1-4 囚人 微睡む怪物ストレイシープ
◇微睡む怪物ストレイシープ
くるくる。ひらひら。ぴかぴか。きらきら。
ほどけて。とんで。かがやき。きえる。
そうしてストレイシープは、微睡む怪物は、夢現を彷徨う魔法少女は、永き時を経て夢の世界からの帰還を果たした。
「ふあぁ……?」
背中に「熱」を感じる。欠伸と共に涙が流れ、それにも「熱」がある事を思い出す。ストレイシープにとって夢と現実に然程大きな違いはないが、久方ぶりに感じるその「熱」が、ストレイシープに二つの世界の隔たりを強く意識させ、結果的に、自分が今いるこの場所が、それまでストレイシープの居た世界とは断絶した、重力と感覚に支配された籠の中であるという事を、強く厳しく理解させる。
散り散りになっていた自我──ストレイシープ自身の意識が集まり、喪失感にも似た物寂しさが心を満たす。ああ、自分はまた
「……? 魔王?」
恩師であり、名付け親でもある、身元引受人の名を呼ぶが、返事はない。寝ぼけ眼で周囲を見渡すも、ぼやけた視界にその影が映ることはなかった。それどころか、見覚えのない──暗く、どこか「冷たい」光景だけが、ストレイシープの認知の世界へと照らし出さられ、ただただ、明らかだった。
約束をしていた、いつか迎えにくると。
ただ、今この瞬間が。ストレイシープが帰還したこの“現実”という名の時間と空間が、その“いつか”ではないであろう事実を、ストレイシープは受け入れた。迎えが存在しないということは、そういう事なのだ。
誰もいない。ストレイシープを認知する者は、この時間と空間に存在していない。ならば、これは現実でありながら──ストレイシープの好む夢の世界に近く、ほとんど等しく、寄り添うような距離にある、甘美な微睡みと同じだった。
だが、それでも現実は現実である。
ストレイシープは自身を取り巻く環境に、施された封印に、何らかの綻びが生まれた事を、すなわち、不測の事態が発生している事を理解した。
「ふぁ……はふ」
また一つ、欠伸が出た。
懐かしくも慣れ親しんだ、夢の世界には存在しない、生身の肉体が持つ生理的な反応だ。それこそが現実の証明でもあり、止まらぬ呼吸運動の煩わしさが、苦しく、心地よく、夢と現実の境をより大きく広げた。
眠りの中にある者は、欠伸をすることがない。
ならば、ストレイシープは間違いなく、目覚めているのだろう。孤独に、誰にも迎えられることなく、ただ一人で。
他者に認識されないのなら、ストレイシープにとっての現実は夢に等しく。孤独そのものがストレイシープを苛むことは無いが、せっかくの目覚めが味気ないものであることも、また、事実であった。
目を閉じ、両手で目元を擦り、目を開く。
薄ぼんやりとしていた景色が鮮明になる。
微睡みが終わり、つまり、今のストレイシープは裸にも等しく無防備だった。そんな事を頭の片隅で考えながら、極めて冷静に、周囲の状況を観察する。
まず、ストレイシープは自分が室内にいる事を理解した。
明かりが付いていないため分かりづらいが、壁紙などの色がついていない、ひどく殺風景な一室で。ストレイシープの他には何も存在しておらず、本当に最低限四方を壁で覆って世界から切り取っているかのような、ある意味で現実感のない部屋の中にいる。
「……病院?」
口に出してから、内心ですぐさま否定する。
あの空間には少なくとも、患者のためのベッドが存在しているだろう。ここには水指しも、花瓶も、ナースコール用のボタンも何もない。
