「はぁ・・・癒される・・・」
「相当疲れてるみたいだな。」
仕事から帰って来てお疲れモードだった楓は、準備されていた夕食を取って早々に部屋へと戻り、リラックスするためにお風呂に浸かっていた。
ぐったりと体から力を抜いてもたれ掛かってくる楓を、背後から抱きしめつつ達也が心配する。
風呂には楓一人ではなく達也と一緒に入っており、現在湯船で達也の膝に座っている状態だった。
「ん、ありがとう達也・・・気持ちいい~」
「かなり凝ってるぞ」
堅くなっている肩を揉んでやると、楓はさらにほにゃりとなって気の抜けた声を出す。
絶妙な力加減でのマッサージは本当に気持ちよかった。
肩を解し、首や腕も揉まれると楓はまさに極楽気分になってしまう。
「あんまり無理するなよ?」
学生と社長の二足の草鞋がどれほど大変なのかは、同じく学生以外を兼業している達也が一番よく知っている。
達也はある程度自分の都合を優先することが出来るが、楓はそうもいかない。
本来なら生徒会の手伝いも大きな負担になっているだろうに、楓はそんなことおくびにも出さない。
・・・・達也の前以外では。
だから達也だけは、こうして疲れている楓を甘やかしてやることにしていた。
「でも書類も片づけたし、これでしばらくは弟に任せて大丈夫。九校戦参加も問題ないよ。」
目をつぶって達也のマッサージを受けながらそう答える。
そうか、と頷いて達也は手を止めて華奢な楓の身体を抱えなおして抱きしめる。
楓も前に回った太い腕に手を添えて、達也の首もとに顔を預ける。
しばらく無言で何ともいえない幸せと心地よさを堪能したところで、思い出したように達也が口を開く。
「そうだ、明日は深雪とFLTに行くんだが一緒に行くか?」
「あ、完成した飛行術式の件ね。ん~じゃぁ、一緒に行こうかな。」
これまで独自に取り組んでいた三大難問である飛行術式を、達也は先日ついに可能にした。
今日、飛行術式をダウンロードしたデバイスを達也と深雪が試したとのことなので早速FLTに持っていくつもりなのだ。
それがどれだけすごいことなのか、言うなれば魔法の常識と歴史が変わるほどの大きな発見だ。
達也の能力が開発に有利なものだということもあるが、それでもその難問を解決するだけの頭脳は素直に賞賛に値するものだろう。
楓も自分の恋人がそれだけすごい男なのだと思えば、誇らしかった。
翌日、楓と達也、深雪は三人でFLT本社へとやってきた。
学生が正面入り口から入るのはあまりにも違和感があるので、いつものように裏口から入る。
会社にもっとも貢献している技術者であるにも関わらず、裏口から隠れるように出社というのはなんだかちぐはぐだ。
しかも達也が、いやトーラス・シルバーが席を置く第三課は裏口から入るのが一番の近道なのだからお笑い草だ。
「御曹司!それにお嬢とお姫様も!」
目的地である第三課に入ると、すぐに気づいたここの主任である牛山が笑顔で三人を迎え入れた。
彼は達也のことを御曹司、楓のことをお嬢、深雪のことをお姫様と呼んでいる。
何とも恥ずかしい呼び方に、三人はいつもやめてほしいとお願いしているのだがそれが直ったことは今のところない。
毎度のやりとりに気力を奪われながらも、達也は牛山に先日完成した飛行デバイスを差し出す。
「まさかこれは・・・・飛行デバイスっ!」
すぐさまそれが何であるか理解した牛山の反応は迅速だった。
在庫の機器を集めさせ、術式のコピーを最速で行い、テスターを強制的に集めてテストを行ったのだ。
もちろんテストは成功。
まだまだ微調整が必要な部分はあるが、これがどれだけ大きな意味を持っているかを知っている牛山は、きっと達也も驚かせるスピードで完成させてくるだろう。
軽い打ち合わせをして飛行デバイスを託し、今日の用事も終了したので明るい気分で三人は第三課を後にした。
今日はどこか外で食事をして帰ろうかと話していたところで、三人は目の前からやってくる人物に気づいて顔をしかめた。
廊下の先から三人の方へと、四葉家の執事である青山と達也と深雪の父親である龍郎が歩いてきた。
随分と先にいる時点で気づいていた三人に、わざとらしくまるで今気付きましたというような表情を浮かべた青山が恭しく頭を下げる。
「これは深雪お嬢様に楓お嬢様、ご無沙汰しております。」
「お久しぶりです青山さん。・・・ところで、何故兄に挨拶がないのでしょうか。」
必要以上に丁寧な挨拶を深雪と楓にだけ行い、達也がここには存在していないような態度。
深雪は怒りを押し殺した冷めた目で青山を見つめて問いかける。
もちろん楓も気分がいいわけがなく顔をしかめている。
二人が不機嫌なのもわかっている癖に、青山は自分の態度を改めたりはしない。
「おや、おかしなことをおっしゃいます。深雪お嬢様は次期四葉家の当主の座を望まれるお方であり、楓お嬢様は四葉の血を引く椎名家のご息女様です。ただの護衛とは格が違います。」
なぜそんな当たり前のことをという表情で青山が言う。
