散歩をしていると、胸がきゅっと縮こまるような感覚を覚えた。
思わず心臓のあたりを押さえて、深呼吸をする。
息は、できる。立ってもいられる。
しかし、頭がうまく回らない。
息はできているから酸欠ではない、別の――いや、これは体調ではなく――?
「おい、大丈夫か素子!?」
駆け寄ってきたポルナレフを見て、私は半分白けた。
なんとなく理由がわかったからである。それを確信に変えるため、彼に尋ねた。
「なあ君、今日はどこかに寄ったか? 主にヘアサロンだとかに」
「おっ、わかるか? 話題のエステがあるっちゅーからちぃっとだな」
ポルナレフは得意げに、櫛で自らの髪を整えた。
もういい。わかった。
このきゅうっと胸が締め付けられて、体が不安に支配されて、彼に嫌われることがすなわちこの世の終わりと同じだと思うような、この感覚のすべてに理由がついた。
つまりシンデレラだ。
私はため息をついて、ポルナレフに言った。
「お茶でもどうだ」
自分の発言のあまりの呑気さと、誰にも見えない内面でのドタバタっぷりに、私だけが憤っていた。
ふざけるなよ。何が悲しくて恋愛漫画編が始まるんだ。
カフェ・ドゥ・マゴまで歩きながら、私は全神経を集中させていた。
今にも吐きそうだし、心臓が頭に移動したのかと思うほど心音がうるさい。
それでも、私は今までの人生経験と、スタンド使いとしての技術を総動員する。
あらゆる客観視を利用して普段通りを装い、スタンド能力の延長線で表情筋を動かさないように固定し、あらゆる五感を無視してポルナレフという男の存在をできるだけ感じないようにしていた。
カフェの席に着き、事実だけを、まずは確認する。
「エステではなにを注文した?」
「そりゃ男の秘密ってモンだぜ」
「ふう。ナンパの師匠にも教えられないことか?」
「……それもそうだな。目の前にいるのが女だと感覚が狂うぜ……」
私は今、すべての感覚が狂っている。
今この男が何を言おうが最高でしかなくて最悪だ。
ポルナレフはあっけからんと言ってのけた。
「まあモテてェなァって」
「単純明快だ。なぜ言い淀んだのかを疑問に思う」
「単純だからこそプライドっちゅーもんがあるだろ!」
「下手に隠すより男らしく胸を張れ。誰でもモテたいだろ」
「さすが師匠……」
何かが琴線に触れたらしく、ポルナレフは感銘を受けていた。本当にふざけるなよ。
モテたいの意味が、特定の誰かに、というわけではなく、不特定多数に、という意味であろうことを理解して安心している私自身に対して、一番キレている。
「一応尋ねておくが、エステシンデレラの店主がスタンド使いであることは知っているんだよな」
「でぇえ!?」
「知らないで行くな! 資料があっただろ!」
流石に怒鳴ってしまった。
私は簡単に調べればわかる程度の、杜王町のスタンド使いについて、既にスピードワゴン財団に報告を上げている。
所属が同じで、現在同じ場所で活動しているのだから、ポルナレフがそれを知らない方がおかしいのだ。
怒鳴ったことで心拍数がぐんと上がり、頭がクラッとしたため、私は椅子から浮かせかけた腰を元に戻す。
蒼白になっているであろう顔色を手で隠しながら、私はポルナレフに懇願した。
「早くもう一度エステに行ってやっぱり自力で恋を探すって言ってきてくれ。それで大体のことが解決する」
「解決も何も、問題は起きてねえだろ?」
起きてんだよ。私の心の中だけでハリケーンが。
この恋の魔法が、彼に初めて会った女に対して発動するものなのか、はたまたすべての女性に対して発動するものなのか、女性どころか男性に対してまで発動するものなのかはわからない。
魔法を発動させるために彼に与えられた制約などもあるのだろうが、しかし今の私に考えられるのは、私以外をこの魔法にかけたくないということだけだ。
スタンドを使用して自分の体からいなくなれば、この魔法が解けるのか試したいところだが、それにはリスクがある。
目の前にポルナレフがいる状態でこの体を空にすれば、彼は私を支えるだろう。
なんなら抱きかかえるかもしれない。
もう、手とかが触れるかもと思うだけで気が狂いそうだ。思春期のガキか私は。
クソッ、今まで戦ってきたスタンドの中で最強かもしれない。
このままだと私はときめきで死ぬぞ。
「恋とスタンドの両方に詳しいポルナレフならもうわかると思うが、恋の魔法は代償なしでは使用できない。今こうしている間にも膨大なリスクが生じており、君が今ここで無事に生きていられるのが奇跡だ」
「俺、そんなピンチだったのか……!?」
「ああ。今ものすごく君を殺したい」
「お前が敵なのかよ!?」
可愛さ余って憎さ百倍というやつかもしれない。
彼が私に失望する前に、私という人間の愚かさが露呈する前に、彼との関係が崩壊する前に、彼を殺して終わりにしてしまいたいと思う程度には、私はおかしくなっている。
それをやった後、たぶん私も死ぬんだろう。
私の中で、恋と殺意が非常に似た感情だというのを思い知らされた。
一生、知りたくもなかったことである。
とうとう私はカフェのテーブルに突っ伏した。
いい加減、バクバクと動き続ける心臓の負荷に、体が耐えきれなくなったからである。
「覚えてろよ……」
「わかった、わかったから殺すなよ俺を、な!?」
死にかけの状態で本気の恨み言を吐くと、ポルナレフはハンズアップして、シンデレラへと走った。