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「あ、その……ところで、ストレイシープ? さん? さっきの件というか、二つ目の要求っていうのは……?」
魔王パムの死を告げた後、ストレイシープはどこかぼんやりとした表情になり、遠くを見つめたまま、一言も喋らなくなった。一分経ち、二分経ち、病天仙が『やっぱり魔王パムさんについて教えたのは失敗だったかなぁ……でも、そこを黙ってたら不誠実だし……どうせそのうち知る事だろうし……』とウジウジ一人反省会を始め、一通りの回想が終わり、また
このままじゃマズイ、と。病天仙が話題を切り替えようと、ストレイシープが最初に口にしていた「二つ目の要求」とやらを伺う。呼びかけられた事で思考が遮られたのか、ストレイシープの瞳の焦点が絞られ、意識が病天仙の方へと向けられたのを感じる。
「いや、いい。
「あっ、えーっと……? すみません、私、あまり頭が良い方じゃなくて……つまり、どういうことですか?」
「此方は再度、封印されればそれでいい。という事だ」
「封印、ですか? そういえばさっき言ってましたよね……医療目的、だとか。その、よければ事情を聞かせ──」
「ところで、やまのてせん」
会話の糸口を掴み、探りを入れようとした病天仙の言葉を。ストレイシープの声と、差し出された掌と、剣呑さを帯びた視線が止める。その瞳は先ほどまで、何度も向けられてきた視線だった。何をしてでも脱走しようという、鬼気迫った囚人達の、殺気すら込められた、争いの気配を感じさせる視線。それと、似た色をしていた。
やはり、この人も信用できないのだろうか。
病天仙は、自分がどうしてそう感じたのかを理解できなかったが。目の前の魔法少女と敵対しなければいけない事に、ただ残念だと、そう思い、いつでも動けるように警戒して──。
「
「えっ?」
ストレイシープの指差した方向、すなわち、病天仙の背後へと振り返る。これが視線を逸らすための虚偽の申告であれば、病天仙はストレイシープに背中を攻撃され、自身の迂闊さを悔いる前に魔法が発動していたことだろう。
だが、そうはならなかった。
ストレイシープはそんな狡い手を使う魔法少女ではなく、その言葉に偽りもなく。病天仙が振り返った先には、見覚えのある三つの影がいて。病天仙達のいる場所へと向けて、足早に移動している最中だったからだ。
それは、よく知っている相手だった。
スペードのエース、キング、クイーンの絵柄のコスチュームを着た、三人の人造魔法少女。自身の同僚であり、実質的な部下であり、「第八宿舎」の備品であり。そして──病天仙が見捨てた筈の、大切な友達。
その三人が槍を持ち、生きて、病天仙の方へと向かってきている。病天仙はこの地獄のような状況で、自分にその資格はないと理解していながらも、喜ぶ気持ちを抑えられなかった。
──生きてたんだ!!
スペードの絵柄を持つシャッフリン、それも、最も数字の大きな個体。それはつまり、最も戦闘力に秀でた三体であるという事。ストレイシープという敵か味方かも分からない魔法少女と比べて、素性も戦闘力もハッキリした相手がいるという事実が、病天仙の張り詰めた精神に余裕を持たせる。
ストレイシープの方へと視線を戻し、ふと気がつく。シャッフリン達は、このいかにもな出立の魔法少女が──少なくとも、今のところは──敵でないことを知らないのではないかと。
そう考えると、あの急いでいる様子にも説明がつく。病天仙が一人、脱獄した囚人と相対している。それに気がついたシャッフリン達は、病天仙を助けようと──つまり、ストレイシープに攻撃を仕掛けるつもりで走ってきているのだ。
普段の病天仙は、そこまで頭が回らない。何も考えずにシャッフリンとの再会を一人喜んでいるうちに、シャッフリンとストレイシープが戦闘を始め、そこでようやく「しまった!」と思い、魔法が発動することで事なきを得る。そういう流れが常であり、魔法がなければただの間抜けそのものだ。
ストレイシープの事を、完全に信じたわけではない。犯罪者がそうと分かりやすい態度をとるわけではない事も、純朴そうに見える相手が腹の底で何を考えてるが分からない事も、病天仙自身が騙されやすい性格をしている事も、病天仙は知っていて、何度も失敗を繰り返している。
だが、ストレイシープはここまで一貫して敵対する気配を見せていないし、不意打ちをした病天仙に報復を行う事もなかった。早とちりで攻撃してしまったが──故人に対して花を添え、瞳を閉じる優しさがある事もわかっていた。
信じられる、筈だ。病天仙は今まで何度もそう考え、その度に騙されてきた。だが、それでも今なおこうしてストレイシープの事を信じようとしている。
「みんな! この人はだいじょ、ぅ、ぶっ──え?」
ストレイシープは敵ではない、そう伝えるべく振り返ろうとした病天仙が見たもの。
それは、自分の体を貫いた槍の切先だった。喉、胸、腹。それぞれを的確に穿った槍の持ち主は──当然、シャッフリン以外に存在しない。
なんで、どうして、いたい、くるしい、あつい。
考えるよりも先に、そんな泣き言が頭の中をグルグルと巡り。その疑問に答えが出る事もなく、その苦痛に終わりが来る事もなく。
ただただ、この悪夢のような光景が。病天仙に与えられている現実そのものなのだと、頭が理解を拒否しながらも、病天仙の魔法は病天仙自身を生かそうとして──それよりも、早く。
「
パチッ、パチッと。
何かが弾ける音と共に、病天仙は地獄のような苦しみ全てから解放された。何が起きたかを自覚するよりも先に、病天仙の肉体が強い力で引っ張られ、シャッフリン達から引き離される。
