トレセン奇譚   作:ライト鯖

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別れ

 

菊花賞。

それは、クラシック三冠最後のレース。

アドマイヤベガは、今でも、菊花賞を、いや、日本ダービーから菊花賞を終えるまでの日々を、鮮明に覚えている。

 

菊花賞の当日まで見たあの悪夢を。

裂けるような足の痛みを。

 

しかし、菊花賞を終えたその日から、悪夢ははたと見なくなっていた。

理由は分からない。ただ、その日以降、どんな形でも、彼女の"妹"が語りかけてくることは無くなったのだ。

 

アドマイヤベガは、あの日起きた出来事を、何も知らない。

 

 

-四年前 菊花賞前日-

 

アドマイヤベガは、夢を見ていた。

 

それは、"妹"に責められる夢。

 

「あははははっ!楽しかった!楽しかった!最高の気分!」

 

アドマイヤベガではない、誰かの名が、観衆の口から叫ばれる中、アドマイヤベガと同じ姿形のそのウマ娘は、心底楽しそうに、笑っていた。

しかし、ふと視線を此方に、その光景を俯瞰するように見ていたアドマイヤベガに向ける。

 

「どうして?」

「どうしてちゃんと償ってくれないの?」

「ちゃんと使わないなら、全部返してよ」

「私でも良かったよね?お姉ちゃん」

 

"妹"の言葉に、アドマイヤベガは、何も言うことが出来ず、ただただ苦しそうにするだけだった。

 

もう一つの、小さな声は、彼女に届くことはない。

 

「せめて、私と同じところまで堕ちてきてよ、お姉ちゃん」

 

ハイライトのない、暗い瞳で、怪しく嗤う、"妹"。"妹"のようなもの。

それに精神を蝕まれ、アドマイヤベガには、聴こえていなかった。

 

「お姉ちゃん!そいつは!違う!」

 

小さいが、確かに聞こえる、魂の叫びを。

 

-菊花賞当日-

 

レースの途上、間もなく最終盤というところで、彼女は、引き裂かれるような足の痛みに悶え、足をもつれさせていた。

 

(足の痛み、夢。どれも、私への罰。あの娘のことを忘れて、自分の為だけに走ろうとした、私への...!)

(だから、せめて、せめてせめて。勝たなきゃ。それしか、私には...)

 

足の痛みが、限界にきた瞬間のことだった。

 

「やっと墜ちて来てくれるんだね。お姉ちゃん」

 

毎日夢で見ていた、ウィナーズサークルに立ち、暗く嗤う、"妹"。

 

「そう..ね..。ごめ..」

 

アドマイヤベガが謝罪を口にしかけた時、"妹"の姿が歪んだ。

 

「あがっ.. !」

 

"妹"が苦しみだしたかと思うと、アドマイヤベガが、言葉を発するよりも早くに、消え去ってしまうのだった。

 

「え...?」

 

途端に、再び景色が変わる。

気付けば彼女は、歓声飛び交うレース場ではなく、静かな星空が瞬き、地面はそれを反射する水面のようになっている、そんな、静かな場所を走っていたのだ。

 

「お姉ちゃん」

 

声で、彼女は隣をトレセン学園の制服を着、裸足で隣を走る、自分と同じ姿の存在に気が付いた。

 

少し寂しそうに、しかし、先程までの"妹"とは全く違う、にこやかな笑顔をアドマイヤベガに向ける彼女は、何かを伝えようとしたのか、口を開く。

だが、その言葉がアドマイヤベガに届くことはなかった。

 

「!待っ..」

咄嗟に手を伸ばしたアドマイヤベガだったが、さっと空を切るだけだった。

隣を走っていた彼女の姿は、もうない。

 

さようなら。

 

最後にそう聞こえた気がした。

 

その後の彼女は、痛む足にムチ打ち、ゴール板をどうにか駆け抜けた。

6着、掲示板外であったが、走りきり、その日の内に病院へと向かい、そこで告げられた。

もう、レースに復帰することは出来ないだろう、と。

 

