あの子が何かになるまでの ~曲北中学吹奏楽部のインテルメッツォ~   作:ろっくLWK

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進め! 意見窓口係 中編

 ……それは今から数週間ほど前、全国大会に向け最後の追い込みに血道を上げていた真っ最中の時期。とある日の練習後、ちなつと日向にこっそり呼び出されたファミレス……でも喫茶店でもない、市内某所の古めかしい食堂にて設けられた一席での話である。

『独立組との交渉を、私が、ッスか?』

『んだ』

 日向に奢ってもらったカツ丼を頬張りながら、奈央は少々どころでなく驚いた。確かにヒアリング班として独立組に関わることも多かった以上、他の子に頼むよりは、とちなつ達が考えたとしても不思議の無いことではある。だが自分のやったことはただトランペットパートからの離脱者を中心に、顔が利く何名かの部員から聞き取りをしただけのことだ。交渉役にも説得役にも立ったことが無く、またそういう役割が得手とも自負していない。そんな自分をこういう形で直々にご指名してきたちなつ達の真意はなんだろう、と奈央が測りかねていたのは事実だ。

『あの子らの話を聞ける体制づくりをする、って私らが約束したのは、もちろん永田先生とも相談の上で進めてたことだった。けどじゃあ具体的にどうするかっつう段階ンなって、部長や幹部と直接交渉っていうカタチになったら結局今まで通りなんでねえか、って意見も上がってさ。それは確かに、って思った。本当なら各学年の総代が間に立って交渉すべきってのはあんだけど、うちの部の気質的に総代はイコール体制(こっち)派、ってトコあるべ?』

『まあ、あるッスね』

 ズズズ、と付け合わせの味噌汁を啜りながら奈央は頷く。ここの食堂には初めて来たが、日向の奢りで食べるカツ丼は思いのほか美味しかった。肉厚のカツには下味もしっかり効いているしどこかスパイシーで、玉子の甘い風味にいいアクセントを効かせている。ご飯の量も運動後の育ち盛りには嬉しい程良さだ。今度別の機会にまた来てみよう。そんなふうにもぐもぐとカツの香ばしさを堪能しながら、奈央はその耳だけを二人の話に傾け続けた。

『実際総代の仕事ったって、パーリー会議に出席したりはしても『へば具体的に何やってらの?』ってなると有名無実、みてえなトコもあったしさ。なのに急に交渉役をーなんつっても、ただこっちの言い分を伝えに来てるだけって見られる可能性がある。んで、そこでヒナが出してきたのが、いっそそれ専門の係を一つ作るって案だったんだけど』

『そっからは私が説明するな。ホイちなつ、これおかわり』

『サンキュ。しっかし、ここのおにぎり美味えなー』

 むぐむぐ、とちなつが三つ目のおにぎりを大口で頬張る。カツ丼を奢られた自分に対し、奢り主である日向とちなつが注文したのはそれぞれ一皿二個ずつのおにぎりだけだった。だがそれを見て遠慮するような真似を奈央はしない。彼女たちから頼まれ事をされる機会はそう多くないのだが、こういう流れの時は大体日向が何かしらで相手を餌付けした後に話を持ち掛けてくる。奈央とてそれはとっくに解っていた。つまり日向たちにとって二皿のおにぎりは言わば彼女たちの席料代わり、そして奈央のカツ丼はその依頼内容の困難さに見合うだけの対価、というわけだ。……もっとも今、二人前のおにぎりはどちらもちなつ一人の胃袋に収まりつつあるが。

『つまりな、部と旧独立組の子たちとの中間さ立って対話のテーブルを維持してくれる役割が欲しい、っつうワケよ。それで私が発案して永田っちさ提案したのが、さっき言った意見窓口係ってヤツ』

 日向の弁を聞くに、もうその聞き慣れない係の新設までの段取りはあらかたついているらしい。新三年生会議で永田発案の形にして動議をし、新部長にはその係の必要性を後押しする方向へ持って行ってもらう。後はその場で奈央が先輩たちの無念を晴らす為、とか何とか適当な理由を付けて手を挙げてくれさえすれば、係の発足と奈央の就任はほぼストレートに決まるらしい。人生はどうにも変なことに限って他人にレールを敷かれるものだ、と奈央はしみじみ思った。

『とまあこういう流れではあるけど、いざ立ち上がってからはある程度奈央の判断に任せることになるとは思う。でも大筋さえ外さねえば大丈夫。表向きは独立組みでンた子らの不満の声を集約するって役割ではあるけど、その本質は部内の旧独立組の子たちとの交渉を私らに代わって継続してもらって、来年以降の吹部を姫小の二の舞にさねえこと』

『姫小のッスか、まあそうッスよね。あンた状態になっちゃったら、もう部活どころで()ぐなっちゃいますし』

 かつての姫小、奈央とてあの惨状を未だ忘れてはいない。今の代になってずいぶんと盛り返してきてはいるらしいが、それでも全国連続出場の栄誉を恣にしていた往時と比べれば、ここ数年の姫小の成績が「凋落」と判を押されても仕方の無い水準にあることは真実だ。曲北と違って姫小の部員数は全学年合計でも五十名足らず。その半分以上が奈央たちの代には好き勝手に部を休んだり早退していたのだから、大会の結果が惨憺たるものであったのも、ある意味当然の摂理とは言えるのだろう。

『ンだがらこそ奈央でねえばダメなんだよ。奈央なら姫小時代に何があったかも覚えてらし、姫小や曲北(ここ)で私らがどンた気持ちで問題に当たってらったかも、大体は見てきてる。そういうヤツがこの係に就いてくんねえと、なし崩しであっちの言い分さ持っていかれかねねえしさ』

『でも、あっちってそれ、相手は水月ちゃんってことッスよね? 申し訳ねえッスけど私、あの子さはちょっと太刀打ちンなんねえッスよ』

 カツ丼を完食してお冷やを一飲みした後、奈央は正直にそう告げた。現実問題、水月のやり口や頭の回りようは姫小時代と今回の二度見て二度とも驚嘆の一言に尽きる。あんな発想も行動も、自分ごときには天地がひっくり返ったって出来やしない。そんな自分が矢面に立ったところで、とてもあの水月とまともに交渉を成立させられるとは思えなかった。

『それは多分だけど大丈夫。経緯はどうあれ一度こっちさ戻ってきた以上、水月個人はこの件さはもう関与して来ねえ、って私らは見てる』

『ホントッスか? それ誰情報です?』

『誰情報、っつうのは特にねえんだけどな。まあ私らの中ではそれなりに見立てがあんのよ』

『はあ。だと良いんスけど、としか言えねえんスけど』

 日向のボンヤリとした物言いには、こちらとしても何とも返しようが無かった。きっとこの件には裏で杏も一枚関わっているのだろうが、しかし本人もちなつ達も何も言わない以上、こちらも憶測のみで問い質す訳にいかない。胡乱げなこちらの目つきをどう思ったか、日向はおにぎりのたくあんを一枚「プレゼント、」とこちらの皿に寄越しながら話を続けた。

『ンだけど水月以外はそうでねえ。今んトコは全国大会っていう目標が目の前にあっから収まってるように見えるけど、実際連中の中にゃ来年からの吹部がホントに変わんだか、って目線で見てるヤツもまだまだ多いべがらね。経過を見てこれじゃあダメだと思えば、そいつらが第二第三の水月になるって可能性が残ってる』

