学校の終業後、はやての家へ行くことが新たな日課となった。
浴場から聞こえる水の音。今、二人は仲良く風呂に入っている。
「私のために、そこまで頑張らへんでも……」
「ううん、わたしがこうしたいだけなの」
確かにこの家はバリアフリー設備が整っているが、だからといって俺たちと同じような生活ができるわけではない。特に入浴にはかなり苦労しているらしく、毎日かなり長い時間をかけているという。その話を聞いて、なのはが一緒に入りたいと言い出したのだ。
さすがに俺と入るのはお互い恥ずかしいだろうし、同性だからこそできることだと思う。そこで、待っている間に俺は洗濯物をたたんでおくことにした。
「おっ、上がってきたか」
「……みーくんも、ごめんな。ありがとう」
作業中の俺を見て、はやては申し訳なさそうに言った。
「気にしないで。俺がやりたいからやってるだけ」
なんだかなのはと似たようなセリフになってしまったが、事実である。頼まれたわけではないし、押し付けるつもりもないけれど、はやてが嫌がらない限りは手伝いたい。
だって、友達だから。困っている友達は助けるものであり、理由なんていらない。
「二人とも、ちょっと優しすぎるわ……こんなん、ほんまに離れられんようになるで」
「まあ、いつかは一緒に暮らせたら良いなあって思うよ。今はまだ難しいけど」
「……いや、そういう意味やないって!」
冗談と思われたようだが、わりと本気である。
なのはの手で丁寧にドライヤーをかけられながら、はやては楽しそうに笑っている。
しかし、それも帰る直前になると辛そうな表情へと変化してしまう。俺たちが家を出た後に、扉の内側からすすり泣くような声が聞こえるのは、きっと気のせいではないだろう。
はやてに悲しい思いをさせないためには、俺たちが「家族」になるのが一番良い。もちろん簡単に実行できることではないが、いつかは……と思っている。また、仲良くなってから数日でこのような感情を抱くぐらい、八神はやてという少女は魅力的で守りたくなる存在であった。
協力して一通りの家事を済ませた後、寝室でくつろぐ。よく整理されており、本やゲームなどで散らかった俺の部屋よりも居心地が良い。
……初めてこの部屋に入ってから、ずっと気になっているものがあった。
「あそこに置いてある本って、何なのか聞いてもいい?」
「ああ……あれは、よくわからへん。なぜか捨てちゃアカンような気がして、ずーっと部屋に置いとるんやけど、なんやろな?」
一冊の分厚い本。それ以外に形容のしようがないものだが、何か引っかかる。
立ち上がり、近づいてみると……なんだ?
表紙に触れると胸の奥が痛む。理解できない痛みだ。
本当に? 知らないふりをしているだけじゃないのか?
違う、そんなはずはない。こんな禍々しい本は見たことがないし、聞いたこともない。
けれども、なぜか俺はこれがどういうモノなのかわかる気がする。
そう、確かこの本の名前は……
「みーくん、どうしたの?」
なのはの声を聞いて我に返った。急に意識が戻ってきて、身体がびくっとしてしまう。
「うーん……」
何かを思い出しかけたが、あと一歩のところで出てこなかった。
……この記憶は、絶対に俺のものではないという確信がある。したがって、あの本は俺が受け継いだ父の「知識」と何らかの関係性があると思われる。そのような代物がはやての家に置かれている理由は全くわからないが、そうでなければ今起きた現象に説明がつかない。
出そうで出ない答えにモヤモヤするものの、考えたところでどうしようもない。
二人が俺を心配そうに見ている。とりあえず、この件は一旦忘れることにした。
それから、いろんな話をした。
はやては現在学校を休んでおり、石田先生という医者のもと治療を続けているらしい。しかし足が動かなくなった原因となる病気を特定することはできておらず、当分治る見込みはないという。とにかく今は現状維持を目標とし、症状を悪化させないことに努めているようだ。
その話を聞いて、俺はやるせない気持ちになった。代われるものなら代わってあげたい。
同時に、改めてはやてはすごいと思った。孤独な日々、不自由な足、成果の出ない治療……人間不信になってもおかしくない環境なのに、嫌な顔一つせず、まるで笑い話かのように自らの現況を語ることができる。俺と同い年とは思えない精神力に、尊敬の念を覚えた。
そして夜六時になった。はやての家の前で、なのはと向かい合う。
今日、俺は門限を守る必要がない。なぜなら、母が宿泊付きの遠距離出張に行ってしまったからだ。帰ってくるのは明日の夜であるため、それまでは完全に一人で過ごすことになる予定だった。