そして、アドマイヤベガは引退を発表。

その後、呪術の道へと進むのだった。

 

菊花賞以降、あの夢は見なくなったが、同時に、ずっと感じていた妹の気配も感じられなくなってしまった。

だが、術式を使っている間だけは、近くにいる気がしたのだ。

彼女は、その感覚だけにすがった。

時折痛む足を誤魔化すように。

彼女を"赦す"全てを拒絶するかのように。

 

 

原則、呪術士は、呪霊を産まない。

人には、術士でなくとも僅かな呪力があるのだが、それらが負の感情に乗って、形を成す。そうして呪霊が産まれるのだ。

術士の場合、その体内に流れる呪力をコントロール出来ることから、上手く呪いを自身の身体で循環させている。

その為、それが外に出で、呪いとなることはない。

 

だが、術士は呪力が人より多い。

もし、そんな術士が、無意識の呪力コントロールが乱れる程の感情を抱いたら。

もし、たった一つのモノに、その身を焼き付くす程の、人生を左右する程の強い、強い負の感情を抱いたなら。

そして、その2つを同時に満たしたなら。

呪いを産み出してしまうのではないだろうか。

 

彼女は、産み出してしまったのだ。

妹への贖罪が、罪の意識が、呪力で形を成してしまった。

呪力が乱れる程の強い負の感情。

そして、それが向けられるただ一つの対象。

妹の形をしたそれは、呪霊だった。

その魂の形は、アドマイヤベガそっくり。

彼女も周りの者も、その同質性故に、気付くことはなかったのだ。

たった一人を除いて。

 

 

アドマイヤベガの妹は、魂だけで存在している。

 

肉体を持って産まれてくることの出来なかった彼女は、魂だけで産まれ落ちた。

呪術において、双子は一人と数えられる。

魂を共有しているのだ。

彼女は姉と同じ魂を持っていた。

それ故に、魂だけはこの世界に産まれることが出来たのだ。

しかし、身体を持たない彼女は、本来なら直ぐに魂も消え去るはずだった。

だが、姉の、アドマイヤベガの魂に引かれて、彼女の魂と隣り合うようにして、魂を繋いできた。

当初、彼女の魂は蝿頭よりも貧弱なものだった。

意志もなく、ただ、姉の魂に着いているだけ。 

 

しかし、姉、アドマイヤベガがポニーカップを走ったその日、彼女は意志を抱いた。

姉の歓喜に反応したのか、魂の所以か。それとも..。

とにもかくにも彼女は、姉の走った感覚を味わい、喜んだのだ。

 

そうして、それ以来彼女に意志が生まれた。

とはいっても、姉の近くから離れることは出来ないし、誰かと意志疎通出来るわけでもなかったのだが。

殆ど魂だけの存在であったからか、呪いが見える者にも、彼女の存在は感知されなかった。

 

 

だが、アドマイヤベガだけが、彼女の存在を感知していた。

完全なものではないが、魂が近くにあることだけは分かっていたのだ。

そして、何度か彼女は、アドマイヤベガに干渉していた。

僅かな干渉しか出来ず、満足に話すことも出来なかったが。

どうにか話すことが出来たなら、と。 

 

 

自分の為に、全てを投げ出そうとしている姉。

顔も知らないはずの名前もない自分の為に償おうとするような。

そんな、優しい姉に、伝えたかったのだ。

「ありがとう」「もう充分貰ったよ」と。

 

お姉ちゃんに罪なんてない。

 

彼女は、貰い続けていたものを返したいと、そう考えていたのだ。

 

そして、菊花賞のあの日。

 

スターティングゲートを飛び出したウマ娘達、その中を走る、アドマイヤベガ。

その心中、姉と共有する生得領域で、彼女は、自分の魂とそっくりの、そして、姉とそっくりの姿をした"ナニカ"と対峙していた。

 

