第一話 「はじまり」
一撃目の、低く右下から斬り上げる斬撃。
次いで、左から右へと薙ぎ払う第二擊。
右上から鋭く振り下ろす第三擊めで、俺は完全に相手のHPゲージを削り取る。
隙の少ない片手剣三連擊ソードスキル、《シャープネイル》。
ポリゴンの塵になって消えていくモンスターを横目で流しながら、俺は経験値やドロップアイテムなどが記されたウィンドウを閉じる。
「何とか死なずに済んだ……まぁソロでやっていってる時点で死んでもしょうがねーってことなんだけど」
純白の愛剣を背中の鞘に収め、ポーチから《転移結晶》を取り出す。
今日はもう帰ろう。
「転移……《リンダース》」
リズベット武具店にでも行って、久しぶりに研いでもらうか。
面倒だけどしょうがない、かな。
転移結晶によってもたらされる青い転移エフェクトに包まれながら、ふと、あの日のことを思い出す。
二年前――このゲームが始まった日を。
今日、ついに俺の夢が叶う。
絶対に手に入らないと思っていたけど、絶対にプレイできないと思っていたけど、絶対にログインできないと思っていたけれど。
ついに俺の夢が叶うんだ。
満を持して発表された、世界初のVRMMORPG――《ソードアート・オンライン》。略称SAO。
俺はそのSAOのβテスターに当選し、片手剣使いとして二ヶ月間のテスト期間を楽しんだ。
元々学校でもそこまで目立つ方ではなくて、むしろ地味な一学生としていてもいなくても変わらないような生活をしていた俺には、アバター名《Reito》として過ごすSAOの世界はまさしく《もう一つの現実》だった。
学校にいる間も頭の中で装備のことについて思考を巡らせ、学校が終わると家に全力で走って帰り即行でログインして試す。そんなことを毎日繰り返していた。
そして、SAO正式サービスが開始される二〇二十二年十一月六日日曜日午後一時、当然俺は一秒と遅れずにログインした。
ログインしてしばらくはβ時代に少しだけ組んでいた仲間からのギルドの勧誘を受けたり、操作感を確かめたり、武器防具を揃えてソロでmobを狩ったり、SAOでの通貨――《コル》を稼いだり、はたまた可愛い女性を探してみたり。
自分から喋りかけることなんてできるわけないけれど。いやまぁ今の俺はイケメンだし身長も高いし、何とかならないこともないかもしれない。
いや、無謀だな。
頭を振って雑念を払い、これからしばらく相棒になる片手剣に手をかける。
まぁ当然、βテスト時代から使っていた片手剣でゲームを進めていくわけだ。相棒は大事に末永く使っていかなければならないし、スペック的な限界が来るまで使い続けるつもりだ。
「――《ホリゾンタル》ッッ!」
右手に握る剣が描いた水色の《ライトエフェクト》、そして体を加速させてソードスキルを必殺技とさせる《システムアシスト》とともに水平切りを繰り出す。
うん、やっぱりこの感覚だ。
ビッ、と剣先にエネルギーが来た時に、自分の心を剣に乗せてバーンっと開放する感触。
その後、練習がてらしばらくソードスキルを使いながら一通り周囲のmobを狩り尽くし、落ち着いたところで石に腰掛けて休憩。
右手の人差し指を中指を揃えて掲げ、真下に振って《メインメニュー・ウィンドウ》を呼び出す。
鈴の音のような交換音とともにウィンドウが出現する。
時刻は五時二十五分。
一度ログアウトして、飯を早めに食って英気を養い、もう一度ログインしてから本格的にゲームを進めていこうと思う。
そこまでする必要もないのかもしれないが、明日提出しないといけない宿題をまだやっていないからな。それにやりすぎも良くないだろうし、ってか別に俺はトッププレイヤーになりたいわけじゃないしな。のんびり自分のペースで進めていこう、と既に決めている。
「さて、ログアウト……ログアウト……あ? れ? はぁ?」
ログアウトがない。
指先を一番下まで滑らせて、現実のコンピュータで言えば再読み込みするかのように一度ウィンドウを閉じてもう一度開く。
また指先を一番下まで滑らせてみるも、ログアウトのメニューは無し。
「まぁ、運営のミスだろ。とりあえず、もう一休憩くらいしてからでもログアウトするのは遅くねぇし」
一人呟いてから、重たい腰を上げる。
「って、うわわ、何だ!?」
リンゴーン、リンゴーン、という鐘の音が響く。
あれか、お子様はもう帰ってください的なあれなのか? 夕焼け小焼けでまた明日、みたいな感じか。違うか。
びっくりして少しだけ飛び跳ねた俺の体を、今度は青い光の柱が包んでくる。
これは……転移?
