いくつかの偶然とみんなの頑張りによってできたこのお茶会。準備だけでも大変だった。何せ僕達の中でまともに茶をいれることができるのが、式しかいなかったからだ。けど、式は多くは言わずに役割を引き受けてくれた。香りがこの狭い部屋の中に広がる。僕は彼女——マリー・アントワネットの椅子を引いた。彼女は何も言わずに席につく。Xさんとメカエリチャンがその両脇を固め、僕は彼女の対面に腰を下ろした。立って準備をしてくれていた式は、僕等全員分のカップに、手慣れた様子で湯を注いでいく。その間、誰も声を発しなかった。静かな中、注ぐ音だけが鳴っていた。そして、最後に式が僕の隣に座った。
「……フフ、式さんだったかしら?良い香りね、経験があって?」
「…さあな、ただ、淹れただけだ」
微笑むマリー・アントワネットに式はスコーンを摘みながら面倒くさそうに返す。
「いえ、とっても美味しいですよ、このスコーン!」
そう言って、僕にスコーンを見せるXさん。…彼女にマナーはないのだろうか。いや、おいしそうだけど。
「うん、飲みやすいよ。淹れてくれてありがとう!」
カップを傾ける。式の紅茶はスッキリしていて飲みやすかった。味は…紅茶に詳しくないから分からないや。帰ったらキャットに聞こう。
「……サーモグラフィーに異常はありませんね」
メカエリチャンは出されているカップをジッと見つめている。サーモグラフィーで何を確かめたのか怖いから聞かない。
「さて、お話だったかしら、こんな場所で何を話すというの?」
そう切り出したのはマリー・アントワネットだった。口元は白百合のように優雅に笑っているのに、こちらを見つめる瞳は、一切微笑んでいないようだった。なぜだろう?
「…うん、君のことを知りたいなって思ってね」
「私のこと?…おかしな人。貴方達の様子から見ても知っているのでしょう?マリー・アントワネットという女のことを、ね」
問いかける彼女は、先程までの白百合のような微笑みを枯らし、ぞっとするような黒い笑みを浮かべた。
心臓が、嫌な音を立てて跳ねる。
目の前の少女は誰だ。これは、僕の知るマリーじゃない。
無意識に後ずさろうとして、背もたれに遮られる。乾ききった喉から、掠れた声が漏れた。
「──君、は?」
「フフフ、本当におかしな人ね」
彼女はコトリ、と可憐に小首を傾げた。その瞳は黒く、嫌に透き通っている。悪びれもなく微笑みながら紡がれる言葉──ああ、聞きたくない。
「さっきから言っているでしょ?──マリー・アントワネット、とね」
はっきりと言い聞かせるように、彼女は言う。
「──下がれ!」
その声は、マリーからではない。隣にいた式だった。ドンッ! という鈍い衝撃音と共に、式が立ち上がりざまに純白のラウンドテーブルを蹴り上げた。宙を舞う円卓。ティーカップがひっくり返り、黄金色の紅茶がスローモーションのように空中に飛び散る。
「っ!」
次の瞬間、僕の視界が強制的に後ろへと引っ張られた。メカエリチャンの鋼鉄の腕が、僕を危険地帯から乱暴に引き剥がしたのだ。急速に後退していく視界。その端で、Xさんが空中に放り出されたスコーンをパクリと見事にキャッチして頬張るのが見えた。
──だが、僕の目はそこに無かった。
飛び散る紅茶の飛沫。ひっくり返るテーブル。その向こう側。
彼女は、微動だにしていなかった。荒れ狂う嵐の中心で、ただ優雅に椅子に腰掛けたまま、あの深い微笑みで僕をじっと見つめ続けていた。
「あら、乱暴ね。せっかくのお茶会が台無しよ」
紅茶が宙を舞う中、彼女はゆっくりとカップを傾ける。まるで意に介さないその態度に、緊張が走る。その時、横目で隣を見ると、ナイフを構えた式の虹彩が輝いていた。
「…お前、何者だ?」
「はっきりとしないお返事ね。貴方なら見えるのでしょう?──両儀式」
彼女を中心とした空間に押しつぶされる感覚が僕等を襲う。
「──っ、誰だ、お前は!」
姿勢を低く警戒する式、しかし、彼女の額には汗が滲んでいた。
「式!?どうしたの!?汗が凄いよ!」
僕は式に慌てて声をかける。が、式はマリー・アントワネットから目を離さない。
「状況把握困難、式、情報共有を申請します」
「……危ない感じですね、これは」
メカエリチャンとXさんも警戒を引き上げていた。