『要するに水月ちゃん本人はもう大丈夫だとしても、水月ちゃんさ()てられた他の子が立ち上がってああいう騒動を起こすかも知んねえ、ってことッスよね?』

『ご名答。ンだがら奈央にはそういう子との直接的な交渉役をやってもらって、部とその子たちを繋いでて欲しいワケ』

『繋ぐ、で良いんスか? 説得する、でねぐ』

 奈央は少々意外に思った。この依頼はてっきりちなつ達の後を継いで、事態そのものを解決へと向かわせることだとばかり思っていたのだが。

『そりゃチャンスがありゃあ説得出来た方が良いのは勿論だで? ンだども向こうが隙を見せねえば、それも出来るか分がんねえ。とにかく窓口係の名目上の仕事は聞き取りと伝達だがら、まずはそこに徹して、ってこと。後は状況次第よ。もちろん永田っちや次期部長の責任分担ってのもあることだし、後任の部長が決まり次第、その子さもちなつの口からいろいろ申し送りはしておくことになるけどな』

『そういうコト。奈央ばっかが全部の責任を被る必要は無えんだよ。ただそのうちの一つを頼みてえ、っつう話でな』

 指に付いた米粒をペロリと舐め取り、計四個のおにぎりを完食したちなつが再び話に加わってくる。 

『私らの作った宿題を奈央さ押し付けるみてえで申し訳ねえけど、これを頼めんのは奈央以外にゃいねえ状態なんだよ。ヒナも私も、これだけが引退前の最後の心残りでもある。私は私が一番ベストだと思える形で今年一年吹部を引っ張ってきたけど、引退した後のことまではさすがに関与できねえ。そんな私がやったことが来年以降の吹部の足枷になるのもイヤだし、奈央たちの世代よりも下にとって楽しく活動できねえタネを残したままいなくなんのも、ね』

『……分がるッス、そういうの』

 さっき言われたその通り、姫小の散々な時代を経験している奈央には、ちなつの言い分が痛いほど良く解った。そして解るからこそ自分が今この役目を打診されているのだ、ということも。どうやら今回のカツ丼代はずいぶんと高くついたようだ。それも仕方がないか、と奈央はお冷やを飲み干して息を吐く。

『オッケーッス、任して下さい。どこまでやれるか分がんねえっスけど、あんな思いを繰り返して下の代まで引き継ぐことのねえように、これも自分の代の責任と思って、私も精いっぱいやってみるッス』

 それはひとえに、自分に良くしてくれた先輩方の為に。大変な役割であることを重々承知しつつも、奈央は意見窓口係と称した旧独立組との折衝役を引き受けたのだった。最後に残った日向からのたくあんをバリバリと、豪快に音を立ててかじりながら。

 

 

 

 

「あぁー。返す返すも、とんでもねえ頼まれ事を請け負っちゃったなぁ」

 玲亜のところへ話を聞きに行ったあの日から数日後。今日は終業式ということで、同級生たちもこれから始まる冬休みに向け随分と賑わっていた。そんな活況極まる光景を頬杖をつきながらどこか遠巻きに眺め、ぷはあー、と奈央は再び灰色の溜息をこぼす。

「おやおや、どったの奈央ぼう。暗い顔して溜息なんてついてたら、幸せが逃げてくどー」

 そこへたまたま通りかかった吹部所属の同級生が、奈央の物憂げさを見咎めて声を掛けてきた。べーつにー、と奈央は軽く彼女をあしらう。

「革新派のことでさー、ここんとこはちょっと色々考えることが多くて」

「革新派?」

「例の独立組の後釜っつうか、そういうヤツ」

「あー、そう言えば奈央ぼう、窓口係だったもんねえ」

 女子が納得したような声を上げる。

「何、もしかして水月並に厄介な相手とやり合ったりでもしてんのげ?」

「やり合ってるっつうよりはまあ、先制パンチ喰らってぶっ飛ばされちゃった、っつうか」

「あーらら。まあ最後まで残った連中はみんな手強いって、荒川(あらかわ)先輩も中島(なかじま)先輩も言ってらったみでンたしなあ」

 彼女の口からその二人の名が出てきた事で、そう言えばこの子も低音パートの人間だった、と奈央は思い出す。それと同時にふと、ある一つの発想が脳裏をよぎった。

「あのさ、そっちのパートさ真由(まゆ)ちゃんっているべ。ユーフォの」

「ああ、いるよ、黒江(くろえ)さん。それが何か?」

「あのさ、今日の部活前に……あーごめん、やっぱいいや」

「は? なんか歯切れ悪りいな。黒江さんさ何か伝えて欲しいことでもあんの?」

「んーん、私の勘違い。今のはナシってことで、気にさねえで」

「んだば良いけど。おかしな奈央ぼう」

 へばね、と彼女は奈央のところから去り、今度は他の同級生のところへと刺さり始めた。そちらの会話もまた他所と同じく、年末年始の予定や遊びの計画などなど。悩みが少なそうで羨ましいことである。――しかし今のは迂闊だった、と奈央はかぶりを振った。

 あれから合間合間で時間を掛けて諸々検討してはみたものの、「これだ」と思える対満流用の交渉材料を奈央は未だ見繕えていない。もっと言うなら「そんなもの果たしてあるのだろうか」と、ますます混迷を深めているとさえ言える状況だ。こんな時、あの子が力を貸してくれたら。一瞬そう考えはしたがしかし、あれこそ現状の自分が弱っていることの証明に過ぎない。既に彼女は、黒江真由は、この吹部にとって充分以上の役目を果たしてくれた。加えて奈央個人としても彼女には多大な恩義がある。そんな彼女にこれ以上厄介事の始末をさせるのは、助けてくれと頼ってしまうのは、自分が無能者だと開き直るのと同じだ。

「情けねえこと言ってねえで、自分で出来ることは自分で処理していかねえと。……なんだけど、」

 しかしそんな中でも、周囲の動きは奈央を待ってはくれない。今朝方の朝練にて村上らから提示された、幹部陣からの回答事項。それを携え今日再び、奈央は満流との直接交渉に赴かなければならないのだから。

「はぁー、やっぱ憂鬱だあー」

 頬杖から顎を滑らせガゴンと額を机に打って、奈央は嘆息の声を上げる。去年までの自分であれば、この時期にはもっと別のことを考えて過ごしていられたのに。冬休みの予定を待ちわびてきゃっきゃと沸く同級生たちの歓声が、その時の奈央にはひたすらうざったいものにしか聞こえなかった。

 

 

 

「……というわけで、今日の話し合いは前回もらった意見への回答からになるんだけど」

 放課後の一発目、集会ルームの一席。今回も室内の顔ぶれは奈央と楓、そして満流の三人だ。これまた前回同様に室内のど真ん中へ議席を設けた三者は向かい合い、体制派としての回答通達とそれに対する革新派の意見や反論を聴取する、というフェーズに突入しようとしていた。

