ある夜。
「..今回もダメ..」
誰もいない広場でアドマイヤベガは、小さく溜め息をついた。
「何が足りていないと言うの..」
口惜しそうな彼女は、フーッと大きく息を吸い込みながら、静かに星瞬く夜空を見上るのだった。
「アーヤベさん♪」
ある休日、アドマイヤベガは起きるなり同室のご機嫌なカレンチャンに、話しかけられた。
「..何...?」
「今日、お暇ですか?」
無愛想なアドマイヤベガの返事を意にも介さず、カレンチャンはカワイイ笑顔で尋ねる。
「今日は特に予定はないわ」
「じゃあじゃあ。一緒にお出かけしませんか?」
もう何度目か分からない誘い。
アドマイヤベガは、基本的にこうした誘いを受けない。
「自主練するかr..」
「見てくださいこれ!」
アドマイヤベガの断りを遮るように、カレンチャンはスマホをアドマイヤベガの目前に突きつける。
「この新しいお店のケーキ、生地がすっっごく柔らかいそうなんですよ!」
(フワフワ...!)
アドマイヤベガは、無類のフワフワ好きである。
フワフワしたものに、目がないのだ。
カレンチャンが見せたその写真は、見るだけで、その柔らかさが想像出来る程のものであった。
(この膨らみ、色ツヤ...写真だけで60点は固いわね...)
「一緒に食べに行きませんか?」
フワフワは、強かった。
フワフワには抗えない。
それに、ずっと誘いを断り続けている負い目もある。
それらが、アドマイヤベガの口を殆ど無意識に動かしていた。
「..食べに行くだけなら...」
上手く掌で転がされ、若干釈然とはしていなかったが、了承したアドマイヤベガは、出かける準備を始めるのだった。
「う~ん。美味しい~♪」
昼頃、カフェに到着し、長い行列を待った二人は、早速話題のケーキを注文し、フワフワな生地が売りのそれに舌鼓をうっていた。
カレンチャンは、ケーキと共にカワイく写真を撮り、ウマスタにアップもしていた。
「アヤベさんも撮りましょ♪」
という誘いはさすがに断りつつ、彼女は黙々と、その柔らかい生地を楽しんでいた。
(フワフワ...!)
80点。
内心でそんな採点をしながら、彼女は思わず顔を綻ばせていた。
そんな様子を、カレンチャンは愛おしそうに静かに見つめるのだった。
フワフワケーキを食べ終え、コーヒーを啜っていたアドマイヤベガは、余韻から覚めるに連れ、徐々に我へと返り、それに比例して自己嫌悪感に襲われていた。
(思わず誘いに乗ってしまったけれど、普段、あれだけ突き放しておきながら、こんな時だけ...本当に都合の良い..)
(それに、まだ、あの時ことを謝れていない..)
数年前のアドマイヤベガのラストランとなった菊花賞の少し前、悪夢を見続けていた頃、一度、彼女、カレンチャンと口喧嘩をしてしまったことがあったのだ。
その時のことを謝れずに、今日まで来てしまっていた。
あれだけ無下にしているのだ。本当は、愛想を尽かれても可笑しくない筈だ。
アドマイヤベガは、それでも変わらず接してくれているカレンチャンと距離をとり続けているだけでなく、こうして都合の良い時は友達の様に付き合い、彼女に甘えている自分に負い目を感じていたのだ。
(あの時の事を無視は出来ないわよね..)
「きっと妹さんはそんな娘じゃありませんよ!」
あの日、悪夢に魘され続けるアドマイヤベガを見かねて、彼女はそう言った。
恨んでいる筈がない。きっと幸せを願っている筈だと。
(そうね。でも、分からないじゃない)
(分かるための全てを失ってしまった子だから)
(私が、全て奪ってしまったから..)
「あなたに何が分かるの..」
「もう、構わないで」
分かっていたのだ。
アドマイヤベガも、カレンチャンが心配をしてくれていることを。
分かっていたのだ。
彼女に対して、余りにも残酷な事を言ってしまったということも。
苛立ちに、焦りに、罪悪感に、勢い任せて口走った数々の言葉。
結局のところ、彼女は怖かったのだ。
妹への贖罪を止めれば、妹との繋がりが消えてしまうのではないかと。
受け入れられなかったのだ。
「私は、貴方と走りたい!」
ナリタトップロードの真っ直ぐな言葉。
「ハーッハッハッハッ!さあ、アヤベさん。共に、主演ボク、脚本ボクの、世紀末覇王伝説の舞台を始めようじゃあないか!」
テイエムオペラオーのうざったいほど明朗で、自信に満ち溢れた、思わずその熱に乗せられてしまいそうな高笑い。
いつも、どれだけ突き放そうとしても、隣に歩み寄ってきた、カレンチャン。
彼女達との関わりでいつのまにか癒されていた自分の心を。
赦せなかったのだ。
自分の為に、ライバル達と競い、走ることを。
だから、拒絶した。
(それでも、あの日のことは、謝っておかなくちゃ..)
