薄幸の堕天使   作:怒雲

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 周囲の壁にかけられた、松明の火がゆらゆらと揺らめく中……倒れていた矢狐の細く白い指が、ピクリとしなる。

 

「……ッ! ゲホッ! ゴホッ!」

 

 

 幸か不幸か……矢狐は息を吹き返した。

 

 咳込みながら、彼女は混乱しながら周囲に虚ろな視線を彷徨わせる。

 

 

 ………からだ、おもい。ここ、どこ。わたし、なんで───

 

 

 

「なんだよ……死んだふりかい? 死んだふりまでして無視してたの???

 ……なんていうかあれだねぇ。君はロクな奴じゃあないねぇ。最低だよまったく。」

 

 群戌の声を聞いて、矢狐は状況を思い出す。

 

 状況を理解したとたん、鉛の様に重い身体中から鈍い激痛が蠢くように広がり、呻き声をもらしながら矢狐は身じろいだ。

 

 

 そんな様子を見下ろしながら………大袈裟に肩を竦めた後、群戌は近くに落ちていたメモを拾い上げて目を通す。

 

 

「うっ……うぅ……」

 

 

 矢狐は霞んだ視界を周囲にさ迷わせながら………今。自分が気絶している間にどういう状況になったのかを確認しようとする。

 

 頭がぼんやりとしていて、気分が悪い。

 全身がやはり重く、まともに動いてくれない。まるで体が生きる事を諦めようとしてる様にさえ感じる。

 

 

 

「う…………ぁ……っ」

 

 

 なんとか、這って矢狐はその場から離れようとした。逃げないと。

 

「た、たす……けてー……。だれ、か……。」

 

 

 周囲には他の魔族が立ってぼんやりとしている。群戌と同じ、凶の連中だろう。

 

 

 凶の連中のうち、何人かは矢狐を見てニヤニヤしたり、興味無さそうにしたり、まだ意識が定まらずにぼんやりとしたりといった感じだ。

 

 一人だけ、出口に向けて歩いて行く。

 

 

「たす、け……て……。」

 

 死にたくないと矢狐は思う。こんな所で死にたくない。あんまりだと。

 

 

 人間との戦いで死ぬなら、まだ納得出来る。覚悟も出来ていた。

 

 

 だが、こんな所でこんな形で幕をひきたく無い。こんな理不尽で不合理に死ぬのは嫌だ。

 

 

 ……そう言えば、邪巳は何処に行っただろうと、矢狐は虚ろな視線をさ迷わせた。

 

 もとはと言えば、アイツのせいだ。アイツが勝手に封印を解いたから。

 

 

 本来ならば、こうなるはずじゃあ無かった。わりと簡単に済む話しだったはずなのだ。

 

 

「おやおや、酷いお姿ッスねぇ~矢狐さん?」

 

 

 飄々とした声が聞こえ矢狐が見上げると、黒フードを被った蛇顔の男。

 

「じゃ、みぃ……!」

 

 

 邪巳は、矢狐の顔を見て満足そうに笑った。憎しみ、怒り、絶望、悔しさ……そして、救いを求めるという、様々な想いの入り交じったその表情(かお)を観て。

 

 

 

 

「ヒヒヒ……まぁ、すんませんねぇ? でも、これでいいんですよ。」

 

 

 ニヤニヤと笑いながら、邪巳は矢狐の近くに腰を降ろした。

 

 

「長かったですよ、ここまで。 ヒヒヒ!信頼得るためにいろいろ立ち回って、ようやっとチャンス到来でさぁ……! 面白い事になりやすぜぇ……!」

 

 

 邪巳の様子に、矢狐は奥歯を噛む。

 

「なに、言って…………なにが、目的、なの……よー……?」

 

「んー……簡単に言うと、復讐かな?ま、安心して下せぇ。なにも、魔族にだけ迷惑かけたいんじゃあ無いんですよ。

 人間にも、ちゃあんと嫌がらせしますから。どっちも掻き回しやすから。ケケケ。」

 

 

 耳打ちする様に言った後、邪巳は立ち上がり矢狐から背を向けた。

 

 

「ぁ………ま、て……このぉ……!」

 

 矢狐はうつ伏せの姿勢のまま、右手を尻尾に伸ばして毛をむしる。

 

 