「まず選曲の自由度について。今までは意見を上で揉んでから選ばれた曲をみんなさ発表ってやり方だったけど、いくつか自由枠を作って無記名投票で決めるって案。もう一つは先にやりたい曲の候補を挙げてもらって、それに賛同する人たちでアンサンブルみたいな方式の小編成バンドを組んで演奏するっていう、これはそっちの意見も取り入れた案。ただしコンクールとマーチングの大会用選曲に関しては、編成とかの兼ね合いもあるからこの方法はダメ。これを条件に、柳川さんたちにはさっき挙げた二つの案のどっちが良いか選ぶか、もしくは代案を出して欲しいって。んで次、」

 ノートをぱらりとめくりながら、奈央は続きを述べる。

「居残り練について。これは元々が強制ではねえがら、永田先生もどうだこうだって言いにくいのはあるみたい。代わりに部長からの回答として、居残り練が強制では無えことを再三ミーティングで伝えていくってことと、パート単位や先輩後輩の間でそういうことを言ってる人を見掛けたら取り締まりっていうか、注意していくようにする。永田先生さもあんま遅くまで居残らねえよう部員に声掛けしてもらって、やるも帰るも個人の自由だって意識を徹底していく、って案。他には――」

 伝え漏らしの無いようノートの記述にシャーペンで下線を引きながら、徹して奈央は淡々と必要事項を読み上げる。この場面でアドリブは必要無い。まずは伝えること。そして相手の次の言い分を受け止めること。どう対応していくべきかは、その繰り返しの中からきっと見つかってくる筈だ。今はただそれを信じて我慢に我慢を重ねるしかない。そう自分に言い聞かせながら。

「他のこまごまとしたところは後日にするとして、まずは大きいところの解決案として出たのがこんなとこ。で、柳川さんの返答を聞きたいんだけど」

 前回と違って、今回の満流は始終だんまりの姿勢を貫いていた。こちらがこうまで長々と語ったのに対し、彼女の方は相づちはおろかリアクションの一つも満足に示さない。果たしてまともに話を聞いているかどうかも疑わしくて、奈央もだんだんと焦れる気持ちを強めていく。これすらも相手の交渉術であるなら感情的になった時点で負けだ、とは重々解っていながらも。

「……あの、柳川さん。聞いてる?」

「聞いてる」

 満流からやっと一声が出た。と、それに安堵する間もなく、満流からは再び発言が続いた。

「今後の交渉を進める上で一つ、私個人からの要望があんだけど」

「柳川さんの要望? いいよ、何?」

 前のめり気味に奈央は尋ねる。――恐らくはそこまでが向こうの術中であったのかも知れない。っへ、と嘲るような喘鳴を場に落とし、それから満流は温まりかけた空気を切り裂く勢いで口を開いた。

「そこにいる秋山楓。この子を降ろして。この場から退席させるってんで()ぐ、係そのものを辞めさせる形で」

 ……は? 思いがけぬ方向から思いがけぬ方向へ放たれたその一矢に、奈央は驚愕する。満流は不敵な笑みを浮かべたまま、その視線を奈央にではなく楓へと固定していた。そして楓は口を閉ざしたまま、憤慨も怯懦もなく、ただまっすぐ見据えるような視線で満流のことをずっと凝視し続けていた。

 

 

 結局あの後、満流からは満足な返事も得られぬまま二回目の会談は終了の運びとなった。建前上は『回答保留』とのことだったがしかし、あの分だと丸一年費やしたところで色好い回答などは出てきやしないだろう。それは良いとして、問題はこっちだ。ガタゴトと机を片付け終えた後、奈央はそっと楓の様子を窺う。あれから楓はずっと無言のままだ。しかしそれも無理からぬこと。満流にあんなことを言われた後では彼女もきっと憔悴しているか、最低でも思い悩んでいるに違いなかった。

「楓ちゃん、平気?」

「え、何が?」

 奈央から気遣いの声を掛けてみたところ、予想外に楓はケロリとしていた。その反応にむしろこっちが呆気に取られ、ちょっと待って、と奈央は尻込みしてしまう。

「だってさっき、柳川さんさあんなこと言われてさ」

「あー、うん、今回もすごい事言ってきたねえ。やっぱまともに話してくれる気無えのかな、って思っちゃったよ」

「へば、その後ずっと黙ってらったのは?」

「それは考え事してただけ。()して柳川さん、私さこんなこと言ってくるんだろうなー、って」

「えええ……」

 さすがの奈央とて、これには少々どころでなくドン引きせざるを得なかった。奈央が言われて楓がこう反応しているならまだ分かる。けれど今回、満流の牙は確実に楓一人に向けられたものだった。それでこのとぼけた態度、というのはどうにも信じがたい。やはりアレなのだろうか。『天才は何事においても常軌を逸している』との言説、その御多分に漏れず彼女もまた、という。

「そういうのじゃねえって。大体私、天才でも何でもねえもん」

 これには幾らか憤慨の念を覚えたのか、ぷうー、と楓が頬を膨らませる。

「よく言うー。あんけえ(あれだけ)クラ上手くて、それで天才でねえだなんて言い訳立たねえよ」

「クラは好きだったから、練習も理論勉強も苦になんねがったってだけだし。それにお姉ちゃんが吹いてたサックスと似てるトコもあったからね。おかげで余計に頑張れたっていうか」

「またまたご謙遜を」

 クラ吹きとしての楓にまつわる逸話は幾つか風の噂に聞いている。例えば楽器を初めて持ったその日に曲をスラスラ吹いてみせたとか、一日足らずでおおよその運指をマスターしてしまっただとか。他にも小学生時代の合奏で先輩部員が吹いていたメロディを耳コピで即座に吹いたというものや、とある曲をイタズラ半分に別の調で練習もせず吹き切った、なんて話まであった。どこまでが真実かは定かでないが、それらの噂が一定度の信憑性を有すると思える程度には楓の音楽的才覚が際立って優れていることもまた、疑いの余地無き事実と言えよう。

「それに、あんな風に人から言われても少しも物怖じしねえって、それこそすげえ事だと思うで。楽器云々を抜きにしたって、やっぱ楓ちゃんは私なんかと全然違うよ。肝が据わりまくってるっつうかさ」

「あれは違うの。そういうことで怯まねがったんでねくて、私に言ってきてるって実感が無がったがら」

「実感?」

 奈央のオウム返しに、こくん、と楓が頷く。

「本気の怒りや憎しみをぶつけてくる人って、あんな冷めた感じでニヤニヤ笑ったりしないよ。そんな余裕なんて無くしてるもんだがら」

 そう口にした時の楓は彼女にしては珍しく、少し苦々しい顔つきをしていた。けれど今の口調にはどこか確信めいた響きがあって、その凄みに奈央は息を呑む。

「だがら柳川さんのあの顔見た時に思った。私に言ってるようでいて私のこと言ってるのとは違う、これはきっとこの子の本音じゃねえ、って」

「本音でねえ、って、したら柳川さんは()して楓ちゃんさあんなことを?」

「それは分がんない。けど、何かあるんだと思う。私にああいうことを言わずにいられない、けど私自身さは直接関係がある訳でもない、そういう何かが。だがらそれが何なのかって、ずっと考えてたの」