(あの時に吐いた、言の葉は、きっと彼女を深く傷付けた)
彼女の生い立ちを知った時に感じた、取り返しのつかないことをした、と背筋が凍りつく感覚は、今でもよく覚えていた。
(でも、何て謝れば良いの..?)
「アヤベさん?大丈夫ですか?」
悶々と考え込み、思わず顔をしかめていたアドマイヤベガの表情に気が付いたカレンチャンが、心配そうにそう尋ねる。
「...いえ..何でもな..」
つい、そう言いかけたが、ピタリと言葉を止め、姿勢を正した。
「アヤベさん?」
「カレンさん。話したいことがあるの」
「...どうしたんですか?」
言いながらカレンチャンは片手に持っていたスマホを伏せ、しっかりと話を聞く姿勢を取る。
「その...」
その時、丁度二人の電話が鳴り響いた。
「あ...」
カレンチャンは少し困ったようにアドマイヤベガの方を見る。
「...大丈夫よ。また後で話すわ。私もかかってきているし..」
二人は少し気まずそうにしながら電話を取った。
「はい」
「もしもし?」
『『緊急任務です』』
お互いの電話が聞こえているはず等なかったが、パッと顔を上げ、二人は目を合わせていた。
『二級、恐らくはそれ以上の呪霊の出現が報告されました。現在手の空いている者達に片端から連絡を取っているのですが、今どちらにおられますか?』
二人は殆ど同時に場所を告げる。
『良かった。報告の場所の近くにいるみたいですね。直ぐに■■山に向かってください。呪霊はそこで発見されました。まだ街中には降りてきていないとは思いますが、どうも人里を目指しているようなのです』
人里を目指していると聞こえた時点で、二人は立ち上がっていた。
「「分かりました」」
『しかし、等級は不明、少なく見積もって二級です。もし、対処が難しいと判断したなら直ぐに退いて応援を待ってください。私は引き続き応援を呼び掛けます』
では、よろしくお願い致します。という声と共に電話は切れる。
「アヤベさん」
「...ええ」
二人は頷き、急いで店を後にするのだった。
■■山。
そこは、東京とは思えない程に緑の生い茂る山地。
ヒトの術士が通う呪術高専がある山のような、人里離れたその山に、二人は数十分とかけずに駆けつけていた。
「確かにすっごい嫌な気配を感じますね」
「..そうね..」
既に駆けつけていた補助監督によって張られた帳を潜った瞬間、二人はその禍々しい気配を感じ取った。
(この気配、二級じゃすまない。一級、もしかすると..)
アドマイヤベガとカレンチャンはその気配から呪いが自分達の手に負えないものである可能性を察していたが、それでも走り始めた。
補助監督の話では、避難もそこそこに、呪霊が山を降りることを防ぐ為に帳を張ったと聞いていたからだ。
「急ぎましょう。もしかしたら逃げ遅れた人がいるかもですし」
スピードを上げたカレンチャンの言葉に頷き、アドマイヤベガも足を踏み込むのだった。
山中を走っていた二人だったが、呻き声らしきものが微かに聞こえ、瞬時に二人は周囲に神経を集中する。
「...あっちね」
声のしたであろう方向に走り、幾つかの茂みを抜けると、そこには、三級程度と思われる多数の呪霊が、足を挫いたのだろう、どうにか匍匐で逃げようと踠く男性を取り囲んでいた。
「天梭!」
アドマイヤベガはその光景を見るや否や、掌印を結び、術式を発動させた。
「鷹!」
呪力で鷹の様に形成された、"彼女"が呪霊達に向かう。
鷹は、男性を取り囲んでいた呪霊達を、上手く縦横に動き、一気に祓ってみせる。
アドマイヤベガはそれを呪力の傀儡としか認識していないが、実際は妹の魂を核としている為、ある程度の自立行動が可能なのだ。
故に、彼女自身の操作は抽象的でも問題なく動く。
アドマイヤベガ自身はそれを、術式が自分のイメージで動くと認識している。
「カレンさん!」
アドマイヤベガはカレンチャンに声を掛け、男性を抱え、助け出した。
「はい!アヤベさんはその人を補助監督さんの所に!思ったよりも呪霊は弱いので、カレンが後は祓います」
「お願いするわ」
アドマイヤベガはそのまま、男性を抱えて離脱する。
(呪霊の数が多すぎて気配が強くなっていたのかしら)
違和感。
そう分析しつつも、アドマイヤベガは何となく妙な違和感を覚えていた。
(どうして低級とは言え、こんな量の呪霊がこんな山に..?)