そもそも、ストレイシープは封印処理を施されていたはずだった。ストレイシープの記憶違いでなければ……すなわち、あの日々が夢の中の出来事で無いのであれば。今いるここは、封印した魔法少女を保護する施設なのだろう。
それにしたって、この扱いはあんまりではないだろうか。
どのような手違いで封印が解けたのかは、つい先ほどまで夢の世界の住人であったストレイシープには預かり知らぬことだが。それでも、このような部屋に一人投げ出されるほどの行為に、心当たりはない。
その上、対応が遅いとも感じていた。
もし仮になんらかの不手際で、ストレイシープの封印が解けてしまったとして。ここが病院であるならば、看護師の一人や二人が飛び込んできて。体に障りはないかと、喉は乾いていないかと、職務に忠実に対応してくれる事だろう。魔法少女を保護する施設であれば……従業員? 警備員? とにかく、その職務に就いているものが様子を見にきてもいい頃だ。
今のところその様子は見受けられない。
ストレイシープの封印が解かれていることに、気がついていないのか。それとも、気がついた上で放置しているのか。
あるいは、ストレイシープに対応している余裕がないほどの何かが起きているのか。
ストレイシープは正直なところ、封印されていてもされていなくても、どちらでも良いと思っている。ストレイシープにとって、現実とは遠きいつかに見た夢の続きであり、夢はいつどんな時でもストレイシープの味方で、現実への入り口である。
二つに違いこそあれど、ストレイシープの主観では、価値観では、実感にしたって。最終的には全く同じものだ。
したがって、封印されていたこれまでの時間も、それが解かれた今この瞬間も。ストレイシープにとっては同じ夢の中であり、泡沫のそのものである。
だが、ストレイシープ以外の者にとって。
夢は夢であり、現実は現実なのだ。
迷惑をかけるつもりも、困らせる気もない。何より、言葉を交わし、納得して、自ら望んだ上での
ストレイシープはただ、“約束”をした“いつか”が訪れるのを、夢幻の世界で待ち続けていればいいのだ。
すなわち、今するべき事はただ一つであり。
その辺にいるであろう職員を見つけ出し、再度封印処理を実行してもらうのだ。
その過程で、可能であれば、旧友達の顔を見ることが出来れば嬉しい。ストレイシープが現実に求めることは、それくらいしかない。
とりあえず、この部屋を出よう。
そう考えたストレイシープは、自身の肉体に備わった、長い間使っていなかった感覚──五感の一つである嗅覚が、自身の意識に影響を与えている事を今更ながらに認識した。
あまりにも長期間、それを感じ取ることが無かったため。ずっと感じていたにも関わらず、気がつくことが出来ていなかった。
ストレイシープが感じたそれは、一言で言い表すのであれば──焦げ臭さだった。
────火事!
ストレイシープの頭の中で、スイッチが切り替わる。
それまでの薄ぼんやりとしていた意識が明瞭となり、思考速度が比較できないほど向上する。
ストレイシープは魔王塾において珍しく、戦う事に興味を持たない魔法少女であり、決して多くの場数を踏んできたとはいえない存在だった。
だが、それでも一定の実力を認められる存在であり、並の魔法少女とは一線を画す戦士であることは間違いない。魔王パムに認められるというのは、そういう事だ。
──火災……いや、魔法の国の施設はその程度ではビクともしない。
──電気系統が生きていない、施設の中枢で何かあったのか?