 楓の言っていることがさっぱり理解できない。さっきまでとは別の特殊性、あるいは異常性を楓に感じて奈央は大いに戸惑ってしまう。本人にも確たる根拠などは無いらしいし、ということは単なる思い込みや勘違いに過ぎないという可能性だってある筈だ。だが、目の前の彼女にそうした曖昧さや悪い意味での楽観ぶりは見受けられない。楓は楓なりに何らかの確信をもって、今の推論を弾き出した。だがその計算過程が、何をどう見積もればそこへ辿り着けるかが、つくづく奈央には理解できない。

「まあ私の話はいいとして、この件何と報告するかだよね。柳川さんがただ聞いて帰っちゃったってだけの結果だけど、これも一応先生や村上さんさ話しとく?」

「……あ、勿論。きちんと報告する」

 奈央は楓に首肯を返す。進展が無かったからと言って報告を怠っては、それこそ満流の言う存在価値ゼロの係へと自ら堕すようなものだ。それだけは出来ない。係がどうのこうの以前に、松田奈央という一個人のプライドに掛けて。

「へば行こう、奈央ちゃん」

「うん」

 先に立った楓の背中を追うようにして、奈央は廊下をとぼとぼ歩く。けれどその間も奈央は満流との今後の交渉以上に、この秋山楓という存在自体を測りかね、もっと言うなら恐懼すらしていた。――超越者。ありきたりな人間のありきたりな思考や観点を遥かに凌駕する存在。そんなものがこの世にいるのだとしたら、それはまさしく楓のような者を指す言葉なのではないか。奈央の思考回路が真剣に、そんな警戒信号を発し始めていた。

 

 ……どうしたらいいんだべか。今日のまとめ作業を早々にその辺へと放り出した奈央はベッドに潜り込み、目を瞑ったり開いたりしながら思案の夜を過ごしていた。

 楓を係から降ろせ、という満流の要望。あんな無茶ぶりをいちいち聞き入れていたら、窓口係の仕事なんてやってられない。それこそ向こうの言いなりになるようなものだ。かと言って、このままでは一向に交渉が進まない。アンコン県大会は来月の中旬過ぎにあり、これを終えて以降の吹部は再び一まとまりの団体となって活動してゆくことになる。満流たちとの交渉が停滞している現状のままでその日を迎えた場合、奈央たちを待っているのは秋の惨状の蒸し返しだろう。それも今度は、在籍部員の三分の二以上を革新派へ巻き上げられる形で。

「それは出来ねえ、絶対に」

 万が一そうなったら春からのこの部がどんな状態に陥るか、それを奈央は知っている。ちなつや日向が危惧していたのもまさにそこ。だからこそ自分にはこの役目が与えられた筈なのだ。奈央にしか務まらない、頼んだぞ奈央、と。だがこれまでのところ、その期待に応えられるだけの働きが出来ているとはとてもじゃないが思えない。解決までは無理だとしても、革新派と体制派を繋ぐ。ただそれだけの事ですら、このままでは著しく困難になってしまう。ならばどうするか。満流とのパイプを維持することを最優先とするのならば、やはり楓には一時的にでも係を降りてもらうしかないのだろうか。

「楓ちゃんって言えばそう、楓ちゃんのことも全然分がんねがったな……」

 その一言でポン、と奈央の思考は切り替わる。普通、面と向かってああいうことを言われれば多少なりとも傷付くものだ。そ知らぬフリを貫けるか即座に激昂するかは人によりけりだろうが、相手がいないところでは愚痴や反感の一つも出てくるのが人間の常。けれど楓にはそのような兆候が一つも見られなかったばかりか、むしろ相手のパンチを華麗にスルーしてその根底にあるものを探ろうとしているそぶりですらあった。ああいう真似は自分には出来ない。それは味方としては頼もしくもあり、それと同時に怖くもある。次に何かがあった時、果たして楓がどう動くか、それが全く予想がつかないからだ。

 もしも彼女の予測不可能な行動が交渉を台無しにしてしまったら。そういう危険性だって十分考えられる。リスクヘッジの観点からすれば、係から降ろすとまでは言わずとも、せめて楓を同席させない方向で満流との妥協を図る手だってあるだろう。あるいは満流もそこを一つの落としどころにして、あの場ではあえて強めの要求をしてきただけだったのかも知れない。だがそれでも何故楓一人が? これが解らない限り、楓を降ろすことが本当に得策であるかどうかも結論付けられない。そもそも楓本人の意志だって考慮すべきだろう。どっちにしたって奈央の一存で決められることではなかった。楓がどういう人間で、何を考えどう動いているのか、それをきちんと把握し切れていない今の奈央には。

 そうだ。まずは味方を知ること。楓がどんなことを考えどういう気持ちでいるのか、それを知っていなければ共同で一つのことに当たるのは難しい。ならば先んじてやるべき事は明白だ。

「よし、明日聞いてみよう。楓ちゃんさ、楓ちゃん自身のこと」

 これをすべきと一旦決めたら、後はもうぐちぐち思い悩むのはやめだ。頭まで布団を被り、奈央はしっかりと目を瞑る。窓口係になって以降、練習の合間を見てはあっちへ行きこっちへ行きあれもこれもと考えて、という日々が続いているせいか、直前まで気が立っていてもいざ寝るとなればストンと入眠してしまうことが多い。今宵もまたものの数分と経たずして、奈央の意識は泥のように粘つく眠気の只中へと引きずり込まれていった。

 

 

 

 

 ドン、ドン。

 体を揺する大きな炸裂音。目頭を焦がす煙のにおい。これは、花火? そうと思った時に、真っ黒だった視界はチカチカと色とりどりの眩い明滅を繰り返した。暗夜を照らす夜空の灯火。その只中にあって、奈央は浴衣を着て、からころと下駄を鳴らしながら道を歩いていた。

 ああ、そうか。私、今、花火を観に来てるんだ。

 辺りの空気は奈央の肌が覚えているような熱気に溢れるものではなくて、どこか静謐で神妙な気配に包まれていた。歩く道はどこまでも先へ先へと伸びている。向こう側に何があるかは全く分からない。けれど何となく良いことが待っている、という根拠の無い予感だけはあった。

 でも、ひとりで歩くのは、ちょっと寂しい。

 そう思った時、目の前からにょっきりと誰かの手が伸びてきた。細くて長い、女の子みたいにきれいな指。けれど自分のそれよりもずっと大きな手のひら。その手を握り返し、二人で真っ暗闇の只中を歩いていく。辺りの景色が少しずつ明るみを帯び、奈央は自分がどこにいるかを理解する。それは花火大会の会場だった。屋台が立ち並び観覧客が通りを行き交う賑やかな祭りの夜。さっきまでの静けさも、少し肌寒いような冷気も今は感じない。それはこの手が自分を繋いでいていてくれるから。その手の持ち主を覆っていた影がだんだんと晴れてゆく。奈央の手を引いて前を歩いているのは、これは間違いない、雄悦だ。

 ユウ先輩。

 彼の名を呼んで、少し早足で彼の背を追い掛ける。このまま後ろをついてゆくのでも良かったが、出来れば隣に並んで歩きたかった。雄悦の身長は自分のそれよりもずっと高く、彼の顔を見ようとするとどうしても見上げるような視線の向け方になってしまう。それも嬉しかった。姫小で彼と出会ってからというもの、いつも優しく面倒を見てくれる『兄』というものの存在に、それと程近い居心地の良さを与えてくれる雄悦に、奈央はずっと憧れていた。

