◇ほろろ
『期待はずれ、ですね』
ほろろは夢を見ていた。夢を見ている自分を、どこか他人事のように自覚していた。封じ込められた空間と時の中で、何度も経験した、追憶した夢だった。
薔薇を身に纏う、妖精の如き魔法少女。
ほろろと、その家族を巻き込み。殺し合わせるために魔法少女の力を与えた、救いようのない、救われることのないだろう悪党。
森の音楽家クラムベリー。
その彼女が、ほろろの前に立っている。
あの日の夢だ。
ほろろが全てを奪われて、そして、全てを与える使命に気がついた、悪夢のような一日。ほろろの家族になってくれた沢山の少女達が、理不尽にもその命を奪われたあの時の、現実という名の地獄を見せられている。
祈るだけで、何も出来なかった。
何もしなかったほろろの罪が、過去という形になって、いつまでも、いつまでも、ほろろの心を苛み続けている。だからこそ、ほろろはその罰を受け続けなければならない。
『ぜーんぜん、面白くないぽん。せっかくいろいろ準備したのに、これじゃあ意味ないぽん』
『何人か、魔法には光るものがありましたが。魔法少女として戦うには、倫理観が足枷でしたね。殺し合いなのですから、殺すつもりで立ち向かってもらわないと。いくら能力があったところで、これでは』
『ファヴは同じ釜の飯を食べた子供達が殺し合うのが見たかったぽん。そのために面倒な段取りもしたぽん。なのに結局マスターが全員やっちゃったぽん、結局いつもとおんなじぽん』
心底つまらない、という表情と声音で。
二人の悪魔が喋っている。その瞳に、ほろろは映っていない。ただ祈るだけだった弱者のことを、あの者達は視界に入れることすらなかった。
彼女達が求めていたのは、凄惨なる殺し合い。
そして、自らに立ち向かってくる強者との戦い。
子供達を守れ、逃がせ。そう叫んで自ら時間を稼ごうとした神父様は、何度も何度も叩きのめされ、人の形を保てなくなるほどぐちゃぐちゃになって。それでも、限界までほろろの兄弟達を守って死んだ。
戦いの場から逃げようとした最年少の子供達は、そこかしこに仕掛けられていた劣悪な罠に囚われ、蹂躙され、あるいは片手間に、何でもないようにその命を奪われた。
森の音楽家はその全ての者達の命を、返り血を浴びて赤く染まった衣装を身に纏い、当然のように生きてそこにいる。疲弊することも、苦痛に呻くことももない。ただあるがままに、ともすればリラックスしているようにも見える様は。戦いに参加しなかったことで生き残った子供達に、絶望を与え、立ち向かう気力を奪った。
だけど、それでも。
彼女達の望む、家族同士での殺し合いは起きなかった。同じ施設で過ごし、心に負った傷を共有し、血の繋がりよりも強い結束で結ばれた子供達は、ほろろの家族達は、幸福を祈り、恨み言の一つも言わずに。自分以外の家族の事を思って立ち上がり、その高潔なる精神が故に他者を傷つける事を善とせず、他の家族の身代わりとなって死んでいった。
許せない事だった。
ほろろが救うべき、救われるべき人々だった。
それが、なんの意味もなく。
理不尽な悲劇によって、尊き命が。
そこまでして彼女達が望んだ物など、最初からあの場所には存在していなかったというのに。
『キリエ……お願い、まだ戦える』
ほろろに出来たのは、祈ることだけ。
そして、その祈りがほろろの魔法によって炎へと変わる。ほろろの祈りが、神を信じ奇跡を願い救いを求める感情が。ほろろの家族を癒やす炎となって燃え上がり。
その、せいで。
ほろろの大切な家族は、両親を失って一人になってしまったキリエを優しく迎え入れてくれた人は。死に至るほどの傷を、痛苦を与えられて、それでも治療を施された、姉、みんなが慕っていた、子供達のまとめ役の魔法少女、大切な人は。
ほろろのせいで、ほろろがいたから、いたのに、救えなかったから、何度も何度も立ち上がって、家族のために立ち向かって、それで、それで、何度も何度も殺されかけて、苦しんだ。
『みんなを、子供達を守らないと』
『お願い、お願いよ』
目を潰され、鼓膜をぐちゃぐちゃにされて。
何も見えず、聞こえない。そんな暗闇の中にいるにも関わらず、それ以上の苦痛を、困難を、みんなを守る事を、譫言のように繰り返して囁くその人の姿を見て。
