魔法少女更生計画   作:親指ゴリラ

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1-9 悪魔崇拝

 

◇微睡む怪物ストレイシープ

 

 

 ストレイシープにとって、現世(うつしよ)とは全て水面に浮かぶ泡沫(うたかた)に過ぎない。

 

 夢と現実、その狭間に生きるということは即ち、あらゆる物事が幻であり、真実でもあり、人の命も出会いも、例外なく虚しい出来事である事を示している。瞳を閉じた先の光、ストレイシープの見る夢こそが魔法の正体であり、故に魔王パムはストレイシープへと「微睡む怪物」の名を送った。

 

 夢現のまま自由に動けるよ、と云うのがストレイシープの魔法であり、ストレイシープの世界だ。

 

 ストレイシープの魔法が生み出す霧は、現実のあらゆる現象から影響を受けない夢の残滓である。ただ其処に見えるだけであり、触れることも出来ず、故に、現実からの干渉は不可能である。

 

 そして、それが存在する事で夢の存在は証明され、現実は冒され、世界は書き換えられ、全てがストレイシープに都合の良い結末へと“上書き”される。ストレイシープの夢に干渉できるのは、ストレイシープ以外にあり得ない。他者からのいかなる関与も、その結果へ影響を与えない。

 

 ストレイシープとその周囲にあるものは、全てストレイシープの見た夢だ。異なる世界の光景を表面に重ね、其処に存在しているように見せかけている。例えるなら、蜃気楼のようなものだ。

 

 故に、“其れ”をどれだけ傷つけようとしても無駄である。夢なのだから、虚像なのだから。夢の中のストレイシープをどれだけ殺しても、ストレイシープにはなんの影響も与えられない。夢の中で傷ついたからといって、現実の肉体が損傷する、というのは因果が結びつかない。そのルールはストレイシープ以外の、ストレイシープの(魔法)の範囲内に存在するあらゆる物に適応される。

 

 無敵ではない。夢を見るというのは精神を消耗する、それが悪夢であるのなら、自分が傷つけられるのなら、常人であれば耐え難いストレスとなり、心を蝕み、限界が訪れる。夢の中で惨殺されたのなら、痛みは伴わなくとも、不快感は残るものだ。そしてその不快感こそが夢と現実の境界線を強く意識させ、やがて、夢は覚める。夢と現はハッキリと区別され、微睡むことは許されない。

 

 そう、本来であれば。ストレイシープ以外がこの魔法を手にしていたのであれば、其処が弱点となっていただろう。魔法少女としての師である魔王パムからも、そう指摘されていた。

 

 だが、ストレイシープは無敵だ。

 何も感じていないからだ。

 全てが幻であると知っているからだ。

 

 魔法少女として生まれ落ちたその瞬間から、この世の全てに現実感を持つことができなかったからだ。蝶の見た夢としか思えなかったからだ。現実と夢の違いを理解していても、実感が伴わないからだ。

 

 脳と精神に、欠落があるからだ。

 ずっとずっと、微睡んでいるからだ。

 

 

悪魔崇拝(バフォメット)

 

 それはストレイシープの抱える疾患に付けられた名前だった。一番最初に、魔王から送られた名前だった。悪夢の中で怪物と化す、ストレイシープそのものを表現した言葉だった。

 

 ストレイシープの側頭部、羊モチーフであることを表す巻き角が悲鳴のような音を立てて捻じ曲がる。技を言葉にする、というのはストレイシープのもつ感性からすると違和感の残る所作だった。だが、数多の魔法少女の中でも一際“イメージ”に魔法の性能が左右されるストレイシープにとって、その教えは何より大切な存在証明となる。

 

 禍々しく、螺子(ねじ)れて伸びる。

 それは、山羊(ヤギ)の角だった。

 

 ストレイシープの背後から現れた二つの掌が、ストレイシープの両目を覆う。皺が入った枯れ木の如き五指、森に潜む魔女の手だ。

 

「えっ、あっ、ちょっ……す、ストレイシープさん!? これ本当に大丈夫なやつですか!?」

 