 今はそんな存在が、雄悦が傍に居てくれる。たったそれだけで、奈央はもう不安も恐れも抱かなかった。この道を二人で進んでいったその先にはきっと、夜空を埋め尽くす大輪の花火にも負けないほどに華々しい何かが待っている。だから奈央は迷わず歩く。歩いて歩いて、そして道の只中で、ふと奈央は立ち止まる。

 ユウ先輩。

 もう一度声を掛けると、雄悦は足を止めてこちらを振り向いた。彼の表情はとても優しかった。見つめ合うひと時に、奈央の胸が激しくときめく。いいのかな、これは。いいんだよね。その時ようやく奈央は気付いた。辺りの景色が一面薔薇色に染まっていることに。花火の音も観客の声も、もう自分の耳には一切届いていないことに。

 ユウ先輩。

 きゅっとつま先立ちになって背を伸ばし、彼の肩を引き寄せて、その薄い唇を間近に認めて。あと少しで自分の唇がそこに触れる、というその瞬間、彼の口が動いた。その一言一句をはっきりと断ち切るみたいに、至極ゆっくりと。

 

 

『俺は杏のことが好きなんだ。――だがら正直言って、これ以上オメエさ付き纏われんのは迷惑なんだよ』

 

 

 

 ……暫く動悸が止まなかった。荒く息をつきながら、奈央は眠りから醒めた自分が反射的に身を起こしていたことにふと気が付く。

「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ……」

 呆然としながら窓のある方向を見やる。カーテンの隙間からは、既におぼろげな光が漏れ始めていた。ふうー、と長く息を吐き、奈央は項垂れる。

「はあ、はあ、はあ。……久しぶりに見ちゃったな。ここんトコは、見なくて、済んでたのに」

 覚醒から少し経つのに、まだ荒れた呼吸は収まらない。いつもの時刻に起きれたはいいが、相も変わらず最悪な寝覚めだ。あの花火大会の夜以降、奈央は度々この手の悪夢にうなされていた。いや、細かい部分は実際に言われたこととは違う。流石にあそこまできつい言われようでは無かったし、形だけかも知れないがその場で「済まない」と謝られもした。だが、あの時告げられた彼の気持ち。それ自体は夢の内容と何ら大差ない。

「フラれた、んだよね、私。あの日、現実に」

 曖昧模糊とした夢境と実象、その境界線上に立たされた頭が未だくらくらと酩酊している。額を押さえて呻きを洩らし、それから手の甲で何度か眉間を小突くうち、少しずつ奈央の体が現実感を取り戻してゆく。

 夢の内容はいつも生々しく鮮烈だ。当初は二、三日置き。月日の経過と共に頻度は少しずつ減っていて、前回見たのは十月の終わり頃だったか。それでも見る時はこうして見てしまう。そしてその度に心臓を握り潰される。現実ではもう雄悦ともそれなりに折り合いは付けられているというのに、心の奥深くにまで刻まれた傷痕は今も乾くこと無くそこへ残ったままになっているらしい。それが時折ジクジクと疼く。あの日のことを忘れさせまいとするかのように表出してきて、もう忘れたがっている奈央を容赦なく責め苛む。

 起きて暫くすれば夢の印象も水たまりが干上がるかの如く薄れてゆくものの、一度地面を抉った水たまりの跡が当分そこへ残るのと同じく、夢のせいでこの胸の内を冒した鈍痛の滲みもまた一日二日は癒えやしない。あと何度、こんなことを繰り返せば記憶も想いも風化して、ちょっと前までの自分みたいに何らの気兼ねもせず振る舞えるようになるのだろう。それまでどれだけの年月を費やすことになるのだろう。こんな事なら人を好きになんてならなければ良かったと、いっそそう思いたくもなってしまう。

 ……けれど。

『その気持ちまで全部無かったことにしちゃいけないよ。――頑張ったよ、奈央ちゃんは』

 彼女のその一言が、ぼろぼろだった自分を救ってくれた。泣けもしないほどの無力感に打ちひしがれていた自分に、例えほんのひと掬いでも己のやってきたことに意味はあったのだと、あの子がお墨付きをくれた気がした。あれが無ければ今でも自分は這いつくばったままだったかも知れない。そうして奈央はどうにか再び立ち上がり、ふらつきながらも前へと進んで、雄悦との間にあったわだかまりにも一応の決着を見るところまで漕ぎつけられたのだ。

 だからきっと、この世に無意味なことなんて無い。奈央はそう信じている。例え結果が伴わなくたって、報われることが無くたって、取り組み続けたことが自分の中で何らかの意味を結ぶ日はきっと来る。それさえあれば頑張れる。どんな物事においても。自分がいかなる立場に置かれようとも。そう、今のこの窓口係の仕事であっても、きっと。

「やるど、私」

 大きく深呼吸をして、勢いよくベッドから飛び出す。今日も室内は身を切るような冷温だ。けれど寒い寒いと縮こまってばかりいては何も出来ない。何も成せない。自分がやらなければ、この先の道はいつまでも拓かれぬままだ。それが嫌なら自分の手でこじ開けろ。その想いを体現するかのように、奈央は両手でばさりとカーテンを開けた。

「……ウソでしょ、」

 奈央の両肩から力が抜ける。窓の外の景色。そこに顕わされた本日の天気は、ひとたび固めた決意をぐらつかせる勢いで吹きすさぶ猛吹雪だった。

 

 

 

「今日までに受けた意見要望は以上かな」

 たんたん、と提出された書類を机に叩いて角を揃え、奈央はそれをファイルに綴じる。時間は既に夕刻。本日の練習終了後、意見窓口係は二回目の会合を行っていた。

「今回預かった内容はそれぞれ担当のところへ届けときます。後で回答が来たら各自に伝えるんで、それぞれ相談者さ伝えてあげて下さい」

「解りました」

「へば、今日はこれにて解散。お疲れさまでした」

「お疲れさまでした」

 後輩たちが挨拶をして席を立つ。窓口係の発足から一週間、この間に寄せられた部員の声はのべ十一件にものぼった。いずれも問題として大きなものでは無いが、しかし少なくとも表向き、こういう小さな声をくまなく拾うことこそ自分たち窓口係の成すべき仕事である。故に現状、係としての仕事はまずまず順調に機能していると言えるだろう。――革新派との直接交渉という目下一番の大問題を除けば、だが。

「じゃあ私も行くね。奈央ちゃんお疲れ」

「あ、楓ちゃん、ちょっと」

 席を片付けて教室を去ろうとしていた楓を、奈央はすかさず呼び止める。何事も行動は素早く、だ。先に予定を入れられて対処が後日に回ったのでは元も子もない。

「悪りいんだけどさ、今日って時間作れる?」

「うん、別にいいけど。今ここで話す?」

「んー、それなんだけど、そこそこ時間食うかも知んねえからさ。出来れば今日はこのまま帰りってことにして、私さ付き合って欲しいんだけど。もしかして居残り練とかするつもりだった?」

「ううん、特にそのつもり()がったし、いいよ」

「ありがと」

 よし。ホッと安心を得た奈央は、「へば後でねー」と先に教室を出る楓の背を見やる。上手さゆえの余裕か、それとも革新派よろしく長時間練習に関して何らかの主義でもあるのか、楓は普段から遅くまでの居残り練をしていないらしかった。それは過去にも音に聞いた噂であり、窓口係として彼女と一緒になってからもそれとなく観察することで得ていた確定情報の一つ。であれば今回、こういった形での誘い出しにはまず失敗しないであろう、と奈央は踏んでいたのである。

