◇フリバルド侯爵
『フリバルド侯爵』は紛う事なき悪人であり、罪人だ。
侯爵と名乗ってはいるものの、別に古い時代の人間というわけでも尊い生まれでもない。現代に生まれた、ごく普通の無力で無能な一般人。嫌悪してならない自由なき弱者、それが以前のフリバルド侯爵だった。
虐げられるだけの、奪われるだけの人生だった。
語るほどの面白い出来事など一つもない、思い出すのも苦痛な人生だった。
それが変わったのが、変わってしまったのが、魔法少女になったあの日だった。
元弱者は力を得て、極端な“悪”の道へと進んだ。
誰に強制された訳でも、それしか選択肢がなかった訳でもない。あくまで自由意志で、自分自身で決めて歩んだ先が、他者を侵して奪って逃げ仰るという、そういう世界だった。
魔法少女になって手に入れた力は強力であり、同じ魔法少女であったとしてもフリバルド侯爵を止める事は難しい。最初からそれを知っていた訳ではないが、だからこそ、その選択は打算ではなく本能によるものだったと。フリバルド侯爵は自分の中の
魔法の力を手に入れて、フリバルド侯爵はようやく自由になったのだ。
自由。そう、自由、それに憧れていた。だけど、憧れるだけでは手に入らないものだと理解していた。理解した上で、諦めていた。フリバルド侯爵になる前の彼女の手元には、ひとかけら程度の自由も存在していなかった。
それでも、大切なものはあった。自分の命よりも尊く、かけがえのない宝物だけは手元に残っていた。
大切なものには、自由を与えてあげたかった。
だが、宝物は奪われた。
魔法少女になる前のフリバルド侯爵は、ただ茫然とそれを眺めるしかなかった。奪われた後の、何も残らなかった住処を。降り注ぐ雨にうたれながら、ただただ、見つめるしかなかった。
世界は何一つ、彼女に優しくなかった。
現実は彼女から、生き甲斐の全てを奪った。
だから、フリバルド侯爵は許さない。
魔法の国を、魔法少女を、第八宿舎を、看守を。
奪われたモノを奪い返す、そのために悪に生きると決めていた。他者から奪い、傷つけて、必要とあらば殺す。その行いに何一つ躊躇いはなく、そして、他の誰もフリバルド侯爵を止めることは出来なかった。
フリバルド侯爵の強さの源は、自由であること。
誰かが避けるような悪辣な手段を、一切躊躇いなく選ぶことの出来る自由さ──手札の多さこそが戦いを優位にすると理解しているからこそ、身勝手に生きても許される強さを持っている。
「────いや、それは困るんだ」
自分自身と、自分の手で触れたもの。
それらを問答無用で白い鳥へと変化させ、意のままに移動させる。
『目的地が何処でも辿り着けるよ』
それが、フリバルド侯爵の手に入れた
フリバルド侯爵の魔法によって鳥と成ったあらゆるものは、目的地に辿り着くまで止まることなく羽ばたき続ける。それは何人たりとも妨げることのできない自由への飛翔であり、半自動的に最短距離を導き出し、物理的な障害に阻まれる事なくすり抜け、必ず、旅程を完遂せしめる。
それが凶器であれば、例えば刃物であるのならば。その目的地が“敵の心臓”であるならば。手元を離れた鳥は防御不可能な必殺の一撃となって、必ず
その一撃は、確かに
「────誰だよテメェは」
同時に、フリバルド侯爵は自らの失敗を悟った。背後を取っていたフリバルド侯爵へと、梟叩雀街の振り上げられた拳が向けられている。
ナイフは、間違いなく心臓に刺さっている。
普通の生き物であれば、心臓をナイフで刺されれば死ぬ。それは、魔法少女であっても関係ない。魔法によって耐性がなければ、普通ならば、死ぬ。
梟叩雀街は死んでいない。
「ポッと出が、シャシャってんじゃねーぞ!!」
「おっと」
それでも、なんの問題もない。
攻撃された、と認識するよりも早く。自身と、隠し持った幾つかの道具に魔法を使用する。白い鳥へと変化した肉体が意思を離れ、あらかじめ決めていた通りの目的地へと移動を始める。
目の前の魔法少女はフリバルド侯爵の魔法による変化に表情ひとつ動かさず、空振った拳を引き戻しながら追撃の蹴りを放つ。その攻撃はフリバルド侯爵が放った囮用の鳥へと迫り──触れるか触れないか、といったギリギリの接触を果たした瞬間、伸びきっていた筈の足が目にも止まらぬ速さで引き戻された。
魔法少女として強化されている身体能力を加味しても、明らかに蹴りや殴りの出が早い。戦いに慣れている、というだけではなく、どう見ても肉体のスペックで凡百の魔法少女を優越している。
