイイチの背へ伸ばす。
「……ぅ……ぁ……」
濡れた地面に、内股でぺたんと尻をついて座るマリ。置いていかれる子供のような姿に後ろ髪を引かれる思いだったが、エイイチは振り返らずに歩む。
温かかった背中が遠ざかっていく。マリの虚ろな目は、エイイチを認識しているのだろうか。だれかもわからないままに手を伸ばしているのかもしれない。
迫る呪いのリミット、死の恐怖。日常を忘れていくことさえも、マリは微塵もおもてに出そうとしなかった。
ではこの結末へまっすぐ突き進んだエイイチはどこまで知っていたのだろうか。本当はなにもかも理解しながら、他の住人を巻き込まないよう装っていたのだろうか。
真実を知る術もないが、仮にそうだとするなら二人の精神性はやはり似通っているのだろう。
しかし忘れてはならない。呪いを解くには“マリの手で”化物を滅する必要がある。剣や錫杖が効果的だとしても、現状のマリに扱える代物ではない。
「忘れたなんて言わせない。マリちゃんはわかっているはずだ。
そもそもエイイチは闘争に耐えうる力を備えていないのだ。たった一人で、天を衝く怪物相手になにが出来るというのか。蛇と骨と肉塊のおぞましい化物も、まるでそれがわかっているかのように腕を頭上へと持ちあげる。
化物の腕から剥がれた人骨が、地上でぐしゃりと砕ける。落ちた蛇は雨に濡れ、鱗を光らせてのたうつようにアスファルトを這い回る。幻覚ではない。誤魔化しは効かない、現実なのだ。化物が腕を叩きつければ、エイイチは虫ケラ同然に潰されて死ぬだろう。
それなのにエイイチは歩む速度を緩めない。あまつさえハンドポケットの無防備で教会の前まで到達すると、まばゆい光に目を細めて、ほぼ真上へと顎をあげた。天上の肉塊と、真正面から対峙する。
「ぁ……ぁ、ぁ……」
マリは精いっぱいに手を伸ばした。開いた五指の向こう、雨煙の奥へと、決して届かない背中に。生意気な妹を叩きのめし、敵対する猟幽會を屈服させ、鋼鉄の宇宙船を粉砕せしめた力はもう出ない。どう足掻いてもエイイチを守ることが出来ない。その力をどこへ手放してしまったのか。
「大丈夫。ほら、手を出して。わかっているはずだ。もう一度聞くよ」
風切り音というにはあまりにも豪快だった。大気を震わせ巨大な蛇と骨の塊が落ちてくる。頭上に迫る隕石のごとき拳を前に、エイイチは微動だにしない。逃げる選択肢など、マリに呪いが降りかかったその時から存在しなかった。
すべては救いのないホラーゲームの展開を、アダルトゲームの奇跡に塗り替えるため――。
「マリちゃん。
高質量の物体がエイイチを叩き潰す寸前。
マリは伸ばしていた“右腕”を、開いていた五指を強く握りしめる。
太陽と見紛う閃光が走った。
地上に接触していれば特大のクレーターを刻んだであろう拳は、エイイチの身長分の隙間を残して静止していた。
骨という骨に亀裂が入り、みっちりと蠢いていた蛇と共に砕けて飛散する。
エイイチの全身は発光していた。より正確に表現すれば、黄金色に輝く鱗翅目が粒子のように周囲を飛び回っていた。
輝く鱗翅目の粒子は、化物の全身を螺旋状に駆け昇り――そして一閃。肉塊の顔面に風穴を開けて夜空へと突き抜ける。
遥か彼方まで伸びる光の軌跡は、いつかの月まで届き得るかのような。渾身のマリの一撃を思わせるものだった。
天を衝く怪物は、その身を崩して雨粒に溶けていく。
見届けたマリは、強く強く握りしめた拳をゆっくりと下ろす。マリの全身は弛緩し、意識が遠のいていく。いまだハンドポケットで格好つけて突っ立っているエイイチを最後に視界へ収め、マリはたしかに微笑みをこぼした。
◇◇◇
目覚めたときも、最初にマリの視界へ映ったのはエイイチだった。体がずぶ濡れで気持ち悪い。でも絶えず浴びる雨はどこか心地いい。
「マリちゃん! よ、よかった……! もう起きないもんかと。体、大丈夫!?」
周囲は暗く、まだ外にいることを考えると、それほど時間は経っていないのかもしれない。
「……エイイチくんこそ、大丈夫なの?」
破顔しているが、頭から出血しているらしくエイイチの顔は真っ赤だ。心配かけまいと雨水で顔面をこするエイイチだが、よけいに滲んだ血が広がる結果となる。ひどい顔だ。
「マリちゃん、腕が……」
腕を持ち上げてみると、エイイチの顔と同じくマリの右腕も血塗れだった。お互いに無傷では済まなかったようだ。しかしこんな傷くらい、どうということはない。
エイイチに左手を引かれ、上半身を起こすマリ。
「帰ろっか。きっとみんな心配してる。歩けそうにないなら、またおんぶしてあげるよ」
「ふぅん。自分だって、ぼろぼろのくせに」
マリは、はじめから自身を案じてなどいなかった。自暴自棄になっていたわけではない。日常の動作すら忘れていく己を自覚したときには“マジか”と思いはした。
だけど最終的に目の前の男がなんとかするのだろうと、漠然と考えていた。半端な付き合いじゃないのだ。これまで共に濃密な時間を過ごしたこの男のことは、だれより自分が一番よくわかっている。そう自負がある。
エイイチは、マリの右腕なのだから。
「ん」
身を屈めたエイイチが、マリに握り拳を差し出した。
アレだ。なんかいい雰囲気に拳をかち合わせるやつを、エイイチはやりたいのだろう。
「少年漫画?」
むず痒い気持ちがありながら、今日くらいは乗ってやろうとマリも握り拳を突き出す。
だがマリは自覚がなかった。もはや体力が空っぽなのだということへの。
想像以上に制御の利かない体は前のめりに倒れ、エイイチの拳とクロスカウンター気味に交差する。マリの拳はそのままエイイチの股間にズムッと埋まった。
「ぃぎ!? ――~~~~っっ」
水溜まりの中を転げ回って悶絶するエイイチ。
マリは握り拳に残る感触に眉をひそめたのち、どうしていいかわからずエイイチをただ見下ろす。
「わ、わざとじゃないよ? ……ごめんね」
最後に締まらないのは、実にこの二人らしいのかもしれない。