 だが問題はここからだ。果たして自分に楓と言う存在を暴き切ることは出来るのか。それとも暗中模索の状況のまま、自分はこの理解及ばぬ天才児を御しながら、そのもう片方で満流という難敵とも対峙してゆかねばならないのか。方針を自分の中で定めるのは今日、この後すぐだ。

 奈央はジロリと窓を睨む。表の荒れた天候には希望を見出すことなどこれっぽっちも出来なかったが、しかし秋田の冬とはこういうもの。例え骨の髄まで凍えるとしたって、やらねばならぬ事はやらねばならぬ。そう、自分に出来るのはただひたすらに、愚直なまでに頑張り続けること、それだけだ。鋼の意志で心を固め、ファイルを手にして奈央は教室を後にした。

 

 

「あや奈央ちゃん。久しぶりに来てけだ(くれた)ごど」

 店の女主人の出迎えを受けながら、しゃらりん、とパイプチャイムを鳴らして店内に入る。学校を出てから数十分。吹雪の中を漕ぎながら奈央と楓がやって来たのは、花火通り商店街の一角にある奈央おなじみの喫茶店だった。

「どもッス。席空いてます?」

「空いてるも何も、ご覧の通りよ」

 奈央は店内をぐるりと見渡す。今日の客席にはまばらではあるが、妙齢のご婦人グループや一人新聞を広げるスーツ姿の男性客の姿などがあった。閉店までにはまだ早く、特に賑わっているとも言えないが、真冬でもそれなりに来客がある。繁盛しているのは何よりなことだ。

「まず座って休んでけれ」

「はい。さ、楓ちゃん。入ろ」

「うん」

 ここへ来るのも夏の終わり以来か。少々懐かしさを覚えつつ、奈央は楓を引き連れて店の奥へと進む。我ながらワンパターンなことではあるが、風雪に晒されたり他の部員の目を気にしたりせずに済む場所となれば自ずと場所は校外に限られる。加えて、ここなら多少長居をしたってスタッフに冷たい目で睨まれる心配も無かった。――それに前回と違って、今回の話は誰に聞かれて困るという類のものでもない。恐らくは、だが。

「とりあえず適当に座ろっか」

 と言いつつさりげなく一番奥の二人席を選び、奈央は脱いだコートとマフラーを椅子の背もたれに掛ける。そのところどころには道中浴びたささめ雪の欠片がこびりついていた。放っておいたらそのうち溶けて床に水たまりを作ってしまうこと必定だが、それもやがては跡形もなく蒸発するだろうし、だったらあえて構う必要も無い。これはこの喫茶店において、奈央だからこそ許される不精である。片や楓はベージュ色のダッフルコートをきちんと付近のコートハンガーへ掛け、パツパツと形を整えていた。入店前にも全身についていた雪片を軒先で丁寧に払っていたし、随分と躾の行き届いてる家庭なのだなと、奈央は率直にそう思ってしまう。

()びがったべー、こンた吹雪の中ここまで(あり)ってきて」

 女主人が注文伝票を片手に奈央たちのところへやって来た。この人と奈央の母は昔から馴染みの間柄であり、年齢こそ女主人の方がだいぶ上ながら、母とは身の上話やら世間の愚痴やらを気さくに語らうほど昵懇の仲。自然、奈央も幼少から母に連れられこの店に何度も訪れていて、女主人からは第二の娘のように可愛がって貰ってもいた。

「いやあ、ホント来る途中で死ぬかと思いました」

「なーに()げえ(もん)。頬っぺの雪っこが溶けて玉粒ンなってらうちは、すたゴド(そんなこと)な言われねえモンだで」

「あはは。そういうもんッスかね」

 自分よりも遥かに年上の女主人から年齢絡みの突っつきをされると、どうにも答えにくい。奈央はとりあえず苦笑混じりの対応で受け流す。

「ところで、お連れさんは今回も部活のお友達? 奈央ちゃん人気者だなや」

「茶化さねえでけれッス。この子は部活で一緒の係んなった友達で、今日は懇親会みでンたモンですかね。あ、私はいつものカフェラテで」

「へば私は紅茶と、あとこのチーズタルトにしようかな」

「はいはい。ご注文は以上で?」

「私は。奈央ちゃんは飲み物だけでいいの?」

「うん、晩ご飯前だし。これでお願いします」

 はーい、といつもの調子で注文取りを終えた喫茶店の女主人がカウンターへと戻り、すぐさま支度にかかり始める。それを見送って奈央は大理石調の模様が施されたテーブルの板上へと視線を戻した。出されたお冷やは、さっき雪中行軍してきたばかりの今すぐにとは流石に手をつける気にならない。対面席の楓はしかしそうでもないようで、「外すごかったねー」などと言いながらお冷やのコップをかぱかぱと呷っていた。

「あー喉に沁みる。ホントすげえ雪だったぁ、こりゃ年末年始は大雪かな」

「んだがもなー。雪かきの手伝い大変ンなりそう」

「ウチも。晩げのうちに除雪来ると玄関の前さこんもり雪盛り上げられてて、朝起きてから家出るまでが大変なんだよねえ」

「楓ちゃん家もなんだ。あれホンット(だり)いよなあ、一回雪かきの着替えしてからまた出かける用に着替え直さねねえし、なまじ量あっから排水溝まで押すのも大変だし」

 奈央はさめざめと青息を吐く。冬の雪国の難儀さは現地の人間にしか分かり得ない。『雪害』なんて言葉があるように、雪は時として人の生活を脅かすほどの惨禍をもたらすものなのだ。それを有り難がる気持ちも分からないでは無いのだが、「贅沢な話だ」などと宣う人たちにはここで十年暮らしてから言ってみろ、と返してやりたい。

「帰るまでに吹雪止んでくれるといいんだけどね」

「この降り方だからどうだかなあー。まあ今はここでゆっくりしよ、晩げまではまだ時間あんだし」

 だね、と頷いた楓はその後しばし、ちょっぴり落ち着かなさそうにソワソワとした様子で店内を眺め回した。

「雰囲気の良いお店だね。商店街なんてあんま来たことねがったがら、こういうお店があるだなんて私、ちっとも知らねがったよ」

「あー確かに、学校からは遠いしね。楓ちゃん家ってどの辺さあるんだっけ?」

「うちは(かつら)公園の近くだね。小学校の頃は友達と遊ぶのに公園前で待ち合わせしたり、冬んなればソリで丘滑って遊んだりしてらったよ。奈央ちゃんは?」

「うちは花館(はなだて)のど真ん中。姫小のすぐ傍で、小学校ん時は家から学校まで徒歩三分くらいの距離」

「え? だったら今日ココさ来たのって、けっこう遠回りになってるんでねえの?」

「まあたまにはね。今日は早上がりでそれなりに時間にも余裕あったし、そういう時はここのコーヒー飲みたくなるんだ」

 奈央は平然と答えてみせた、が実のところ、今のは七割以上がただの口実だ。「窓口係の相談のため」と称して本日の居残り練習はご遠慮させてもらったのだが、奈央のアンコンチームの曲練の進捗度合いは経験浅い一年生が多いこともあり、まだまだ曲の外形を固める段階。しかし今アンコンにばかりかまけていては、その後の吹部が大変なことになってしまいかねない。チームのメンバーたちには返す返すも申し訳無いことだが、片付けるべき問題の優先度はこちらの方が遥かに上という訳で、これはやむを得ぬ選択というものである。

