アイちゃんは困っていました。
もっとも、アイちゃんが困った事になるのは初めての事でもありません。
というか、アイちゃんの人生は往々にして困った事の連続です。
アイちゃんの顔や声や肉体は神様からの贈り物レベルに恵まれているのでベリーイージーモードなのですが、家庭環境がクソゲーレベルなので、プラマイでマイナスのハードモードです。
アイちゃんは8歳にして男を惑わす魔性を発揮したせいで、大体がお母さんのプチサンドバッグですし、お母さんの得意料理は硝子の炊き込みご飯という有様です。
8歳児にマジで嫉妬してどうすんだって話なのですが、その程度の女だから連れてくる男も知れたものです。破れ鍋に綴じ蓋ですね。
無論、学の無いアイちゃんは破れ鍋に綴じ蓋なんて言葉は知りませんが、自分の母親がカスだからカスみてぇな男しか引っ掛けられねぇんだなということは理解していました。
そうなると、他の子よりも顔がどちゃくそに良くて、性格が割と歪んでる自分は、いつの日か顔がどちゃくそに良くて、性格が歪んだ男に引っ掛かるのか、そんなことを漠然と考えたりもしました。正解。
そんなガラスの破片たっぷりのご飯が得意料理だったアイちゃんママはしみったれた窃盗罪でパクられます。しみったれた女は犯罪もしみったれたものかもしれませんが、アイちゃん的には衣食住が保証された施設の生活はナンボかマシなので、まぁOKです。
お母さんが出所後に迎えに来てくれなかった事について、色々と感じる事はなかったのかと言われれば、ぶっちゃけ悲しかったのですが、そこはアイちゃんです。
愛とかよくわかんない、と自分を騙して納得させます。
嘘が上手ですね。
★
施設の生活はそんな良いものではありませんでした。
てか、職員の目がいやらしいなと、幼心に感じるくらいには居心地が悪いものでした。
このままいたらいつか犯されんじゃねーのか、そんなことを12歳のアイちゃんが思ったのかはわかりませんが、アイちゃんは家出をします。
顔が良いので生きていく方法はあるだろう、くらいのノープランです。
身近な大人が母親か、性的な目で見てくる母親の男か、性的な目で見てくる学校の先生か、性的な目で見てくる施設職員くらいだったので、お手本となる大人もおらず、将来への具体的なビジョンというものがアイちゃんにはありません。
しかし、運命と言うべきか、アイちゃんはチンピラ風の男に出会い、アイドルになります。
アイドルなんてよくわからなかったアイちゃんでしたが、どうやら天職なようでした。
才能があったのです。
しかも、アイちゃんは才能の上に胡座をかくタイプでもありませんでした。
つか、めっちゃ努力するし、拘りも強いです。
てか、拘りの強さが年不相応なレベルで病的です。
普通の社会生活だと色々困りそうなアイちゃんでしたが、アイドル活動についてはステータスが完璧です。
まるで、神様がアイドル以外の道を全部塞いだかのような偏り具合です。
アイちゃんのここまでが神様の意図した通りならば、この世界の神様はかなりいい性格をしてします。
さて、アイドル活動は順調だったアイちゃんですが、人間関係はどうにも上手くいきません。
メンバーの子達とクッッソ仲が悪いのです。
仲が悪いと言うかアイちゃんが一方的に嫌われていました。
これはアイちゃんの生来の性格というか人格形成と育った環境が問題なのですが、アイちゃんを嫌う周囲にとっては知った事ではありません。
とにかく気に入らないのです。
アイドルなんてやる子は元々が大なり小なり自分がクソ可愛いと思ってる子達なのですが、綺麗な河原の小石とダイヤモンドを比べてしまえばその差は歴然です。
小石達はダイヤモンドちゃんを囲って陰湿なイジメを繰り広げます。
別にダイヤモンドは小石達を馬鹿にした覚えなどないのでいい迷惑です。
しかも、アイちゃんは基本的に気にしてないよー、屁とも思ってないよーという態度を取ります。
アイちゃん自身気にしてないよーとモノローグでも語っています。
つくづく嘘がお上手ですね。
ともかく、アイちゃんがそんなスタンスなので、イジメてる側からすれば可愛げも無ければ面白くもありません。
てか、より自分の小石っぷりを突きつけられてるようでムカつきます。惨めすぎウケる。
アイちゃん的には上手くやりたいのですが、距離を測るのが下手くそなアイちゃんと、距離を詰める気の無い子達とでは、そりゃ上手くいきません。