「大丈夫か」
「え? あれ? 私いま……あれ?」
「落ち着け。此方の魔法だ」
ストレイシープの背に庇われながら、病天仙は自分の体を見下ろす。喉、胸、腹、それぞれに触れ──傷ひとつなく、血の一滴も流れていない事を確認する。先ほどの一連の流れ全てが病天仙の見た悪い夢だったのではないかと思えるほど、病天仙の体は健康そのものであり、無事だった。
自分の身に起きたことが信じられず、呆けている病天仙に対して、ストレイシープが言葉を投げかける。
「やまのてせん、
後ろに下がった──下げられた病天仙の代わりとなって、ストレイシープは三人のシャッフリンからの攻撃を受けていた。
槍で腹を貫かれ、拳で頭を砕かれ、四肢を切り飛ばされ。それでも死なず、狼狽えず、平常そのものといった冷めた瞳でシャッフリンと病天仙を交互に見つめている。
貫かれた腹が、砕かれた頭が、切り飛ばされた四肢が。霞のように薄れて消え、その代わりに生まれた黒い煙がストレイシープを包み込み、気がつけば元通りの姿を取り戻し、シャッフリンからの攻撃を受けて吹き飛ぶ。それでも、ストレイシープは反撃する様子を見せない。病天仙の言葉を待っているからだ。
このまま攻撃していても埒が開かない事に気がついたのか、スペードのエースのシャッフリンがストレイシープの横をすり抜けて病天仙のいる場所へと向かおうとする。だが、その先には既に──いつの間にか、という言葉が相応しい速さで対応したストレイシープがいて、道を阻んでいた。
「
残りの二人のシャッフリンの前にも、ストレイシープが立ち塞がり、その足を止めることに成功している。病天仙の視界の中に、三人のストレイシープが同時に存在していた。
何がどうなっているのか、全く分からない。
病天仙は魔法を発動していなかった、その感覚がなかった。それにも関わらず、病天仙を貫いた槍も、病天仙が感じた痛みも、病天仙の吐き出した血も。何もかもが元から存在しなかったかのように──魔法のように、消え失せている。
ストレイシープの言葉を信じるのであれば、それを、彼女が成し遂げたという事になる。病天仙の命は、ストレイシープの魔法によって救われた。そしてその上で、こうして、病天仙が立ち直るまでの時間を、身を張る事で稼いでくれている。
返事をしなければ、と。そう思うも、上手く思考が働かない。何か喋らなければと思うほどに、体が震え、口は動かず、喉から声が出ない。
今こうしている間にも、ストレイシープは傷ついている。いや、病天仙が見るに全く倒れそうな気配もないのだが……それが、痛みを伴わないとは限らない。少なくとも病天仙は「無かった」事になるとしても、殴られれば痛いし、死に掛けるのは怖い。
それが分かっていながらも、病天仙は動けない。
シャッフリン達に攻撃された、殺されかけた。いや──ストレイシープの助けがなければ、きっと殺されていた。無かった事になるとしても、病天仙の心に深い傷を残していた。
なんで、どうして。
病天仙にとって、自身を害するものはいつだって自分のドジと敵の二つだけだった。これまで何度も傷つけられ、何度も無かったことにしてきた数多の過去にさえ、味方だと思っていた相手から危害を加えられた事はない。
病天仙はその生まれながら抱えた性質上、味方がいた事など片手で数えられる程度だった。いつだって病天仙は鈍臭く、それが許されるべきかはともかくとして、集団から排斥される“理由”のある被害者だった。
魔法少女になって初めて、病天仙は本当の仲間を手に入れた。蔑まれる事なく、疎まれる事もない。そんな対等な人間関係を、かけがえのない物を手に入れた。そう思っていた。
だが、それは掌からこぼれ落ちていった。
いや、病天仙のした事を……シャッフリン達を見捨てた事を鑑みるに、自ら捨ててしまったと表現した方が良いのかもしれない。もしくは、最初から全てが嘘偽りであり、まやかしだったのか。
病天仙の瞳から、涙が溢れる。
泣いている場合ではない、ストレイシープは今も戦っている。他でもない病天仙を守るために、戦ってくれている。だが、そのストレイシープを傷つけているのも……病天仙にとって大切な仲間“だった”。
「やまのてせん」
魔法少女同士の戦いの中にあっても、ストレイシープの言葉は冷静そのものだった。まごつく病天仙を責める様子もなく、攻撃してくるシャッフリンへの怒りもなく、ただただフラットに、ともすれば呆けているかのように。ある種の達観すら感じられるほど、抑揚がない。
「よく見ろ。
ストレイシープの言葉に促され、シャッフリンへと視線を向ける。
病天仙はそこでようやく、ストレイシープがシャッフリンを“コレ”と言い直した意味を理解した。
シャッフリンではない。
いや、見た目は間違いなくシャッフリンだ。
正確に表現すると、デザインは、だ。
だが、違う。シャッフリンではない。
病天仙と共に過ごし、苦難を分かち合い、そして見殺しにした。あのシャッフリン達ではない。
全身が風船で出来ている、人形だった。
白と黒の二色で造られた、精巧な、ともすれば本物と見間違えてしまいそうな、そんなバルーンドールが、正体だった。
シャッフリンではない。
味方ではなかった。
これはきっと、魔法によって造られた。
「ストレイシープさん! コレは敵で──」
その声を、掻き消すように。
スペードのキングとクイーンの、風船人形が大きく、大きく、大きく膨らんでいき。やがて、その身の内側からの圧力に耐えきれなくなり。
バチン、と。
大きな音を伴った、強い光と熱と衝撃によって。
病天仙の目の前は、真っ暗になった。