「思いついたかい?…………そう、それが僕の新たな名か。」
あの言葉から月日は廻り、旅人がスメールを旅立つ日が来た。「博士」と「散兵」によって混乱に陥った知恵の国は、
無論、無為な日々を過ごしていたわけではないのだろう。クラクサナリデビの勧めた学院祭への参加は、凡人どもに僕の存在を示す意図があったのだろうし、それによってクラクサナリデビと旅人が利益を被るのなら恩返しの一つにはなるだろう。クラクサナリデビのいう因果を見つめ直すのも、確かに重要であることは認めている。しかし、僕自身の果たすべき復讐も、僕が受けるべき報いも、全く進んでいないということに、無限の時間をもっていながらも僕は焦りとほんの少しの苛立ちを覚えていた。
そんな時だった。僕はその日たまたまスメールシティへと戻ってきていた。学院祭以降、僕の姿を見かけると声をかけてくる学生が多く、心底うっとうしかったがゆえに、僕は基本的にシティには入らないことが多かった。スメールを出なければクラクサナリデビとは夢で意思疎通がとれるので、余計にシティには近づかないようにしていたのだが、その日だけはなぜかクラクサナリデビに会っておかなければならないような気がして、柄にもなく僕は自分からスラサタンナ聖処の扉をあけていた。
クラクサナリデビは日中、外出していることも多い。いなければさっさと出ていこうと思っていたのだが、果たしてクラクサナリデビは聖処の中にいたようだった。
「あら?あなたが先ぶれもなく自分から来るなんて珍しいわね。何かあったのかしら?」
「……別に。用もなく来ちゃまずかったかい。」
「そんなことはないけれど…。あなた、学院祭以降、前よりもさらにシティを避けるようになったでしょう。だからとても不思議だったのよ。」
「…自分でもなぜかは分からないけど、君に会っておかなければいけないような気がしてね。だから、目的は済んだ。邪魔したね。」
「待って、笠っち。それなら少し私から話があるの。本当は後日伝えるつもりだったのだけれど、今日あなたが来たということはもしかしたら今言うべきことなのかもしれないわ。」
どこかもったいぶるというか、悩む素振りを見せるクラクサナリデビに、僕は無言で続きを促した。
「旅人が今日、スメールから旅立つみたいなの。昨日夢でその内容を知ったのだけれど、彼女たちは私の時間を取らないようにと気を使ってくれたみたいで…。」
最初、その言葉を聞いても僕の心は凪いだままだった。彼女たちは次の目標に向かって歩み始めたのだろう。彼女は彼女、僕は僕。そんな程度に思っていた、いや、そう思うことで心が波立つのを抑えつけようとしていた。
次に浮かんだのはせいせいする、という強がりだった。これであのうるさい白い飛行物体と顔を合わせなくて済むし、彼女たちも僕という恨みのある存在とかかわらなくて済む。という、無理やりの納得だった。
最後に浮かんだのは怒りだった。といっても彼女にではない。着実に目的に向かって歩み続ける周りと比べて、何一つとして現状を変えられていない僕自身への怒りだった。
「そう、それはまたなんというべきか…。彼女たちに恩返しする機会はまた先になったけれど、今は旅立ちを祝福してあげればいいのかな?」
「ううん、そういうことではないの。普段シティに近寄らないあなたがわざわざ訪れたことといい、私がちょうど旅人がスメールを出ていくことを知ったことといい、本来なら交錯しないはずの運命が交わったような、そんな感覚なのよ。」
「それで?その神の感覚に従うならどうするんだい?」
「笠っち、あなた、旅人と一緒に行動してみるつもりはない?」
「はあ???」
クラクサナリデビは時々突拍子もないことを言うことがある。彼女とかかわる中である程度理解しているつもりだったが、それでもこの提案は僕と旅人の複雑な関係を知るものから出るものとしてはイカれている、としか言いようがない。
「笑えないな、ブエル。僕と旅人がどういう関係なのか、わかっているだろう。その僕に旅人の旅に同行しろと?囚人は確かに神の玩具だ。命じられれば従うしかない。でもこれは君の信頼する旅人にとってもいい迷惑なことだよ。」
「私もそう思うのだけど…例えるなら、死域に火を放つことでアビディアの森の緑を広げているようなものね。一見不合理な選択肢が最善になる、そんな可能性があるのよ。」
相変わらずわかりにくい比喩だが、つまるところ、本来ならあり得ない行動をとることが大きな利益につながる可能性があると感じたのだろう。ただ、その可能性の中身についてまではわからないようだ。
「今の僕は君に命じられて学者の真似事をしている身だ。それに僕がスメールにいるからこそ、君は僕を管理できている。それなのに急にスメールの外に出そうとするなんて、キャンディを食べすぎて飴と一緒に脳も溶けだしたのかい?」
「そうね…。私も突拍子もないことを言っている自覚はあるのだけれど、不思議と確信に近い何かを感じているの。どうかしら、旅人との旅は必ずあなたにとってもいいものになるはずよ。」
「ちっ………。なら、君の代理として別れの挨拶だけはしにいってあげる。僕の移動速度なら、今から追ってもフォンテーヌに入るギリギリ手前で追いつけるだろう。その間に夢の中で旅人に確認をとっておいてくれ。彼女が断ったらこの話はなしだ。これ以上余計な借りを作るのはごめんなんでね。」
こうして僕は旅人に会いに行くことになった。