──ならば、襲撃か? 封印が解かれたのは、自分で逃げられるように? ……いや、その仮定ならば迎撃のためか。
自身の置かれた、不可解な状況。そして、周囲から得られる不審を煽る情報達。それらを加味し、ストレイシープは自らの行動方針を導き出し──。
カクン、と。
強制終了された機械のように、ストレイシープの思考は止まり、首が傾き、意識の中に虚無が生まれる。
ストレイシープの全身から薄桃色の霧が溢れ、溢れ、溢れ、部屋を満たすほどに漏れ出て。そうして霧で満たされた部屋の中から、今度はストレイシープを目指すように、それらは収束し、ストレイシープの周囲を覆い、そして、そうやって、ストレイシープは再び“微睡み”の中に居た。
ストレイシープを覆う霧だけではない。今や、ストレイシープ自身が現世を揺蕩う煙のようなものだった。そしてそれは、ストレイシープにとっての夢そのものであり。すなわち、今この瞬間において、ストレイシープとその周辺の現実は全て“夢”そのものに等しい。
うっすらと輝く二つの瞳だけが、ストレイシープの行先を照らす光になる。見知らぬ世界、自分以外の全てが嘘偽りのこの世の中で、ストレイシープはどんな時も己の瞳だけで行先を決めてきた。いずれ忘却の彼方に消えゆく物語であったとしても、なんの問題もない。夢は終わる、だが、また次の夢がストレイシープの現実となる。
それは今この瞬間も変わりなく。
何が起きていたとしても、それはストレイシープにとって蝶が見る夢そのものなのだ。
キキィ、と。
金属同士を無理やり擦り付けたような音を鳴らしながら、ストレイシープの視線の先で、扉が開いた。
ストレイシープが開けたわけではない。
だが、向こう側から誰かが開けたわけでもない。
ただ、“そうなるべき”だからこそ、“勝手に”開いたのだ。ロックが掛かっていたかどうかや、そもそも電気が通っているかどうかなどは、ストレイシープには関係ない。
全てを思い通りに出来なくとも、全てを夢見ることはできる。ストレイシープの魔法とは、つまるところ、そういう事だった。
扉の向こう側へ──現実という大海へ、足を進める。いや、ストレイシープは何もしていない。足を動かす必要などない。
ただ、煙が風に煽られて向きを変えるように。
ストレイシープは自らの体を浮かせ、自身を取り巻く霧と一体になって、その部屋からの脱出を果たした。
そして、その先で。
「これは……魔法少女、か?」
ストレイシープが見たのは、地面に倒れ伏した多数の人影だった。それなりの広さの通路だが、見たところ数メートルあたりに一人ほどは点在している。皆一様に地面に倒れ、あるいは壁に背中を預け、動き出す気配がない。
そのうちの一つ──ストレイシープが居た部屋の扉から最も近い、壁に寄りかかるように倒れた魔法少女らしき容貌の物体に近づく。
トランプ、トランプだった。
トランプのカードをそのまま服にしたようなコスチュームに身を包み、手には槍を持っている。
その、推定魔法少女というべきだろうか。
ストレイシープが見聞したところ、その魔法少女は──既に、手遅れのように見える。
念の為、口元に手を当てたり、脈を測ったり、揺すったりしてみるが──そこに、命の気配は感じられない。
つまり、死んでいるという事だ。
もう二度と、彼女たちが夢を見ることはない。
いや、もしかしたら。この惨状こそが彼女たちの見ていた悪夢であり、今頃は自らの現実に戻って温かい飲み物を片手に気持ちを落ち着けているのかもしれない。だが、万能ではないストレイシープにとって、そのどちらが真実なのかを知る術はない。つまり、ストレイシープにとっての夢である今この瞬間が。ストレイシープから見た彼女たちの現実であり、真実であることに変わりはない。
きっと、他の者たちも同じなのだろう。
もしかしたら……まだ息のある者がいるかもしれない。だが、それらを叩き起こしたとして、この現状について詳しい説明が聞ける状況かと言われると、疑問が残る。
ストレイシープが推測するに、恐らくだが、ここで戦闘があったのだろう。恐らく、という前置きがつくのは、この場に戦闘の形跡を感じられないからだ。
魔法少女が倒れている。そして、死んでいる。
