それでも
夜、陽も殆ど沈み、夕暮れというより、夜に近い時間。
暗い小学校の廊下を、六年生になったばかりのトウカと、その友人、メイが歩いていた。
「暗いね...」
「もしかしてメイ、怖いの?」
「こ、怖くないもん!」
おっかなびっくりと言った様子のメイ、その前をトウカがずんずんと進んでいく。
「..あ、あんまり早く行ったら危ないよ」
「大丈夫。大丈夫。早く忘れ物取って帰ろうよ」
笑いながらトウカは「ほら」とメイに手を伸ばした。
「行こ?」
「うん..ありがと..」
二人は手を繋いで、最上階にある六年生の教室へと向かうのだった。
「じゃ、じゃあ取ってくるね」
「うん」
教室に到着すると、メイは奥の机へと向かい、中をガサゴソと探し始め、トウカは入って直ぐ、扉の前で待つことにした。
「あった」
小さく安堵の声を漏らしながら、メイはノートを手に取った。
ぼんやりと教室の掲示物を眺めているトウカの耳に、音が、声がした。
「ねえ」
「..ん?どうしたのメイ」
メイの方を見るが、彼女はノートを取った瞬間であり、丁度此方に顔を向けたばかりであった。
「?..どうしたのトウカちゃ...」
トウカに顔を向けた瞬間、メイの顔は瞬時にして青ざめた。
「あ..え..後ろ..後ろ」
「後ろ?」
メイがブルブルと震えながら指す方向に目を向けたトウカの顔に、黒い糸束がかかった。
「わ...って髪..?」
払い除けると、そこには、口が裂け、真っ黒に濁った目をした、ナニカがトウカを睨めまわすようにして見下ろしていた。
「え..」
「遊ぼ..遊びま..ショ」
ゆっくりとトウカに向かって、ナニカは手を伸ばす。
が、トウカはそれに身体を掴まれる直前、突き飛ばされて廊下に倒れ込むのだった。
「逃げて!!」
ナニカの手が掴んでいたのは、メイの手だった。
「メイ!!」
「逃げて!!トウカちゃん!!」
言われても、彼女は足を動かすことなど出来なかった。
親友が、自分を助けてくれた。
そして、逃げろという。
「出来るわけないよ!」
立ち上がり、トウカはメイをどうにかナニカから引き離そうと手を掴みに行く。
「ダメ!来ちゃダメ!」
ナニカはにんまりと気色の悪い笑顔でトウカを出迎えんと別の手を伸ばした。
「鵺!」
バリンとガラスの割れる音と共に大きな鳥のような影が、廊下に飛び込んだ。
「はあああ!」
鳥の影に続いて別の人影も飛び込み、そのまま二人を掴むナニカの腕を切り落とした。
「わっ」
体勢を崩した二人は勢いよく転びそうになったが、柔らかく、誰かの腕に支えられる。
「おケガはありませんか?」
二人にそう優しく微笑んだのは薄紫に近い髪色の、美しいウマ娘であった。
そしてもう一人、ナニカの腕を飛ばした影も、白い流星の走る鹿毛のウマ娘である。
「マックイーン!」
その鹿毛のウマ娘に呼ばれた彼女、メジロマックイーンは手で影絵を作り、唱えた。
「玉犬」
ナニカが伸ばした髪に、現れた大型の犬がその爪を振るう。
「グエエ!」
「テイオーさん!」
「分かってるよ!」
その間隙を付き、鹿毛のウマ娘、トウカイテイオーが刀を振り下ろし、ナニカ、呪霊を切り裂いた。
「くえええお」
情けないが嫌悪感を覚える鳴き声を残し、呪霊は消え去るのだった。
「ふう。間に合って良かった~」
刀を仕舞ったトウカイテイオーがメジロマックイーンの下へと駆け寄る。
「大丈夫?ケガはない?」
「お二人共、大事はなさそうですわね。ですが、怖かったでしょう。もう大丈夫ですわ」
トウカとメイは、目前で繰り広げられた出来事に、ただただ圧倒されていた。
「い、一体、なんだったんですか、あれ..」
トウカが、震えながらも、そう彼女らに尋ねた。
トウカイテイオーとメジロマックイーンは顔を見合せ、目配せをする。
そして、二人が落ち着くのを待ってから、呪霊について説明をするのだった。
「恐らく、お二人は身の危険が差し迫ったことで、呪霊が見えるようになったんだと思います」
「こ、これからも、あんなのに襲われるかもしれないんですか?」
「そうそう出くわすものではありません。大丈夫ですよ。それに、私達の協力者の方々にお二人のことを守るようにお願いしますので、ご安心ください」
「それに、昼間は大丈夫だから、そんなに怖がらなくても大丈夫だよ」
二人の説明を聞き、トウカ達は漸く少し安堵することが出来たようだった。
「あの、ありがとうございました」
メイが頭を下げ、トウカもそれを見て一緒に続く。
「助けてくれありがとうございました」
