魔法少女更生計画   作:親指ゴリラ

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1-6 看守一人、囚人

 

◇病天仙

 

 

 ──殺すつもりはなかった。

 

 そんな、ありきたりな、あまりにもあんまりな。

 ドラマや小説でよく見るような、捕まった犯罪者そのものの弁明──言い訳が病天仙の頭の中を埋め尽くした。山のような後悔が積み重なり、耐えきれないほどの罪悪感が、吐き気となって口から溢れ出る。

 

「うっ、お、ぉぇ」

 

 ツン、とした酸っぱい匂いが病天仙の鼻口を蹂躙する。好物であるオレンジジュースを飲んでいた影響か、吐瀉物はやや黄色味がかった色をしていて、それが更なる吐き気を呼び、ひきつけを起こしたかのように、横隔膜が痙攣する。枯れるほど流した涙がジンワリと目尻に浮かび上がり、いくつもの滴となって、地面の吐瀉物に小さな波紋を立てる。

 

 気持ち悪かった。圧迫感、嫌悪感、倦怠感、それらのマイナス要因が重なり、病天仙は胃の中の物を全部吐き出した後も細かくえずき、喉が焼けつく感覚と供に胃液を吐き出した。

 

 

「うっ……うぶっ、ぉぶ」

 

 病天仙は人を殺した事がない。

 正確にいえば、自分の手で直接命を摘み取った経験がない。先ほどまでシャッフリンと供に囚人相手に戦っていた際も──その記憶はもはや、病天仙の中にしか存在しないが──可能な限り捕縛するように指示をしていたし、誤って殺してしまった事はあれど、それは病天仙の魔法によって“無かった”ことになっている。

 

 記憶の中に存在している経験では、病天仙は誰も手にかけた事がない。というより、病天仙の持つ膂力ではどう頑張っても魔法少女の耐久を越える一撃を放つ事はできないため、魔法少女を相手にするこの職業に就いて以降は、病天仙自身が手を下す可能性はほぼ皆無に等しく。そういう“汚れ仕事”は、病天仙の請け負った責務に含まれていないし、期待されてもいない。

 

 そして何より、病天仙は職業魔法少女という身分でありながら、自分がそういった……いうなれば、咎を背負う覚悟が圧倒的に足りていなかった。その結果が、この醜態だった。

 

 

「大丈夫か」

 

 胃酸も全て吐き出し、それでもなお過呼吸が止まらない病天仙の背中を、誰かが撫でた。

 

「ぁ、ふっ、う、だ……だい、じょ、ふ」

 

「無理に喋らなくていい。落ち着け、だ」

 

 病天仙は魔法少女の中で見ると、実に平均的な背丈をしている。人間でいう中学生から高校生にかけての、世間一般的にも「少女」と呼称するべき程度の容姿であり、装飾の華やかさに傾倒しがちな昨今の流行りと比較すると、やや地味目なコスチュームを身に纏っている。

 

 病天仙の背中に添えられた手は、相対的にやや小さい。触られた感触から察するに中学生程度の大きさの掌であり、背を一往復するまでの時間がやや長い。だが、病天仙の乱れた呼吸に合わせて上下する掌から、丁寧な所作と確かな思いやりを感じる事ができていた。

 

 

「呼吸が落ち着いたな、立てるか」

 

「あ、はい……ご迷惑をお掛け──」

 

 誰だろうか、もしかしたら、上から助けが。

 

 そんな希望を込めて顔を上げた病天仙が見たのは、古めかしくも気品を感じさせるモノクロカラーのメイド服──に、似たコスチュームを身に纏った魔法少女らしき見知らぬ少女の姿であり。

 

 その首から上は存在せず、その代わりに、首の断面からは黒いモヤのようなものが天井に向かって立ち昇り、ゆらゆらと揺らめいており。

 

 それはつい先ほど、病天仙が攻撃を仕掛け──そして、頭部を完全に粉砕した相手だった。

 

 

「ひ、ひ、ひっ、ひえぇ、お、おおぉば、お化け!?」

 

「随分なご挨拶だ、な」

 

