◇フリバルド侯爵
「え〜〜……アレでダメなんだ?」
魔法少女とはすなわち、理不尽の代名詞であり。魔法少女同士の戦いというものは、自然と、自らの持つ理不尽の押し付け合いになる。こと“理不尽さ”においては自分の魔法に自信があったフリバルド侯爵をして、眼前の光景に対しては「理不尽だ」と思わざるを得なかった。
フリバルド侯爵は戦闘が得意というわけではない。個人の性質的にも、魔法的にも、立ち向かうよりは逃げる方が性に合っている。だが、今回は逃げているだけでは目的を達成することは出来ない。望みを叶えるためにも、これまでにない積極性を発揮する必要がある。楽へ楽へと流れそうになる心を律し、努めて気楽に振る舞う。
「ルーンさん、なんとか出来そうですか?」
「やれというなら、がんばるけど」
「やっぱり、難しいですかね」
「みたことない、りかいできない。わからない、は、こわい」
「ですねぇ……いやぁ、怖い怖い」
傍に立つ、この場限りの協力者。先ほど封印から解き放たれたばかりの魔法少女へと、今後の方針を相談するも、期待していたような解決策は返ってこない。フリバルド侯爵よりも遥かに古く、求められるがままに政敵を何人も屠ってきた魔法少女が「恐ろしい」とまで云う相手。
なるべく相手にしたくはない。もし戦ったとしても、負けるとは考えていない。だが、それはそれとして消耗は抑えたい。特別急かされているわけではないが、時間もリソースも有限だ。
そして何より、相方──魔法の国の暗殺者、バル・チュブラ・ルーンの現状の最大火力を持ってしても、相手は傷一つ負っていない。手札を全て晒している事はないだろうが、切れる札の中でもそれなりに上等な一手が無意味になったのも事実だ。正面切ってバカ正直に戦うというのは、あまり賢い選択とはいえないだろう。
もとより
失った手札も、取り戻せる。与えられた情報を信じるのであれば、キングとクイーンというのはトランプ兵の中でも格が高いらしいが。バル・チュブラ・ルーンの魔法によって強化された後を見る限りだと、数字の違いによる差は誤差のように思えてしまう。大きい数字の個体を一体用意するよりは、小さい数字の個体を複数用意した方がコスパがいいだろう。
此処には
せっかく
何の問題もない。フリバルド侯爵だけでもやり遂げられるし、バル・チュブラ・ルーンという協力者もいる。
現実的に、かつ、楽観的に。
フリバルド侯爵がこれまでの人生から導き出した、この世界で生き残るためのコツ。それは最悪を想定して手を整えながらも、適度に気を抜いて緊張を捨てるべき、という事だった。
一世一代、魔法の国の歴史に刻まれるような大脱走であったとしても。その基本方針は変わらない。
「あまり欲張らず、回収優先でどうでしょう」
「それがいい、じかんかせぎ、たのめる?」
「勿論、お任せください」
バル・チュブラ・ルーンはフリバルド侯爵に対して、まるで子供のような拙い発音で言葉を返す。だが、フリバルド侯爵はそれを馬鹿にすることはない。というより、出来ない。
初めて顔を合わせた時は、会話をすることすら出来なかった。お互いに使っている言葉が違うため、意思の疎通が取れなかった。だが、それほど時間が経っていないにも関わらず、バル・チュブラ・ルーンは既にフリバルド侯爵の使う言語を理解しつつある。流石、魔法の国生まれの魔法少女というだけある。基本的に性能が高い。
能力的に申し分なく、背中を預けるに値する。信頼関係については、脱獄する間に重ねていけば良い。もしかしたら、ビジネスパートナーとしての繋がりが残るかもしれない。
脱出できるまでの間にお互いが死ななければ、の話だが。
「では、手筈通り」
「かのうなら、つかまえて、あれ、ひつじ、ほしい」
「ええ、善処します」
意識を切り替える。平穏から、闘争へ。