何故、どうして。この人はこんなにも苦しんでいるのかと。どうして、神様はこの人のことを救ってくれないんだろうと。ほろろが、そう疑問に思ったから、与えられた教えを、価値観を疑ってしまったから。
だから、ほろろの愛した人はもう救われない。
傷を癒し、痛みを取り除き、死の淵から魂を呼び戻す清廉なる白い炎は、ほろろの祈りと共に永遠に失われ。姉と呼び慕った大切な人の心と体を、もう二度と救ってはくれなかった。
ほろろに出来たことは、抱きしめることだけ。
無力感に打ちひしがれながら、最愛の人を胸に抱いて、出血と共に失われていく命の炎を、一番近い場所で感じる事だけで。そんな悪夢を、忘れられないあの日の夢から、一日でも逃げられたことはない。
──神よ、どうして。
崩れ去った信仰心の瓦礫に埋もれながら、ほろろは、キリエは、それでも主に問いかけずにはいられなかった。
ほろろは、キリエは、救われなくても仕方がない存在だった。元から罪深く、愛する人々と同じ場所に行けるような人間ではなかった。
だけど、なぜ、どうして。
ほろろの愛した人たちを、何の罪もない子供達を、ほろろに救いを与えてくれた家族を、神はお救いにならないのかと。ほろろを愛してくれた人たちが救われるのであれば、ほろろは永遠の孤独の中で、喜んで地獄の炎に焼かれ続けるというのに。
『助けてあげないのですか』
ほろろの問いかけを、聞き咎めた訳ではないのだろう。
純粋に、自分に立ち向かってくる相手に飢えている。そんな感情を隠すこともなく声音に乗せて、森の音楽家はほろろに魔法の使用を促す。
そこではじめて、ほろろの意識は。祈りと問いかけの狭間から立ち返り、目の前の魔法少女へと向けられた。
ほろろの魔法は、感情を炎へと変換する。
その効能はほろろの抱く様々な情動によって変化し、揺れ動く心の振り幅が大きいほどに強い力を発揮する。
この悪魔を、悲劇の元凶たる存在を。
ほろろが憎んで、恨んで、殺意を抱くことができれば。あるいはその瞬間に、勝敗はついていたのかもしれない。
だが、ほろろは森の音楽家を恨めない。
人殺しは嫌いだ。その動機が身勝手なものであるならば尚のこと、好ましく思う理由など何処にも存在しない。それなのに、ほろろの憎しみや怒りは目の前の魔法少女へと向いてくれない。
理由など、わかりきっている。
祈りと願いを、捨てきれなかったからだ。
何も持たないほろろに、キリエという少女に与えられた唯一の光にして希望だったそれを、誰かの幸福を願うという考えを、教義を、後付けの倫理観を、どうしても手放すことが出来なかったからだ。
その上で、森の音楽家ではない者に。
すなわち、信じていたはずの神に対して。
これ以上ないほど粘ついた、ヘドロのような恨みを抱いてしまったからだ。目の前の悪よりも、ほろろの家族を傷つけた魔法少女よりも。今この瞬間に救いを与えてくれない神へと、憐れな魂を野放しにしている主へと、怒りを向けてしまったからだ。
だから、ほろろは殺せない。
殺せないから、誰も救えない。
何も成し遂げられない、憐れなキリエ。
このまま対抗することもなく、ただ一つの命を無造作に奪われるか。あるいは、全てに絶望して自ら命を断つか。そのどちらかしか未来は存在せず、多くの犠牲者の一人として名前も残らず消えていく。
その筈だった。
『キリエ……よ、よかっ、たね』
『────え?』
物事は、そして価値観は、ちょっとしたキッカケで大きく変わることがある。ほろろにとってのそれは、姉と呼び慕った魔法少女が死の間際に見た夢だった。
『た、助かった、んだ。み、みんな、無事で、よかった、よかったよ』
『ね、ねえさん……なに、何を』
『よかった、よか、った……きり、え』
姉が見ていたのは、儚くも美しい、希望に満ちた夢だった。悪意によって彩られた地獄への道から足を踏み外して、存在しない奇跡によって救われる。そんな、この場で犠牲になった誰もが望んでいた未来。
つまり、殺し合いから逃れて。教会のみんなで、孤児院の家族全員で生き残った。今となっては叶うはずもないそんな夢を、命尽きる数瞬の奇跡として享受し、残された僅かな命を燃料として燃えあがろうとしている。