「誰、誰って、貴方達はそればっかりね。フフ、気分が良いのだから、応えても良いのだけれど。…そうね、やっぱり秘密かしら」
余裕を崩さない彼女は唇に人差し指を当てて言う。
「……混ざりすぎだ」
汗を拭うこともなく、式はマリー・アントワネットを見つめている。
「式、貴女のバイタルから異常を検知しています。一度立て直すべきでは?」
式の隣に出たメカエリチャンは式へ警告と撤退を投げかける。
「それは難しいかもですね。ドアが開きませんね」
いつの間にか僕の横にいたXさんは、僕の死角で静かにドアの施錠を確認したらしい。
「…おい、X、お前はどう見る」
式が視線を向けずに問うと、Xさんは顎に手を当てて応えた。
「彼女ですか?そうですね、カルデアの彼女をよく知りませんが、サーヴァントとしては随分と外れてますね」
「…外れる。では、サーヴァントではなくアストラル系の何かでしょうか?」
メカエリチャンも視線を向けずに問う。
「…こっちに分かるように言ってくれ」
「ぼ、僕も分からないや」
話について行けていない僕と式は彼女たちに解説を求めた。
「…彼女は人間ですね」
帽子のつばを直したXさんは、マリー・アントワネットを見つめながら言う。彼女は変わらず微笑んでいる。
「はあ?あれが人間なわけないだろ」
「ええ、マリー・アントワネットが生きているはずがありません。史実ではもう、死んでいるのですよ?サーヴァント以外にここにいる理由が見えません」
Xさんの信じられない答えに、式とメカエリチャンは彼女へと振り向いた。しかし、Xさんは真面目な顔で首を横に振る。
「いえ、あれはサーヴァントではないです。理由はわかりませんし、勘も含みますが、あれは人です」
二振りの剣を構えて、Xさんは断言する。マリー・アントワネットは剣を見て、顔をしかめる。
「…あんなにごちゃごちゃしたのが人間だってのか」
その侮蔑めいた式の言葉に、彼女がピクリと反応した。酷い言い草だと口にしながらも、その黒い笑みはさらに深まっていく。
「あら、酷い言い草ね。なら、何に見えるのかしら?」
「……人形、いや、知らない」
式は言葉を濁し、口を噤む。
「式、貴女は何を見ているのですか?」
メカエリチャンは式を見つめ、問いかける。
「…死だ」
式の虹彩が走る。それに比例して周囲の気温が下がる。この寒気はなんだ?僕の脚は得体の知れない寒気と圧のせいで、床に縫い付けられたように動かなかった。
「その瞳、魔眼ですか。それも高ランクの」
「「魔眼?」」
僕とXさんが思わず顔を見合わせると、式が面倒くさそうに舌打ちをした。
「解説は後だ。それよりも、あれをどうするかが先だろう」
「フフ、そうね。その瞳で私を殺す以外に手が有るのかしら?」
マリー・アントワネットは両手を広げて僕らに問う。
「彼女のあの余裕は何故なのでしょうか」
「から元気、ではないですよねぇ」
メカエリチャンの疑問に、Xさんは構えを解かず、困ったように応える。確かに彼女から、虚勢や焦りは一切感じられない。
「…おい、マスター、選べ」
不意に、式がマリーから視線を外し、僕へと真っ直ぐに向けた。
「あいつをここで殺すか。それとも別の可能性とやらにかけるか」
「え?」
一瞬、僕は思考を止めた。式の言葉が想定外だったからだ。
「オレならあいつを殺せる。だが、お前の選択で今がある。なら最後はお前が決めろ」
「パイロット候補、式の言う通りです」
式は僕を真っ直ぐ見つめる。僕はメカエリチャンに支えられながらそれを受け止めた。
「あら、あなた意外に優しいのね」
「うるさい」
「いえ、優しいですよ!お茶も美味しかったですし」
マリー・アントワネットは、珍しい物でも見たように目を丸くする。式は嫌そうな顔で否定したが、直後に飛んできたXさんの天然な肯定によって、見事に梯子を外される形となった。式は「後で覚えておけ」とでも言いたげな鋭い眼光で、呑気なXさんを睨みつけている。
「……」
考える。マリー・アントワネットはカルデアのサーヴァントではない。
考える。彼女に敵対の意思は多分ある。
考える。彼女は殺されることに抵抗がない。
考えろ。式は彼女を殺せる。
考えろ。選択は僕がするんだ。
考えろ。殺す、殺せる、…はたして良いのか?
