薄幸の堕天使   作:怒雲

2 / 164
プロローグ【下】

やがてアクルは、頂上の辺りにいた。海が見える、崖の上。後ろにはまだアスファルトの道が続いている。

 

 

 思い出の場所。小学校を卒業した際に、記念にと母が車で連れて来てくれた場所。アクルにとって、数少ない楽しい記憶。

 

 

 アクルの覚えている限りでは、一度も車に乗っていないはずなのにゴールド免許の母の運転は、それはもう素晴らしいものだったという。

 どのくらい素晴らしかったのかというと、サイドブレーキをしたまましばらく車を走らせていた程である。

 

 

 

 少し、辺りを見渡すと。キラキラとしたあの日が散らばっている気がした。それらを吸い込む様に、アクルは深呼吸をする。

 

 

 少し冷たい空気を吸い込んで、吸い込んで、吸い込んで……。

 

 

 

「……ンッ、ケホッ、ケホッ、ケヘッ。」

 

 

 苦しくなって、少しむせた。

 

 誰も見てなくて良かったなぁ。なんて事を考えながら、アクルは周囲をまた見渡す。そこには思い出があった。確かに思い出があった。いつまでたっても思い出があった。それが何だか嬉しくて、アクルはまた笑う。

 

 

 ああ、良いことだとアクルは思う。この決断をして良かったと。今日の自分は、よく笑うじゃあないか。

 

 

 いつもと違って、こんなにも。夢ではなくここにいて、こんなにも真っ直ぐに笑えるのだ。自分はまだ、笑えたのだ。

 

 

 それが本当に、本当に……。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あ?」

 

 

 その大きな目から、ポタポタと雫が溢れた。

 

「あ、あれ……?」

 

 

 どうしてだろう。なんだろうかこの感情は。嬉しいはずなのに。悦んでいるはずなのに、なんでだ?

 ポロポロ涙が止まらないよ。停まらないよ。可笑しいな。

 

 

 ふと、夕焼けの海と空をアクルは見た。橙と蒼が交わった、美しい景色に感動している。あの日と同じ色。

 

 

 

 ……世界は綺麗だと、アクルは思った。

 

 

 

 そして。泣き顔のままで笑って、アクルは崖っぷちに立つ。そして両手を広げて体から力を抜いて目を閉じる。

 

 

「お母さん……今まで、ありがとう。ごめんなさい。さようなら。」

 

 

 机の引き出しにいれておいた、遺書にかいてある言葉を述べて……小さな体が舞い上がる。その表情は、この美しい空模様さながらに晴れ晴れと、活き活きと生き生きと。

 

 

 

 

 

 

 

嗚呼、落ちる墜ちる堕ちる。世界が回る廻るまわる。

 

 風の音だけがその耳に聴こえる。終わるんだなぁ、とアクルは暢気に考えていた。

 

 

 これでいい。これで、良かったんだ……。

 

 

「……風、気持ち良い。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――でもよ、ちょっと勿体無いだろそりは。――

 

 

「……え?」

 

 

 突然聞こえた声に、アクルの思考が止まる。

 そりはってなんだろう。それはって言いたかったのかな? なんて、どうでも良いことを考える自分がいた。

 

 

――捨てちゃうんならさ、有効活用した方がいいよな? うん、間違いないぜぃ。つーわけでちょいと我に付き合って貰うぞあんた。――

 

 

 

 邪悪な雰囲気のハスキーボイス。女性の声。

 

 

 周囲を見渡すと、色とりどりの景色はセピア色に。そしてアクルは、空中で止まっていた。

 

 

「……え? え??」

 

 

 目の前にあるどす黒い、霧状の球体。どうやら、自分に話し掛けて来ているのは『これ』らしい。

 

 

――うん、いいな! よーし決まりだ決定だっ! そんなわけで……あなたと合体したい――

 

 

 フュー……ジョン! なんていう妙にテンション高いハスキーボイスと共に、どす黒い霧状の球体はアクルにまとわりつく。

 

 

 それを最後に、アクルの意識は途切れ――――。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。