1-20 誰が為に
『ネクスタシーは、これから起きる事を知っている』
『未来を選んで、進むべき道を見定めて此処にいる。ネクスタシーが辿ってきた過去も、これから起きる全ての出来事も、単にネクスタシーが選び取ったが故のもの』
『だから知っている。このまま貴女が何もしないのであれば、少なくとも今日この場所で貴女の命が脅かされる事はない』
『だけど、それは貴女にとっては最悪の未来。貴女の
『今この場所でネクスタシーがそれを教えるのは、ネクスタシーの言葉が貴女の未来をより良いものに変えるから』
『貴女がどれだけ悩もうと、貴女の未来はもう変わらない。貴女がどんな結論を出すか、どう動くのか、
『その上で、ネクスタシーは貴女にこの言葉を贈る』
『貴女の魔法が、彼女を救う』
『貴女の赦しが、貴女自身を救う』
『おめでとう、シスター・サンドラ。貴女の罪はここで清算され……その祈りはようやく届く』
◇シスター・サンドラ
罪人は、いつになれば許されるのだろう。
罪深い者とは、はたして、本当に。
一生を償いに捧げなければならないのだろうか。
ネクスタシーに告げられた時が刻一刻と迫ってくる中であっても、サンドラの考えることは変わらない。どうすれば、罪人を更生させることが出来るのか。どうすれば、彼ら彼女らはその罪を償い終え、己の所業に苦しむことなく生きていけるのか。
安らかな日々を送ることができるのか。
サンドラは一日だって、頭を悩ませなかった事はない。自らの魔法を用いて、いや、きっと魔法なんか無くても。サンドラにやれることはある筈で、だからこそ、やらねばならないという使命感が胸を焼く。
救わなければならない。過去は変えられずとも、考え方を改めさせ、真に悔い改めさせることで、これから歩んでいく道筋を整える事はできる筈だと。
そうでなければきっと、誰も救われない。
一生許されず、永遠に苦しみ、生きながらにして地獄の業火に焼かれ続けるなど。そんなのは、あまりにも悲しすぎる。
誰もがそれを否定する。
罪人は、それだけ許されない事をしたのだと。
決して幸せになってはいけないのだと。
『キリエは、ここにいていいのでしょうか』
被害者や第三者だけではない。
罪を背負った者、加害者であったとしても。
いや、むしろ罪悪感を背負っているものほど。
己は罪深いんだと、決して許されないんだと。そう考えて、思い悩んで、苦しんで……決して重荷を下す事はない。
『キリエは、キリエは……パパとママを、助けられませんでした』
あの子は言った、サンドラに助けを求めて告白した。サンドラの出身である教会の孤児院に、サンドラと入れ替わるようにして保護された少女。後の────ほろろ、と呼ばれるようになる痩せ細った少女は、確かに赦しを求めていた。
酒に酔った親にいつものように殴られて、寒空の下に肌着一枚で放り出された日。火の不始末で燃え上がった家を前にして、何も出来なかった時のことを。炎に飲み込まれて動かない両親を、自分を虐待していたとはいえ、間違いなく肉親であった二人を……見殺しにしてしまったと。呆然として動けず、気がついた時には手遅れになってしまっていたと。
周囲に助けを求めていれば、あるいは、怒られる事を恐れずに窓を割ってでも家に入っていれば。
告解室の向こう側、板を一枚挟んだ先で。震える声でそう懺悔するあの子の事を、サンドラは今でも夢に見る。
あの時、ああ、あの時に、もしも。
自分を許せなくなっていたあの子の罪を、サンドラが許していたのなら。吐き出された罪悪感を受け止めて、真摯に向き合っていたのなら。
あの子は、キリエは、ほろろは。
哀れな被害者であったとしても、赦されざる加害者にはならなかったかもしれないのに。
『キリエは、どうすればいいの?』
言葉が詰まって、何も言ってあげられなかった。
許します、と。その一言だけでよかったのに、それすら与えることができなかった。そのことに関して、キリエには何一つ落ち度などなかった。ひとえに、サンドラの心の弱さと……後ろめたさがそうさせてしまった。
