黒き魂。邪な心。歪なる命。されど我らはどこにでも有り。
人々の中に。異世界であろうと。人々の中でなかろうと。
薄暗い森の中……月明かりを頼りに、二人の魔族が歩いていた。
狐耳で狐色の髪をポニーテールにしてる細目の赤い着物姿をした少女が矢狐(やこ)。
黒いローブで身を包み、蛇の顔をした男性が邪巳(じゃみ)の二人である。
「あー、まったく嫌な役ねー。」
不意に矢狐がぼやき、邪巳は、まぁまぁ、とそんな彼女をなだめる。
任務は簡単。封印している凶(マガツ)の連中の内、指定された数人の封印を解く事だ。それだけではあるのだが……。
「だって、あんな連中と関わりたくないわよー!」
「まぁまぁ、矢狐さん落ち着いて……。
別に、全員の封印を解く訳じゃあない。あくまで、交渉しやすい者だけ……でしょう?」
「そりゃあそうだけどー。」
なだめられても矢狐は変わらず不満そうであった。
まったくなんでアタシがと矢狐は変わらずぶつくさ言っていて、邪巳は苦笑を浮かべる。
この前も、鼠族を案内するハメになったと思ったら、今度はこれだ。まったくもって、ついていない。
はぁ、とタメ息をひとつ……ふと矢狐は夜空を見上げた。
月が、まるで死人の肌の様に蒼白く光っている。
そしてそんな月の光りに照らされた、大きな石祠(セキシ)の様な建造物がその眼に映り、矢狐はゴクリと喉を鳴らした。
「あ……矢狐さんに邪巳さん。こ、今晩は……」
入口の前に立つ狸顔の少年、鋼狸(コウリ)に対し、矢狐は軽く返事をする。
彼はここの守衛役である。もっとも、こんな場所まで来る者等いないし、ここに来るまでに関所の様な場所がいくつかあるので、鋼狸の役割はそれほど重要では無い。獣を追い払う程度だ。
朝昼晩おきに、『壁』のメンバーで替わってやってるらしい。
「んじゃ、入るわよー。」
「は、はひぃ。お気をつけて。」
おどおどした調子の緑着物の少年、鋼狸の脇を通って矢狐と邪巳は大きな石祠みたいな建造物の中に入って行く。
薄暗い中を、矢狐は松明に火をつけて階段を降りて行く。
建造物の地下。両壁にいくつかの大きな氷塊の様な物があった。
それらにはお札の様な物が貼られており、氷塊の中には魔族の姿が見てとれる。
「ええと、とりあえずは魔鬼(マキ)って奴だったわねー。」
札に書かれた名前を確認しながら、もっと奥かと通路を見る。この広間だけではなく、奥もあるのだ。
足音が響く通路に……びりっ、と、別の音が響いた。
まさかと、恐る恐る後ろを見ると──邪巳が勝手に札を剥がしているのが見えて、ギョッと驚く。
「……って、邪巳! なに他の札剥がしてんのよー!」
「あれ? てきとーに剥がしていいんじゃなかったですっけ?」
「違うわよバカー! ああもう、どーすんのよー!」
狐耳と尻尾を逆立てながら矢狐は怒鳴る。札に書かれていた『群戌(ムライヌ)』の文字を見て、そいつはリストにのってたかしらと懐からメモを取り出した。
書いてたら結果オーライなのだが。
矢狐は、メモを見ながら横目に札を剥がされた氷塊を見る。
氷塊は蒸気を発したかと思えば、キラキラ光る雫となり霧散して消えた。
壁に背を預ける様にして、背の高く細身な一人の青年がその場に残る。
犬の耳と黒く長い髪の毛が、右目を隠していた。
黒く、裾が長いコートの様な衣服に身を包み、スカーフを口に巻いていて顔は左目の部分しか見えないが、中々端正な顔立ちをしている。と思う。
札に貼られていた通り、群戌とは彼だろう。
「……ん。」
群戌がゆっくりと眠たそうな目を開き、さてこいつはどんな奴かしらー、と矢狐は思う。
見た感じは大人しそうな印象を受けるが、封じられていた訳である。危険人物である事は間違いないのだ。
言葉が通じる相手ならば良いのだが。
