吾輩は悪魔である。名前はまだない。
物は試しと来てみた人間界は存外に楽しい場所であった。
手に入れた玩具の反応はすこぶる良好で。ちょっと甚振ってやると、すぐに
これは吾輩、悪魔らしくなってきたんじゃないか? もう、ただ寝転がるばかりだった怠惰悪魔じゃないのだ吾輩は。
「しかしな、あまり貴様ばかり虐めては可哀想ではないか」
『悪魔が何を言っている』
「貴様が泣き叫んだのではないか。もう止めてくれって泣いて頼んだのは貴様だろう」
『あれは言葉の綾だ。私が本気で許しを請う訳ないだろ馬鹿が。悪魔なんかに下げる頭はない!』
なんとも剛毅な娘っ子だ。
あれほど苦しめてやったにもかかわらず、もう忘れたように文句を言ってくる。
少しばかり少女を虐めることで悪魔らしくなれたと思ったが、吾輩だって良心を持ち合わせている。なけなしの良心であるが、あまり人を悲しませることはしたくない。
一時的に虐めるくらいはするが、あまりやり過ぎて心を壊してしまったら吾輩、責任取れないぞ。
少女の身体を奪ってしまったのだって、飛び出し事故のようなもの。吾輩はもう返すと言っているのに、全然、話を聞かないのだ、この少女。
『だから、返した後でお前はどうする気なんだ。消滅するだろう。仮に生き残ってもお前はもう
「それが一体何なのか吾輩分からない……」
どうやらこの世界のシステムは吾輩が思っていたよりも複雑なようだ。
天使は天使らしく、悪魔は悪魔らしく。因果は釣り合って平衡を保ち続ける。それを保証するためのシステムが、どうやら世界にはあるらしい。
『お前が世界に消されないためには悪魔らしく在ることだ。人間を苦しめて、悦に浸って生きるしかない』
「やっているぞ?」
『阿呆か。言葉ではなんとでも言えるがな、世界はそんな馬鹿じゃない。貴様の心根は見透かされている』
「むぅ……」
分かってはいたが、どうやら吾輩は中途半端で情けない悪魔らしい。それも世界から「お前クビな」って言われるレベルで無能らしい。
やはり悪魔は命を貪ってなんぼという事か。
街を焼き払い、怨嗟に塗れて世界を呪う。……むりだぁ。吾輩、絶望の味は好きだったけど、そんな怖いことできる気がしないよぅ……。
『だから手伝ってやると言っている。私の
「おお、そんなものがあるのか。であれば吾輩は別に人間を虐める必要もないし、絶望を喰らう必要もないという事か?」
『無理だ』
「無理なのか」
『隠蔽用の特級技能といえども、世界に対しては僅かばかり認識を騙す程度しか使えない。だが、誤魔化しは利く。お前の可愛い悪戯を悪逆非道に偽装して世界に見せつけることはできる』
「……だがなぁ、そのためには吾輩はずっとこの体に住み着いて、ずっと貴様を苦しめることになるだろう」
『やればいいではないか』
「だから、それは貴様ばかり虐めるみたいで可哀想ではないか!」
『だから、悪魔が何を言っている! その程度のことを気にするな!』
ぬぬぬぬ。
話は平行線を辿るばかり。
「そもそも何故、貴様は吾輩に拘るのだ。別に良いではないか、再戦などしなくても」
『ふざけるな! あんな消化不良の戦いで終われるか! 私はもっと燃えるような攻め合いがしたいんだ!』