社長の励ましもあって、アイちゃんは自分のことを嫌いな子達も、ファンもみんなまとめて愛してみようというわかるようでよくわからない結論に至ります。
ただ、コレって結果的に悪手なのかもしれませんね。
謙遜すれば白々しい、自信たっぷりに振る舞えば調子に乗ってる、全てを包み込むように笑って見せれば何かちょっと人と違う…と信奉されたり引かれたりします。
アイちゃんの感想を一言で言うなら
『どないせいっちゅうねん』
でしょう。
そんな折、劇団のワークショップで1人の男の子と知り合います。
顔がどちゃくそに良くて、性格が歪んでる男の子でした。
破れ鍋に綴じ蓋です。
綴じ蓋もとい男の子とは割と馬が合いました。
特に気に入ったのは、男の子が自分を性的な目で見てこないところにありました。
皆無というわけでは無いのですが、割合少なめです。
服装に気を遣うようになったのは男の子と交際をするようになってからでしたが、きっかけは社長が服を買ってくれた時の自分の姿が見違えた時の印象が実は大きかったりします。
そんなこんなで交際が続きましたが、やることやってからアイちゃんは思いました。
『なんかちげぇな』
と。
別に、初体験がクッソ痛かったから嫌になった訳ではありません。
確かに、初体験はクッッッソ痛かったし、最中に何度が綴じ蓋くんをブン殴ってやろうかと思ったアイちゃんでしたが、それが理由ではありません。
ただ、わかっちゃったのです。
青峰が氷室君を見て「やっぱ違ぇわ」と心無いコメントをしたのと同じです。
ほんとね〜いい線行ってたんだけどねぇ〜残念だけどね〜ご縁が無かったということでね〜ええ、はい、ね?また、今後機会でもあればね〜
綴じ蓋くんは株式会社星野アイの最終面接で落ちてしまいました。
で、早々にアイちゃん別れ話を切り出しました。
不採用通知ですね。
違えと思った相手と付き合ってるのは時間の無駄だったからです。
アイドルを辞めると決心した時もそうですが、アイちゃんは基本即決即断即行動です。
綴じ蓋くんは重みがどうとか言ってたような気がしましたが、アイちゃんには小難しいことはよくわからないし、既に興味の無い相手のお話は聞く気がなかったのでスルーしてました。
これがアイちゃんの命取りになるのですが、まぁ、ここでは些細な事でしょう。
そして、数ヶ月が経ち、冒頭の困った事になりました。
吐き気がハンパねぇのです。
飯食っては吐き、飲み物飲んでは吐き、レッスンしては吐き。
「おいおい、まさか妊娠でもしたのか?」という社長のデリカシーの欠片も無いセクハラジョークを最初は聞き流していたアイちゃんでしたが、ネットで妊娠する方法について調べてみると、どうにもそのまさかのようでした。
一度きりの中出しストライク。
いえ、ホームランでしょうか。
施設ではコンドーさんのことは教えてくれなかったので、アイちゃんは中出しに疑問を抱いていなかったようです。
まぁ、子供が出来ても構わないという気持ちもあったようですが。
ちなみに余談ですが、施設ではドアチェーンの重要性も教えていません。些細なことですが。
★ ★
そうこうしてるうちにアイちゃんのお腹は便秘では誤魔化せないレベルになってきました。
東京から離れた、出来るだけアイちゃんのことを知る人のいない病院を社長が探してきて、診察を受ける事になりました。
結果は妊娠。
お腹の中には双子がいるとの結果でした。
男女の双子とは何ともお得感がありますね。
社長は産んで欲しくないオーラ全開でしたが、アイちゃん的には産みたいのが本音でした。
お腹を痛めて産んだ子供なら自分は愛せるかもしれない、そう書くと実験のようですが、未だに愛がよくわからないアイちゃん的には切実な問題でした。
担当の先生に自分の思いの丈を思い切ってぶつけてみたのは、その先生が信頼出来そうな人だったからです。
というか、割とカッコよかったし、自分のことを性的な目で見てこない男の人だったから、アイちゃん的に、こう、グッとくるものがありました。
その先生、ここではセンセとしておきましょう、センセは不思議なもので、アイちゃんのことをめちゃくちゃ可愛いと思っていることは何となく伝わってきているのですが、性的などうこうしてやろうみたいな感情は見えてこないのです。隠すのが余程上手いのか、或いは既に心に決めた人がいてアイちゃんにそんな感情を持つ事を自分自身に固く禁じているかのようでした。