違和感。
しかし、一般人の救出を優先せねばならないことに変わりはない。
(直ぐに戻るしかないわね..)
アドマイヤベガは、感じる嫌な感覚をふるい落とす様にして、更にスピードを上げるのだった。
「凄い数..」
アドマイヤベガが去った後、カレンチャンは呪霊の数の多さに驚いていた。
「なんでこんなに..?」
アドマイヤベガと同じ疑問を抱いた彼女だったが、彼女も又、目前の問題を優先せざるを得なかった。
(いくら三級くらいのばかりでも、これだけ数が多いと厳しい。ちらほら二級以上らしき呪霊もいるし..)
(仕方がない、か...)
カレンチャンを襲おうと何体かの呪霊が動き出したのを見ながら、カレンチャンは、スマホを取り出した。
そして。
自撮りする様にスマホを構え、反対の手を頬の辺りでピースさせ、ウインクをし、とびきりのスマイルで唱える。
「領域展開」
そうカレンチャンが唱えた瞬間、辺りを覆っていた夕闇が、薄いピンクやベージュのグラデーションに塗り変わる。
そして、ハートやリボン、星の様に見える型を星々がなぞり描いたことで、可愛くファンシーな空間が形成された。
カレンチャンに襲いかかろうとしていた呪霊達は、ピタリと動きを止める。
そして、カレンチャンに、恍惚とした視線だけを向けるのだった。
「カレンの可憐呪法は、目線を合わせた相手へ、カレンのカワイイを脳内に流し込む術式。流し込まれた量や、カレンとの実力差次第で効果は変わるけど、私と同等以下、つまり二級術士や準一級呪霊までは、カレンに対する戦意を完全に消され殆ど戦闘不能になるの。格上が相手でも、集団で戦っているとカレンを狙わなくなったり、敵意を積極的に抱くことが難しくなったりする。そして君達は殆どが三級呪霊だから、ずーーっと完全に、カレンの虜だよ♪」
カレンチャンはそうカワイく微笑む。
術式の開示。
自身の能力を相手に知らせるという"縛り"によって、自身の術式の効果を高めることが出来るのだ。
術式によっては開示内容でブラフを張ったりと、応用の効く技能である。
カレンチャンは開示によって、多少強い呪霊が混ざっていても、確実に動けなくすることを狙ったのだ。
領域展開。
それは呪術の極致。
自身の生得領域、つまり、自身の精神世界をそのまま外に具現化し、相手を閉じ込める結界術の一種でもある。
術式を既定する魂の具現とも言える領域内では既に術者の術式を受けているも同然であるため、術式は必中となる。
カレンチャンの愛敬法界は、可憐呪法に必要な目線を合わせる等の条件が除外され、領域に入った時点で、脳内にカワイイを流し込まれることになるのだ。
結果、領域に入った者達は、カレンチャンのカワイさしか考えることが出来なくなり、全ての動きを停止してしまうのである。
「よし。後は~」
動かなくなった三級や二級の呪霊等大した存在ではない。
さっさと片付けてしまおうと、領域を解き、そのまま片端から呪霊を祓い始めるのだった。
そうして数分後。
すっかり辺りにいた呪霊を祓いきったカレンチャンは、ふうっと一息を付いた。
しかし、直ぐに違和感を感じ取る。
(気配が、消えてない..?)
まさか、と辺りを警戒した瞬間、既にカレンチャンの目前には、紫色の掌が迫っていた。
「..!?」
済んでのところで回避して飛び退き、現れた人型に近い紫色の呪霊から距離を取る。
(...気配を直前まで感知出来なかった。この呪霊、強い...)
カレンチャンを見据え、人型の紫色の呪霊は、気色の悪い笑みを浮かべるのだった。
(あの男の人は補助監督さんに預けれた。早くカレンさんのところに戻らないと)
一度帳を出て先程の男性を脱出させたアドマイヤベガは、急ぎカレンチャンの下へと走る。
違和感。
そして、嫌な予感。
(まだ、禍々しい気配は消えていない)
(低級呪霊が殆どだったのに、まだ手こずっているとは思えない..)
焦燥。
出せる限りのスピードで、彼女は駆けていく。
ピシリ、と足が痛むが今はそんなことを気にしている場合ではない。
(無事でいて、カレンさん)
果たして、先程の場所へとたどり着いたアドマイヤベガは、ぐったりと木にもたれかかる、カレンチャンの姿を捉えるのだった。
「カレンさん!!」
思わず、彼女は叫んでいた。