なぜ? どこに?
そういう疑問を抱きつつも、俺はされるがままに転移した。
青い光が薄れると同時に、俺の視界に飛び込んできたのは既に見慣れた草原ではなかった。
百の層からなる、SAOの舞台《浮遊城アインクラッド》の第一層。《はじまりの街》。
そこには、おそらくは俺と同じく第一層の様々な場所から無理矢理転移させられたのであろう一万近くのプレイヤーが屯していた。
何でだ?
ログアウトができないことに対するお詫びか? いや、それだったらメッセージでいいはずだよなぁ……何が始まろうとしている?
まぁ考えてもわからないものはわからないので、ひとまず周りを見回してみる。
全くもって、眉目秀麗な人々――いや、アバターたちがたくさんいる。カラフルな髪の色、多種多様な防具、武器。身長の高低。
おそらくこの中にはネカマもいるだろうし、現実の自分よりも格好良くしている人間が大半なのだろう。もちろん俺もその例に漏れていない。
しかし、こうやって強制的に転移させられたのに揃いも揃って呑気なものだ。もう少し慌てていたりしてもいいだろう。
俺なんて今から何が始まるかガクガクブルブルもんなのに。
心臓に剛毛生えてるわこいつら。
大衆の喧騒に耳を澄ませてみると、「これでログアウトできんだろうな?」とか「何が始まるんですかねー」とかとか。
皆そんなもんか。
しかし、その中の誰かが、ひときわ大きな声で怒鳴るかのようにして叫んだ。
「あっ……上を見ろ!」
反射的にその声で上を見る。
そこには異様な光景があった。
百メートル上空、まぁつまり目指す第二層の底を真紅の市松模様が染め上げていく。
よく目を凝らして見てみれば、それは二つの英文がパターン表示されているものだ。《Wrarning》、《System Announcement》と書いてある。
何のこっちゃ、と頭の悪い俺は思考を巡らせてみて、ようやく「やっとログアウトできるんだな」という結論に思い至る。
どうやらそれは俺の隣の黒いイケメンも同じだったらしく、肩の力を抜いているようだった。
しかし、その期待は一瞬にして裏切られる。
放送がかかるのか、と思いきや、空を埋め尽くす真紅のパターンの中央部分が、まるで巨大に血液の雫のように垂れ下がった。高い粘度――スライムのような動きで、ゆっくりと滴っていく。
そのまま落下するのかと思いきや、赤い一滴な空中でその形状を変えていく。
出現したのは、およそ二十メートルはあろうかという真紅のローブをまとった巨大な人の姿だった。
いや――違う。
俺たちは下から見上げているから、深く下げられたフードの中が見通せるが……そこには何もない。
袖の部分からも、ただただ虚無が広がるだけ。
一応ローブの形には見覚えがある。
まだSAOがβテスト時代だった頃、アーガスの社員が務めるGMが必ずまとっていた衣装だ。しかし、あれは男性なら長い白髭の魔術師っぽい奴、女性なら眼鏡の女の子のアバターだった。すげぇ可愛かった。
このログアウトできないという事件に対して、急いで運営が対応にあたっていてアバターが用意できなかったのだろうか。
いや、でもローブだけ出すとかやめてくれ怖いから。
俺そういうホラー番組とか見れない人間だからね。こ、怖くなんかないんだからねっ!
ひらりと広げられた袖口から純白の手袋が覗いた。しかし、袖と手袋は明確に切り離されていて肉体も見えない。
続いて、左袖もゆるゆると掲げられた。
一万のプレイヤーの頭上で、低く落ち着いたよく通る男の声が響いた。
『プレイヤー諸君、私の世界へようこそ』
あ、これはどうもご親切に。
とりあえず心の中でそう返すしかなかった。
何これ、とりあえず対応が間に合わないからチュートリアルでもやっといて時間稼ごうぜみたいな感じかい?
