楽園のアンフェール 作:匿名希望
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アンの居た世界には『右往左往』という言葉がある。
これには『人が混乱し狼狽えて、右に行ったり左に行ったりする』という意味があるらしい。これを知った当時は、上手くまとめたものだと感心した記憶がある。
これに限らず、あの世界の言語には中々秀逸なことわざや音楽が多い。争いが無い時代が続くと、人々はその余暇を言葉遊びや歌遊びに費やすのだろう。今の人類からは想像もつかないが。
ともかく、記憶を隅々まで辿っていると自然とそのような知識が身についてくるのだ。
どの程度かというと、私がこの場で日本に転移したとしても、さしたる問題なく日常生活を送れるくらいには、日本という国の文化、常識を理解している。倫理観に関しては気を付ける必要があるだろうが。
というより、精神魔法は時間の許す限り本人の記憶の隅々まで再現・考察できるため、私はアン本人より彼の故郷についての知識を持っている。
これもまたその世界の言葉だが、心理学の言葉で『ザイアンスの法則』という言葉がある。単純接触効果とも呼ばれているこの言葉は『相手に接触すればするほど好意を持つようになる』という法則を表している。
どんな内容でも関係なく、接触、または認知を繰り返せば好きになるという突拍子もない法則だが、私はこの法則は正しいと思っている。……私がアンに入れ込むようになったのも、この法則にのっとったとすれば説明がつくからだ。
私はこの
3000年という時間は、私たちエルフにとっても短くはない。現に、その間に様々な変化があった。
アンと同種である魔物……魔族の台頭や、それに対抗した人類による科学技術の進化。全知全能の女神が姿を消し、彼女がいた時代は神話の時代と呼ばれるようになった。最近は帝国主義をイデオロギーとした国家が、大陸中央で拡張を続けているとも聞いている。
国家という社会形態を得た今、人類は急速に進化を遂げている。
だが、全てが変わったという訳ではなかった。
例えば、アンの精神性は今も変わらず心優しい子供のままだ。少し前に森で食料を採っていたら、人間に追い回されたとべそをかきながら帰ってきたのはよく覚えている。
人間どころか、魔族にすら彼ほどの力を持つ者なんて存在しないと断言できる。現に、精神魔法・耐性に関しては私と並ぶ実力を有しているからな。なのにも関わらず、その力を他者に向けようとすらしなかった。
失敗した。素直にそう思ったよ。原因は分かっている。私が甘やかしすぎたせいだ。
……仕方ないだろう。まさか3000年間精神が成長しないとは思わなかったんだ。エルフだって、赤子から少女に成長するくらいの年月は経ったはずなのに。
原因は分かっている。私が彼の記憶を封印して、外界との接触を断っているからだ。……だが、その必要はもうなくなった。
────だから、アンの記憶を戻すことにした。
正直、相当悩んだ末での決断だった。理屈らしい理屈を並べようと思ったが、結局のところアンに嫌われたくなかったというのが大半だ。
だが、このままずるずると記憶を封印し続けたとして、何かの拍子で記憶が戻らないとも限らない。
「どうして記憶を消したままにしたんだ」そんな風に、アンに追及されることなんて想像もしたくない。
……だいぶ話が長くなったな。どうやら、私も
────話を今に戻そう。3000年前に建て、改築と増築を繰り返した私たちの家。その一室に、私と封印を解かれたアンは向かい合って立っている。
「お、おい。アン? 落ち着け!」
「うわあぁぁあぁぁあん!」
「こんなの初めてだ……! ど、どうしよう……」
……正確には、地べたに座り込んでわんわんと泣き腫らすアンと、それを見て右往左往する私の姿があった。
────────────────
切実なお願いなんだが、赤の他人の目の前でギャン泣きしちゃったときの対処法を誰か教えて欲しい。
「……アン?」
目の前には、心配そうにしゃがんでこちらを見つめるお姉ち……ゼーリエの姿が見える。
……えーっと。こういうときって、なんて返すのが正解なんだろうか。
「あっ……うん。えっと……」
いやそんなの分かる訳ないだろ!? 3000年暮らしてきた赤の他人兼お姉ちゃんに返す言葉なんて! どんなシチュエーションだよ!?