 病天仙は先ほどよりも大きな悲鳴を上げ、後退り、後退り、後退り、やがて何かにぶつかって停止し、それがシャッフリンの死体の一つであることを確認して、今度は小さな悲鳴が喉の奥から漏れ出る。

 

 シャッフリンの死体を見て、お化け──頭部不在の魔法少女を見て、もう一度シャッフリンを見て、そして魔法少女へと視線を戻す。

 

 

「聞きたい事がある。だが、その様子では無理か」

 

「あ、貴方は……お前は……!」

 

「お前呼ばわりとは。いきなりだな」

 

 病天仙の知る看守達の中に、目の前の魔法少女の姿はない。魔法少女というよりも、亡霊といった立ち姿だが──頭部を失って動けるなど、それこそ、普通の魔法少女ですらあり得ない。間違いなく、この魔法少女の持つ固有魔法によるモノだろう。それくらいの事に思い至れるくらいには、病天仙は冷静さを取り戻していた。

 

 つまり、脱走した囚人の一人。

 この事態を引き起こした元凶の、その一つ。

 

 非常時にあっても手放さなかった警棒を握りしめて立ち上がり、目の前の相手を睨みつける。シャッフリンの死体を見た事で、それが自分自身の選択の結果であると分かっていながらも、病天仙は目の前の魔法少女に対する怒りが溢れて収まらなかった。

 

 いや、この魔法少女だけではない。

 この事態を招くに至った、幾人もの脱走者達。こんな役割を自分に与えた、魔法の国の上層部。助けにきてくれなかった同僚達。そして何より──自分の事を棚に上げて他者に責任転換し、仕方ないと言い訳して一人生き残ってしまった自分自身。

 

 その全てに対する怒りが、理不尽に対する怒りが。病天仙の胸の中に生まれ、渦巻き、勢いを増している。

 

 病天仙は弱い。魔法は強力であるが、それを扱う乗り手としては下も下であり、発想力に乏しく機転が効かない。魔法のポテンシャルを十全に発揮できているとは言い難く、自ら可能性を狭めていると言われても仕方がない。

 

 そんな病天仙がこうして、封印刑から解き放たれた魔法少女と──それも、頭部を砕いても生存できる正体不明の魔法を使う相手──正面から向かい合っている事実というのは、他の誰が見ても“失敗”そのものだろう。

 

 病天仙もそう思う。しかし、魔法は発動しない。

 

 何故なら、今この瞬間だけは。自身が生き残る事そのものよりも、この目の前にいる魔法少女に一言いってやりたいという気持ちが勝っているからだ。その結果戦闘になって、判断ミスだったと魔法が発動し、数回繰り返した末に「やっぱり勝てませんでした」と尻尾巻いて逃げ出す事になるかもしれないが。それはそれとして、この一回だけは病天仙の恐怖心を気炎が上回っていた。

 

 

「先ほども言ったが、落ち着け。此方(こちら)其方(そちら)を害するつもりはない」

 

 先ほどまで揺らめいていた煙が渦を巻き、目の前の魔法少女の首から上──頭部があるべき位置に収束する。モノクロ写真の上から、顔だけをクレヨンで塗りつぶしたような。そんな不気味で非現実的な、まるでホラー映画のワンシーンのような光景が病天仙の目の前で繰り広げられる。

 

 眼前の魔法少女が、一歩前に足を踏み込む。それに合わせて……というより、ほぼ反射的に一歩下がろうとした病天仙の足を、先ほどと同じシャッフリンの死体が食い止める。

 

 しまった、という気持ちで足元をチラ見した後、慌てて視線を戻した病天仙が見たのは、首から上に煙を燻らせる化け物の姿ではなく。側頭部から二本の巻き角を生やし、横長の黒目を開いて病天仙を見つめる、分かりやすい動物モチーフの魔法少女だった。

 

 その魔法少女の、さきほどまでは存在していなかった口が開く。

 

 

此方(こちら)はスト──っ」

 

「すと?」

 

「──微睡む怪物ストレイシープという。其方(そちら)は?」

 

「や、病天仙(やまのてせん)

 

 何故か一度言い淀んだ魔法少女──微睡む怪物ストレイシープに対して、病天仙は不思議と、正直に名乗り返していた。

 

 その事を後悔するよりも早く、その独特な名乗りから、病天仙はストレイシープの所属について気がつき──そしてそれは、病天仙を再び絶望の底へと叩き落とした。

 

 ──魔王塾の魔法少女……!