「問題ない。すぐに終わる」

 

 ストレイシープと同様に視界を塞がれた病天仙の悲鳴を背中で感じながら、ストレイシープの意識は体から離れて、天から地を眺めるかの如き視座を手に入れる。

 

 

 敵対する魔法少女二人、そのうち一人には心当たりがあった。

 

 道化師(・・・)モチーフの赤い(・・)コスチューム、風船を操り攻撃する、魔法少女特有の美形をクラウンメイクで覆い隠した魔法少女。ストレイシープに負けず劣らずの無表情、それでいて、死体を冒涜する事にすら一切躊躇うことのない、非道に徹する精神性。

 

 魔王パムから伝え聞いた特徴と一致する。

 

 間違いない、魔法の国を恐怖で揺るがした要人暗殺のスペシャリスト。伝説の殺人鬼魔法少女、チュブラ・ルーンだ。

 

 かつて何人もの魔法使い・魔法少女達がその手によって屠られていったという。危険な相手だ、たとえ此方が標的でなかったとしても、野放しにするわけにはいかないだろう。

 

 そして、フリバルド侯爵を名乗る魔法少女。チュブラ・ルーンと違ってその正体に心当たりはないが、こいつも危険だ。交わした言葉の数は僅かだが、そこから読み取れる事はいくつかあった。目的の為に人殺しを躊躇わず、数手晒しただけでストレイシープの魔法に対する攻略法を思いつく勘の良さを持つ。長期戦になったら、どちらが先に倒れるかが分からない。

 

 その上、この騒動に関して何かを知っているのは間違いないだろう。

 

 逃げるだけなら、と。そう言ったストレイシープの言葉を否定しなかった。その上で、看守を殺害するための一手を仕掛けてきた。逃走した後に追手が差し向けられることを心配しているのかもしれないが、それにしたって態々死体だらけの現場に残り続けて残党狩りをしているのは些か不自然に過ぎる。

 

 その上で、初手(・・)から病天仙が看守であることを見抜いていた。遠くからストレイシープ達の様子を伺っていて、会話の内容からそれを知っていたとか。あるいは、生き残っていた他の看守から情報を抜き取っていたとか。探そうと思えば理由などいくらでも思いつくが、看守である病天仙を守ったストレイシープが囚人側(・・・)であると断定した事については、そう判断できるだけの材料があったはずだ。

 

 魔法少女はそれぞれが固有のコスチュームに身を包んでいて、その身なりは所属組織を示す要素にはなり得ない。見た目から判断する事はできず、ならば、判断要素を別に持ち合わせていると、そう考えられる。

 

 今さっき封印から解かれたばかりの、何も知らないはずの囚人に、そんな判断が出来るだろうか。仮に読心などの魔法を持っているのであれば、話は簡単だ。だが、これまでの様子を見る限りだとフリバルド侯爵の魔法はそのようなものではなく、物理法則に干渉する手合いに見える。

 

 考え過ぎなら、それでいい。脱走した囚人を捕縛する事で、ストレイシープが模範的な、魔法の国に対し反意が無い善良魔法少女である事を証明できる。

 

 だが、もしストレイシープの考えが合っている場合。フリバルド侯爵とチュブラ・ルーンのどちらかが、ストレイシープも病天仙も知り得ない、この脱獄騒ぎについての何かしらの情報を持っている可能性がある。

 

 理屈の上でも、そして、心情的にも、見逃すわけにはいかない。

 

 ストレイシープにとって、全ては所詮、夢の中の出来事だ。ストレイシープが魔法少女であり続ける限り、この世界は無価値な虚像であり、人生ではなく、偽りの物語だ。ストレイシープのこの行動も、善を成し罪なき人を守るという今の志も、所詮は自己満足であり、何の意味もない。

 

 だが、どうせなら心地よい夢を見ていたい。

 

 魔王パムのような、かつての仲間達のような。

 