「しっかし、今年ももう明日で吹部の活動納めかぁ。なんかあっという間」

「んだねー。奈央ちゃんは年末年始、どう過ごすの?」

「んー、多分だけど、年明けにちょっと祖父ちゃん達んトコさ顔出す以外は寝正月かなあ。いつもだったら先輩方に引きずり出されて初詣とか福袋漁りに出掛けたりすんだけど、今年は先輩方も受験あるし、さすがに無えべな」

「うちもお姉ちゃんが受験生だがら、今年も帰省は無しだね。その代わり今度、両方の家のお祖父ちゃんお祖母ちゃんが秋田さ遊びに来てくれんだけど」

「へえ。楓ちゃんのお祖父ちゃん達って県外で暮らしてんだ」

「そうなの。お父さんもお母さんも実家は富山。だもんで、うちが新潟から秋田さ引っ越して来るまでは、盆暮れってなれば毎回富山まで帰省してらったんだよ」

 なるほど、と奈央は楓に頷きを返す。彼女が元々転校生というのは以前から知っていたが、北陸一帯にゆかりのある家庭だったとまでは知らなかった。……今年『も』? ふと沸いて出たその違和感を、しかし奈央は深く気にするでもなくサラリと手放す。

「でも楓ちゃんみてえに帰省っつって遠出した思い出があんのは、ちょっと羨ましいかも。うちなんか親の実家も横手(よこて)角館(かくのだて)だがらさ、帰省っつっても車でちょこっと移動して日帰りするだけで、あんま有難み無えんだよねぇ」

「ふうん。近いのもそれはそれで、頻繁に行き会えて良さそうだけどね」

「かもねえ。ま、今回もお年玉はしっかり頂きますけども」

「あはは、ちゃっかりしてんね。そういうトコ、なんつうか奈央ちゃんっぽい」

「私っぽいって何ー」

 そこから発展したお年玉の使い道談義をし始めてほどなく、お待ちどうさん、と女主人がお盆の上に飲み物を載せてやってきた。

「こっちが奈央ちゃんスペシャルカフェラテと、こっちがお連れさんの紅茶な。タルトは焼き上がるまで時間掛かるがら、さっとが(ちょっと)待っててけれで」

「はい、ありがとうございます」

 女主人が運んできたカップをテーブルに並べ、いただきます、と二人して口に付ける。ふんわりと口中に広がるコーヒーの香味とラテの柔らかい後味が実にたまらない。奈央スペシャル、と銘打たれたこのカフェオレだが、実は毎度密かに甘味たっぷりに仕上げてもらっていた。前は少々無理してカプチーノに手を出してみたのだが、あの後家に帰ってから胃が荒れに荒れてそれはもう大変だった。いっそエスプレッソを、とまで踏み切っていたら、恐らくその晩は胸やけで再度のダウンを喫する羽目になったことだろう。何事も身の丈に合うものを選ぶことは大事である。

「はー、あったかくて美味しー」

 楓もまた紅茶の入ったカップをちびちび傾けては、そのぬくもりと味わいを噛み締めるようにして温まった吐息を零す。雪の中を歩いた後のホットドリンクは、やはりこの子にも格別のものであるらしい。楓のちょっと人間らしい部分を一つ見つけることが出来た気がして、奈央の緊張も少しだけ緩む。

「したら、タルトが来るまでの暇潰しってワケじゃねえけど、今のうちに本命のハナシしたっていい?」

「いいよ。でも話って、柳川さんのこと?」

「いや。そっちは後にするとして、今はまず楓ちゃんのことを聞こうって思って」

「私の?」

 不思議そうな顔をして、楓がカップをソーサーに置いた。

「別にいいけど。私の話なんて聞き出したって、面白えもん何もねえよ」

「んなこと無えって。それに私と楓ちゃんって今まであんま関わる機会()がったし、これから一緒にやってくにあたって、どっかで親睦深めてえって気持ちもあったもんだがらさ」

「そっかぁ。うーん、」

 とは言え何の話をしたらいいやら、とでも楓は悩んでいるのだろう。へばねえ、と助け船を出すような流れを装って、奈央は予め用意していた質問を俎上に乗せる。

「楓ちゃん、昨日柳川さんから『係を降りれ』って言われた時、毅然としてらったべ」

「あー、うん。まあ」

「あれが私の中でずっと謎だったんだよね。楓ちゃん、()してあんなふうに冷静でいられたんだろ? って」

「冷静、だったかなあ。昨日も言ったけど私、自分に言われたっていう風に捉えて()がったし、ただそれだけだよ」

「それがすごいよ。私が初日に柳川さんさ一発やられた時はさ、あん時は見栄張って大丈夫って言ったけど、正直メチャクチャ動揺してた。傍に楓ちゃんがいねがったらキレて一言言い返してたか、しばらくあそこから動けなかったんでねえか、ってぐらい」

 ここへ来てそのことを、奈央は正直に白状した。相手のことを聞き出そうというのに自分のことはダンマリだなんて、それは良くない。理屈ではなく人間同士の仁義的な問題として、これは今話すべきことだと、そう思ったから。

「私って人間出来てねえし、こう見えてけっこうメンタル脆いトコもあってさ。過去にたった一回あったことをいつまでも引きずってグズグズしたりもするんだ。だがら、どうすれば楓ちゃんみたいな穏やかでメンタル強い子になれんのかなあって、そう思って」

「メンタル、そんな強くもねえんだけど……」

 こちらの攻勢に、楓はすっかりたじたじと言った様子を覗かせた。――まず褒めて、それから引き倒せ。これもまた、例の『金言十ヵ条』に書かれてあった内容の一つである。

「で、あの時の楓ちゃんがどういう意識でいたのか、私それが知りたくって」

「意識、かぁ。柳川さんがどうのこうのでねくて、私自身のってことだよね?」

「そう」

 奈央は大きく首肯する。意識。それはこと吹部においては頻出の単語だ。意識を高く持て。自分の課題を意識しろ。この言葉であればきっと楓にもこちらの尋ねたいところの骨子が伝わる。そう思ってのワードチョイスだったのだが、果たして楓からはどのような返答が得られるだろうか。

「改めて言われると、ンだなぁ。うまく表現すんのがちょっと難しいとこではあるけど、うーん」

 悩ましげな顔つきをして、楓がカップの縁を指でなぞる。奈央はそれを黙して見守り続けた。

「……相手のことを、良く見ようと思ってた」

「相手のこと? 柳川さんの、ってこと?」

 怪訝な思いに囚われながら奈央は尋ねる。うん、と楓は答え、カップの縁に置いていたその指をぱたぱたと持ち手からソーサーへ流し落とした。

「確かにちょっと怖え雰囲気の子ではあるなって思ったし、私たちと違うスタンスでもあったがら、用心でねえけどどう接したもんか探り探りしてるトコはあったよ。けどそれ以上に、とにかく見ようって思った。何で革新派っていうグループにいるのかとか、この子の一言一言にどういう考えや意図があるんだろうって。あの瞬間だけでねくて、柳川さんと初めて対面した最初ん時から、ずっと」