「無敵のテイオー様にかかれば、あんなのヨユーだから、お礼なんていらないよ」
「また格好をつけて..お二人共、今日のところは私達がお家までお送りしましょう」
まだ恐怖の残っている彼女らは、メジロマックイーンの申し出に、パッと顔を明るくさせるのだった。
そうして、二人を送り届けた後、補助監督に回収され、メジロマックイーンとトウカイテイオーは車に揺られながら、トレセン学園への帰路に着いていた。
「それにしても、テイオーさん、いつの間にあんなに強くなっていたんですの?」
「ふっふっふ。ボクを舐めてもらっちゃ困るなー。ボクはカイチョーよりも凄いウマ娘になるんだもん。いつまでも弱いままな訳がないさ」
それに、と言いながら、トウカイテイオーは"メガネ"を外した。
「キミにも、負けてられないからね」
「フフッ。そうですわね。私も貴方に追い抜かされるつもりはありませんわ」
ニヤリと二人は笑い合い、その後は談笑を交わすのだった。
少し前。
12月末、間もなく、クリスマスという時のこと。
「残念ながら、私は貴方とは思想を異にしている」
生徒会室にて、生徒会長シンボリルドルフは神妙な面持ちで電話をしていた。
「ええ。仰る通り、私は全てのウマ娘の幸福を願っている。だが、それ以外にも幸福を願う相手はいるんだ。...それに、全てのウマ娘のことを思えばこそ、貴方に賛同することは出来ない」
「ええ、我々も、貴方に立ちはだかる壁となるでしょう。それでは、さようなら」
ガチャリと少しの不機嫌さを声に載せながら、シンボリルドルフは受話器を置いた。
直後。
「カイチョー!!」
トウカイテイオーが生徒会室へと飛び込んで来た。
「テイオーか」
「あれ。カイチョー誰かと電話?」
「ん?ああ。ちょっとね」
シンボリルドルフはそう濁す。
「テイオーはどうしたんだ?何か私に用事かな?」
「ボクに稽古着けて欲しいんだ」
「...テイオー。それは前も話した筈だ」
僅かに眉を潜め、シンボリルドルフは
諭すような調子で口を開いた。
「ボクだって戦えるよ!」
「危険過ぎる。テイオー。分かっているだろう。術式がないどころか、キミは呪いが見えていないんだ」
「分かってるよ!でも、見る方法はあるし、呪具を使えばボクだって!そういう人もいるんでしょ!?」
「それは特殊な例だ。天与呪縛のフィジカルギフテッドの様なモノも君にはないんだ」
シンボリルドルフの語気が、僅かに強くなる。
「でも、ウマ娘だから元々同じくらい強いもん!」
「...。命の危険があるんだぞ」
「それは皆同じじゃん!」
「君はそのリスクが大きすぎる。テイオー。分かってくれ。呪術じゃなくても、君には他の選択肢が沢山あるんだ」
「ボクは、カイチョーよりも強いウマ娘になりたいんだ!それに、マックイーンにだって..」
「術師はレースとは違うんだ。才能がレースよりも重要なファクターとなっている。呪力も扱えない君では、呪力を扱える者に、追い付けることはないんだ」
「.....。でも、それでもボクは..」
「君の為なんだ、テイオー」
シンボリルドルフの諭すような声に、トウカイテイオーは耳を引き絞る。
「ボクの、為..?」
「そうだ。私は君を危険な目には..」
「━━━カイチョーのわからず屋!!もう良いもん!」
シンボリルドルフの言葉を遮るようにしてトウカイテイオーは叫び、部屋を飛び出してしまうのだった。
「テイオー!...すまない。だが、仕方のないことなんだ..」
「テイオーが凄い勢いで駆けていきましたが、何かあったのですか?」
副会長のエアグルーヴが、トウカイテイオーの開け放した扉から書類を持ってやって来た。
「ああ。私に稽古をつけてほしいとお願いされてね」
「ああ。それで。ですが、前までよりも、一層鬼気迫る表情になっていましたが」
「少し、強く言い過ぎてしまったかもしれない」
シンボリルドルフは、悔恨するように僅かにうつむいた。
「珍しいですね。会長が冷静さをかくとは」
「直前に、厄介なことがあってね..。それに、テイオーには危険過ぎる。心は痛むが、遠ざけるべきなんだ」
「ただでさえ会長は、トレセン学園生がある程度術師として活動することを義務付けられている現状に否定的ですものね」
「ああ。上層部の術師の頭数確保を優先したやり方に、わざわざ巻き込む訳にはいかない」
シンボリルドルフは頷きながら、エアグルーヴから手渡された書類を机に置き、ペンを手に取るのだった。
(..これで良いんだ。テイオーの幸福を思うなら..)