優しくて、自分の支えになってくれる大人のお兄さん。
だけどちょっと屈折してそうなところも気に入りました。
アイちゃんは急速にセンセと仲良くなりました。
慕うというか懐きました。
社長程おっさんでなく、綴じ蓋くんのようなよくわからんガキでもない、トキメキを覚えてしまういい感じの年上のお兄さんでした。
女子高校生が新任の教師に懐いてしまう感じのアレです。
センセと過ごす内に、互いの複雑な事情を話す内に、アイちゃんはこう思いました。
『あ、この人かもしれんわ』
この人にこそ捧げるべきだったんじゃないか、アイちゃんは少し残念に思います。
捧げるというのは、乙女の純潔というやつです。
別にたかが膜だろとアイちゃん的には思うのですが、世の男性の中にはやたらとその膜をありがたがる人種がいると本で読みました。
まぁ、厳密には膜ではないのですが。
純潔云々はピンと来ませんが、痛いばかりだった初体験のお相手がせめてセンセだったならもう少しマシだったんじゃないかな、という意味では後悔というか残念な気持ちになります。
後生大事に取っておくものでもありませんが、叩き売りするものでもない、つまりはそういうことです。
しかし、叩き売りの結果がセンセとの出会いであり、お腹ぽっこりアイちゃんを見て、世の中のアイドルファンが軽率に口にするビッチ認定もせずに真摯に接してくれる姿に「あ、この人いいな〜」と思ったわけなので、つくづくままならないものです。
お腹も重たくて仕方なくなってきました。
出産が近づいている証拠です。
すっかりセンセに懐いてベッタリなアイちゃんは出産に立ち会うのはセンセじゃなきゃ嫌だと駄々をこねます。
センセも快諾してくれました。
アイちゃんは密かに決意していました。
無事双子が出産できたら、センセと連絡先の一つでも交換して、交友関係を続けられたらいいなと。
アイちゃんは愛が理解出来ていない、そういう設定なので、自分の気持ちがわかってはいませんが、それが所謂アプローチの一貫であるとは薄々勘付いています。
その上で綴じ蓋君の時の同じ轍を踏まないように、じっくり攻めるつもりでした。
いえ、愛とか全然わからないので、それが恋だったかどうか、真相は藪の中です。
全ては無事双子を出産してからの話ですが。
そう、何事もなく出産できたらの話ですね。
★ ★ ★
そんな死亡フラグを立てましたが、アイちゃんは無事に、何事も無く、健康な双子の赤ちゃんを産むことが出来ました。
途中何度か死ぬかと思いましたがアイちゃんは無事です。
アイちゃんには何事もありませんでした。
元気な双子ちゃんです。
健康な双子ちゃんです。
死産にならなくて、本当に良かったですね。
ただ、センセは来ませんでした。
すっぽかしました。
看護師さんは急用と誤魔化しましたが、嘘だなとアイちゃんにはわかりました。
看護師さんもなかなかのクールビューティーでしたが、嘘が服を着て歩いてるようなアイちゃんの前ではバレバレの嘘でした。
どうしたことでしょうか。
あれだけ仲の良かったセンセが。
あれだけ仲が良いと思っていたセンセが。
どうしてなのでしょうか。
アイちゃんに一言も告げずに姿を消しました。
あれだけ懐いていたのに。
おやおや、まるでお母さんのようですね。
懐かしのお母さん。
硝子入り混ぜご飯をよく食べさせてくれたお母さん。
しみったれた窃盗でブタ箱にぶち込まれて、出所後にも姿を現さなかった(社長に追い返されたかもしれない)お母さん。
もしかしたら、今頃不摂生の結果ブタ箱から出て来たブタのようになってるかもしれないお母さんを思い出します。
自分はまたしても捨てられたのだろうか、アイちゃんはぼんやりと思います。
嫌われたのだろうか。
苦痛だったのだろうか。
疎ましくなったのだろうか。
どうして、どうして、どうして。
好きになれそうだったのに。
好きになりたかったのに。
好きだったのに。
愛していたかもしれないのに。
また捨てられるか。
また逃げられるのか。
また去っていくのか。
どうでもいい人ばかり寄ってきて、愛したい人、愛されたい人、愛し合いたい人ばかりがアイちゃんの前から姿を消します。
