翌朝、僕は日の出ないうちにシティを発った。僕の力をもってすれば、二日とかからずフォンテーヌの港が見えるところにまでは出れるからだ。出がけに、一瞬クラクサナリデビに会っておくかどうかが脳裏をよぎったが、こんな早朝だと聖処には護衛がついているはずだ。余計なことは避けたかったこともあって、僕は一直線にシティを出た。
名を得て以来、僕は基本的にスメールのあちこちを旅していた。見聞を深めていると、スメールの世界は雄大で、かつ凡人には手に負えないものであることが良く理解できる。いたるところに残るカーンルイアの機械や、キングデシェレトの遺産、しゃべるキャベツ。凡人がこれらを理解する日はまだまだ先だろう。……まあ、僕には関係のない話だ。
休まず移動したことで、正午にならないうちから砂漠に入ることができた。凡人なら健脚な者でも2,3日はかかる旅程だ。砂漠を移動していると、以前といくつか違う様相が目に入ってくる。巨大すぎて砂に埋もれていたはずのカーンルイアの遺産は、なぜか忽然とその姿を消していたし、空に浮かんでいた紫のアビスを思わせるかのような光も、そびえたつ巨大な水色の樹木が取って代わっていた。恐らく、いや、ほぼ『彼女』がかかわった結果に違いない。
もうそろそろ砂漠を抜けられる、というところで日が落ちきってしまった。恐らく彼女たちも近くにいるのだろうが、この時間だと既に野宿している可能性が高い。彼女たちの寝こみに合流しても気まずいだけだ。風を凌げる場所を探そうとして、あたりを見回す。その時、以前ここを訪れた時には気づかなかった小さな洞窟があるのを見つけた。中に入っていくと、長らく人が通ってないのであろう、荒れた地面と、明かりのない道が、奥へ奥へと続いている。
僕の体は睡眠を必要とするものではないが、1日中空悟力を酷使している以上、多少の傷みが発生していることは想像に難くない。体の調整を行うときはできるだけ周りが静かなところでしておきたいし、風よけにもちょうどいい。僕はためらいなく小道の先へ進んでいった。
幸い、洞窟の中には魔物の姿はなく、僕は体の調整を集中して行うことができた。ところが、明かりを消し、仮眠をとろうとしたところで、何か風を切る音が、洞窟のかなり奥からしているのが耳に入ってきた。僕の体は、腐ってもあの憎らしい存在の原型であり、五感も凡人とは比較にならない。その僕の聴覚が『よく耳にした、剣を振るう音』を捉えた。
「はぁ……こんな時間に会うつもりはなかったんだが。」
間違いなく、『彼女』は戦闘中のようだ。十分な戦闘力のある彼女だが、それでもスメールを女性一人で(横のうるさいのを除く)渡り歩き続けている。こんな夜中で、しばらくちゃんとした睡眠もとれていなかったツケだろう、疲労が剣を振るう音から伝わってきた。………仕方ない、乗りかかった船だ。
「四国に名を馳せるあの旅人が、こんな奴らに手間取るだなんて情けないね。…風よ!」
「!」
「放浪野郎!?お前、なんでこんなところに!?」
「前にも言ったけど、戦闘中は無駄口を叩くな。まずは目の前の敵を片付けるよ。」
僕が加わったことで、息を整える余裕ができたらしい。疲労こそあるものの、彼女の剣にも冴えが戻った。こうなれば、所詮は魔物。相手にもならない。
「身の程を知れ!!」
「散!」
私の目の前に立つ少年は、魔物をひとしきり討伐したことを確認すると、笠をかぶり直した。
「それで?何か言うことがあるんじゃないかい?」
「ぐっ!」
パイモンは彼の過去を直接確認したわけじゃない。だからかまだ彼に対して忌避感が強く残っている。これは、私が口を開くべきだろう。
「…助かった。ありがとう。」
「フン。それにしても、こんな雑魚との戦闘に支障をきたすほど疲労していたなら、例の仙境に移ればよかったんじゃないかい?なぜ野宿なんかしている?」
「わかってて聞いている?なぜだかわからないけれど、壺の世界に入れない。あなたにも通行証は渡してるから、試せばわかると思うけど。」
「ふーん。まさか君が通行証を渡しておきながら通行を拒む、なんてひねくれた行動をとるとは思ってなかったけど、本当に誰も通れないんだね。」