「大丈夫か!? どこか痛いところはないか!?」
気の利いた言葉一つ返せない自分に自己嫌悪していると、お姉ちゃ……ゼーリエは肩を掴んでガシガシと揺らしてきた。
「大丈夫……だよ? えっーと、ゼーリエ?」
「……そうか。良かった」
「……お姉ちゃん?」
「! ああ。そうだぞ。分かるか?」
もはやゼーリエという単語のイントネーションすら分からなくなってきた。
というか呼ばれ方で露骨に表情変えるのやめてくれ。あと「分かるか?」ってなんだよ「分かるか?」って。3000年も見てきたんだから忘れるわけないだろ。
……はぁ。大分混乱してるな。思考が上手くまとまらない。腹も減ってるし。てか朝食前に記憶呼び起こすんじゃねえよ。せめて飯食ってからだろうが。
「ど、どこに行くんだ?」
頬を伝う涙を袖で払うい立ち上がると、お姉ちゃん……ゼーリエはは不安そうにこちらを見上げてきた。
「飯。朝食まだでしょ? 俺が作るから」
壁に掛けてあるフライパンをコンロの上に置き、魔法を使って温めると同時に冷蔵庫から卵を2つ取り出す。
一応初めて立つキッチンのはずだが、スムーズに体が動いて少し気持ち悪い。
残りの工程もさっさと済ませ、卵を焼く間にコップに牛乳を注ぎパンを焼く。
「……何か手伝おうか?」
「良いよ座ってて。その方がなんか安心する」
「そ、そうか」
今まで一回も手伝ったことないくせに。そんなに俺に嫌われるとでも思ってるのだろうか。
そうこうしている間に卵が焼けたため、棚に置いてある皿に盛りつける。あとはケチャップとミニトマト、ブロッコリーは……今日はいいか。
パンにバターを塗り、ナイフとフォークを一緒に持っていく。
「はい」
「ありがとう。って、お前……」
「今日くらいいいよ。ほら、いただきます」
「……いただきます」
色々言いたげな表情だが、俺が両手を合わせたの見て観念したのか食事を始めた。
黙々と食事を進める俺をチラチラと見ながら牛乳を飲むお姉ちゃん……って、
「あー! もう! そんなビクビクしてんじゃねえよ
こっちは全然気にしてない……って言ったら嘘になるけど、別にそんなに怒ってないのにこんな対応されたらこっちが悲しくなってくる。
もう思考の方でもお姉ちゃん呼びになってるし、体に染みついてるみたいだ。
「……本当か?」
「じゃなかったらご飯一緒に食べないでしょ? 味付けもお姉ちゃん好みの少し濃い目! って、なんか口調もおかしいし……」
自然と出る口調は記憶がない頃のものだが、ちょっと冷静に考えて恥ずかしすぎる。
俺一応20超えてるんだけど、何だよお姉ちゃんって。しかもこの呼び方が一番しっくりくるのがムカつくわ。
「でもお姉ちゃんは恥ずかしいから呼び方変えさせて。姉さんとか」
「いや、でもお姉ちゃんのほうが……いや、何でもない」
おい、3000年もお姉ちゃんって呼ばせ続けてまだ呼ばれたりないのかよ。
「別に呼び方が変わっても気持ちは変わらないって。俺にとっては姉さんは大事な家族だよ。育ててもらった恩だって感じてる。……俺の記憶を消したことだって、それが与えるこの世界への悪影響を考えてのことでしょ? それくらい俺だって分かるよ」
それに記憶を消した後も、不器用な癖して姉として、師匠として優しく接してくれた。いくら人格が混ざり合ったとしても、その事実は変わらないし忘れない。
姉さんが居なかったら、100年もしない内に俺はどこかしらで人間や魔族に殺されていたことだろう。
そう言うと、姉さんは嬉しそうに小さく微笑み、身を乗り出して俺の頭を撫でてきた。
「ふっ、ははっ。……物分かりが良いとは思っていたが、記憶が戻っても変わらないな。素直だった時期も可愛かったが、これはこれで良いツンデレ具合だ」
このなりでツンデレとか言われると違和感が凄いが、どうせ姉さんのことだ。この3000年の間に俺の記憶から洗いざらい抜き出したんだろう。……ってちょっと待て。
「……もしかして、俺の記憶って完全に覚えてる感じ?」
「ああ。もちろんだ。知識や学問に関しては100年程度で完璧に覚えた。後は芸術や音楽とか……そうだ。お前の好きな女のタイプや性癖なんかも完璧だぞ?」
「キモい!? ガチでキモいんだけど!!!」
覚えちゃったこと自体は不可抗力だから仕方ないとして、ニヤニヤしながら語るんじゃねえよ!? 弟が隠し持ってたエロ本を見つけて弄る姉そのものじゃねえか!?
