ダンジョンとやらを抜けた吾輩たちはようやく人里にたどり着いた。
そこで待ち構えていた門番らしき男が、吾輩の顔を見て驚いたと思ったら一転、すぐに破顔した。そして紡がれる意味不明な言語。
「おかえりなさい。きょかしょう を ていじください」
「なんだ。何を言ってるんだ貴様。日本語で喋れ」
吾輩は悪魔である。でも、日本語以外は分からない。
「……きょかしょう を ていじください」
「分からぬわ」
悪魔とは万国共通ではないのか? なぜ吾輩は日本語しか分からぬのだ?
む、つまり地獄の共通語は日本語だった……? うむむ??
『ダンジョン出入り用の許可証を提示しろ、という意味だと思うぞ』
「そうか。ならばそう言え……許可証とはなんだ??」
『右後ろのポケットに入っている。それを門番に見せれば――っ! お前、変な所を触るんじゃない!』
「だから後ろのポケットだろう。手が尻に触れた程度でぎゃぁぎゃぁ喚くな、生娘が」
それに、この身体は今や吾輩のもの。
なぜ自分の身体に触れるのに、元の持ち主の許可を得なければならない? 胸だろうと、股間だろうと、それは吾輩のものだ。自由にやらせてもらおうか。
『っ!』
男を誘惑するように真っ赤な舌を出してみる。唾液に塗れた舌が光で反射した。
Tシャツの
「ふ……ふうき を みださないように!」
『や、止めろ! 止めろ馬鹿! そんな事を人前でするんじゃない!』
「ふぅん。これが貴様の羞恥の味か? まあ悪くないな。たまには食してもいいかもな」
甘酸っぱいフルーツの香り。食後のデザート辺りにはもってこい。
絶望は甘く優しい味で好きだし、これも好きだ。どうも吾輩は甘党らしい。
とはいえ、さすがに塩味が足りないな。
主菜のような感情も欲しいところ。肉か魚……どちらかというと魚か。吾輩はイルカくんに言ったように、魚料理を愛してる。
「かくにんしました。おかえりなさいませ、えいゆう」
「よいよい。ではな、異邦人」
む、どちらかというと異邦人は吾輩の方か? ここは異国だしな。
門番に許可証を示したら、彼は途端に姿勢を正してすぐさま横に移動。吾輩に向かって大きく頭を下げた。彼にバイバイと後ろ手を振って歩き去る。
さて、ダンジョンを抜けた訳だし、この体の支配権は再び吾輩が手中に収めているのだが……どこへ行けばいいのやら。なあ少女よ、吾輩が日本に帰るにはどこに行けばいい?
『……ふん』
「他人に腹や下乳を見られたからと、そう拗ねるな。今はまだ確認の最中よ。吾輩がどんな感情が好みなのかのな」
『じゃあ、さっきみたいなことは、もう二度としないんだな?』
「そうは言っておらん。存外に貴様の羞恥心も美味かったから、たまにやるぞ。……そうだな、道すがら男を誘惑するのも悪くない。吾輩がこの身体を使って行う情事を貴様に見せつけてやろうか」
『ふっ、ふざけるな!! そんなことをしてみろ、お前が生まれてきたことを後悔させてやるぞ……っ!』
「おうおう。ぴぃぴぃと泣き喚くしかできぬ小娘が吼えおるわ。クックック……どれ、格段に醜怪な男を見繕ってやろう。おっと、中国には野生の豚もいるのか。どうだ? 貴様の処女はアイツに捧げてみるか?」
ちょうど脇道を走って行った豚を指さして言ってみた。
少女は震える声で小さく悲鳴を漏らしたが、それでも強気に言い放つ。
『は、ははっ……や、やれるものならやってみろ。後悔するのは、お、お前の方だぞ……!』
「うむうむ。やれと言う割には、声が震えておるぞ。身体を奪い返そうと全力で抵抗するではないか。懸命だな、そんなに嫌か、豚は」
そりゃ嫌だろうな。吾輩だって嫌だ。
死んでもやらんぞ、そんなこと。
ついでに言えば人間の男相手に性行為するのだってあり得ない。
なんで吾輩が同性相手に腰を振らねばならんのだ。気色悪い!
誘惑までは良い、どうせこれは自分の体じゃないし裸を見せるぐらい構わない。でも性行為は別だ。接吻だって好きでも無い奴とするぐらいなら舌を噛みちぎって死んでやる!