 それは手の中で矢となり、放つが……まるで力が入らずバラバラと周囲に落ちて、元に戻ってしまった。

 

 振り返る事すら無く、邪巳はまた奥の部屋に消えて行く。

 

「はぁ……は、ぁ……。」

 

 

 意識が更に薄れて行く。もう長くは無さそうだと感じて、矢狐の心は急速に弱くなって行った。

 

 そこに先程出口に向かって行った、黄色い猿の様だが、赤い嘴の着いた魔族が戻って来たのが見えて、なんとなく視線をそちらにやって。

 

「……────ッ!」

 

 矢狐は息を呑んだ。その魔族は、血だるまになった鋼狸を引き摺っていたからだ。

 

 腹を裂かれており、濁った瞳は光りを灯していない。息もしていないだろう。完全に死んでいた。

 先程まで、元気だったのに。

 

「ん~? 斬雍(ザンヨウ)。それ誰?なに?」

 

 降りて来た魔族に対し、巨漢な豚顔の魔族が声をかけると、斬雍と呼ばれた嘴猿な男は目を細めた。

 

 

「なんかよぉ。オレが外に出たらよぉ。難癖つけて来やがったんだよぉ。

 だからよぉ、かるーくボコったら……あっという間に死にやがったんよ。ザッコ!マジ笑っちゃったですよオレは。」

 

「…………マジ? ウケる!」

 

 

 ……そんな会話をしながらゲラゲラと笑う二人を見た後、鋼狸の亡骸に矢狐は視線をやった。

 

 無惨な死体を見て、自分の命運を想い矢狐の目からは涙が零れ落ちる。

 

 

 

 

「おやおや、大丈夫ですか?」

 

 意識が消えて行く最中、その場には似つかわしくない程に穏やかな女性の声が響いた。

 

 優しげな微笑みを浮かべた、緑の長い羽毛の髪と、同じ様な色をした鳥の翼。

 桃の着物を身に纏う美しき女性。

 

「よっと……。」

 

 

 天使にさえ見える容姿の女性魔族が、矢狐をうつ伏せから仰向けにして、優しく矢狐の頭を自分の膝に乗せた。

 

「う、うぅ……ぁぅ……?」

 

 

 矢狐は困惑しながらも、その美しい顔を見上げた。

 

 女性は変わらずニコニコと穏やかに微笑んだまま、傷付いた矢狐の両頬にそっと手を当てる。

 

「あらあら、うふふ……大丈夫よ、もう大丈夫。大丈夫だから……。」

 

 

 穏やかな声色と共に、瞼が重くなって行く。

 

 それと共に、体が何かに蝕まれて行くのを感じたが、もうどうでも良くなっていた。

 このまま、騙される様に眠ってしまおう………。

 

 

 

 

「大丈夫。私が愛してあげるから。

 ……ああ、綺麗な体。可愛い顔……。大丈夫よ? ずっとずっと、愛してあげるわ。」

 

 

 緑の羽根が舞い散り、矢狐の小柄な身体を撫でて行く。

 

 

「私の異能力……『死骸愛撫遊戯(ネクロフィリア)』で、ずっと、ずーっと……うふふ。」

 

 

 矢狐の身体を抱きしめながら、凶の一人、鴆死(チンシ)は笑った。

 

 

 

「……うふふ。みんな、これ見てよ。」

 

 群戌は、適当に近場にいた凶のメンバーにメモを渡した。

 

 

 それから、少しばかり群戌は辺りを見回す。知り合いを探しているのだ。

 

 

 基本的に封印されている為に、面識がある者は少ないが、群戌には一人心当たりがあった。

 

 

「ん。いたいた。」

 

 

 壁に背を預け、ぼーっと焦点の定まらぬ目で天井を見る少女に群戌は近付く。

 

 

 ボサボサの長い金の髪と、額の辺りから伸びる美しい純白の折れた一本角。

 

 黒い袴着物の少女に対し、群戌は屈んで笑った。

 

 

「やぁ、燐麟(リンリン)。お目覚めかい?」

 

 

 燐麟という自身の名を呼ばれて、少女は死人の様な目を群戌に向けて、笑みを浮かべる。

 

「あー。群戌だぁ。」

 

「ふふふ……僕の事、覚えていてくれたんだね。嬉しいなぁ。

 まぁ、でも当然かな。僕達は友達だもんねぇ?」

 

