アクルの耳に喧騒の音が響いて、ゴクリと息を呑む。この先の曲がり角だ。
魔星十二支がいると聞いて、アクルはどうしようか迷った。考えて、考えて、考えて……結局、行く事にした。
ベアルやリュエンは確かにかなり強い部類に入るだろう。特に、ベアルは並の魔族ならば寄せ付けない程に強い。
だが、十二支ともなれば話しは別だと魔王が言った。だから、来た。
理由はどうあれ、親切にしてくれた人達を見捨てる事は出来ない。
みんなに……死んで欲しくない。───嫌われる事に、なっても?
解らない。でも、このままだときっと後悔する。
「…………っ」
アクルは覚悟する。先程のネズミが沢山いるのならば、それはそれは酷い事になっているだろうと。
だが、決めたのだ。行くと。
そしてアクルは、意を決して曲がり角をまがった。
「あ…………」
月の光りと街灯に照らされ尚暗く……されど赤い景色が眼前に広がった。
夕焼けのような綺麗な色ではない。不純が混ざったドス黒い赤。ソレで染まった路上と民家。周囲に散らばる無数の肉片。斬られたネズミの手足や首。食い散らかされた人間の欠片。
「あ……ぅ……ッ!」
胃液が逆流する。こんな感じかもしれないと、予想はしていた。だが……思うのと、実際に見るのはこうも違うのかと、自分の中のどこか冷静な自分が思う。
実際に視覚に刺さる景色と、鼻に飛び付いて来る臭い。酷い臭いだ。
鉄の臭い。血の臭い。排泄物の臭い。
「……魔王サマ?」
ネズミの一匹が、遠くからアクルを見付けて呟く。呟いた直後、頭が人形に潰されて脳と頭蓋や目玉等を辺りにぶちまけた。
「魔王サマだ……!」
壁に張り付いていたネズミが呟き、ネズミ達は一斉にアクルを視る。
「わぁい。注目のまとだー!」
魔王がなげやり気味にそう言う。アクルは、一歩、また一歩と下がる。ガチガチとうるさい音が聞こえた。
なんだろうかと思うが、すぐに気付く。自分の歯が鳴る音だ。寒い、血の気が引く。痺れすら感じる。心臓が五月蝿い。やかましい。
「…………───ひっ、ひぃっ!」
踵を返し、アクルはその場から逃げ出す。一応、元々こうするつもりではあった。
あのネズミ達は、多分自分を狙うだろうと思っていたからだ。
きっと、追って来てくれるはず。そしたら、犠牲者はもう出ないはずなのだ。
みんなの安否を確認したかったが、もう信じるしかない。きっと大丈夫。
人形が動いてたからラビィさんは大丈夫。キーレースさんも、遠くにいると思うから大丈夫。リュエンさんもベアルさんもカリブディーさんも、とても強いから大丈夫。信じるしかない。
駆けていく足音と声───
ネズミ達が何やらざわめき出して、リュエンは顔をしかめていた。
「マオウサマだ!」
「マオウサマー!」
……そう言って騒いでいて、リュエンは困惑する。
マオウ……………魔王?
「……どういう、こと?」
思わず一人呟く。ネズミ達は、わらわらと何処かに向けて移動を開始し、自警団の仲間達はそれを慌てて追い掛けて行く。
ベアルも、そこらに落ちている武器を適当に拾って駆け出して行った。流石にタフである。
「……………ふぅ」
今は考えてる場合じゃあないなと、リュエンは一息吐く。
そして、みんなを追い掛けようとして───リュエンは真横に跳んだ。
先程までいた場所を、刃が通過する。
「……ッ、危ないな……!」
襲撃者を見て、リュエンは眉を潜めた。コイツ、あの時に見た魔族だ。
狐色の長い髪に狐耳と尻尾。紅葉の模様がある和風な着物を身につけた女。
顔には狐の面をつけているが、お面は口元の辺りだけ割れており美しい口元が露出している。
彼女の名は霊狐(レイコ)。鎌鼬、空鹿、伸熊と共に、魔王の捕縛に遥々やって来たのである。
そして、山道での魔王との戦闘中に、救援に来たベアル達の手によって崖から落ちたものの、普通に生存した彼女は、仲間を探してしばらく森をさ迷っていた。
ついでに遭難してしまい、そろそろ帰りたいな……とか思っていたところで鼠族が街に向けて行進しているのを発見。こりゃあ楽しくなるとばかりに霊狐はその後を追ったのだ。
鼠族の性質は知っている。むしろ知っているから、楽しくなると確信していた。
痛みに快楽を感じる彼女故の思考だろう。他の魔族なら、鼠族の仲間には加わらない。こちらが襲われる可能性があるからだ。というか、普通に襲われるからだ。
「お?ひひひっ!アンタ、あの時ん奴だねぇ。森で見た面さね?」
「…………やぁ、狐のお姉さん。感動の再開だねー。戦いなんてやめて、お茶にでもしない?」
「お茶?おいおい、そりゃあ退屈だろ。やる事なんて決まってるだろ?
夜の戦場に武器を持った敵同士───勝負だろ。」
まぁ、そりゃあそうだろうねとリュエンは刀を構える。
霊狐もまた、肉屋の包丁を思わせる形状の剣、サラワーを構えた。
リュエンは刀を構えつつ、周囲を探る。ネズミがいないのはありがたいが仲間もいない。
人形も気付けばいない。ラビィの体力が切れたのだろう。
見えない位置から人形を操るのは、リュエンには解らないがかなり神経を使うらしい。ありとあらゆる情報が脳に焼き付いてくるのだとか。
見える位置で操るならそれほどの苦労は無いらしいが、それだとラビィは今頃ネズミの餌食にされていた事だろう。一長一短である。
……なんにせよ、この狐女とタイマンである。まいったな。
ただでさえ疲弊しているというのに、この魔族は────。
「速っ……!」
リュエンは、スピードにはなかなかの自信がある。あるというのに……早くもその自信が砕かれそうである。それほどまでに、霊狐は速かった。
リュエンは、猛獣以上のスピードを持つであろう今のアクルより速さは上だ。
それでも、しのぐのがやっとである。
「…………グッ!」
速過ぎるくらい疾い霊狐の斬撃を凌ぎながら、リュエンは思う。
───ああ。勝てないし、助けもないっぽい。死ぬね、これ。
みんなネズミを追い掛けて行ったし、ラビィもまだ復帰出来ないだろう。つまり、援軍は無い。
こっちは疲弊してる上に、相手は格上。ダメだこりゃ。
ここまで勝てる見込みが無いとやる気も出ない。救援の可能性があるなら、まだ頑張ろうという気になれるが……無いならもう面倒臭い。
───諦めよっか。
全身から力を抜く。ここは五区だ。
何時か来る筈の死が、たまたま今日。今来ただけの話である。
もういいやー。そう、思ったその瞬間である。霊狐が何者かに蹴りをいれられて、派手に吹きび地面を転がったのは。
「え……?」
この状況で、誰だと思って見てみると、リュエンはその人物を知っていた。
男としては長めなボサボサの黒髪。高い身長、長い手足と細身で白い綺麗な肌。
黒い長袖の上着と長ズボン。非常に鋭く赤い目。そしてその瞳は、どことなく蛇の様だ。
「………───スネルフ!」
リュエンは思わず歓喜の声を上げた。『鬼遣いスネルフ』……十二聖護士に匹敵すると言われている男である。