「バーサーカーか貴様!」
『願いをかなえてくれるんだろう! 悪魔たるもの人間との契約を違えるな!』
「ぬ……それを言われると、吾輩も弱ってしまうな」
地面に胡坐をかいて考えこむ。
ハッキリ言って、少女の提案にデメリットは存在しない。完全に吾輩有利の契約だ。
だが吾輩は悪魔である。
好物は人の絶望。人の涙、苦しみ。悲嘆、その怨嗟。どれをとっても悪趣味で救いのないものだ。けれど、それを承知で少女は身を挺して言ってくれている。
それが再戦のためとはいえ、吾輩にとってはありがたい。
これ以上の問答は彼女に恥をかかせることになるか? しかしなぁ……うむ。
吾輩はくしゃりと髪を掻き揚げると一つの妙案を思いつく。彼女の心を試してみればよいのだ。
「いいのだな? 吾輩が優しさを見せるのはこれが最後だ。吾輩はこれより先、悪魔としての愉悦を優先すると知れ」
『構わない。さっさと強くなって私と再戦しろ。それさえ果たせば、他はどうでもいい』
「ふん。あれ程苦しめてやったのをもう忘れたか。驕ったな人間よ」
少女の魂を取り出して握り込む。手のひらに収まるほどの小さな光だ。それを両手で包み込んで圧を加える。みしみしと魂が軋む音がした。
『――が、ぃっ! お前、なんだ、それは……!』
「もう一度言ってやろう。吾輩が上、貴様は下だ。あまり舐めた口を利くなよ人間風情が。不愉快だ」
『ひゃぎ、あっ、ぐぅう!! うあぁああ゛あ゛あぁあ゛!!!』
肉体から感じる苦痛とは全く異なる、深層の激痛だ。全身の神経を焙られる様な痛みだろう。それを吾輩は少女に送り込む。
お返しとばかりに、少女から美味な"悪感情"が送られてきた。
――折れたな。
吾輩は少女の感情から得られる芳醇な甘味に舌鼓を打ちつつ確信する。
これほどの絶望、少女はもう
「絶望とはこういうことだ。分かったら『ごめんなさい、やっぱり私が愚かでした。許してください』と言え。そしたら許してやろう」
『ふ、ふふ。生、温いな。この程度の責苦で、私の心を折れると本気、で思っているのか。だとしたらお笑いだ。愚か、なのは、お前だな』
「……ふぅん」
あれ!? この娘ぜんぜん折れてないよ!? ……なんで!? どんな精神力!?
どうすればいい!? どうすればいいのだ吾輩!
「……よかろう」
吾輩は悪魔としての覚悟を決めた。
吾輩だって悪魔だ。矜持がある。ここで身を引いては絶望好きの悪魔が廃るというもの。
内心の驚きをひた隠し、あくどいを笑顔で言い放つ。
「心は既に苦艱に染まっているというのに、口だけは一丁前か。いつ貴様の口から泣き言が聞けるのか、楽しみだ」
苦痛に喘ぐ少女の魂は心の涙で濡れていた。
それを労わるように舐めながら少女の魂を口に含む。口腔内でころころと飴玉のように転がして十分に味わった後、ゆっくりと嚥下した。
「うひゃぁっ…ぁ…全身が舐められてる……!?」とか「ひゃわぁ!? 圧迫感が凄いな!?」とか。なんだか嬉しそうな悲鳴が聞こえた。
……え? 嬉しそう??
「え、貴様いま喜んだ?」
『え!?』
……いやいや、そんな筈がない。
丸呑みされて嬉しい奴がどこにいる? 体内だから少女の悲鳴がどもって聞こえたか?