そんなに何か悪いことをしたのだろうか。
それがわからないのは自分がお馬鹿だからなのだろうか。
まともな家庭で育っていたらわかるのだろうか。
そもそも捨てられなかったのだろうか。
でも、アイちゃんは悲しくはありません。
アイちゃんは愛が理解出来ないので、本質的には嫌われても疎まれても憎まれても蔑まれても愛されなくても痛くも痒くもありません。
私は涙を流さないアイドルだから星野アイだから。
昔のロボットアニメの歌詞のようです。
完璧で究極のアイドルは悲しくなりもしなければ、涙も流しません。
そういう設定です。
そういう嘘です。
アイちゃん程になると嘘に嘘を重ねまくってタマネギの様に剥いても剥いても嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘の嘘塗れです。
どれが本当でどれが嘘かわからない内に全部剥き終わっちゃいます。
凄いですね。
本当に感服するレベルでアイちゃんは嘘がお上手です。
例え実の子であっても、ちょっと節穴だったりすると疑うことなく嘘を真実と勘違いしそうな見事な嘘吐きっぷりです。
まぁ、自分で選んだ道なので可哀想ですが仕方ないことです。
アイちゃんは男女の双子に、それぞれアクアマリンとルビーという物凄い名前を付けました。
成人したら裁判所に申請して改名したくなる名前です。特にアクアマリン。
おとめ座α星から取って、アルファくんとおとめちゃんにならなかったのがやはり今時の若い子のセンスなのでしょうね。
社長は、せめて男の子にアクア、女の子にマリンではアカンかったのか?と心の底から子供達の未来を心配しつつ尋ねましたが、アイちゃんの決意は無駄に固かったのです。
或いは、アクアマリンではなくスピカならかなり軽傷で済んだのは気のせいでしょうか。
心無しかアクアマリン君の目が虚で死んでいるような気もしますが、まだ生まれて間もない赤ちゃんなので気のせいでしょう。
社会に疲れ果てた、崖から落ちた医者のような疲れ果てた目をしてる気がしますが気のせいでしょう。
★ ★ ★ ★
生まれてきた双子ちゃん達はびっくりする程可愛くて、奇跡的なレベルで賢く発達が早い子達でした。
不思議ですね。
これも今まで苦労してきたアイちゃんへの神様からのご褒美なのでしょうか。
クソ溜めの中に鎮座するクソのような性根の神様かと思っていましたが、なかなかどうして粋な計らいもするもんです。
きっと、これまでの人生が大変だった分、アイちゃんのこれからの人生には幸福の光が満ち満ちていることでしょう。
神様が我々が考えるような都合の良い存在であれば慈悲深く、ワンチャン色々なチートの特典だって付けてくれてもアイちゃん的にはお釣りが出ます。
センセがいなくなってしまった心の痛みには、お家芸たる自分すら騙す嘘で念入りに「気のせい」とコーティングをかけます。
アイちゃんの嘘は仮面であり、武器であり、鎧であり、心の痛みに対する麻酔のようなものです。
最近では麻酔が効きすぎて、本当に心の痛みがわからなくなってきました。末期ですね。
★ ★ ★ ★ ★
ある日の寒い冬の夜。
双子ちゃんを抱き上げながらアイちゃんは星空を眺めていました。
麻酔を施した心にそれでも存在するのは双子達への確かな温かな感情。
アクアマリンとルビーの区別も碌に付きませんが、多分良い感情なのでしょう。
子供達温もりを抱き寄せ、甘い香りを吸い込みながら見上げた夜空にはくっきりと北斗七星が輝いています。
まるで、これからの星野親子の未来を照らすかのような、美しい輝きに、アイちゃんとルビーちゃん、そしてアクアマリンくんは見惚れます。
「アクア、ルビー、見てアレ。とっても綺麗だねぇ〜」
「えーママ、どこ?」
「ほら、北斗七星の横にある星。アレが一番綺麗に光ってるよ」
「わかんないよ〜アクアわかる?」
「おれもわかんない。ほんとにあるのアイ?」
「もー、2人とも何処見てるの!あそこだよ」
アイちゃんが指さしてくれますが、やはり2人には見えません。
やはりアイちゃんは少し不思議で特別な存在だから、少し変わった人とは違うものが見えてしまうのでしょうか。
何はともあれ、親子3人は暫くの間仲良く星空を眺めていました。
何とも胸の温かくなる光景ですね。
いつまでもこんな日が続くといいですね。