 この世界こそを現実と信じ、ただ一つの人生と心に定め、全力を持って今を生きていく者達の明日を守る、そんな夢を見続けていたい。

 

 そしていつか、目を開き、蝶の見た夢が真実であったと。微睡みの中の友が、仲間が、命と出会いが、真実、ストレイシープにとって価値のあるものだったと、そう笑いあえる日々を手に入れたい。

 

 それこそがストレイシープの()であり、ストレイシープの世界である。

 

 世界を守る事に、理由などいらない。

 

 

◇フリバルド侯爵

 

 

 ああ、これは良くないな。と、フリバルド侯爵の勘が囁く。

 

 視線の先にいるのは、もはや魔法少女と呼べる代物ではない。黒い瘴気に包まれて、数多の骨によって外殻を作り、山羊の頭蓋骨を頂点に据えた、通路を遮るほどの巨躯を持つ怪物。

 

 一言で表現するのであれば、それは悪魔(・・)だった。

 

「ルーンさん!」

 

「わかっている」

 

 フリバルド侯爵が時間を稼いでいる間、バル・チュブラ・ルーンが何をしていたか。フリバルド侯爵から頼んでいた事はただ一つ、戦力の補充だった。そしてそれは既に完遂されていて、あとは撤退──いや、逃亡するだけだ。

 

 フリバルド侯爵の前で警戒していたスペードのエースの風船人形──名付けるとすれば、シャッフリンB(バルーン)だろうか──がバル・チュブラ・ルーンの命令に従い、悪魔に向かって攻撃を仕掛ける。

 

 高性能な素材(・・)を元に作られ、バル・チュブラ・ルーンの魔法で強化された兵士だ。その攻撃速度も、威力も、並の魔法少女を遥かに凌駕している。現に、フリバルド侯爵の動体視力を持ってしてもその槍捌きを捉える事は出来ていない。

 

 シャッフリンBの音速の連撃が、悪魔へと突き刺さる。おそらく、今の一瞬で最低でも十以上は突きを入れていた。それ以上は、フリバルド侯爵には見えなかった。

 

 だが、知っている。この悪魔に対して、物理攻撃など何の意味もないという事を。

 

 

『すまない』

 

 もはや瘴気に包まれて姿が見えなくなった、羊の──いや、山羊の魔法少女の声が、悪魔の中から聞こえた。看守の言葉を信じるのであれば、ストレイシープという名前らしいが……何が、迷える羊(ストレイ・シープ)だと。そう悪態を吐きたくなる。

 

 悪魔が持つ巨大な槍──こちらも、骨で出来ている──がシャッフリンBへと突き出される。シャッフリンBは当然、避けようとする。音速の突きを放つ個体だ、その俊敏性は言わずもがな。シャッフリンBの攻撃に比べて酷く緩慢な悪魔の、それも大ぶりな攻撃など、決して当たる事はない。フリバルド侯爵はそう思ったが、現実は無情であり、その期待は容易く裏切られた。

 

 

「キィ──ギッ」

 

 その瞬間、驚くべきことが幾つか重なって起きた。

 

 まず、悪魔の持つ槍がシャッフリンBに当たったこと。これはまだ分かる。悪魔の放つ瘴気の中から飛び出した骨の手が──本当に、いつの間にか、気がつかないうちに──シャッフリンBの四肢を拘束していて、それが原因で回避ができなかった。

 

 攻撃によってシャッフリンBの肉体が貫かれた事もまた、信じられない事だった。素材が元々持つ防御力──防御特化のハートのエースには劣るものの、十分高い──に加えて、バル・チュブラ・ルーンの魔法で強化された肉体は、容易く害されるものではない。その上で、悪魔の突きの速度からして、攻撃自体が弾かれる程度の威力でしかなかった。だが、槍はシャッフリンBの肉体を貫通し、シャッフリンBを苦しめて(・・・・)いる。

 

