また暴力表現、性的描写が頻出します。苦手な方はご注意下さい
吾輩はあくまである。名前はまだない。
生まれたのは地獄であるが、妙に居心地が悪かったのを覚えている。
悪魔というのは、どうにも無法者で好かん。
どこぞの若い悪魔が美味そうな物を持っていると聞けば殴って奪い。どこぞの老獪な悪魔が面白そうなものを持っていると知れば、寄ってたかって襲い掛かる。
それでいて仲間意識など欠片も持ち合わせていないから、最後まで立っていた者が総取りだ。
ここでは富む者ほど奪われる。
どれだけ力が有っても多勢に無勢。無限に生まれては消滅していく悪魔の群れに押し潰される。そうでなくとも襲撃の絶えない生活が待っている。
うわっ、地獄ってもしかして世紀末?
最貧こそ、最大の安寧を齎すのだ。
吾輩は生後間もなく悟ってしまったのである。そして植物のような平穏を手に入れた。
日中夜、寝転がって真紅の空を見る。
たまに同族が様子を見にきたが、吾輩が裸一貫で転がっているだけと知れば「やや、すでに追い剥ぎされているではないか」と言ってつまらなそうに去って行く。
稀に意味もなく命まで奪いにくる狼藉者もいるが、抵抗するから争いが生まれるのだ。どうせすぐに再誕する命などくれてやればいい。
悪魔とは面白い生き物で、死ぬと新たな生命となって生まれ変わる。己を殺した者への復讐もやり放題。満足するまで殺せるぞ。地獄はまさに殺伐が絶えない大報復時代。
終わりなき輪廻に巻き込まれては堪らんと、吾輩は早々に一抜け宣言。こうやって寝て起きるだけの日々を過ごしている。
それでも吾輩の腹は空く。
飢餓で死ぬのは苦しいから好きじゃない。絶命まで100年近くかかるのも減点ポイントだ。
いま狼藉者が命を取りに来てくれるなら、丁度よかったとばかりに首を差し出したいのだが、生憎と駄目らしい。
近くを歩いていた牛のような悪魔に流し目を送る。ほら、無抵抗の獲物が居るよ、殺してみないかい? ……ダメだった。牛さんは吾輩と目が有った途端に全速力でバックしていった。
斧をこちらに構えたまま後ろに向かって全力疾走。君という悪魔は器用だな。
そういえば、最後に殺されたのは何時だったろう。
ここしばらくは餓死しかしていない。
……たまには、何か食べてみようか。
吾輩は生まれて初めて食事の意志を持ってみた。
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さて何か食べようと思い至ったは良いが、生まれてこの方、吾輩は何も口にしてないことに気が付いた。
悪魔とは一体何を喰うものなのだ?
現在の吾輩の姿かたちは人間フォルムからは程遠い、四足歩行の獣だ。目は顔に7つ。体に13個ほど。尾っぽの先は鋭い剣先のようになっている。
虎に近い格好だが、背中にはコウモリのような翼が3対生えており、指の間には立派な水かきまで付いている。
翼は無論、空を飛ぶためのものであるが、水かきは水中用ではなく、現世と幽世の間を泳ぐためのもの。次元を超えて別世界に渡るのために使う。
なお、どれも吾輩は使った事がないから飾りでしかないぞ。
「ところで人間とは何だったか」
ふと『人間フォルム』という言葉が脳裏に浮かんだが、はて。吾輩は人間という何某には会ったことがない。知らないはずなのに知っている。
摩訶不思議なり。
興味が湧いたので近くの悪魔に尋ねてみよう。
吾輩が立ちあがった瞬間から、なぜか皆が逃げていく。
……待て待て。君等はそんな弱者じゃなかっただろう。自分より強そうなやつがいても、その力を貪り喰らおうと勇敢に立ち向かっていたではないか。
ましてや吾輩は一般的雑魚悪魔に分類されるモノだ。悪魔の生態として、喰らったものがその者の力になるから何も喰らっていない吾輩はクソ雑魚ナメクジであるはずなのだ。
まさか吾輩の後ろに、恐ろしい閻魔様でも立っているのか? 威を借る吾輩だったのか? ……いや、誰も居ないな。やはり彼等は吾輩を中心に逃走しているようだった。
ふむ、吾輩のような一般悪魔にも恐れをなすとは、いつから地獄は軟弱者の集まりになったのだ。
草食男子という奴か。あまり戦にガツガツしてはおなごに好かれぬか。吾輩がうたたねしている間に地獄では軟派な文化が広まったようだった。
……しかし視点の位置が高いな。
立ちあがったのなんて、地獄に生まれて「うわっ世紀末~」って思った時以来故に……300年ほどか前か? いや、覚えている限り10回は生き死にしているから……1000年か? とにかく、久方ぶりである。
猫が背伸びをするように鈍った体をほぐしていく。背中の翼を一度はためかせて……おお、動く。動くぞこの翼。飾りではなかったのだな。
しかし疲れるな。立ちあがって翼を一振りしただけで急激に吾輩の力が減っていく。
すぐにどうこうなる訳では無いが、おそらく一刻と持つまい。そうなれば吾輩は生まれたての小鹿よろしく立っているだけでぷるぷる震えてしまう。
これでは脱兎の如く逃げる者を追うのは七面倒くさい。
彼等は懸命に手足を回して、瞬く間に一山も二山も駆けていく。驚異の逃げ足だった。
吾輩は敵わぬ敵わぬと嘆息した後、何もない空中へと一振り、爪を薙いだ。すると次元が割れる。
それは吾輩の求める場所へとつながる時空間の歪曲した穴。そこへ腕を差し込んでぐるぐる回すと、爪に引っかかってイルカのような悪魔が釣れた。
「さて、さて。それでは聞かせて貰おうか。イルカくん。人間とは何かな?」
「へえ! 弱く、愚かで群れるしかない弱者であります!」
吾輩が立ちあがった時。彼は一番遠くに居ながら、いの一番に逃げて行った者であり、吾輩の目についた。だから彼を連れてきてみた。
それにイルカとは賢い生物だと聞いたことが有る。可愛いから無暗に殺したらいけないとも言っていた。
「……可愛いのだろうか?」
「へ、へぇ?」
七つの瞳でイルカくんの全身を舐めるように見つめる。
ぱっと見、腐った二足歩行のイルカだろうか?