トウカイテイオーは、生徒会室を飛び出し、一人、中庭にて木刀を振るっていた。
呪具を扱う為の、"特訓"である。
トウカイテイオーは、ウマ娘にしては珍しく、呪いが視認出来ない。
故に術式もあるか分からず、あったとして扱う術を持たなかった。
それでも彼女はライバルのメジロマックイーンと並び続ける、いや、勝つ為に、シンボリルドルフをも上回るウマ娘になる為にと手法を凝らして、術師であろうとしていたのだ。
だが、呪術は才能の世界、ごく僅かな事例を除き、後天的に術式が発現するようなこともない。
彼女の手には、四級術師として登録されている学生証のあるのみで、任務等、殆どないようなものであった。
「くそう!..くそう!」
がむしゃらに振るう木刀が空を切る音が虚しく響く。
と、背後で土を踏む音がし、気付いた彼女は振り向いた。
「あら、お邪魔してしまったかしら?」
「キング...何か用?」
トウカイテイオーの背後に立っていたのはキングヘイローであった。
「いいえ。たまたま通りかかっただけ。ただ...そうね。むやみに刀を振るだけじゃ、強くはなれないわよ」
「何だよ藪から棒に..。ほっといてよ関係ないでしょ」
突然のダメ出しに、ムッとしたトウカイテイオーはそう投げやりに言い放つ。
「実を言うと少し貴方を見ていたの。さっき、悔しそうに走っていく姿を見て気になったから」
「...同情ならいらないよ」
「随分、やさぐれているわね。貴方らしくもない」
「君にボクの何が分かるのさ!」
「そうね。詳しくは知らないわ。でも、私も術式は持ってない。だから、勝手に少し共感してるの。強くなりたいなら話だけでも聞いてくれないかしら。損はさせないわよ」
そう言いながら、キングヘイローは、トウカイテイオーの目を見据えた。
「テイオーさん。貴方はまだ、諦めてないんでしょう?」
また、止められるのかと警戒をしていたトウカイテイオーだったが、その言葉に、肩の力を僅かに緩めた。
「..諦めきれる訳ないじゃん」
「なら、手合わせをしてみましょうか。時に経験は言葉よりも雄弁だから」
「...?」
キングヘイローの真意を尚も計りかねるトウカイテイオーであったが、彼女がテイオーの使う木刀の予備を「借りるわよ」と手に取った為、臨戦態勢を取らざるを得なかった。
「簡易領域は使わないわ。あれはオートで反撃しちゃうから危ないし。今回は呪力による身体強化もしない」
バカにされているのかと一瞬感じたトウカイテイオーだったが、少し冷静になってきていた頭でキングヘイローの性格を思えば、そんなことはしないだろうことは直ぐに理解出来ていた。
だが、それでも。
「ひょっとして舐めてる?」
「ええ。そうね。今の貴方は脅威でも何でもないもの」
「後悔しても知らないよ!」
言葉を合図にトウカイテイオーは駆け出し、悠然と構えるキングヘイローに飛びかかった。
「よし!」
隙だらけのキングヘイローに振りかぶった木刀が直撃するかに思われた。
が、しかし。
ガッと、キングヘイローは落ちてきた木の枝を払うかのようにして木刀を動かし、トウカイテイオーの刀を受けた。
「!...はあー!!」
トウカイテイオーは再び僅かに距離を取った後、木刀を乱れ打ったが、全ていなされていった。
「あっ」
払いのけられたことで体勢を僅かに崩した隙を付かれ、トウカイテイオーの顔ギリギリの位置でビュンと空を切る音と共に木刀が突き付けらたのだった。
「勝負ありね」
「...」
元の位置に木刀を戻しながらキングヘイローは口を開いた。
「これで分かったでしょう。貴方の今の実力」
「やっぱり才能がないから諦めろって言いに来たの?」
呪力を使わない相手に大敗を喫したのだ。
トウカイテイオーは自身の弱さを痛感するしかなかった。
「違うわよ。一人でがむしゃらにやるのも限界があるってこと」
「!」
「刀もね、ただ振るだけじゃ意味がないの。しっかりと扱い方がある。それも知らぬまま独学で矢鱈に素振りをしたところで、大した力は付かないわ」
それは、トウカイテイオーも分かっていたことだった。
だが、シンボリルドルフには何も教えてもらえず、一人でやるしかないとやって来ていた。
「もっと、色々な人達を頼ってもいいんじゃないかしら。憧れを越えるのに、絶対に誰かを頼っちゃダメなんてこと、ないでしょう?」
「それって..」
「貴方さえ良ければ、剣術を教えて上げるわ。この一流のキングがね」
「━━━!」
(何処かで淡い期待があったのかもしれない。呪力無しなら勝てるって思いが。何処かで諦めきれてなかったのかもしれない。カイチョーみたいな力強くて、それでいてキレイな戦い方を。━━━何処かで諦めがあったのかもしれない。呪力のないボクが、強くはなれないんだって。だって、今まで、カイチョー以外の誰かに教わろうなんて、思いもしなかったから。━━けれど、今思い知ったのは、術士との実力差。ボクの期待は、現実から目を逸らしていたってこと..)
「ボクはバカだ..」
(それがどうしたんだ。ボクは今まで、何度も何度も折れてきた。その度に、諦めずに立ち上がってきたのに。また、折れることを怖がってしまっていた。でも、今は、もう折られた。なら━━)
「キング。いやキングヘイロー師匠!ボクに戦い方を教えてください!」
トウカイテイオーはそう、頭を下げた。
「勿論よ。この一流のキングに任せなさい」
トウカイテイオーの願いに、キングヘイローは高笑いで答えるのであった。