考えろ。考えろ。考えろ。
僕の答えは──
「──式、彼女は殺さない」
僕は、式を強い視線で射抜くように言い放った。
「──へぇ」
式はそっちを選んだかとでも言うように、面白そうに口角を上げる。
「流石ですね、マスター君!」
Xさんはパァッと顔を輝かせ、双剣をしまい、ポンッと両手を打ち合わせた。
「……はい」
僕を支えるメカエリチャンは微動だにしなかったが、ほんの少しだけ高く、弾むような返事だった。
「フフ、カッコいい決断ね。一番弱い立場の人間が立ち上がる。いつの時代も変わらないのね……」
マリー・アントワネットはゆらりと揺れ、まるで抜け殻のようにばたりと倒れた。
「──!お前、まさか!」
式は彼女へ向き直すと目を見開いた。
「パイロット候補、彼女のバイタルに異常発生!」
大声で警告を発するメカエリチャンと、「嫌な予感が……」と顔をしかめるXさんを横目に、僕は迷わず彼女の元へ駆け寄った。
「マリー!」
僕は彼女のぐったりとした身体を抱きかかえる。彼女の身体は重く、冷たい。呼吸は微かに感じる。いや、そう思いたかっただけかもしれない。
「……」
「大丈夫!?急にどうしたの!?」
必死に肩を揺するが、彼女の閉ざされた瞼はピクリとも動かない。微かに上下していた胸の動きすら、すうっと波が引くように止まってしまった。まるで冷たい人形を抱いているような、恐ろしい静寂だけがそこにあった。
式は感情の読めない顔で、僕が抱えているマリーに近づく。
「………ダメだな、止まってやがる」
式はマリーの頸動脈に手を当て、確認するもため息の後、首を横に振った。僕はすがるようにメカエリチャンを見る。メカエリチャンも首を横に振るだけだった。
「…どうして急にこんなになっちゃったんですかね」
膝をついたXさんは、沈痛な表情で問いかける。だが、僕に答えられるはずもなく、メカエリチャンもただ無言を貫くことしかできなかった。
「……」
式はマリーを見つめながら、深く考えるような表情をしていた。
「…パイロット候補、マリー・アントワネットはここに寝かせておきましょう。まだ、この特異点を探索しなければなりません」
「……」
「マスター君、貴方は行かないといけません」
メカエリチャンは優しい言葉を選んで僕を諭してくれた。Xさんも僕の背中を押してくれた。僕は腕の中のマリーを見つめる。カルデアで、いつも見ている彼女と重なって見えた。でも、すぐに冷たい感触が幻想を覚めさせる。…心は決まっている。やることも決まっている。ごめん、マリー。
「もう良いのか?」
「うん、もう大丈夫」
僕がドアを開けると、その先で式が待っていた。マリーは部屋で布団をかけて寝かせている。そのままで寝かせるのは嫌だったからだ。
「パイロット候補、無理は禁物です」
「そうですよ、マスターたるもの身体が資本ですよ!」
二人が僕を心配する気持ちは受け取った。切り替えはできているつもりだけど、ちょっと嬉しい。
二人に頷いていた僕の肩を、式が無言で押し留めた。
「……お前らはここにいろ。少し、確認しておくことがある」
理由を問う隙も与えず、式は部屋の中へ戻っていった。何だったんだ?
数分後、出てきた式は何事もなかったかのように僕らを先導し始めた。
僕らも無言で顔を見合わせ、その後を追う。カツン、カツンと、冷たいコンクリートの廊下には、ただ虚しい足音だけが響き渡っていった。
ふと振り返る。完全に閉ざされたあの部屋のドア横の窓ガラスには、不気味なくらい真っ白な結露がへばりついていた。