つーか意味がわからん……。
まぁ確かに、ある意味では私の世界と言えるだろう。GMは世界の操作権限を持つ、言わば神のような存在なのだから。
そして、赤ローブくん(ちゃん?」は続いて口を開いた。
『私の名前は茅場晶彦。今やこの世界をコントロールできる唯一の人間だ』
茅場――晶彦、だと!?
誰だそいつ?
いや、聞いたことはある。このゲームの開発者だとかうんたらかんたら。
すまん文字読むの面倒くさくて茅場のインタビューとか全く読んでないんだ。
『プレイヤー諸君は、すでにメインメニューからログアウトボタンが消失していることに気付いていると思う。しかしゲームの不具合ではない。繰り返す。これは不具合ではなく、《ソードアート・オンライン》本来の仕様である』
わけがわからないです本当にありがとうございましたー。
……仕様? つまり、ログアウトさせませんできませんってこととが、SAOの本当の形、ってことか?
俺のそんな思考を流すかのようにして、アナウンスは続く。
『諸君は今後、この城の頂を極めるまで、ゲームから自発的にログアウトすることはできない』
この城……?
《浮遊城アインクラッド》のこと、か?
『また、外部の人間による、ナーヴギアの停止あるいは解除も有り得ない。もしそれが試みられた場合――』
一万人が息を詰め、次の言葉を静寂とともに待った。
僅かな間。
『――ナーヴギアの信号素子が発する高出力マイクロウェーブが、諸君の脳を破壊し、生命活動を停止させる』
そこから、茅場が何を言っていたのか俺にはよくわからなかった。
暗くなっていく視界。
心では理解を拒んでも、一周回ってひどく冷静になった俺の頭は容赦なく現実を俺に叩き込んでくる。
死ぬ。
口ではそう軽く言えても、たった二文字でも、それが現実になってしまう。
わけが、わからない。
俺が放心したまま茅場のご高説をBGMとして聞いていると、突然皆がアイテムストレージを見ていたので、俺も震える右腕を左腕で抑えながら《メインメニュー・ウィンドウ》を開きアイテムストレージを覗いてみると、手鏡があった。
んだよ茅場ちゃん優しいじゃねーかとか場違いなことを呟きながらその手鏡を見てみると、あらまぁ何ということでしょうか俺の容姿がリアルの俺になってしまった。
イケメンの俺も、身長が高い俺も、消えてなくなって、あとには中肉中背の冴えない俺が映るのみ。
ますますわけがわからないよ。
慌てて周りを見渡してみると、皆俺と同じかもしくは極端に横幅が凄まじい人間がほとんどだった。
もちろん中には女性の姿もほんの少しだけ見えなくもないが、それはごく僅か。
そういや、背が高かった隣のアバターはどうなったのやらと見てみるとあらかわいい。
俺と同じ、いや俺より身長が僅かに低いだろうその少年……少女? いや少年か?
まぁとにかくそいつは中性的な幼い顔立ちの少年になっていた。まぁ俺がリアルの容姿な以上、こいつもおそらくはリアルの容姿なのだろうけれど……。
いや、それよりも、このゲームをどうかしないといけない。
このデスゲームから、ログアウトしなければならない。
そういった衝動に駆り立てられ、俺は誰よりも早く宿を確保しに向かった。
ちゃんとした宿屋ではなく、ただのポーション売りのお姉さんの家の二階を借りるようにして、最低限にまで宿にかかる費用を抑え、そしてNPCが営む武具店に駆け込んで武器を研いでもらい、ポーションを自分の所持金が許す限り買う。
初期装備のままだと防御面が心もとないため、盾を買う。
今の俺にできることは――、
少しでも街を攻略して、皆に希望があると伝えること。
そうすれば皆が動き出して、それは後にSAOの世界を切り開いていく《攻略組》に成長するはず。
まずは《はじまりの街》の北西ゲートから街を出て、その先にある民家のクエストをクリアして、βテストの時も俺の相棒となってくれた相棒――《アニールブレード》を手に入れなくてはならない。
迷宮を攻略する上での、心強い味方になってくれるはずだ。
生き残るためには、そうするしかないだろう。
決心した俺は、レベル上げのために《はじまりの街》を飛び出す。
果て無き俺の冒険は、今、始まる。