ただの人間から、魔法少女であるフリバルド侯爵へ。ただのまじないに過ぎないが、魔法というのは気持ちの持ちようで性能が上下するという。気持ちを盛り上げておくというのは、無駄ではない。些細な違いであったとて、その差が明暗を分けることもある。特に、殺し合いの場では。
「やぁやぁ、そこのお嬢さん。よければ少し、会話に付き合ってもらえないかな?」
明るく、気障に、爽やかに。そう見えるように、聞こえるように、フリバルド侯爵という魔法少女を
強い、そして面妖だ。
だが、魔法少女の戦いは強い方が必ず勝つように出来ているわけでもない。要は、やり方の問題だ。
大丈夫だ。フリバルド侯爵は死なない。
いつも飄々としていて、最後は何だかんだ一番美味しいところを持っていく。自分の目的を達成している。
それが、フリバルド侯爵だ。
◇
シャッフリンを模した風船人形が目の前で爆発しても、病天仙には傷一つついていない。
これは病天仙の耐久力が爆発の衝撃を上回った訳でも、魔法が発動して時間が巻き戻った訳でもない。あの爆発は間違いなく現実の起きた出来事で、病天仙とストレイシープはそれに巻き込まれていた。
だが、なんの被害もない。
病天仙の記憶が確かであれば、ストレイシープの肉体は吹き飛んでいたはずだ。いや、ストレイシープだけではない。病天仙も、足元に転がるシャッフリンの死体も巻き込まれて、そして、この世から消えた。
それでも、病天仙の魔法は発動しなかった。
命の危険の最中、というよりもはや、死に足から突っ込んで肩まで浸っているくらいの惨状だったが。いつもなら自動で発動しているはずの魔法が、うんともすんともいっていない。
病天仙は自分の“死”に繋がる行為を、全て己自身の“失敗”が原因だと捉えている。病天仙でなければ、ドジで間抜けな出涸らしの失敗作でなければ回避できていた。自己肯定感の低さから、全ての物事をそう捉えている。そしてそれは、並大抵の出来事で払拭できる心情ではない。
病天仙の要領の悪さが、そのまま、病天仙の護身に繋がっている。
その魔法が、病天仙の死の危険に対して二度も反応していない。それは何故か。
他でもない、ストレイシープの魔法によって守られているからだ。命を危険を跳ね返すほどの、大きな力に守られているからだ。
病天仙はこの時既に、ストレイシープに対して仄かに好意を抱きつつあった。護られる、という経験に乏しいためだ。自分を庇ってくれる相手のことを、無条件に信頼してしまう。危ういほどの警戒心の無さだが、その“隙”も魔法が埋めてくれる。
「話とはなんだ」
「まずは自己紹介を──僕はフリバルド侯爵、フリバルドでいいよ。先ほどはすまなかったね、ちょっとした不手際で君を巻き込んでしまった」
ストレイシープの背中越し、およそ十メートルほど先にエースのシャッフリン……の風船人形が立っていて。そのさらに先に、二人の魔法少女がいる。どちらも見覚えのない魔法少女だ。ストレイシープと同様に、あの炎の魔法少女との戦いでは見ていない顔だった。
ストレイシープと喋っているのは、どこか中性的な見た目の……捉え方によっては美少女というより美少年と表現するべきかもしれない、そんな魔法少女だった。白い羽根飾りをあしらえた黒色の三角帽子、黒い生地に金の刺繍が入ったコスチューム、黒い羽根を束ねたマントを片肩に羽織っていて、立ち振る舞いまで優雅に見える。
侯爵、と名乗った通り貴族がモチーフなのだろう。もしかしたら、中身も相応に古い時代の人間なのかもしれない。魔法少女は見た目で年齢を判別するのは難しいが、コスチュームが必要以上に華美でないのは如何にも前時代的だ。
「巻き込んだ。という事は、狙いはやまのてせんか」