誰もいない家に残されるぐらいなら、はやてと一緒に居たい。そう提案したところ、なのはも泊まりたいと言い始めた。予想通りの反応とはいえ、俺と違ってなのはには待っている家族がいるため、易々とはいかないだろうと思っていたのだが……
「寝る前には、絶対戻るからね!」
なのはは一旦家に帰ってから、再びここに戻ってくる気でいるようだ。おそらく、俺の家に忍び込むのと同じ手段を使うつもりだろう。しかし、それは魔法の存在を明かすのに等しい行動だ。
「無理せんでもええのに……ほんまに大丈夫なん?」
「大丈夫。魔法で隠れて来るから、誰にもわからないよ」
俺の疑問を知ってか知らでか、なのはは唐突にカミングアウトしてきた。急すぎて俺もはやてもびっくりしたが、どこかなのはらしいとも思った。
ハナから、はやてに対しては自分が魔法使いである事実を隠さない方向で考えていたわけだ。ものすごい思い切りの良さである。本気ではやてのことが好きなんだなあ……と感心した。
「ま、魔法? ……ふふっ。私には、なのはちゃんもみーくんも魔法使いみたいなもんや」
さすがに信じていない様子。そんなはやてを尻目に、なのははレイジングハートを構えて変身した。そのままフライヤーフィンを発動し、ふわりと浮き上がる。
はやてはポカンと口をあけて戸惑っている。まあ、普通の反応だ。
「じゃあ、また後で!」
そう言い残し、暗い夜空に向けて飛び立って行った。桜色の軌跡を描きながら、一直線に駆けていく。それをしばらく見送った後、俺ははやての車椅子を引いて静かに家の中へと戻った。
「信じられないよな。俺だって、いまだに夢なんじゃないかって思うときがあるんだ」
リビングに入ってから、俺はいまだ呆然としているはやてをフォローした。これは仕方ない。何の前触れもなく突然あんな光景を見せられたら、誰だってこうなると思う。
やっと気持ちが整理できたのか、はやてはゆっくりと頷いた。
なのはにとって、はやてがすでに特別な存在となっていることは言うまでもない。また、あの子は好きな相手をとことん愛したくなってしまうタイプである。自分が苦労することも厭わず、一緒にいるために全力を注ぐ。それは当事者である俺が一番よく知っている。
なのはも、ずっと一人で寂しい思いをし続けてきた。本来の自分を抑え込んで、孤独と戦ってきた。そんな中で、やっと仲良くしてくれる相手を見つけたのだ。尽くしたくなるのも無理はない。
「……なのはちゃんって、ほんまに不思議な子やわ」
「違いない」
そう言って、二人で笑いあう。
本当に、はやてと出会えてよかったと思った。
なのはが帰ってから、はやてと一緒に晩ご飯を食べた。以前に作ってもらったため、今日は俺が何か作ろうかと切り出したのだが、ご飯だけは私がやりたいと押し切られてしまった。
そして、俺のために用意してくれた手作りのハンバーグ。俺は一生、その味を忘れることはないだろう。最高に美味しかった。
食べ終わった後は、適当にテレビをつけてみる。バラエティは全然面白くないと思っていたはずなのに、なぜかはやてと二人で見ると楽しいような気がした。
母が出張した夜。本来であれば、寂しさを感じながら一人で過ごしていた時間である。ひたすら孤独に耐えるだけだった一晩が、はやてのおかげで明るくなった。
「泊めてくれてありがとう、はやて」
「いやいや、お礼を言わなあかんのは私の方やろ?」
はやてはソファーに座ったまま、俺の方に寄りかかってきた。華奢な身体を抱きとめると、穏やかな微笑みを浮かべる。なのはも言っていたけど、ずるいと思う。あまりにも可愛すぎる。
「……もし妹がいたら、こんな感じなのかな」
「えっ!?」
「あ、ごめん」
つい変なことを言ってしまった。恥ずかしくなった俺は目をそらす。
だが、はやては俺の妄言に納得したように頷いている。
「……お兄ちゃん?」
全く予測できなかった一言にぶっと吹き出した。慌ててティッシュで口を拭う。
待て待て、今のはダメだ。とんでもない破壊力だった。
さっきから一人で百面相をしている俺を見て、はやては楽しそうにニコニコしている。可愛い。
部屋が暑くなったわけでもないのに、身体が汗ばんできた。
(なのは、そろそろ戻ってきてくれ!)
はやてと二人きりの空間は、今の俺には刺激が強すぎたようだ。
なのはが再び現れたのは、夜九時を過ぎた頃だった。俺の家に侵入する時とは違って、普通に玄関のチャイムを鳴らしてきた。俺とはやてしかいない以上、隠れる必要もないから当然か。
三人ともすでに眠気が来ていたので、軽く話した後は仲良くベッドに入って眠った。さすがに横幅はギリギリだったものの、くっついて寝ることでむしろ安心感を得られた。
結局のところ、はやてもなのはも、俺も……寂しがり屋なのだ。性格は三者三様だが、その部分においては共通しているのかもしれない。そんなことを考えながら、俺は瞼を閉じた。