「そうだぞ!だから旅人は砂漠で受けた傷も応急処置しかできなくて、ずっと調子が悪かったんだ。」
「パイモン…!」
もう彼に敵対の意思はないとはいえ、明確な弱みを見せたくはなかったのだが、パイモンが口を滑らせてしまった。
「君、怪我をしているのか。…どこだ。見せてみろ。」
こうなった以上、隠し通せない。仕方なく私は左足を前に出した。私の負傷の跡が思ったより大きいと思ったのか、彼は少し表情を歪めた。
「何があってこうなった。かなり深い傷だ。君らしくもない。」
「…………」
「言いたくないのか。ならいい。とりあえず手当だ。君、そのままだと最悪二度と歩けなくなるよ。」
彼はそういうと着ていた衣服の裾を、風の刃で切り裂いた。それから、私のバックを持ってくるようにパイモンに指示すると、自分の懐からいくつかの素材を取り出して、丸いボウルのようなものに移し、すりつぶし始めた。
「……何をしてるの。」
「君が知っているかは知らないが、生薬を作っている。いくつか素材が足りないから君のバックから素材を貰うよ。おい、白フライム。バックから電気水晶の欠片と鳴草、それからヨウトウタケと晶化骨髄を出してくれ。」
「お、おう!って、おいらは白フライムじゃないぞ!!」
パイモンと口論しながらも、彼は慣れたように生薬を作り上げていった。どこか影のある表情しながらも、彼の手つきには迷いがない。やがてクリームのようなものができた。どこかで聞いたことがある。確か、軟膏といったか。そんな種類の塗り薬だ。彼は完成した薬を手に掬ってひとなめすると、軽く頷いた。口にして大丈夫なものなのだろうか。
「…できた。そこに座れ。足を見せろ。」
彼の指示通りに岩盤に腰を下ろし、靴を脱いで足を投げ出す。思ったよりも激痛が走った。戦闘、そして彼との再会を通して緊張ずくめな状況に、痛みを忘れていたみたいだ。
「ほ、放浪野郎!これで旅人の傷は治るのか!?」
「僕は医術の心得があるわけじゃないし、そもそも君たちとは体のつくりが違うから断言はできない。ただ、この薬を使って外傷が治らなかった凡人は記憶にいない。」
「そ、そうなのか!よかったぞ旅人!おいら、日に日に具合が悪くなってくお前を見て、とっても心配だったんだ!」
泣きながら抱き着いてくるパイモンをなでながら、私は、足元で薬を塗る彼を見つめていた。
「っつ…………」
「多少の痛みは我慢しろ。傷が深い分、効果も副作用も強いものを使ってるんだ。恨むなら、君に深手を負わせた相手を恨むんだね。それとも、僕に触れられるのが不快だったかな?それなら、我慢してもらうしかないね。…………とりあえず、今できることはこれで終わりだ。後は朝・昼・夜の一日三回、同じ箇所に薬を塗り続ければ、治るはずだ。」
「……。ありがとう。助かった。…それと、触れられることが嫌なわけじゃない。」
「……ふん。」
しばらく、奇妙な沈黙が続いた。パイモンは泣き疲れて寝てしまい、彼は黙々と寝床を整えていた。私は動くなと言われ、パイモンを抱えたまま、ぼーっと彼の行動を目で追っていた。不思議な沈黙だった。今までの彼との関係からすれば気まずい雰囲気になると思っていたが、自分でも驚くほど穏やかな沈黙だった。
どれくらいたっただろうか。おもむろに彼が口を開いた。
「薬の調合は僕にしかできない。そして君は今、足を負傷している。これは僕が君に恩を返すいい機会だ。クラクサナリデビが昨日、僕を君の旅に同行させるという提案に、君がなんて返したか僕は知らない。が、君の怪我が治るまでは僕の同行に拒否権はないと思ってくれたまえ。」
確かに昨日の夜、ナヒーダは私に彼を同行させることを提案していた。そのことについて、私は答えを出せていなかった。彼と私の因縁はあまりにも根深いし、傷にうなされて思考をうまく回せていなかったこともある。パイモンに、彼が私たちを追ってきていることを伝えることすら忘れていたほどだ。
彼は私に背を向けていて、その表情はうかがえない。だけど同行を告げるその声には強い力がこもっていた。それに、傷を負って砂漠の端にいた私の危機を、彼が救ってくれたことは確かだ。
「……よろしく。」
私の返答を聞いて、彼が明かりを消した。笠をかぶり直す音が聞こえた。