『ほら、な、なかない、で? もう、こわくない、た、たす、かった、の……』
それがただの幻覚であることを、ほろろは知っている。だが、いったい何処の誰がこれを否定できるのだろうか。姉が見ているこの夢を、ただの願望だと切り捨て、無理やり延命し、終わりのない戦いに、現実という絶望に満ちた地獄に突き落とすのが、本当に正しいことなのか。
ほろろの胸の中に、新しい感情が火を灯す。
その感情に、名前を与える事は出来ない。一言で表すにはあまりにも複雑であり、ほろろの語彙で言語化するのは不可能に近い。それでもあえて、無理やり言葉にするとしたら。それは『憐れみ』と呼ばれる感情に近しい何かであると、ほろろは感じ取って。
火に燃料を焚べた。
尊いものを、命を捧げた。
『──おや』
『さっきまでと色が違うぽん』
生み出した青い炎が、姉と慕った魔法少女の肉体を蝕み、僅かに残された命を燃え上がらせる事で燃料とし、刹那に見た理想を永遠のモノに変える。
救われたその先の、これから彼女に与えられるべきだった彼女自身の人生を、魔法少女として人々を救い、家族みなで世のため人のために生き、健やかに育ち、生きる道をこれを定めてそれぞれが道を別れ己の人生を謳歌し、思い描いた理想を叶えて幸福に過ごす日々を。走馬灯のように一瞬であるそれを引き伸ばし、現実よりも素晴らしく満たされた道を塗装して渡り切らせる。
ほろろにとって、この世界を生きる人にとっては一瞬のことでも。それを夢に見る者が、幻覚を現実だと錯覚できるように。当人の持っていた可能性、寿命を急激に燃やす事で燃料へと替えて、本来与えられる筈だった『一生』を夢に見させる。
夢の中の姉は進学し、恋を知り、密かに抱いていた夢を叶え、成功した人生を送り、その過程で得たものを自らのように恵まれない子供達へわけ与え、自らも子に恵まれ、悲しい別れを経験しつつも前を向き、穏やかな日々を過ごして美しく歳を重ね、最後を迎えるまで幸福に満ちたまま、大勢の人々に惜しまれながら一生を終えた。
全て夢幻、嘘偽りに過ぎない。
だが、それを知っているのはほろろだけだ。
たとえそれが気休めでも、現実に存在しない幸福であったとしても。そうと気付かせずに貫き通せば、夢見た者にとっての現実となる。
この救いなき世界に生まれ落ちた悲しい命の、真の幸福となり得る。
悲しく、辛い別れに嘆くのはほろろだけだ。
幸福な夢の中で逝った彼女には、関係のない世界の出来事だ。姉は憐れな存在ではない、最後まで夢を見続けた彼女にとって、理不尽に命を奪われかけたというのは、長い一生のうちのほんの僅かな、遠い過去の出来事に過ぎない。
だから、これでいい。
これこそが、ほろろの願った救いに他ならない。
神が彼女を、救わないのなら。罪なき魂に、痛苦のみを与えるというのであれば。そんな神など、現実など、世界など必要ない。ほろろが無力に祈り、何もなさなかった事で誰も救えないくらいならば。
『キリエが、私が、ほろろが』
『みんなを、救います』
『ほろろが、殺します』
ほろろが、全てを殺す。
殺す事で、この辛く苦しい現実から救済する。
ほろろは、ほろろが憎い。人殺しだ、嫌いだ。
だが、殺す意思がなければ誰も救う事が出来ない。森の音楽家は言った、殺すつもりでなければ意味がないと。その通りだ、最初からほろろが手を汚す覚悟を持っていれば皆救われた筈だった。
二度と間違えない。
『このまま不完全燃焼で終わるかと思いましたが、これはなかなか……面白く仕上がりましたね』
『まぁ。ちょっとは見どころがあったぽん。でも、またマスターだけ得してるぽん。ファヴは殺し合いが見たかったぽん』
だから、寝ている場合ではない。
こうして夢に浸っている間にも、多くの人々が苦しみ、その命を奪われる恐怖に苛まれている。苦しみ、悲しみ、恐れ、それでも手放す事なく重荷を背負わされている。
奪われ続けているのだ。許せない事だった。
起きなさい、ほろろ。
お前が夢を見る事は許されない。
それは愛すべき人々にのみ与えられるもので、つまり、ほろろにだけは不相応な恩寵なのだから。
『──大丈夫です。あなた達も、そう、救います』