瞳の抜け落ちた彼の眼窩には、代わりに触手が入っていた。触手の先端が眼窩から飛び出して、チロチロと蛇の舌のように揺れ動く。
手の甲、喉元、舌の上には魔法陣が彫り込まれており、それが白く怪しく輝いた。そしてなにより、彼が喋るたびに死霊の呻き声が漏れ聞こえてくる。
ふむぅ、これを人は可愛いと感じるのか。吾輩には分からぬ世界だなぁ……まあよい。
「それでは、君に幾つか問うてみよう」
「へえ! 私に分かる事であれば喜んで!!」
――なるほど。なるほど。
人間というのは地獄と異なる世界に住んでおり、栄華を誇っているという。
昔はあちらの人間が地獄の悪魔を召喚するなどして、悪魔も人間界に出向くこともあったが、ここ最近はトンと減ってしまった。世界を超えられる悪魔は少なく、今となって人間は希少な馳走。
イルカくんの大好物は人間の脳髄。活け造りで啜り上げるのが最高だと彼は言う。
ええ……吾輩、脳髄は食べたくないなぁ……。
そう言ったら一般的な悪魔は人間の魂や、恐怖、絶望といった感情が好物なのだと教えてくれた。
それもあまり美味しくなさそうだ。
吾輩は魚が好きだぞ。それとなく伝えたらイルカくんは「私は美味しくないですよ!? そ、それでしたら!」と言って、呪文を唱えた。そして出てくる人間の遺体。
「私がいざという時用に用意していた一品でございます。どうぞ、地獄の大悪魔であらせられる怠惰様にご賞味頂きたく存じます」
人間……なるほど、これが人間かぁ。
「日本という国で企業を経営していた男でございます。ライバル社への闇討ち、脱税、違法薬物の乱用は常習犯。三人ほど女子を殺してもおりますな。挙句の果てには我等、悪魔を利用して成り上がろうとしましたので、騙くらかして地獄に連れてきてやりました」
いや、そうか。そうだったな。
人間とはこんな姿かたちをしていたな。久方ぶりに吾輩は人間のことを思い出した。
「吾輩、人間には食欲がわかんなぁ」
「そ、そうでございますか……残念であります」
あれもダメ、これもダメ。吾輩の我儘がイルカくんを困らせてしまった様だ。
彼はおろおろするばかりで何やら焦っている。
これはいかん。和を以て貴しとなすという言葉あるように、あまり人を困らせてはいけない。
脳髄か、遺体か、絶望か……。
どれを喰らえばよいのだ? おかしいな、選択肢が狂ってる。一つも美味しそうなものが見当たらない。
「ふむ、では吾輩は絶望を喰らうとしよう」
「……だ、誰の? 私の?」
イルカくん眼窩の触手から粘液質の液体をぽたぽた滴らせながら慄いた。……一体、吾輩を何だと思っている。
「いいや、人間の絶望だ」
悪魔にとって、それが大好物なのだろう?
ならば地獄の悪魔である吾輩は、それを食すべきなのだ。
「人間界というのは、こっちか?」
腕を一振り。空間に穴が開く。
イルカくんを連れてきた時のような、次元を裂いて創った『幽世』だ。
「お、お待ちください怠惰様! 現代の人間界は悪魔への恐怖が薄れております! いくら貴方様でも、依代失く人間界に滞在すれば、瞬く間にその御力を失くすでしょう!」
「ふむ。では悪魔の恐怖を広めてやれれば良いではないか。簡単簡単」
「いいえ、いいえ! 地上は今や天使の時代! 故に――ああ、聞いてない! こいつ人の話を聞いてない!」
イルカくんが何か言っていたが吾輩の空腹は限界だ。もうよいと首を振って、幽世の中に飛び込んだ。
闇夜に赤い稲妻が僅かに走るような、暗く、重力の狂った次元。
まるで洗濯機の中にいるように視界がグルグル回る。おっと、光子も真っすぐ飛ばないようだ。吾輩の前方に、吾輩の凛々しいお尻が見えた。視界すら歪んでる。
油断すれば吾輩もここで藻屑と化すな。ぷるぷると首を振って気合を注入。時空の裂け目をかき分けて、"懐かしき匂い"を辿る。
薄紙を破る様に世界の壁を突き破る。
一枚、二枚。そして最後の境界線を飛び超えて、地に足を付けた。
吾輩が再現した先は、赤き血に染まった戦場跡だった。
何百という怪物の死骸が連なる真ん中に死にかけの人間がいる。
「最後の最後でラスボスに会っちゃったか……これはもう、思い残すことはないか」
「ふむ?」
これから先の悠久を共にする少女と吾輩は、こうして出会ったのだった。