「ふんっ。嫌われてなくて心底安心した癖に。……もう口利いてあげないもん」
……なるほどな。感情が乱れると口調が戻りやすくなるみたいだ。これじゃ本当に拗ねてる弟じゃねえか。
「悪かった。悪かったよ」
先ほどのいたずらな笑みは何処へやら、浮かべられた笑みには慈愛が込められている。
「ったく。撫でればいいと思ってるだろ」
するすると頬を撫でる姉さんに抗議の言葉を呟く。……実際にそれで許してしまいそうになる自分にムカつきつつも。そこまで悪い気分ではなかった。
「ほら。早くご飯食べちゃお。終わったら魔法の特訓するんだろ?」
それが、俺と姉さんの日課だったからな。できるならこれからも続けていきたいものだ。
そう思って呼びかけたのだが、姉さんは予想外の返答をして来た。
「いいや。今日は人間の国を見に行こう。少し前に見に行ったが、食品や服やら面白いものが揃っているぞ」
「マジ? 良いの?」
「大マジだ。魔力の消し方はちゃんと覚えているな?」
もちろんだ。姉さんの魔力だったら寸分違わず完コピできるし、後は変装さえすれば見た目は完全に姉弟そのものだろう。
「てか、いくら記憶が危険だからって3000年引きこもらせてるのエグイって」
そこまで言われて気が付いたが、実は俺3000年間家の近辺から一回も出たことがない。
「仕方ないだろう。お前が怖がってここから出たくないって言ってたんだぞ」
「……そうだっけ」
嘘。本当は全然覚えてる。人間に追い回されてギャン泣きで姉さんに慰めてもらったのが、確か200年ほど前だったか。
「じゃあ姉さんとデートだな。3000年ぶりに女性とデートするんだ。エスコートは任せたよ」
子恥ずかしさを隠すためふざけてそう返すが、これまた姉さんは意外な反応を見せてくれた。
「……そうだな」
視線を逸らし、頬をポリポリと掻きながら小さく返す姉さん。……おいおい、マジか。
「姉さん、もしかしてそういう経験ない感じ?」
「……悪いか」
からかう様に問うオレに対し、姉さんは不機嫌そうに頬杖をついている。
少し加虐心が生まれてしまった俺は、そのままもう片方の手を取り、その甲に小さく唇を落とした。
「俺で良ければエスコートさせていただきますよ。お姉ちゃん「からかうな馬鹿」……痛っ」
軽いげんこつを食らってしまった。……ふふっ、少しおいたが過ぎたかな。
ムッとした表情を浮かべる姉さんの頬は、俺の自意識過剰でなければ朱色に染まっていた。……可愛いな。普段は格好いい姿ばかり見ているせいかギャップ萌えがエグイ。
「じゃ、着替えて来るね! 楽しみ~」
口調が前に戻るのを自覚しながらも、階段を駆け上る俺の足取りは凄く軽かった。
「…まったく。生意気な奴だ」
まあ、ちょっとした反抗期みたいなもんだと思ってください。
ゼーリエには恋愛経験0であってほしいという妄想です。ちなみにちゃんとデレてます。
次話からフランメとの三人暮らしが始まります。
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