 

 魔王塾。今は亡き最強の魔法少女──魔王パムによって創設された、戦う魔法少女達のための訓練サークル。所属していたものは例外なく「二つ名」が魔法少女名の先頭につくため、非常にわかりやすい。

 

 魔王パムに直々に鍛えられ、厳しい研修を終えた卒業生達はみな戦闘力に秀でており。スキャンダルによって名声が落ちるまでは魔法の国に大きな影響を与えていた、魔法の国でも有名な一大派閥。

 

 だが、今となっては。その創設者にして外交部門の最大戦力だった魔王パムはあの事件(・・・・)で戦死した上、卒業生が起こしたスキャンダル──より強い魔法少女を生み出すために、試験前の未熟な魔法少女達を殺し合わせていたという、最低最悪の事件によって。本国や所属する魔法少女達からの印象は悪化し、かつてほど大きな顔をする事が出来なくなったという。

 

 その、魔王塾出身らしい、封印刑の囚人。

 

 最悪だ。この「第八宿舎」に収容されている中でも、間違いなく、上から数えたほうが早いくらいの凶悪犯だろう。病天仙は先ほどまで自身が抱いていた怒りの感情が、急激に萎えていくのを感じ取った。

 

 怖い、恐ろしい。生物が生き残るために本能に刻まれた、原初の感情がガンガンと警笛を鳴らす。魔法少女の肉体が持つ、精神への防御を易々と突き抜けてきたそれが──病天仙の選択が“失敗”であると判断し、魔法を発動しようとして。

 

 

「──三度言う、落ち着け。此方に攻撃の意思はない、ただ、聞きたい事があるだけだ」

 

 ストレイシープの声によって、遮られた。

 病天仙は考えて、考えて、考えて。苦渋の選択を隠す余裕などなく、ただ、言葉を返した。

 

「……聞きたい事、とは」

 

 ストレイシープの言葉を、信じたわけではない。

 ただ、自身が直面した悪魔──あの炎の魔法少女と比べると、目の前の魔法少女は如何にも理性的で、まだ会話が成立するように思える。出会い頭に不意打ちを行った病天仙の、その背中を撫でるような相手だ。たとえ犯罪者で、凶悪犯であっても。万が一、もしかしたら──会話で解決する事ができるかもしれない。

 

 もしそれが、ただの欺瞞であったとしても。

 病天仙を良いように言いくるめ、聞きたい事とやらを引き出した後に始末しようと考えていたとしても。思い通りになってやるつもりなどない。

 

 逆に、会話によって少しでもこの魔法少女の情報を抜き出す事ができれば。あるいは、交渉することができれば。この後の病天仙の行動に、何らかの恩恵を与えてくれるかもしれない。

 

 第八層を管理する、という。病天仙の持つ仕事に対する、病天仙の意思が介在しない場所で行われた、囚人達の脱走。その原因を突き止め、今後の対策を練ることで──病天仙自身が対処することはできずとも、他の看守達に助けを求めることが、解決を導く一助になることが。亡くなったシャッフリン達の死に、意味を、理由を、大義を与えられるかもしれない。

 

 そんな打算と、少しの勇気を持って。

 何を言われても冷静に、と。できる限りのポーカーフェイスで会話というテーブルに着いた病天仙の仮面は──。

 

 

「やまのてせん、と言ったな。まず確認したい。この者達を殺したのは、お前か」

 

 ストレイシープの放ったたった一つの言葉で、粉々に砕かれた。

 

「お前が、お前達がそれを──!」

 

「いや、いい。今ので分かった。言わずとも構わない」

 