だから、これはただの脅し文句。でも少女はそんな事分からないから声に涙が混じる。
『お、おい。それは私を脅すための冗談、だよな? なあ……え、まさか本気だとでも……?』
「ふむ? 悪魔の言葉を疑うか。どれ、吾輩が本気か否か、貴様の体で確かめてみるがいい」
道行く豚を追いかけて捕まえる。
吾輩は悪魔だし、さすがに子豚相手に負けないぞ。豚の前足を掴んで目の前に持ち上げた。
「おお見ろ、オスだ。性器が付いてるぞ。運が良かったな。今日を貴様の破瓜記念日にしてやろう。む……そう言えば、今日は貴様の18回目の誕生日だったか? ふはは、生涯忘れられぬ日になるな!」
『ひっ……』
ぶひぶひ煩いなコイツ。
というか野生臭い。汚い。嫌悪感が凄い。
これでも吾輩綺麗好きの悪魔なので。ぶっちゃけ豚に触るのもちょっとイヤ。
……こんなので興奮できる奴はいるのか?? だとしたらそいつは相当の異常者だ。理解できぬ趣向よな。
『な、何が望みだ。私は何をすれば、いい?』
「クハッ、戯れだ。冗談。本気にするな愚か者」
『は、はは……そうか、冗談か。あ、あはっ。あはは……っ!』
「クハハ! ああ、不味い不味い。やはりこれは駄目だな、好かぬ感情だ。っぺ」
安堵、だろう。
吾輩が冗談と言った瞬間に湧き出た、泥水のような土臭さと苦味を含んだ少女の感情。
だがその中で僅かに混じる、香ばしい焼魚の風味。
これはなんだ。
恐怖? 疑心か? ふーむ……判断に難しいな。まあ、吾輩が美味いと感じる以上は、少女の悪感情であるのは間違いない。
さてはて。
この調子で、吾輩が美味いと感じられる
おっと間違えた。
きちんと成長して少女と再戦をせねばならんのだったか……うぅん、凄いイヤだなぁ……この精神力オバケと戦うの。
▼
人が歩くのも困難な崖を超え、深い森を超え、幾つもの公共交通機関を乗り継いでようやくたどり着いた文明の都。長沙黄花国際空港は騒々しい所だった。
「せかいさいこうの しれんは いかがでしたか!?」
「かんそうを おきかせください! みよしさん!」
「ぴかぴかと眩しいな。アレは写真という奴だろう? なぜ吾輩がこんなに注目を浴びているのだ」
『記者たちだな。これでも私は有名人だし、仕方ない』
「ふぅむ。脅かしてやりたいが言語が分からねばどうしようもない。放っておくに限るか」
『そうしろ。私はもう家に帰って、ゆっくり休みたい……』
少女は吾輩の中で疲れを見せていた。
ダンジョンで死にかけ、吾輩に殺されかけ、生き残ったと思ったら身体を奪われる。
人生山あり谷ありどころの騒ぎでは無いな。一日の中で何度も生死を往復しているぞ、この少女。それは疲れる。
だが、奴隷が自由に休ませて貰えるとでも思っているのか?
『……なんだ、今度は何を言い出す気だお前』
「くはは、そんな警戒するな。なあに、少しばかりインターネットの使い方を教えてくれればそれでいい。どうもこの時代は吾輩の知っているそれとは少し違ってな。調べものだ」
『し、調べものだと……!? 私のパソコンで検索する気か!? 止めろ! それだけは止めるんだ!』
「なにをそんな慌てている。焦燥か? ふぅむ。炭酸のような味。しかし香味のない炭酸で苦味が強い……美味くは無いな」
『私が代わりに調べてやる! だからお前は私のパソコンに決して触れるんじゃない!』
「一々手間だろう。そんなこと……おっと、誰か来たぞ。貴様は喧しいから黙っていろ」
『――!!』
飛行機の搭乗口に向かう最中、記者たちが作った道の中央に立つ男が一人。
スーツをぴっちり整えて、頭髪をびしっと決めた中年男性。メガネが良く似合う悪そうな男だ。彼は柔和な笑みを浮かべて、流暢な日本語で語り掛けてきた。
「驚いたよ、三好さん。我が国に来てくれるなら早く言って欲しかったな。歓迎させて貰ったのに」
「……うむ」
なんだこいつ。どうやら、少女の知り合いらしい。
下手な事を言って本人でないと気付かれるのは厄介だ。しかし少女に対応して貰おうにも、コイツに助けを求められたらもっと厄介か?
最適解が分からない。
とりあえず少女の口調を真似て、謎の男を誤魔化しに掛かることにする。
「ダンジョン帰りで疲れてるんだ。私に用があるなら後日にしてくれ」
「あはは、相変わらず手厳しいね。でもそうはいかない事情がある」
たぶんコイツのあだ名は狐野郎。
目を細めて、ニヒルに浮かべた笑みは胡散臭い。ゆっくりと大仰に動かした両手が広げられた。
「悪魔が出現した。それも大罪級。これは世界の危機だ。何か知っているだろう三好、答えろ」
悲報。
吾輩まだ何もしてないのに、疑われてる。
ある日の少女宅にて――
悪魔「PCの検索歴が……なんだこれは。緊縛?」
少女「拘束された時の脱走用だ」
悪魔「睡眠薬レイプ物AV……これはなんだ」
少女「知らんのか。毒物を盛られるタイミングの勉強用として使えるんだぞ」
悪魔「姫騎士ロズナイト ~ っく、絶対に堕ちるものか ~」
少女「心構え」
悪魔「……」
少女「……」