 そうだねぇ、と虚ろな目で頷く燐麟を見ながら、群戌は気を良くして笑う。

 

 

「話しによるとね。今、魔王は人間の体に捕われているみたいなんだ。」

 

「へぇ。大変だねぇ~。」

 

「うふふ、そうなんだ。大変なんだ。一刻も早く解放してあげなくっちゃあいけないみたいなんだよ。

 だから燐麟、僕に協力してもらうよ。してくれるよね? 友達だもんねぇ?」

 

 

「うん……あたし、頑張ってみるよ。」

 

 

 へにゃ、と笑いながら立ち上がる燐麟を見て、群戌はうんうんと頷いた。

 そして、小柄な燐麟の手を引いて出口に向かう。

 

「ああ、そうそう。この任務が成功したら、いろいろと御褒美があるんだってさ。」

 

「そうなの? 楽しみー。」

 

「そうだねぇ、楽しみだねぇ。

 でも、御褒美は僕が全部貰っちゃってもいいよね? 許してくれるでしょ? だって、僕らは友達なんだからねぇ?」

 

「うーん、そっかぁ。いいよ群戌。あたし達、友達だもんね。」

 

 

 そう言って、変わらずニコニコする燐麟に対し、群戌は、良い子だ、と軽く頭を撫でた。

 

「ふむふむ……このメモに、オレの名前無ぇし。チョーウケるんですけど!」

 

「オレの名前も無ぇじゃん。アイツらセンスねぇなぁ。」

 

 

 メモを見てぶつくさと豚顔の魔族と斬雍は文句を垂れる。

 

「てか、そもそも名前載ってる奴が少ないじゃん。マジウケるんですけどこれ。」

 

「やる気ねぇなぁオイ。」

 

 

 メモを見ながらそんな会話していると、よこせ、と別の魔族がそれをひったくった。

 

 

 二足歩行の鰐といった風貌の男である。アクルが身に着けているのとはまた違った黒い外套と、黒いハットに赤っぽいマフラーの様な物を着けているのが特徴的である。

 

「……成程。」

 

 

 彼の名は鰐傷(ガクショウ)。この場にいる凶のメンバーでも、かなりの実力者だ。

 

 

「クックック、面白れェや。オイ、テメェら。このオレ様に付き従えよ。甘い汁吸わせてやるぜェ?

 ヒャアハハハハハハハァ!」

 

 

 

 石祠には、しばらくの間鰐傷の笑い声が木霊する。

 

 

 メモによれば、魔王を人間の体から引き摺り出せとの事。

 

 ……つまりは、殺せとの事だ。

 

 殺せば、とりあえずは自由にしてくれるとの事だし、褒賞も手に入るらしい。

 

 

 もっとも、鰐傷は褒賞にはさして興味は無いのだが。

 

 彼自身の野心は、もっと強い。自身の実力さえも超えて。

 

 






 そんなこんなで、凶のメンバーは朝日が昇る頃にこの場から去って行った。
 自分で好き勝手やる者や、鰐傷に従う事にした者。魔王は狙うが、別に鰐傷には従わない者。……それぞれが、それぞれの意思で。



 ……皆が出て行った、シンと……耳が痛い程に静まり返った石祠の中、一人分の足音が響く。


 まだ一人、残っていたのだ。
 魔族でありながら、彼の容姿はまるで人の様である。

 黒いマントの下にはタキシードを着込み、同じく黒い髪と、酷く整った美しい顔立ちに透き通る様な白い肌。
 ほとんど人間の容姿をしているものの、尖った耳と、口からチラつく犬歯の様な牙が、彼を人間では無い存在であると証明していた。


 紅流伯(コウリュウハク)。……彼は、大昔にそう呼ばれた魔族だ。


 更に言えば、魔星十二支の一人でもあった。
 今、アクルの中にいる魔王より、更に前の魔王に遣えた男であり……反旗を翻した男でもある。


 本来ならば殺すつもりだったのだが、彼を殺す事は出来なかった。封印するのが精一杯だったのだ。


 そんな彼は、残された一枚のメモを拾い上げて、笑った。うっすらと。


 そして、消えた。その場から、忽然と姿を消した。


 ……残った物は、燃え尽きた松明の炭と、血の跡。そして、静寂くらいのものだった。
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