あの日からずっと、サンドラの心はあの孤児院に置き去りになってしまった。ほろろによって全てが失われた今になっても、一度だって忘れた事はない。
『どうしたら、パパとママは許してくれますか?』
その言葉に対する回答を、この時のサンドラは持っていなかった。そしてそれは、サンドラがずっと探し続けてきたものでもあった。一度目の過ちを犯してしまったあの時から、サンドラは考える事をやめた事はない。
『……司祭さま?』
赦します、と。ただその一言を伝えればよかった。たとえこの少女自身がそれを赦せなくとも、その一言で救われる筈だった。
言えなかったのは、他でもないサンドラが自分を赦していなかったから。苦悩と後悔に満ちた、贖罪のための日々を過ごしていたとしても、ハリエットの行いを赦すことが出来なかったから。
キリエが悪いわけではない、赦されない訳ではない。ただ、サンドラにその一言を与える資格が存在していなかっただけ。
『キリエは、ゆるされませんか?』
なぜなら、サンドラの犯した罪こそ────。
「サンドラ看守!」
己の犯した罪について反芻していたサンドラへと、ルダからの叱責の声が届いた。眩しいと錯覚する程に、狭くなっていた視野が急速に広がり、目の前の現実を脳が認識する。サンドラに向けられていた槍を、ルダの手が止めている。
サンドラを気遣わしげに見るルダと、その魔法によって齎された結果がそこにあった。
意思を失い、暴走するように殺し合っていた囚人と、同様の様子で我を失って狂騒するシャッフリン達。五階層に収容されるような魔法も罪状も危険極まりない魔法少女達と、それを見張るために配置された人工魔法少女。五階層へと立ち入ったサンドラとルダを待ち受けていた彼女達は、その全員が意識を失って倒れ伏している。
傷ひとつ負わずに、汗ひとつ流さずに。
その上で、相手にも傷を負わせることなく鎮圧する。それだけの事ができる魔法少女を、サンドラはこの上司以外に知らない。
「サンドラ看守、ネクスタシーはああ言っていたけれどね。
「……はい」
ヒョイ、と。地面に積み上がった魔法少女達を軽々と、重さのかけらも感じていない様子で持ち上げて、個室へと収容し隔離する。そんな作業を繰り返しながら、ルダはサンドラへと語りかけている。何が言いたいのかを察しながら、サンドラはその光景を後ろめたい気持ちで眺める。サンドラが自覚するほどに、気持ちがこの場所に向いていなかった。過去へ、一人の魔法少女へと傾いていた。
「ほろろは間違いなく危険だ。おそらく、病天仙の魔法を以ってしても止めることが出来なかった。六層まで辿り着いているという事は、ミス・ティークが倒された可能性もある。その情報も含めてマチは上手く立ち回るだろうけど……ネクスタシーの言葉の意味には、気がついているんだろう?」
ルダが言いたい事を、サンドラは痛いほど理解していた。目の前の魔法少女は合理的な判断ができる大人ではあるものの、その能力の高さが故になんでも自分一人で解決しようとするきらいがある。それが常に達成されてしまうのは、彼女にとって本当に良い事なのだろうか。そんな横道に逸れる思考とは裏腹に、サンドラに向けられた視線をまっすぐに見つめ返す。
「
「ああ、彼女は403の魔法で嘘がつけない状態だった。病天仙の無事は明言したけれど、ミス・ティークやマチについては“分からない”と言っていた。403の生死についてはわざわざ口にしたのに、だ……まぁ、そういう理屈でいえば拙も無事に済むとは限らないようだけど」
細められたルダの瞳は、サンドラを通してその先にあるネクスタシーの行動の意図を探っていた。未来を見通す魔法少女の、その目的を見定めようとしている。
そして、サンドラの考えも。この後に待ち受ける現実に対して、サンドラが何をしようとしているのかを見抜こうとしている。
「拙は君と約束したね、ほろろ……魔法少女の才能を持つ身寄りのない子供達を集め、有用な人材として世の中に送り出す孤児院の、君を育てた施設の、最後の一人になった少女。第八宿舎に収容された彼女に立ち会わせる事、君の魔法を使って更生を果たし……彼女の心を救う事を」