『や、やめろー! 私をここから出せー!』
慌てたように吾輩の中で少女が暴れ始めたのを感じる。
少女が抱いた感情は厭悪のようなもの……だろう。彼女がくれる悪感情は実に美味で、吾輩の乾いた喉を潤した。やはり少女が喜んでいるなど、吾輩の思い違いだったようだ。
すまないな、変な勘違いをした。
だが腹の中が騒がしいので、ぽんぽんと腹を叩いて静かにしろと念を送る。
「では契約を詰めるとしよう」
少女が身体を返す必要が無いと言っているのに、非情の悪魔たる吾輩が無理やり押し返しては意味不明。
そのうち少女が虐められ過ぎて「やっぱり身体を返せ」と泣きながら言うだろうから、吾輩はもうそれまで折れてやらん。
「一つ。少女の肉体は、契約満了まで吾輩が貰い受けるものとする」
『おい。吾輩、ではなくそこはお前の真名で宣言しろ。悪魔ならばその方が効果的だ。あと私の名前も使え』
なんか腹の中から文句が飛んできた。
元気だな貴様。魂状態とはいえ、丸呑みにされたら、もうちょっと慌てないか? 普通。
いや、まあいい……名前……そう言うものなのか? 困ったな。
「吾輩に名前なんぞない」
『なん……だと……!?』
「続いて二つ。ただし貴様は契約満了を待たずとも、望むなら任意のタイミングで契約を破棄し、肉体の制御権を取り戻せるものとする。また、吾輩も任意で身体の操作権を貴様に返還できるものとする」
『待て待て待て! ちょっと待てお前、悪魔なのに真名が無い!? あと私の名前を使え! いや、というかなんだその内容! おい、そんな内容は聞いてな――』
「雑音が聞こえるな。これは大事な契約内容の提唱だ。黙っていてもらおうか」
『むっ、むーー! むーー!!』
別にいいだろう、これぐらい。
この少女、変な所で律義と言うか、全力バーサーカーというか。自分がやったことに対する責任を取り過ぎるきらいがある。
人間、もっと無責任でいいのだ。吾輩に任せておけ、契約内容をいい感じにしてやろう。
というか、こういう条項が有る方が吾輩も心置きなく少女を虐められるというもの。
強気で負けを認めない少女だが、本当に嫌になったらこの条項を使って心が壊れる前に無意識に吾輩を追い出すだろう。
つまりそれまでは少女公認で虐め放題という意味であり、罪悪感少なく悪逆を尽くせるというもの。
加えて、吾輩が少女の不調に気付かず、調子に乗って虐め過ぎて心に深い傷をつける心配もなくなった。クククッ、吾輩は卑劣な悪魔よのぅ!
「三つ。貴様は吾輩が力を取り戻すのを援助し、育てるものとする」
「四つ。貴様は吾輩に対して、吾輩好みの感情を提供する義務を負う」
「五つ。それ等を得る対価として、吾輩は貴様を他者から守り通す義務を負う」
『む!? むーー! むーー!!』
やかましいぞ少女。どこに怒る要素があったのだ。
吾輩だって無責任に年頃の少女の体を預かれるか馬鹿者め。
「六つ。貴様が十分と思える力を吾輩が取り戻し次第、この契約は満了となる」
ふむ。こんなものか。
少女の魂を腹から取り出して確認。再び目の前に現れた彼女はぶすっとして――魂だから顔が見えたわけじゃない、雰囲気だ――文句を言いたげに揺らめいた。
「これでいいな?」
『……勝手にしろ。どうせ私に選択肢など無いのだろう』
「当然だ。もし文句を言っていたら、今の苦痛など児戯と思えるような責苦を味わわせてやるところだった」
『っ! そう、か。それは残念だったな……』
「うぇええー! 貴様、いま安堵したな!? 不味いぞっ! ぺっぺっ!」
『不便だな、お前の体』
「やかましい! 貴様は絶望だけしていればいいんだ! ううぇーっ!」
絶望が甘く優しい味なら、安堵は泥水を飲まされるような味。
もうちょっと任意でどの感情を食せるか選べるといいのだが、そうもいかん。
吾輩と少女は相性が良すぎたらしく、依代がただの憑依という域を超え、二人の身魂を繋げかけている。
そして互いに近づき過ぎた結果、少女が抱いた感情が吾輩のお口にダイレクトで飛び込んでくるようになったようだった。突然クソまずい好感情を喰わされる身にもなって欲しい。
まあ、それはともかく。
「では、吾輩の復活作戦、その開始と行こうか!」
『うむ。だが難しいな……さて、まずどうすればいいのやら』
開始だというのに、少女はさっそく頭を悩ませた。
……なんだよ、いきなり出鼻を挫くじゃん。
少女「悪魔とは絶望を喰らって育つもの。しかしコイツは幸福好きの偏食家か……どうやって育てればいいんだ? とりあえず、私でも虐めてもらえばいいか」 ← 変態の考え
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