四葉家の執事なのだから次期当主最有力候補である深雪に頭が低いのは当然だが、青山は楓にも同等の存在として見ていた。
少し前までは低迷していたが、ここ最近の業績は目を見張るものがあり、現当主姉妹が椎名家をことのほか贔屓にしているのを執事の青山は知っていたのだ。
もちろん今の椎名家が楓の手腕によるということは伏せられているが、今後のことを考えて令嬢である楓を持ち上げているのだ。
そんな考えが透けてみて、楓は嫌悪感に震える。
このままでは機嫌が下がるばかりだと、達也が二人を自分の後ろへと下がらせる。
「青木さん口を挟んで申し訳ありませんが、聞かせてもらってもいいですか?」
先ほどまで黙っていた達也の口出しに一瞬嫌そうな表情を浮かべたが、すぐに自分を優位に保つような発言をして仕方がないとばかりに達也の言葉を聞くことにした。
だが次に聞かれた質問に、青山の機嫌と優位は揺るがされる。
「叔母上はまだ後継者を指名していないはずですが。はっきりと深雪を次期当主にとおっしゃったんでしょうか?」
現在の当主である真夜はまだ若く、所有する力も絶大だ。
その彼女は候補として数人の名前を出すことはあっても、未だ誰を次期当主とするかは明言していない。
いや、正確には表明していない。
時がくるまで発表しないと知っている達也は、青山の言葉がただの推測であることをわかって聞いたのだ。
言われた青山もそれがわかっているのか、雄弁だった口は重苦しくなる。
「真夜様はまだ何も仰せになられていない。」
「これは驚いた。これではどちらが序列を軽んじているのかわかりませんね。」
当主候補と令嬢、執事と護衛という序列を持って挨拶をしたという青山には何とも辛辣な言葉だった。
状況も判断出来ず、序列も見えていないのはお前の方だと付きつきたのだから当たり前だ。
周りに人がいる状況で言われた青山は、顔を怒りに真っ赤にしながら言ってはいけない言葉を口にした。
「っ・・・心を持たない魔法師風情がっ!」
それは間違いなく禁句だった。
箝口令をしかれているとは言え、上層部は真夜と深夜が達也に対して行った行為を知っている。
だからこそ達也に対してこれほどまでの対応が辛辣なのだが、このいつ誰に聞かれるかもわからない場所で口にする時点で青木の程度が知れた。
苦し紛れとは言え、出してはいけなかった青木の言葉に深雪と楓の怒りが膨れ上がる。
深雪と楓の怒りによる冷気にその場の空気が変わるほど濃密になった時、傍観していた龍郎が口を開く。
「そこまでにしてください。達也もこれ以上青木さんにつっかかるんじゃない。」
困り顔で青木を宥め、無表情なままの自分の息子を窘める。
現状を理解していないような落ち着いた口調は酷く浮いていた。
龍郎はどこにでも平凡な男、そんな印象を受ける。
どこか覇気のない、頼りない雰囲気に達也と深雪の父親とは到底気付けない。
「お母さんを恨む気持ちも分かるが・・・」
しかも空気の読めない、意味不明な言葉を向けられて三人は心底呆れの表情を浮かべる。
今までの会話のどこにそんな要素があったのか、詳しく聞いてみたいくらいだった。
「父さん、俺は母さんを恨んでなどいない。」
「・・・・そうか。」
達也が無表情で言うと、龍郎はうろたえてそれ以上は言わなかった。
これ以上は会話にならないと、達也が足を進めると続くように深雪と楓も歩き出す。
そう、達也は深夜を恨んでなどいない。
感情を失い恨む気持ちがなかったというのもあるが、今に限っていればむしろ感謝さえしているくらいだった。
もともと自分には魔法の才能がなかったところを特質的とはいえ魔法が扱えるようにしてもらい、失ったものは楓と出会うことで取り戻すことが出来た。
楓と出会えたのもあの実験の、研究所のおかげだと思えば感謝こそすれ恨んだりするはずがなかった。
だが、その実状を実の父親である龍郎は何一つ知らない。
彼が知っているのは、実験によって達也の強い感情が失われてしまったところまでだ。
感情を取り戻していることを知らないのだ。
それも当たり前で、楓の力によることを知っているのは本当に限られた者達だけだったのだ。
彼らはその限られた者に該当されない程度の人物だというだけのことだ。
秘密にされているのは、楓を守るためだった。
もし楓の力が漏れれば、どうなるかわからないことくらい容易に想像がつく。
だが、二人を引き離すことは難しかったので真夜が後見人になることで楓を達也の婚約者という形に納めたのだ。
周りの人間は力を持った椎名家を、四葉家につなぎ止めるための政略結婚とでも思っているだろう。
もしくは椎名家が本家でのし上がるために、血筋を求めて達也を狙ったと思っているかもしれない。
実際には二人の意志での婚姻であり、それを許し二人を守るために当主が考えた提案であった。
これらの事実を、今後も青木と龍郎が知ることはないだろう。
知る必要など全くないからだ。
達也は未だ怒りを堪えている両隣の二人の頭を撫でて落ち着かせると、父親に別れも告げずにその場を離れたのだった。