少し前からその存在には気が付いていた。

最初は姉の悪夢はただ彼女の心因にのるものだと思っていたのだが、毎日、ずっと同じ夢を見続けることを不審に思い、生得領域内をくまなく捜索し、発見したのだ。

しかし、自分達の魂とそっくりな魂を持ったそのナニカは、かなりの呪力を有しており、魂だけの自身の存在を維持するために大量の呪力を消費している彼女には、到底敵う相手ではなかったのだ。

 

(でも、もう許せない)

 

悪夢を見せ、自らを騙り、姉を苦しめ続けるそのナニカに対する怒りはとうに限界を越えていた。

そこに、先日のレース前夜にアドマイヤベガに見せたあの夢。

 

「私のふりをして、お姉ちゃんを苦しめて!!お前は、私が祓う!祓わなきゃいけないんだ!」

 

アドマイヤベガの妹は基本的に現世に物理的な干渉は出来ない。

しかし、相手が呪いであれば話は別である。

魂に籠った呪力で、呪霊に触れることは出来るのだ。

更に言えば、ここは彼女達の生得領域、ある程度自由な動きが出来る。

とはいっても、そのままでは、この呪いには勝てない。

 

故に、彼女は"縛り"を結んだ。

 

(もう二度と、私はお姉ちゃんに干渉しない。だから...)

 

彼女は今まで、術者の心象風景である生得領域、つまり精神世界を通じて、姉に語りかけてきた。余り長くは話せなかったが、それでもそれが、二人にとって、彼女にとって、とても、重要な、大切な時間だった。

だから、それを代償としたのだ。

 

(私に、こいつを祓う力を!)

 

 

誰にも気付かれることの無い、激闘が始まった。

 

「はあっ!」

戦闘経験のない彼女は、ただ思うがまま、呪力を呪いにぶつける。

 

(術式ってどう発動するの!?)

 

本来術式を持つ者は、その発動方法も何となくで把握出来るものである。

しかし、そもそも、魂でしかない彼女は肉体を動かしたこともなく、ましてや呪術を扱ったこともない。

故に、術式の勝手も、ぼんやりとしか把握しきれず、何となくの感覚だけを頼りに、姉の見よう見まねで術式の発動を願うしかなかったのだ。

 

「ジャマシナイデ」

 

自身と同じ姿のそれは、おぞましい声色と共に彼女に襲い掛かった。

 

「くぅっ..」

 

吹き飛ばされた彼女は、宙空で体勢を立て直し、反撃を企てる。

 

「はっ!」

再び呪力を飛ばす。

生得領域内では、術者の術式は必中となるため、まず間違いなく当たる。

だがこれは術式ではなく、呪力。

上手く呪いは避けてしまう。

 

「絶対に、祓わなきゃ行けないのに!」

 

余裕そうな様子の呪いは、嘲るような視線を彼女に向け、アドマイヤベガの生得領域でもあるその内壁に、呪力を這わせた。

 

「止めて!」

 

(あれでいつも、お姉ちゃんに悪夢を見せてた)

 

今は、レース中、ただでさえ足を痛めている彼女に、それは、命の危機をもたらしかねないものである。

 

「....!!!」

 

(私が、やらなきゃ。やるんだ。お姉ちゃんに、貰ったモノを、少しでも!)

 

          "星羅祈跡"

 

「はああああ!」

 

彼女は、術式を発動した。

いや、術式となった。

 

彼女の魂に、呪力が肉付けされていき、鷲の形となる。

そして、凄まじい速度で呪いに直撃するのだった。

 

「クオオアア!」

 

呪いらしい叫び声を上げたそれは、這わせていた呪力を途切れさせる。

 

「まだまだ!!」

 

今度は、獅子の姿を成し、呪いを襲った。

必中たる術式を避ける術は無く、呪いは獅子の爪を、もろに受けた。

 

彼女は、アドマイヤベガの妹は、魂だけの存在であり、その魂は姉と同じで、生得領域を共有している。

本来一人がこの術式を扱った場合の機能が分割され、彼女は、術式の依り代となっていたのだ。

 