「はい、確かに約束していただきました」
サンドラの境遇を知るものは、その殆んどがサンドラへと同情的な視線を向ける。実の両親に捨てられて孤児院で育った事、その帰るべき場所や共に育った家族が失われた事、魔法少女
「その気持ちは変わっていないかい?」
「それは、どういう意味でしょうか」
まさか、反故にするつもりなのだろうか。サンドラがそう考えなかったといえば嘘になるが、本気でそれを疑った訳ではない。ルダの言いたいことは分かっている。だけど、それを認められるかといえばまた別の話だった。
つまり、サンドラは全部分かった上で目を背けていた。
「ほろろは多分、黒幕ではないよ。彼女に
こんな、と言いながら。ルダはまた一人、一人と、倒れた魔法少女達を持ち上げては収容していく。彼女達は明らかに正気ではない状態で、それにも関わらず403による魔法の使用制限と、サンドラによって促された罪への忌避感を突破して、各々の魔法による殺し合いを行っていた。何者かによって精神を操る魔法を、それも、施設全体へ作用するような大規模な干渉を受けているのは間違いない。
今回の事件の絵図を描いた者が、それを行ったとは限らない。だけど、ほろろの持つ魔法の範囲の狭さや状況を鑑みるに、彼女よりも圧倒的に怪しいのは間違いがない。
だけど、仮に、ほろろが黒幕じゃなくて、巻き込まれただけだとしても。いいように操られたり、利用されているだけだとしても。これだけの事をした責任を、罪を、報いを、その身に負う事になるのは間違いないだろうから。
ルダが言いたいのはつまり、そういう事なのだろう。
「シスター・サンドラ、拙は前から思っていたんだけどね……君が彼女に対してそこまで負い目を感じる必要は「ルダ様」──ああ、拙が間違っていた。忘れてほしい」
第八宿舎に、魔法の国の組織に所属すると決めたあの日に、サンドラは自身の過去をルダには伝えていた。どんな罪を、してはいけない仕打ちをしたのか。善行をどれだけ積み上げれば、自分を許せるようになるのか、ずっと考えて生きてきた。
サンドラが一言、赦してあげていれば。
あの日、あの時、あの告解室にいたのがサンドラじゃなければ。あの子の過去を受け止めて、赦してあげられる誰かがあそこに居てくれたのなら。あの子が罪を重ねて壊れてしまうことも、全てが終わった後に顛末を知ったサンドラがこの後悔を抱えて生きる必要も無かったかもしれないのに。
あるいは、森の音楽家が事件を起こした時に。
サンドラが孤児院を出ていなければ。見知らぬ誰かを助けるために、という大義名分に身を任せていなければ。あの場所にいた素晴らしい人たちへの、罪悪感や後ろめたさに追い詰められていなければ。魔法少女同士の殺し合いなどという、許されない行いを止められていたのなら。
あの孤児院は、そこに暮らしていた家族は。
私たち全員の妹は、キリエという名の少女は。
今もあの場所で、これまでの辛かった人生の分だけ幸せに過ごせていたかもしれないのに。
「私が、ほろろを止めます」
ルダの瞳に映る少女の表情は、酷く苦しげでありながらも何かを期待していて。サンドラはその私心に満ちた面持ちを認められなくても、許さなければならないと感じていた。
自分を許せない者が、他者へ許しを与えられるわけがない。二度の失敗を経て得た後悔から、サンドラはその事を心で理解していたから。
『シスター・サンドラ、貴女が本当にほろろを救いたいと思うのなら────』
ネクスタシーの言霊が、サンドラの頭の中をこだまする。告解室の中で聞いた一言が、ルダにも伝えなかったその一言が、サンドラに全ての覚悟を終えさせていた。
『貴女の命を、彼女の炎に焚べなさい』
長き贖罪の旅の果てに、少女はついに許しを得る。
あったかもしれない未来、あってほしかった過去。
全てを捧げた彼女の献身が、地獄の炎を凍らせる。
最後に残された一つは、救われない者へ。
次回、魔法少女シスター・サンドラ 最終回
『罪を滅ぼす者』