 許せなかった、その言葉だけは認められなかった。犯罪者が何を、という気持ちがあった。ただ……それ以前に、病天仙はよく理解していて、だけど、頭の中でそれを考える事を拒んでいた。他者に怒りを向ける事で、考える余地を無くそうとしていた。そこに、いうなれば病天仙の心の最も柔らかいところに。その意図がなかったにせよ、無遠慮に手を突っ込んで触れてきた事が許せなかった。

 

 

「此方も誤解を解いておきたい。此方はつい先ほど封印が解かれ、部屋を出たところだ。通路は既にこの有様で、この者達の生死には一切関わっていない」

 

「……だから、なんだ。何が言いたいんだ」

 

「逸るな。前提の確認、だ。此方と其方は共に、この者達の死に関わっていない。この惨状に責任はない、それでいいな」

 

「責任……わた、私は、私は悪く」

 

「分かった。言い方の問題だ、此方に其方を責める意図はない。其方がどのような立場で、どんな責任を感じていたとしても。此方はそれを言及しない、そのつもりはない」

 

 病天仙の弁明、無意識のうちの自己弁護に対して、ストレイシープは先回りするように言葉を遮る。病天仙の感じている罪悪感も、後悔も、何もかも。自分には関係ないと、そう冷たく言い放つ。

 

 そこに言葉にならない怒りを感じるのは間違いない、だが、ある意味で病天仙の助けになっているのも確かだった。

 

 

「此方が求めるのは、ただ一つ……いや、二つだ。それが叶うのであれば、この事態の解決に協力しよう。見るに、其方がこの施設の管理をしている側と見たが、どうか」

 

「……言ってみろ」

 

 脱走しておいて何を、と思う気持ちが無いとはいえない。だが、先ほどの言葉を信じるのであれば、この魔法少女が自発的に封印を解いた訳でも、それを成した者と協力している訳でもなく。単に、何らかの事故の結果での解放というのであれば。そこにこの囚人の責任は存在せず、看守である病天仙に協力的であるならば、少しは譲歩しても良いだろう。少なくとも、上司(ルダ)であればそう判断する。

 

 

「まず……いや、いきなり交渉するのはこの者達に失礼か。まずは、この様な事態になったこと、大変お悔やみ申し上げる」

 

「えっ……ああ、うん……?」

 

 ここまでの、なんというか、淡々とした。それでいて、やや上から目線に感じられる物言いとは打って変わり、シャッフリン達への弔いを口にしたストレイシープに対して、病天仙は狼狽えた。気が抜けたと言っても良い。

 

 病天仙の気のない返事にも、ストレイシープは真面目に一つ頷いている。今の様子だけ見れば、魔法の国を揺るがす様な犯罪者には、全く、見えない。

 

 だが、病天仙は知っている。

 人事部門の名試験館として有名であり、多くの魔法少女を見出したとされる魔王塾卒業生の魔法少女──森の音楽家クラムベリーこそが、長きに渡って多くの魔法少女達に殺し合いを強制し、魔王塾の名声を大きく下げる原因となった事を。

 

 犯罪者というものは、一見してそれと分かるような言動や行動をするとは限らないのだ。

 

 

「先ほども言ったが、此方は封印処理をされていた筈だ。ここがどの部門の何の施設かは、生憎検討がつかないが。其方が魔王塾の関係者でないということは、魔王塾の直轄ではないということでいいな」

 

「……? 何を言っている」

 

「大元の外交部門か、それとも、研究部門に委託しているのか。そのどちらかだと思うが、どうだ」

 

「……お前、さっきから何を言ってるんだ?」

 

「違うのか。ならば、外部の組織か」

 

「まさか……まさかとは思うけど、お前……貴方はここが何処で、自分が何者なのか分かってない?」

 

「だから、それを聞いている」

 

 あまりの話の噛み合わなさに、病天仙とストレイシープはお互いに顔を見合わせ、首を傾げた。ここは「第八宿舎」、封印刑に処された犯罪者を収容し、されど人道的に扱い、教育と奉仕を持って更生を促すための施設。

 

 魔王塾でも、外交部門でも、研究部門でもない。ましてや、外部組織に職務を委託することなんてあり得ない。

 

 そして、此処に封印されていたということは。

 目の前にいるのは間違いなく、封印刑に処された囚人である筈で、それ以外の可能性というものは一切存在していない。

 

 すっとぼけている、のか?

