「……………あ」
どう逃げたものかと必死になって走っていたアクルの足が、少し緩くなり……そして止まった。
そこは、アルケスと名乗ったあの人の家だった。
無意識に、ここに戻って来ていたらしい。
「…………」
汚れてしまった服を擦りながら、考える。記憶を辿る限り、あんなにも優しくしてもらったのはどれだけあっただろうか?
学校ではいじめられていたし、先生達も無関心だったし、お母さんは───
───お母さんが、あたしを嫌うのは当然で。
「………アクルたん、どした?」
止まっていたアクルに、頭の声──魔王は声をかける。
「……いえ、なんでもないです」
我ながら、未練がましい。反吐が出る。
アクルは思う。この家に来て、どうしようというのか。
匿ってもらおうとでも思ったのだろうか。
この人が親切にしてくれたのは、あたしが魔王と知らなかったから。
だから、きっと、知ったら。
「………───ッ」
あの優しい目が、あたしを視るアイツラのようになると思う。そんなの、耐えられない。
「………おお、無事でしたか」
踵を返そうとしたその瞬間、その声は聞こえた。
白い髭をはやした、白髪の老人。
「アルケスさん………」
「大丈夫ですかな?お怪我は……?」
心配するその表情に、ズキンと胸が痛む。
知らないんだ。この優しい人は、まだ知らないでいてくれてるんだ。
「……………その」
「…………すみません。服、こんな……」
呟くアクルに、良いのですとアルケスは軽く首を振った。
「さ、中に。──外はまだ、危ないですから……」
「……………ふふ」
そう言って差し出された手を見て、アクルは小さく微笑み首を振った。
「………アクルたん?」
魔王としても、なんだか嫌な予感が過った。
「……近くに、えっと……じゅうにせいごし?の人が、来てますよ………」
「……アクルたん?ちょっと?」
「……ほう? 十二聖護士の方が、ですかな?」
言いたい事が解らずに困惑するアルケスの目の前で……少女はその枯れ枝のような手を伸ばして───
キラリと輝き、その手には銀色の光る大剣。
「ちょっ、アクルたん、なにして───」
そのまま、その刃で、アクルは自らの腕を切ってのけた。
赤い鮮血が舞って、アルケスは驚きに目を開く。
「マジでなにしてんのアクルたん!?」
ついでに魔王も驚きに声をあげた。
「………ほら、見て、アルケスさん。あの、あたし、魔王?だったみたいなの」
再生していく傷口を見せながら、驚き見開いたその目を見ながら、アクルは、笑う。
………逃げようかと、思った。でも、この人はあたしに親切にしてくれた。
理由はどうあれ、知らなかったとはいえ、魔王を助けていたとバレたら、もしかしたらこの人は酷い目にあうかもしれない。
それは、嫌だったし、騙し続けるのも、嫌だった。
そしたら、もっともっと、自分が嫌いになる。
痛いのは、嫌だけど……死ぬのは、別に、いいや。
「その、ごめんなさい。あたし、騙すつもりは、なかった……けど、知らなかったの。
自分が、魔王だって、知らなかったから……ごめんなさい。じゅうにせいごしって人達にあたしを差し出せば、その、大丈夫……だと思いますから………」
「…………なる、ほど」
驚きに見開いた目を閉じて、深呼吸をして開き、アルケスは空を見上げて目を細めた。
護衛と共に、薬の材料を採りに森へと行った際に見付けた少女。
コロコッタの残骸と、ボロボロのはずなのに傷ひとつなかった少女。
なんとなく、辻褄があった。
───ねぇ、アルケス。私は思うんだよ。
ふと、思い出す『彼』の言葉。
ふと、アルケスは微笑み、少女を見た。
暗いその表情。でも、大きな目と、黒い髪がとてもとても妻と娘に似ていて───
「……中へ。さ、早く」
「え?……あ、はい」
老人の背を追って、アクルはとぼとぼと家の中へ。
「渡したお金はまだ残っておりますか?」
「あ、はい……ここに、あります」
「良かった。ああ、それは持っていて下さい」
「え、でも……?」
意図が分からず、困惑しつつもアクルはアルケスについて行く。
やがて、案内されたのは──隠し通路だった。