 奈央はしばし呆気に取られる。楓が、超越的な存在だとまで思わされたこの子が、いくら係の仕事だからとは言え、他人のことにそこまで細かく注意を払っていたなんて。草彅や一部の部員たちのような優秀で目に付く人間ならばまだしも、楓の立ち位置からして満流は自分とほぼ同程度の只人に過ぎない存在である筈だ。ドラマか何かで例えるならば、それこそ大した台詞も与えられないままワンシーンを過ぎ去ってゆく端役レベルの。

「でも、()してそう考えるようになったの? 何か原因があったとか?」

「どうだろ。原因って言ったらいいか分がんねえけど」

 楓は一度瞼を伏せ、しばし何かに思いを巡らせるような仕草を覗かせた。

「実は私、こうと思い込んだらすぐ突っ走って、周りが見えねぐなっちゃう悪いクセがあってさ。前々からクラスの友達とかに何回も注意されてはいたんだけど、こないだそれで大失敗やらかしちゃったんだよね」

 楓の失敗。それがどうにも想像つかなくて、奈央は虚を突かれるような思いにしばし囚われる。

「そん時に思ったの。自分では良いつもりでやったことが、必ずしも相手にとって良いものだなんて限らない。相手のことも考えて、相手が思ってることをこっちもおんなじくらい思わねえと、それは相手にとってただ単に迷惑だったり怒らせるものになる場合もある。本当に相手のことが心配なんだったら、まずは相手の気持ちを分かってあげられるようになんねえと、ってね。だがらそれからは、どんな人を相手にしてもその人のことを良く知ってからにしよう、って考えるようになったんだ」

 楓が淡々と語りを続ける。過去の記憶を掘り起こしながら、今ある気持ちを省みながら。今の自分にそれが出来ているかと心の点検を施すみたいに。彼女の姿が奈央の目にはそう見えた。

「なもんで、柳川さんにもきっと何かがある、って思って私はずっと見てたの。本気で私に怒ってるとか憎んでるワケでねえって分がったから、だったら何があるんだろうって。それが分がるまでは下手に口開かねえようにって、そこだけは気を付けてたってぐらいかな」

 そう言われれば。奈央の脳が高速で逆再生を始める。柳川との会談中、楓は始終喋っていなかった。いや、喋ることはあってもそれは挨拶や向こうから問い掛けられた時ぐらいのもので、それ以外では雑談程度のことであっても会話に加わって来ることはなかった。自分はそれをあまり深く考えていなかった。と言うよりもむしろ、意識の片隅にも留めていなかった、と言うべきだろう。自分がそうしている間にも楓はつまり、満流がどういう人間で何を考えているのか、ということに意識をフォーカスし続けていた訳だ。

「まあそれもこれも、大失敗しちゃった私をとある子が助けてくれてさ、この子みたいに私もなりてえなあって思ったのがキッカケだったんだけどね。すごく感謝もしたしこの子すげえって思って、それでその子のことを真似してみることにしたの。急に上手くなんか出来ねえし私も大概そそっかしい人間だがら、今はまだ出来そうなところから部分的に、って感じではあるんだけどね」 

 えへへ、と照れ笑いを浮かべる楓を前にして、奈央は完全に脱帽といった心境だった。楓が何を考えているのかさっぱり解らない。自分がそう考えたのも、彼女の能動的な姿を見る機会がとんと無かったせいでもあったろう。風聞や俗言の類で耳にした彼女の奇矯さが、先入観のタネとなっていたのも否定し切れない。これに対して奈央が出した暫定の答えは、『楓が天才だから』。だったら仕方がない。それなら自分には分かりっこない。そうやってある種のレッテル貼りをすることで、奈央は能力も経歴も一切を取り払った「秋山楓」という個人への探求を、そこでやめてしまっていたのだ。

 目の前の雑事ばかりを優先して、他のことに思考領域を割かなくても良いようにするために。

 

 

 ――そんなことで相手のことを理解だなんて、出来てたまるか。

 

 

 衝動的に席を立ち、パン、と両手で自分の頬を叩く。凍りつく店内。隅々まで響き渡ったその音に女主人も、他の客も、そして楓も、みな一様に目を丸くして奈央へと視線を注いでいた。

「え、えっ、奈央ちゃん何、()したの突然?」

「ごめん急に。ちょっと自分さ鞭打ってやっただけ。馬鹿(ばが)っけ、って」

 気の済んだ奈央がストンと着座しても、楓はしばらく度肝を抜かれたみたいに硬直していた。やがて店内の気配が元の調子を取り戻した頃になって、奈央は頬にじんじん響く痛みを堪えながら口を開く。

「ありがと楓ちゃん。今の、すんげえヒントになった」

「ああ、うん、それだば良いんだけど、」

「それでさ、こっからは楓ちゃんさも力を貸して欲しい。柳川さんや革新派の子たちと向き合っていくのに、私一人の力じゃやっぱ足りないって分がった。だがらお願い楓ちゃん。私と、これからの吹部のために」

 真に迫ったその物言いは、楓の心臓ど真ん中に突き刺さったのだろう。いま一度目を見開いた楓は大きく息を呑み、それを吐き下ろすと同時に、にっこり微笑んだ。

「勿論、私で良ければ。お姉ちゃんの思い出がいっぱい詰まったこの吹部、私も大事にしたい。だがらいい方向さ持っていこうね、二人で力合わせて」

 よろしく、と楓から手が差し伸べられる。その手に両手で固い握手を返してから、奈央はふと目に付いたテーブル上のお冷やを手に取ってぐびぐびと、それを一息に飲み干した。喉に染み渡る氷の如き冷たさが、今はこの上もなく心地良い。

「ぷっはー。さあて、一致団結したトコで革新派対策の話でも始めよっか。あーでもその前に、なんか小腹減って来ちゃった。いっちょカルボナーラでも行こうかな」

「ええ、いいの? そんなん今から食べて晩ご飯入る?」

「余裕余裕。腹が減っては戦は出来ぬ、って言うし。楓ちゃんも他になんか食べてえのあったら言ってよ、今日は私が奢っちゃう」

「ええ? いいって。奢られたりすると恐縮しちゃってダメなんだよ、私」

「あははっ、なんかどっかで聞いたセリフ。そう言えばあの子もここさ来た時、奢られるの苦手って言ってらっけなぁ」

「あの子?」

「どうせだしその話もしちゃおっか。あーもう何か、楓ちゃんさ話してえコト山ほど出てきた。よおし、今日はトコトン行くどー!」

「もう奈央ちゃんてば、なんか親戚の叔父さんがお酒飲んだ時みたいな感じ」

「それは酷えー」

 からからと二人して笑ってから、奈央は楓に色んな話をした。楓からも色んな話を聞かされた。その間ずっと、気分は尋常ならざる爽快さだった。先のことにはまだ何の目処もついていないけれど、この子と一緒ならきっとやっていける。そんな気持ちがこんこんと湧いてくる。天才かどうかなんてことは全く関係なしに、自分に足りなかったものを補ってくれる、この子とならば。

 

 

<後編に続く>

 

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