「そうそう、そこの看守を狙ったつもりだったんだ……君、囚人側の魔法少女だろう? 僕たちもそうさ、逃げるために手を取り合えると思うんだけど、どうかな?」
「
お前を殺すつもりだ、と。正面切って言われる経験なんてものは、普通に生きているだけであれば遭遇する事などないだろう。病天仙はこの仕事に就いてまだ日が浅いが、それでも既に何回かは殺意を向けられていて、今なお慣れる事なく、ビクリと体が震えてしまう。
友好的な微笑みを浮かべながらも、フリバルド侯爵の視線は冷たい。ストレイシープに接している間は穏やかだが、病天仙に向けている感情は間違いなく殺意だった。
病天仙が震えていることに気がついてか、ストレイシープがフリバルド侯爵の視線を遮るように病天仙を庇う。病天仙の心臓が、今度は恐怖とは別の感情で大きく高鳴った。
「ふむ……何故、と、聞いていいかな?」
「此方は模範囚だから、だ。脱獄する気はない、そして、目の前の凶行を見逃すつもりもない」
「……まいったね、君とやり合うのは僕としても避けたいんだが」
「なら避ければいい。ただ逃げるだけなら、わざわざ看守を殺す必要はない」
「そうしたいのは山々なんだけど──ねっ!」
フリバルド侯爵と名乗る魔法少女がマントの下に隠していた手を大きく振り上げると、ストレイシープが僅かに身構えた。声に気を取られ、病天仙の体が硬直する。
「む──っ」
そして、病天仙は見た。
ストレイシープの体を──まるで、元からそこに何もなかったかのように──貫いた物体が、病天仙を目掛けて飛んできているのを。
先ほどまでの戦いぶりを見る限り、ストレイシープの魔法は彼女の肉体を霧のような物体に変換する力を持っている。ならば、触れたものが通り抜けてくることになんら不思議な事はない。
だが、先ほどまでとは違い。自身の体を通り抜けた物体に対して、ストレイシープは目を薄く見開いて驚き、病天仙の方へ振り返っている。つまり、これはストレイシープにとっても予想外の出来事であるということだった。
病天仙に向かって飛来するものの正体、それは──鳥、だった。
「えっ、あっ、わっ!?」
浅学な病天仙に鳥の種類の見極めなど出来ず、名前はわからない。手のひらほどの大きさの、白い鳥が、病天仙を目掛けて飛んできている。
病天仙は咄嗟に、それを手で払い除けようとした。両手を前に突き出し、脅威を回避しようとした。
だが、出来なかった。
それなりの速度で迫り来る鳥に対して、病天仙が目測を外した訳ではない。病天仙は腐っても魔法少女であり、周囲と比べて劣っているとはいえ反射神経は一般人のそれを上回る。
鳥が体にぶつかるよりも早く、身を守った。そのつもりだった。
だが、鳥は──フリバルド侯爵の攻撃は、病天仙の手を貫通した。
痛みはない、それどころか、何かに触れた感覚もなかった。その証拠に、鳥が突き抜けた後の病天仙の手には傷ひとつない。
ならば、魔法か。
病天仙がそう考えると同時、病天仙の胸元へ一匹の鳥が接触し──そのまま、痛みなく病天仙の肉体に潜り込み。
「──ぐっ、ふ」
突如、激痛が走った。
病天仙の胸に埋まったはずの鳥は、消えていた。
その代わりに、一本の棒が生えている。
ほぼ反射的にそれを──今度は、触ることができた──掴み、引っこ抜く。体から離したことで分かった、病天仙が触っていた部分は棒ではなく柄であり──病天仙の体に埋まっていたのは、一本のナイフだった。
そりゃあ、痛いはずだ。何せ、刺さっていた場所が場所である。そこは人体の急所、魔法少女であっても、傷付けば死を招く部位。すなわち、心臓である。
皮肉にも、病天仙の意識は敵の攻撃で受けた“痛み”によって保たれていた。だが、それも長くは持たない。正確に急所を穿たれた事で、命の源たる血液が流れ出る事で。病天仙の生命力は急激に衰え、そのまま意識を手放しそうになり。