「……やぁ、こんにちは。」
少しだけぼんやりしたのち、群戌は目を細めながら矢狐に声をかけてきた。意識がハッキリしてきたのだろう。
片眼の目元の辺りしか見えないが、笑っているらしい事は解る。
「今は、今晩はよー。」
矢狐はそう挨拶を返す。とりあえず、挨拶は大事である。これが出来ない奴は凄く失礼にあたるだろう。
とりあえず、矢狐の群戌に対する印象は、まぁ、話せそうかなー、といった所か。ただ、何か苦手だ。
顔がよく見えないというのもあるが、声がこう、なんというか……ねっとりとしているのだ。
どうにも、薄気味悪い。
「夜なのかい?うふふ、この場所だと昼も夜も解らないよ。」
「まぁ、そりゃそうよねー。」
矢狐は軽く頷く。確かに、ここは真昼でも日がささないだろう。
ふと、ビリ、という音を矢狐の耳がキャッチした。
いや、まさかと振り返って、矢狐は再びギョッとする。
「ちょっ……! アンタ、何してるのよー!?」
なんと、邪巳が次々と氷塊に貼り付けてある札を剥がして行っているのだ。驚くのも無理は無い。
「なにって……封印を解いてるんですよ。」
「いやいや! ダメに決まってるでしょー!」
さも当然の様にそんな事を言う邪巳に対し、矢狐はさも当然の様に怒鳴って──
「────ッ!?」
直後、背後から悪意を感じた矢狐は、前方に跳び、前転しつつ振り返り、自身の狐の尻尾を掴んで群戌に対して鋭い眼光を向けた。
群戌の周囲には、いつのまにやら黒い野犬が数匹いた。何やら陽炎の様に揺らめいており、ただの野犬では無い事が伺える。
ともなれば、異能力の類だろう。
「……………なんの、つもりよー?」
ごくりと喉を鳴らして、緊張した様子で尋ねる矢狐。周囲で、氷塊が蒸気を発して霧散し消えていっている。
「なにって……久しぶりに目覚めただろうからね。ちゃんと、使えるかなって思ってさ。くふふ……」
変わらずねっとりとした声に、矢狐は全身に鳥肌がたった。
こいつは話しが通じる相手では無いと矢狐が判断するのと同時に、黒い陽炎のような野犬達が一斉に矢狐に対して襲いかかる。
「……ッ! このーッ!!」
尻尾の毛をむしりとり、手のひらで包んで投げると、それらは矢となり飛ぶ。
だが、野犬達は素早く数匹になんとか当たった程度である。
矢が直撃した野犬が爆発し、煙りが立ち込めた。
「ひぃっ……!?」
煙りに乗じて接近されてしまい、矢狐の体が野犬に触れる。
瞬間、爆裂音と共に野犬が爆発。
「ぐギぃゃッ!!?」
矢狐の身体が数メートル吹き飛び、石造りの床に後頭部から落ちる。
響く鈍い音。……そのまま矢狐は、ピクリとも動かなくなった。
「うん、いい威力。でもちょっと落ちてるかな? うふふ……。」
倒れている矢狐をニンマリと群戌は見下ろす。
「ありがとう。お陰で威力が試せたよ。
……ん? 返事が無いなぁ。」
ツカツカと歩み寄り、群戌は屈んでうつ伏せに倒れる少女を覗きこんで。
「おいおい……返事くらいしたっていいだろう? 僕は、お礼を言ってるんだぜ? なのにどうして黙ってるんだい。それっておかしくないかな?
『どういたしまして』くらい言うべきだろう?」
と、そんな事を言い出す。そしてようやく、矢狐が息をしていない事に気が付いた。
「ああ、死んだのかい?それはそれは、悪い事をしたねぇ。ごめんよ?でもわざとじゃあないんだよ、うふふ…。
……ん?でもあれだよね、あれだけで死んじゃう弱い君も悪いよね?」
天井の方に目を向けて、群戌は呟き両手をポンッ、と叩く。
「……なんだ。考えてみれば、あの程度で死んだ君が悪いんじゃあないか。僕は悪くないよね。なぁんだぁ、謝って損しちゃったよ。あーあ。」
まともな感性を持つ者にとっては、謎過ぎる理論で自身を肯定し……満足そうに群戌は立ち上がった。