だが、周囲の環境──通路らしきこの場にはそれらしい戦闘痕が殆ど残っていないし、この魔法少女のコスチュームには、汚れ一つついていない。
そして、何より。
この倒れ伏した魔法少女……らしき、何者か、は。本当に魔法少女なのだろうか。
魔法少女は、通常、変身した状態で死亡した場合。変身前の、元の姿に戻るはずだ。コスチューム姿で、倒れていて、ストレイシープが見た限りだと、息をしていない。これは本当に、魔法少女なのだろうか。人形か何か、という可能性が捨てきれない。
「南無阿弥陀仏」
念の為、手を合わせておく。
魔法少女の死体だった場合……もしかしたら、この施設を守ろうとして殉職した、ということも考えられる。
それすなわち、ストレイシープを守ろうとして死んだということだ。そんな相手を粗雑に扱えるほど、ストレイシープは冷酷ではないし、恩知らずでもない。
横にして、手で瞳を閉じ、胸元に一輪の花を添える。自己満足だが、それくらいはして良いだろう。
そんな事を、先にいる亡骸達へ繰り返し──やはり、生きている者は一人もいなかった──進むうちに、ストレイシープは幾つかの情報を手に入れる事となった。
まず、先ほどのトランプ柄の魔法少女。
倒れていた中に似た存在が何体かいて、その身に刻まれた図柄と数字以外は、見た目が殆ど一致していた。どの個体も生気はなく、やはり、死んでいることに間違いはないだろう。外傷がある者もわずか存在していたが、やはり、殆ど無傷のまま死亡していた。
数え間違いでなければ二十ほどは倒れていて、全体的にスペードとハートの図柄の者が多かった。推測するに、自身の分身を出す魔法の持ち主か何かで、察するに、トランプの図柄の数までは分身がいるのではないだろうか。
そして、それとは別の──普通の人間らしい見た目をした遺体も、何体か存在していた。こちらは魔法少女が死んで元の姿を見せたのか、それとも、元々ただの人間だったのかは判断がつかない。トランプの魔法少女と違って服装に統一感はなく、同じ組織に所属しているような雰囲気はない。魔法少女は変身すれば服がコスチュームに変化するため、変身前の服装に規定がないだけの可能性もある。少なくとも、ただの人間であるならば、同じ組織の同僚……という可能性は少ないだろう、身分を証明する物も持っていなかった。
この……死体だらけの空間で、ストレイシープは奇妙な安心感を得ていた。
この場にいた全員が、苦しむ事なく逝ったという事が分かったからだ。
そう……これまでストレイシープが見た推定被害者達は、その全員が外傷ひとつなく、そして、奇妙なことに、その表情に微笑みを浮かべて事切れていた。
ここまでくると、不可解を通り越していっそ不気味だった。ストレイシープが夢だと思っているこの世界は、他の者にとっては間違いなく現実だ、その筈だ。死ぬ、となれば。恐怖心や、苦しみ、諦念、殺し合っていたとすれば怒りや無念、そういった表情で倒れている事だろう。
それが、誰も彼もニコニコと……まるで、死ぬ事を心から歓迎していたかのような、そんな笑顔で逝っている。この惨状を生み出した原因がなんであれ、それは彼女達にとっての救いであった事だろう。
人は死に方を選べず、望む終わりを迎えられるのであれば、それこそ夢のような話だろう。魔法少女であるなら、それも、戦う魔法少女なのだとしたら、尚更のことだ。
そう、終わり方を選ぶことが出来るのは幸福だ。
その死が心を満たせるのであれば、これ以上はないだろう。ストレイシープは今に至るまで、自分で選んで終わりを迎えたことはない。終わりはいつも突然で、ストレイシープの事情など考えてくれず、思い出を残すことすら許してくれない。
そう、まさに今この瞬間のように。
「────え、えいっ!!」
考え事をしていたストレイシープの後頭部に、衝撃が走った。何者かの襲撃を受けたのだろう、と、そう思えども、ストレイシープにそれを確認する術はない。
振り返って、襲撃者の存在を確認することすらできない。何故ならば、今の一撃でストレイシープの頭部は完全に破壊され、後ろを振り返ることが出来なくなったからだ。
「え……えぇ!? あ、え!? 嘘……わ、わたし、そんなつもりじゃ……あ、ちが、そんな……」
やけに動揺した声を最後に。
ストレイシープの意識は、およそ半刻ぶりに。
暗く遠い、悪夢の世界へと旅立った。