 病天仙はそう考え、嘘偽りを見抜こうとストレイシープの眼を見つめ──その横長の、動物のような瞳に見つめ返された。

 

 病天仙がストレイシープに感じている違和感を、ストレイシープも病天仙に対して感じているのだろう。それまでの整然とした様子とは違い、やや困惑気味だ。

 

 

「まて、確認する事が増えた。此方は微睡む怪物ストレイシープ。この名前に聞き覚えは」

 

「いえ……その、封印されている囚人(・・)の情報に関しては、本国と看守長の間でやり取りされていまして……私たち看守は、新たな囚人を収容する時と、囚人を解放する時にのみ限定的に情報が与えられるようになっているので……解放予定の囚人以外の情報は、知らないというか、与えられていないというか」

 

「囚人だと。何を言っている」

 

「何って……あの、私これでも魔法少女になって若い方というか、まだ全然キャリア積めてないので、その、ストレイシープさんがどんな事をしたのか、とか、犯罪史はそこまで詳しくなくて──」

 

「違う。此方は犯罪者ではない」

 

「え? ……いや、あの、自分の罪を認めたくない気持ちはよく分かるんですけど、魔法の国に判決を下された以上は──」

 

「だから違う、と言っている。此方の封印は、魔法の国と双方向での同意を得た治療目的での行為だ。其方が言っているような事実はない、潔白だ」

 

「……え? え? ……そ、そんな事言われても……ちょっと信じられないというか……そもそも! 脱走した囚人が『私はやってない』と言っても、そんなの、信じられるわけが……」

 

 想定外の言葉に狼狽える病天仙を他所に、ストレイシープは自身の顎に手を当てて、瞳を細めて考え込んでいる。よくよく観察してみれば、口元が細かく震えており、何事かを口にしているのが分かる。

 

(囚人だと、どういう事だ、此方は騙されたのか、いや、魔法の国がそのつもりでも魔王がそれを許す筈がない、それに、元よりその心算なら行先は研究部門だろう、ならば、手違いだとでもいうのか、魔法の国が、あり得るのか、いや、あり得るか)

 

「あ、あの〜……ストレイシープ、さん? いや、さん……さん付けでいいのかな、囚人じゃないなら……でも、本当のことか分からないし」

 

「やまのてせん、其方に確認したい事がある。よいか」

 

「あ、はい。何でしょう」

 

「此方を囚人といったな。ならば、ここは監獄で間違いないか」

 

「え、えぇ……まぁ、具体的に何処にあるとか、そういう事は教えられないですけども……」

 

「そうなると、其方の役割は監視か」

 

「ええ、一応、その、看守を務めていまして……」

 

「今のこの惨状は、其方のいう『囚人』達が逃げ出し、警備の者と争いあったという事で相違ないな」

 

「は、はい……というよりも、うっ、うぷ」

 

「概ね分かった。言わなくてもいい、無理をするな」

 

 一度「囚人じゃないのでは?」と、そう思ってしまうともうダメだった。生来の気弱さに加えて、成長過程での自己肯定感の欠落により、病天仙は本来、強気に交渉できるタイプではない。

 

 相手が凶悪犯で、この事態の原因だと強く自分に言い聞かせる事で、囚人に対する看守の厳格な態度を取っていたのだ。その仮面を、抱いていた警戒心を一度外してしまったいま、病天仙はストレイシープから問われた事を、特に深く考えもせず、ペラペラと答えてしまっている。

 

 ここに他の看守がいれば、あるいは、シャッフリンのウチ知能が高い個体の一体でも残っていれば。病天仙の頭をこづき、再びの警戒を促していた事だろう。

 

 客観的に見て、看守の行動としては明らかに失敗である。だが、病天仙は病天仙であるが故に、そして、この問答が結果的に双方の蟠りを解消しつつあるが故に。それを失敗と捉えられず、巻き戻しの魔法が発動しない。そして、病天仙の意図しないところで魔法が発動する気配もない。

 

 