「
三度、ストレイシープの魔法によって命を繋がれる。パチン、パチンと。泡が割れるような音と共に、病天仙の感じていた痛みも、命の危機も、何もかもが遠い過去のように離れていき──悪夢から目が覚めたかのように、幻となって消えた。
「大丈夫か」
「あっ、えと、はい。ありがとうございます」
「いや、すまない。油断した訳ではないが、止められなかった」
大丈夫か、と。ここ数回のやり取りの間に、何度その言葉を聞いた事だろう。最初の頃と比べ、お礼の言葉もスムーズに口に出来るようになった。
「うん、うん────やっぱり、理不尽だね。今のは完全に致命傷だったと思うんだけどな」
「驚かされた。だが、二度はない」
「そうかな? 見たところ、君の魔法で治してる……いや、無かった事にしているのかな? トランプ兵との戦いの時は、物体を気体にしているか、もしくは、幻覚でも見せられているのかと思ってたんだけど……もっと厄介な魔法みたいだね? でも、何もかもを好きにできる訳じゃないようだ。僕の攻撃を止められなかったね? 今のはナイフだったけど、それ以外ならどうかな? 魔法が込められた武器は無効化できるかな? 頭を吹き飛ばされたなら? 魔法を使う前に、そこの看守が粉微塵になっていたなら? いや、そもそも君が魔法を使う余裕がない時は? 意識を失ったのなら? 君たち二人の距離を、視認できないほど離したのなら? それでも魔法は発動してくれるのかな? 無尽蔵に、都合よく、君たちの命を守ってくれるのかな? ──試してみる価値は、あると思わないかい?」
「出来ると思うか。
羽ばたく音が聞こえる。それも、一匹や二匹のそれではない。鳥が群れで移動する時のような、複数に重なった音が静かな通路に響いている。フリバルド侯爵が手を差し入れた、マントの中からだ。中は見えず、何が入っているかは分からない。だが、口にした内容を鑑みるに……ロクでもない物であることは、間違いない。そのフリバルド侯爵を守るように、スペードのエースの風船人形が槍を構えていた。
フリバルド侯爵は楽しそうに口角を上げて、病天仙たちを観察している。“こいつらはどこまで耐えられるんだろう”と、そう考えているのを、その瞳が何よりも雄弁に語っている。
それに対して。ストレイシープは言葉こそ物騒だが、態度は変わらない。先ほどの驚いた表情が夢か何かだったみたいに平静を取り戻し、感情を悟らせない平坦かつ端的な喋り方をしている。とても頼もしく、カッコよく見えた。
一触即発の気配が漂う。
もし、ここで戦闘が始まったとしても。病天仙は不思議と、負ける気がしなかった。ストレイシープの摩訶不思議な魔法に加えて、病天仙という万が一の保険がある。相手が奇策を打ち、それが上手く決まったとしても。それによって受けた被害というのは、即ち、病天仙の失敗そのものだ。
だが、それでも恐ろしいものは恐ろしい。
傷つくことも、傷つけられることも。何度繰り返し、何度経験したって、慣れることなんて出来ない。
無言の時が続く。
羽ばたく音は時間の経過と共に大きくなり、音の出元が見えないことも相まって、不安と緊張が高まっていく。
ストレイシープからは、先ほどよりも遥かに多い黒色の霧が溢れている。ストレイシープと病天仙の足元を覆い、もはや地面が見えないほどだ。だが、その不気味な見た目に反して、身が包まれるほどに、病天仙は安心感を与えられていた。
緊張とは、一本の糸だった。
双方向から引っ張られ、限界まで引き延ばされ──最後には、ぷつっと音を立てて千切れてしまう。
病天仙たちとフリバルド侯爵の間に引かれた糸はもう、限界まで引っ張られていて、そして。
「かいしゅう、おわった」
フリバルド侯爵の後ろに控えていたもう一人の魔法少女の一言で、弾けた。