フリバルド侯爵には判断できなかったが、恐らくそれに触れていたのだろう。“梟叩雀街”という目的地に辿り着いた鳥は魔法が解け、先ほど投げつけたナイフと同様に元の姿を取り戻し、されど、目的への加害という結果は齎さない。
偶然か、それとも意図して行ったのか。
フリバルド侯爵の魔法が解けるほんの一瞬、ごく僅かな時間で、梟叩雀街は足を逃したのだ。触った筈なのに触れていない、そんな違和感に反射したのか。あるいは、他の方法でフリバルド侯爵の攻撃を、害意を察したのか。どんな絡繰かは知り得ないが、大したものだ。
だけど、そんな事は
「あ────?」
鳥から元の姿──シャッフリン
轟音をたてながら爆発したシャッフリン
悠々自適な旅で爆心地を離れながら、フリバルド侯爵は見た。
魔法少女一人を殺害するに過分な光と熱のど真ん中を走り抜けた、死んでいるべき、そうでなくても重症を負っているべきである魔法少女が。怯む事なく、臆する事なく、怒りの表情を浮かべて。その場を離れつつある鳥へと追いすがり、その強靭な拳を振り上げているのを。
ほろろと戦っていた時でさえ、強い魔法少女だと思わされた。どういう訳か即死の青い炎を無効化し、磨き抜かれた体術で反撃すら許さぬほど一方的に相手を叩きのめし、それとは関係のない所で自らを有利にする小細工を用いる。戦い慣れているし、勝ち慣れている。少し観察しただけで、それが見てとれた。
だが、それでもここまでの速度は見せていなかった。フリバルド侯爵の監視に気づいていたのか、単に手を抜いていたのか。ほろろとの戦闘は、本気ではなかったのだろう。
なるほど、たしかに。危険人物だらけの監獄で、囚人の魔法を封じているとはいえ。恨まれやすい体罰を、肉体言語による矯正を任されるだけはある。看守長であるルダとはまた違った形の実力者であると認めざるを得ない。
胸元を貫いたナイフを抜く事すらなく、それどころか気にする様子もなく。爆発で所々破れたコスチュームを纏いながらも、その肉体は健在であり。
悪鬼羅刹の如き表情で、いつ取り出したのかも分からないメリケンサックを両手に装備した看守は、梟叩雀街という魔法少女は。
「何処の誰だかシラネぇけどな────」
高速で移動する白い鳥へと追いすがり、そして。
「オレに歯向かってタダで済むと思うなや!!」
決して触れることが出来ないはずの鳥を、その拳で叩き落とした。その事実だけは、フリバルド侯爵にとっての予想外だった。
◇
梟叩雀街は第八宿舎の中でも立場が上の方であり、他の同僚よりも裁量が大きく、様々な面で自由が効く。
通常、看守たちは魔法の道具の持ち込みを制限されている。もちろん業務上必要なものであれば認められる事も多いが、かといって際限なく許されるわけではない。
魔法の道具と一言で口にしても、実際には沢山の分類がある。それらの殆どは「誰でも」使用することが可能である場合が多い。魔法少女の魔法に紐づいた道具ですら、奪われれば誰でも使えてしまう。
第八宿舎が作られる原因となった脱獄事件では、切り付けるだけで「人の認識を操る」ことが可能な剣を持った魔法少女が、その剣を用いて様々な惨劇を巻き起こし……当人の死亡が確認された今も、剣の行方は不明のままだ。仮にそれを手にした者が悪用しようと思えば、いくらでも魔法の国に損害を与えることが出来るだろう。
更生が目的の施設とはいえ、収容されているのは罪人であり。彼ら彼女らに魔法の道具を奪われた時の被害を考えれば、持ち込みが制限されているのは当たり前の事だ。
だが、梟叩雀街にはそれがない。
どんな物を持ち込むかは事前に報告してあり、誤魔化したことはない。通常では考えられないほどの魔法の道具を持ち込み、それを許可されている。
梟叩雀街の魔法は、冷静さを自身に与える。
とはいえ、魔法少女は変身した時点で常人よりも遥かに精神面で強化されているため、字面だけで評価するのであればそこまで強力な魔法ではない。梟叩雀街が魔法少女になった時、その魔法を国に報告した時、試験を受けた時。誰しもが梟叩雀街の魔法を侮り、そして認識を改めた。
いつ、如何なる時も、冷静さを失わない。
それはつまり、状況や状態に関わらず自らのするべきことを最短で把握して、実行できるということでもあり。
梟叩雀街を最大限に活用するのであれば、状況に適した選択肢を無数に与えるのが一番であると、上司であるルダは理解している。
一瞬の判断が生死を分ける状況で、最適解を見つけ出す。両手に抱えきれないほどの道具の中から、使うべき物を選び取ることができる。
どんな場面でも、やるべき事を遂行する。
だからこそ梟叩雀街は看守の中で最も、“許される”魔法少女なのだ。
