「お母さん……。」
塀が囲む住宅街を歩きながら、悪流は自分の前を歩く女性に声をかける。
「あのね……えっと、お母さん。あたしね。ちゃんと、解ってるつもりなんだよ……お母さんが……っ」
そこまで言って、悪流は息を飲んだ。母は、睨む様な目付きで振り返っている。
「……気安く話しかけないでって、何時も言ってるでしょう?」
「……ごめんなさい。」
しゅんと項垂れ、悪流は夕日に傾く影を見る。
「あたしは、ちゃんと解ってます。お母さんが、あたしの事が大嫌いだって事……解ってます。」
でも、でも……だけど……。
「あたしは、お母さんが大好きです。ですから、ですから……」
……多くは、望まないから。ささいな事だけでいいの。あたしを……。
「うっ……」
……夢を、見ていた。アクルは、ゆっくりと目を開ける。
頭がぼんやりする。身体が鉛の様に重く、泥の中に沈んでいるかの様に自由が効かない。
「……ハァ、ハァ……な、にが……」
どうなったのだろうかとアクルは思う。確か……ええと、なんだっけ?
そうだとアクルは思い出す。確か、ネズミの魔族の群れと……そして、魔星十二支の一人、喰鼠と戦って……それで……。
そこまで考えてから異臭に気付き、アクルは重い瞼を必死に開きながら、そちらに目をやる。
「…………?」
まだ日が射さず、月明かりだけが頼りな森の中だからか、最初はソレがなんなのか理解出来なかった。
訝しげに眺めて……後悔した。それが肉片や骨の破片などである事を理解して。
「うぇっ……! ゲホッ、ゲホッ……!」
胃液が逆流し、アクルは思わず吐き出してしまった。
震える両肩を抱きしめながら、ぶるぶるとアクルは青ざめた顔をする。
「……あたしが……やったの……?」
少し落ち着いて、ポツリと呟く。この世界に来たばかりの時に、なんとなく似た様な事があった。
あの時は、引き裂かれた獣の死骸。今回は、これ。
「…………?」
ともかく、一刻も早くこの場から立ち去りたいアクルは、這うように移動を始めた際に、違和感を覚えた。
この世界に、違和感を。見える景色がおかしいのだ。
なんというか、現実味が無い。目で世界を見るというより、テレビを観る感覚というべきか。
葉も草木も……こんなに無機質だったっけ? もっと綺麗なものだったはずだけれど……。
何度か目を擦ってみるが、やはり違和感が拭えなかった。
「さぁ、ネズミの親玉のネギトロめいた死体を見てしまったアクルたんはSAN値チェックだ!」
不意に頭に、その場にはまるでそぐわない様な間抜けな声が響き、アクルはハッと目を開いた。
「魔王さん……。」
「お、ようやく聞こえたかー。よかたよかた。」
いつも通り、呑気な魔王の声が聞こえてアクルは酷く安堵した。緊張の糸がほどけていくのを感じる。
「んむんむ。まぁ、本当によくやったよ。正直ダメかと思った。
まぁ、しゃーないっちゃしゃーないが……ディアブロは、あんまし使うなよ?」
今回は、退かない様な奴が相手だから勝てた様なものである。
冷静な奴なら、アクルが体力切れするまで逃げるだろう。聖護士とかなら間違いなくそうする。
「でぃあ……?」
そう言えば、来たばかりだったあの日もこんな会話をしたなとアクルは思う。
…………。
「……やっぱり、アレってあたしの仕業なんですね……」
殺すにしたって、随分と惨たらしく殺したものである。我ながら、酷い。
「まぁ、アレだ。アイツは自殺したようなもんだ。アクルたんは、奴の迷惑行為に付き合わされただけ。
それにアイツだって満足したさ。だから大丈夫だ、問題無い。オーケー?」
「………でも」
「だいじょーぶ!アクルたんは、なんも悪くない。アイツが勝手に死んだだけ。おけ?」
「…………うん。」
魔王の言葉に、アクルは無理矢理にでも頷き、いつの間にか零れた涙を拭う。
「……あや?」
ふと気付けば、いつもの景色だ。草木は夜の闇の中でも月光に照らされ青々としており、全ては美しい。
変だなと思いつつ、アクルは何とか立ち上がった。そして森の中をふらふらと歩く。
とりあえず街を目指そうかと思った辺りで、人の気配を遠くに感じてアクルは少し止まる。
一人や二人の気配では無い。それに、なんだか穏やかな感じじゃない。
アクルは隠れながら耳をすませ、感覚を研ぎ澄ませて様子を伺うと……彼らはこう言っているのが解った。
魔王が出たと。そんな声。
「…………っ」
アクルは、ぐっと目を閉じて両手を胸に当てギュッと押さえ込む。
身体を丸めて、しばらく耐える様にそうしてから、声とは逆の方向に向けて歩き出した。
「あー……ま、あんだけ魔王魔王言ってたしなぁ。」
アクルが魔王だとバレたかは判断しにくいが、魔王が出たというのはすぐに広まるだろう。ネズミ共も散々、魔王魔王言ってたし。
アクルがそうだとバレた訳ではないかもしれないが、どちらにせよ取り調べをされたら即アウトだ。すぐバレるだろう。
「……魔王さん。」
「おう、なんだい?」
「あたし……」
アクルは困った様に目を泳がせて、少しばかり押さえ込むようにするが、ためらいがちに……そして絞り出す様に問い掛けた。
「あたし、頑張った、ですよね? ……頑張ったよね?」
「ん。まぁ、めちゃくちゃ頑張ったな。十二支とも戦ったし、勝ったし。MVPはアクルたんのもんやでー!」
それを聞いて、アクルは少し笑った。安心したのだ。安堵したのだ。
「……ありがとう、魔王さん。
───もう少しだけ頑張れる。頑張って、みるよ……」
そう言って、夜の森をさ迷い始める。
……この世界に来たばかりの、あの日を思い出す。あの日もこんな風に、身体が限界に近かった。
雨は降っていないが、あの時みたいだ。明日が、見えない。
「……帰りた、かったなぁ……」
ポツリとアクルは呟いた。悲しそうに、悔しそうに、妬ましそうに。