 そう──何より信じられないのは、シャッフリンBが明らかに“苦しんで”いる事だった。シャッフリンの死体(・・)に息を吹き込む事で作られたシャッフリンBには、生者らしい感覚も自我もなく、肉体は風船に置き換えられているため、痛覚なども存在しない。生前の記憶だとか、感情だとか、そういった要素も全て奪われている。

 

 そのシャッフリンBが、まるで生きているかのように苦痛にもがき、絶望の表情を晒して、悲鳴をあげている。魔法がイメージの世界であり、使い手の意思を反映するとするならば──今この瞬間、バル・チュブラ・ルーンの魔法をストレイシープの魔法が上回ったという事なのだろうか。

 

 悪魔を視界から外さず、バル・チュブラ・ルーンを横目で捉える。無表情・無感動な相貌に僅かな驚きの感情が宿っている、バル・チュブラ・ルーンにとっても想定外の出来事という事だ。

 

 キィ、キィと。

 

 フリバルド侯爵をして哀れみを覚えずにはいられない、そんな鳴き声をあげながら。シャッフリンBが、手足の先から順に消滅していく。風船の肉体から、生前のそれへと変化し、そして、黒い霧となって宙に散っていく。

 

 山羊の頭蓋骨が、その霧を啜っていた。

 捕食しているのだ。

 

 

『これが、其方(・・)にとっての悪夢であることを祈る』

 

 それはまさに、悪夢のような光景だった。

 フリバルド侯爵はこれまで、その仕事柄、沢山の死を目撃してきた。その中には心底憐れみを覚えるような、凄惨な最期もいくつか存在していた。

 

 だが、今この瞬間において。もはや憐れみを感じるほどの余裕は、フリバルド侯爵の中に存在していない。あんな最期だけは、死んでもごめんだった。

 

 飄々とした態度の裏で、冷や汗が止まらない。

 

 フリバルド侯爵の魔法は、それによる攻撃は、ストレイシープによる妨害を受けずに、看守である病天仙へと届いていた。それはつまり、フリバルド侯爵の移動(・・)を遮る手段が、ストレイシープの手札に存在していないことを示している。そう思っていた。

 

 だからこそ、ストレイシープと病天仙を引き離すことを考えていた。簡単だ、ストレイシープを避けて病天仙に触れる、それだけで全てが終わる、その筈だった。

 

 その考えを切り捨てる。あの魔法少女が纏う瘴気に触れて、無事である保証がない。仮に百のうち九十九で突破できるとしても、残る一で触れてしまう可能性が残っているのなら、いや、その更に百分の一でも。あの瘴気からの干渉を受けてしまうのであれば、そんなリスクは犯せない。

 

 フリバルド侯爵はまだ、死ぬわけにはいかない。

 やり残した事、やりたい事、やらねばならない事が沢山残っている。そしてそれは──少なくとも、この場所から逃がさなければ、自由にならなければ、しなければ、叶える事が出来ない。

 

 フリバルド侯爵は、自由の象徴だ。

 旅人であり、渡り鳥であり──何より自由でなければならない。誰よりも自由でなければ、自由を与えられない。

 

 逃亡、一択だ。

 

 

「ふりばるど」

 

「分かってます」

 

 バル・チュブラ・ルーンも同じ判断をしたのだろう。既に逃走のための一手を打っている。手にした風船……恐らく、囚人のうちの一人を素材(・・)にしたものだ。フリバルド侯爵が呼びかけに応える前から既に息を吹き込んでいて、間もなく、通路全体を塞ぐほどの大きさになる。

 

 自身に魔法を使用し、移動する過程でバル・チュブラ・ルーンにも触れる(・・・)。フリバルド侯爵とバル・チュブラ・ルーンの体が端から順に鳥へと変化(・・・・・)し、羽ばたき、悪魔とは逆方向へと高速の逃亡を始める。

 

 それから数瞬し、通路を塞ぐように残してきた風船が音と光を伴う爆発をしたのを、振動で感じ取りながら。

 

 ああ、良かった、と。

 

 フリバルド侯爵は、心の底からの安堵感に包まれながら。いつも通りの、優雅な逃亡劇へと身を委ねた。

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