アドマイヤベガが作り出す天梭、それから発せられる呪力によって星々の神話を元にし、形成されるそれらは、妹である彼女の魂を呪力で肉付けすることで顕現していた。

 

アドマイヤベガは、それを知らない。

愛する妹を、戦闘に使っている事実を知らないことが、無意識の"縛り"となって、術式の効果を底上げしていたからだ。

 

生得領域内では、天梭という姉の呪力触媒が無くとも、自由にその姿を変えられる。

姉とは術式発動の仕方が全く違った。

天梭は不要であり、彼女自身が星座の伝説をその身に宿す形であったのだ。

彼女は、咄嗟の今、それを無意識に掴んだ。

 

「グイアイイイ!!」

 

呪いは、理性を失った獣の如く、彼女に猛進し、食らい付いた。

もはやその姿は、姉とも全く似てもにつかぬナニカとなっていた。

 

(しまった...!)

 

むき出しの魂に噛みつかれた彼女は、負けを覚悟する。

 

(お姉ちゃん...)

 

だが。

 

「あれ...?」

 

特に、ダメージは受けなかった。

 

彼女は、術式の依り代を担っている。

それともう一つ、彼女は、星羅祈跡の術式における重要な要素をその身に宿していた。

 

双子座。

それは、アドマイヤベガが能力を発揮させることの出来ない星座である。

 

大神ゼウスがスパルタ王妃レダに恋をし、度々白鳥に化けては彼女の元を訪れ、二人の間に生まれた双子はカストルとポルックスと名付けられる。

仲が良かった二人はやがて成長し、勇者となって戦いの中に身を投じる。

供に戦場を駆け巡り、多くの戦功を上げていく二人だったが、兄のカストルは敵の矢に当たり命を落としてしまう。

兄の死を受け入れることが出来ない程に悲しんだポルックスであったが、彼はゼウスの血を引き、死ぬことが出来なかった。

故に、ゼウスに自身の死を懇願した。

ゼウスは、兄を慕うポルックスの心に打たれ、その願いを叶えるのだった。

そうして、二人は双子座となり、夜空に輝くこととなった。

これが双子座の神話である。

 

つまり、アドマイヤベガが発揮出来ない能力、それは、不死の力。不死といっても、呪力が尽きるまでではあるが。

ポルックスが持つその力は、妹である彼女が持っていたのだ。

 

呪術において双子は、一人として扱われる。

術式も、呪力もそれぞれに分割されてしまう。

 

本来は、自身の魂の一部を依り代に様々な神話の力を引き出す術式であったのだろう。

だが、依り代は妹である彼女の役割となり、もう一つ、双子座の力だけは、彼女が持っていたのである。

 

(良く分からないけれど助かった...これで..)

 

「蠍!」

 

巨大な針を抱いた尾、オリオンを殺したとされる蠍のそれが、噛みつく呪いを貫いた。

 

「あうおあああ」

 

情けない悲鳴を漏らしながら、彼女を騙り、アドマイヤベガを苦しめた呪いは、惨めに消え去るのだった。

 

「お姉ちゃん..」

 

そう呟いた時、彼女は、隣にアドマイヤベガがいることに気が付いた。

いつのまにか、瞬く夜空に包まれたレース場を彼女達は走っていた。

 

隣を走るアドマイヤベガは、驚いた表情で、彼女を見ていた。

 

「━━━」

 

彼女の思いは、言葉となることはなかった。

 

(そっか、縛りで..)

 

もう二度と話すことは、出来ない。

恐らく、姉の見ているこの姿も、直ぐに消えてしまうのだろう。

そう悟った彼女は、精一杯の、伝えたい感情を出来る限り込めた笑顔を向けるのだった。

 

(本当は、全部持っていきたかったんだけど、"縛り"があるからダメみたい)

 

伝わらなくとも良い。

そう思いながら、彼女は最後に口を開く。

 

「さようなら」

 

きっと、もう二度と、会うことは出来ないだろうから。

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