「これは、此方が其方に元々要求しようとしていた事だ。其方、あるいは、其方の上役に頼みたい。師への……魔王パムへの橋渡しを願う。それで全てがハッキリする。此方の身の潔白が、明らかになる」

 

 そして、と。ストレイシープは病天仙への要求を口にした後に、病天仙が願ってもない申し出を付け加えた。

 

「その代わりといってはなんだが、此方が其方を無事に魔法の国へ返そう。此方は先輩方に比べて特別武勇に秀でているわけではない、が、門下生の中でも生存能力に関しては見るべきところがある、と自認している。この惨事を解決する助けになるだろう」

 

「え、そ、そんなこと言われても……私じゃ判断できないですよ……話が本当かなんて分からないし……要求が通る保証なんて出来ないですし……」

 

「いや、いい。其方が要求を飲む、飲まないに限らず、この場を切り抜けるために尽力するつもりだ。此方を囚人といったな、ならば、囚人として扱ってくれて構わない。だが、模範囚には弁明の場を用意してほしい、此方は其方に、良き看守としての振る舞いを求める」

 

 あまりにも、あまりにも病天仙にとって都合が良かった。ストレイシープの供述の真偽はさておき、この提案に関しては病天仙にデメリットがない。少なくとも、病天仙はどれだけ考えてもこの交渉のデメリットに思い至らない。決められた手順の作業ですらトチる事のある病天仙に、非常時の判断などという高等な能力は備わっていない。

 

 だが、病天仙の魔法の存在が。何度でも失敗をやり直せる、という最上級の保険が。病天仙の立場をより強く、確固たるものへと変えてくれる。

 

 もし、裏切られたのなら。

 ストレイシープが言っていた事が偽りであったり、病天仙を騙すための方便であるのなら。それを信じて「交渉」したという事実は、そのまま“失敗”へと繋がり、すなわち、無かったことになる。

 

 深く考えるまでもなく、病天仙の思考は既に、合意する方向へと動き出していた。

 水が高きから低きへ流れていくように、自分を律していない間は意志薄弱で楽なほうに流れていく気質の病天仙にとって、この提案は思考を蝕む毒のようなものだった。

 

 分かりました、と、そう言いかけて。

 病天仙はその前に、一つだけ訂正する必要がある部分に思い至った。

 

 

「あっ……その、そういう事なら、えっと、私からも掛け合ってみようと思うんですけど……」

 

「分かってくれたか」

 

「でも、あの、実は……魔王パムに繋ぐというのは難しいというか、不可能というか……そうしてあげたい気持ちはあるんですけど……」

 

「何故だ。此方は共謀するつもりなどない」

 

「実は、えっと、申し上げにくいんですけど」

 

「実は、なんだ。此方の身の潔白を証明するには一番であり、久方ぶりに現実でも師の顔を見たいという気持ちも汲んでくれ」

 

 

 実は、あの、えっと、と。病天仙の持つ限りある語彙力を駆使して、可能な限りその事実を伝えるのを先延ばしにする。その間も、ストレイシープは訝しげな雰囲気で病天仙から目を離さない。

 

 ええい、ままよ。魔法少女は思い切りが大切だと、病天仙は覚悟を決めて伝え難い事実を口にした。

 

 

「魔王パムさん、亡くなってます」

 

「……死んだ、と」

 

「ええ、はい、その……大体一年前くらいに」

 

「じゃあ、なんだ。其方は魔王パムが死んだというのか、あの比類なき武勇を持つ魔法少女が」

 

「だから、そう言ってます……お辛いと思いますが……」

 

 あっ、でも、私の上司は話がわかる方ですし、最近は囚人の扱いも人道的にしようという方針で魔法の国も動いているので、事実確認はしてもらえると思いますよ、と。病天仙は慌ててそういった内容を付け加えたが、焦りのあまり、本当に伝わる言葉を口にできたかどうかは、病天仙にも分からない。

 

 一人慌てる病天仙を他所に、ストレイシープは天を仰ぎ。両腕を組みながら、一言だけ、ボソリと呟いた。

 

 

「やはり、此方が夢だったか」

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