ナイフが心臓を貫いている。だが、死なない。死なないのであれば、ただのナイフなのだろう。魔法の道具ではなく、痛みが行動を阻害しない以上、長い時間でなければ放置しても問題ない。
不意打ちを達成した瞬間が、最も油断する瞬間でもある。即座に振り向き攻撃する。
見覚えのない魔法少女が鳥へと変身している。
殴りかかった手が、空を切る。間合いを見誤った訳でも、相手に避けられた訳でもない。捉えたと思った拳が、鳥をすり抜けた。明らかに魔法の効果によるものだった。一瞬にも満たない刹那、梟叩雀街の思考が加速する。
逃げてゆく鳥とは別の、大きさも姿も全く同じ鳥が梟叩雀街へと迫る。先ほどの現象を確かめるため、蹴りで迎え撃つ。
思考を加速する事で相対的に引き伸ばされた時間の中で、足先が鳥に触れた瞬間、触れた感覚が全くない事を再確認し、直ぐに足を引き戻す。
目の前で、鳥が魔法少女に──シャッフリンによく似た風船へと姿を変える。梟叩雀街が何かをした訳ではない。足で触れた感覚もない。ならばこれは、敵の魔法少女の魔法の挙動か、或いは遠隔で魔法の効果を“切った”のだろう。
魔法少女同士の戦いは、何が起きてもおかしくない。どれだけ強い魔法少女であっても、歴戦の猛者であったとしても、強い魔法や相性の悪い魔法にあっさり殺されてしまう事も少なくない。
だから、備えている。
現場レベルでの冷静さが活かされるのは、それ以前に可能な限りの準備を重ねて万全な状態で戦う姿勢を取ってからであることを知っている。
瞬く間に、はち切れんばかりに膨らみつつある風船を無視して、懐から武器を取り出す。「魔法のメリケンサックでどんなものでも壊しちゃうよ」という魔法を持っていた魔法少女をボコボコにした上で没収した、梟叩雀街の持つ魔法の道具の一つだ。
通常では触ることの出来ないモノでも、このメリケンサック越しであれば「触れる」事が出来る。
膨らみ切った風船が、梟叩雀街の
だが、梟叩雀街には効かない。
この程度のダメージでは足を止める必要すらない。
悪名高い「実験場」にて。
常人なら気が狂うような、過酷で残酷で非道なありとあらゆる魔法少女改造実験を
心臓を貫かれた程度で、爆発に巻き込まれた程度で。その程度で感じる痛みや受けるダメージなど、皆無に等しい。「実験場」での日々ですら、『冷静』な梟叩雀街にとってはいい思い出でしか無いのだから。ただの物理的な攻撃など、意味をなさない。
爆心地を走り抜ける。
メリケンサック越しに衝撃を感じる。
その行動が齎した結果を見て、相手が一枚上手だった事を悟った。
「道具だけで観客を欺く手品師は居ないんだよね」
先ほど聞いたばかりの声が、またしても背後から聞こえてくる。だが、先ほどと違って声が遠い。
殴り抜いた右手の先を、粘着質な液体が覆っている。装備していたメリケンサックごと、肘の辺りまでが粘液によって固められている。接着剤のような、トリモチのような。およそ何かを捕獲するために使われる道具のようであり。
これで梟叩雀街は、一時的にとはいえ片腕を封じられた。
自分や物を、鳥の姿に変える魔法。
その上で、他者からの物理的な接触を拒む効果もあり。一度変化すれば、元の大きさに関わらず一律で同じ容姿となる特性を兼ね備えている。それはすなわち、相手が魔法を解くまで何が変化した鳥なのかが分からないという事でもある。
風船を爆発させる直前の、視界を遮るほど大きく膨らんだタイミングで。自分自身が変化した鳥と、このトリモチを変化させた鳥を入れ替えたのだろう。梟叩雀街はまんまと嵌められたということだ。
とはいえ、この状態から打てる手など、いくらでも思いつく。メリケンサックが一つ封じられても、まだ片方が残っている。機動力も削られていないし、魔法の道具はまだまだ沢山ある。その中には、このトリモチを取り除く物だって、胸の傷を塞ぐ物だって、なんだって用意してある。
だが、しかし。
振り返った梟叩雀街が目にしたのは、自分へと向かって飛んでくる数十はくだらない白い鳥の群れであり。
貴族のような装いの鳥の魔法少女が、爆発に巻き込まれて吹き飛んだ炎の魔法少女に触れ、一匹の白い鳥へと姿を変える瞬間でもあり。
「それでは引き続き、お楽しみください」
得意げな表情で此方へとウィンクをするその乱入者が、迫り来る鳥で隠れて見えなくなるのを見送りながら。
手数を遥かに上回る物量で攻め立てられる、という。極めて対処が難しい状況へと追い込まれながら。
それでも、梟叩雀街は極めて冷静に捨て台詞を吐いた。
「二度と自分の足で立てないようにしてやる」