絶対に死にたくない転生者vs死後に魂を持っていくタイプのサキュバス 作:ぺとら
誓約が結べない。
クソサキュバスの行動を縛ることが出来ない。
眠くて仕方がない。
俺の命綱の例の腕輪は腕と一緒に吹き飛んだ。
寝たらどうなる。
サキュバスだ。縛りのないサキュバスだ。どうなるかは分かりきっている。
しかし不思議なもので、ここまで致命的な状況において、俺の心境は極めて穏やかだった。
賢者モードだろうか?
「ちょっと、いい加減にしてよ!」
「なに一人だけやりきった感出してるのよ! こんなところで燃え尽きられても困るんだけど! 『誓約』は!? ダンジョンはどうしたの!?」
仕方なく俺に付き合っていただけのサキュバスが、奇妙なことを言う。
それが余計に面白くて、俺は声に出して笑い声をあげた。
乾いた声は空気に溶けていってすぐに聞こえなくなり、どうしようもない寂寥だけが後に残る。
なぜだろう、あれほど俺を駆り立てていたやる気が湧いてこない。
心は確かに俺の奥底で燻っているんだけれど、その炎がかつてのように燃え上がってくれない。
「ダンジョン。ダンジョンか……」
戦い。死闘。その果てに、目指すもの。
様々なことが流星のように頭を流れて、そしてすぐに燃え尽きる。
いっぱい戦っていっぱい傷付いて、俺は何を手に入れたんだろう?
地位に頓着しなかった。金は捨て去ったも同然で、名誉を得るほど人付き合いもしていない。
何も無い。何も無いんだ。
この世界に生まれ落ちてからずっと戦い続けて、欲しかったものは未だ手に入らず、かといってそれ以外のものを得たこともない。
今更になって、それがとても虚しい。
白状しよう。
俺は、怖いんだ。
あの暗闇に腰が引けて、すっかり怖気付いてしまった。
反抗心と闘争心でどうにかこうにか誤魔化していた恐怖がぶり返して、かつての気付きのように俺を苛む。
ダンジョンなんかで死と隣り合わせの探求を続けるよりも、安全な場所でやがて来る絶望に怯えながら未練たらしく寿命にしがみつき続けたいという弱い心が、大きな声で俺を刺す。
「あぁもう、どうして『誓約』が結べないのかしら!? ほらっシャンとしなさいな!」
「………………なぁ、サキュバス」
なによ、と怪訝そうな顔を向けられて、悪魔もこんな顔をするんだなと思わぬ笑みが漏れた。
思えば、この女の顔をこうもまじまじと見つめるのは初めてだ。
だって、いつも他のことに気を取られていたから。
ひとつ冷静になった頭でサキュバスを見て、美しい女だな、と思う。
「デートしようか」
「…………はぁ?」
だから、言った。
生憎と、俺は洒落たデートスポットなんて知っちゃいない。
俺が行ったことがあるのは、生まれた家と、各地のギルドとダンジョンと、その途中にあるしみったれた町村だけ。人付き合いが無ければ趣味もないから、この世界でオススメの観光スポットやグルメなんか気にしたことも無かった。
「だからってこのチョイスは無いんじゃない?」
黙れ、クソサキュバス。
そう言いたかったが、幼少から俺の世話をしてくれた使用人の手前、汚い口は避けたかった。
「おかえりなさいませ、坊ちゃん。御高名はかねがね」
「こちらこそ、無理を言ったな」
俺の実家、王国でも有数の大商家。
俺が幼少期に吐かした大型複合商業施設の構想を真に受け、少し前に王都に大型施設を開いたらしい。はじめて聞いたときは何をしてるんだと思ったが、どうも貴族に大人気のようで何よりだ。
俺は大衆向けの体で話したが、この世界に適応するように上手く組み替えたのだろう。
そんな中流以上の貴族でも無ければ足を踏み入れることすら出来ない場所に、俺は親類特権で足を踏み入れていた。
実家デート、だ。
「これが人類の娯楽文化、ねぇ……」
「退屈か?」
「まさか。快楽で人を堕とす私たちにとって、人類の趣味嗜好を把握することはとても重要なことよ」
本来の楽しみ方とは異なる気がするが、これも異世界ならではということだろう。
甘味を楽しみ、芸術館賞を楽しみ、魔法を応用したアトラクションを楽しみ、この世界特有の、今まで俺が触れてこなかった文化を嗜む。俺は、今まで生きてきたこの世界のことを、何も知らない。生まれてこの方戦ってばかりで、自分がしたいことを探そうとすら思ったことがないのだ。
それは、果たして本当に生きていると言えるのだろうか?
「君が息子とタッグを組んでくれている女性か。息子は放っておいたらどこで野垂れ死ぬか分からないものでな、頼れる相棒がいてくれると助かるよ」
「この人、こんなことを言ってるけどこの子のことが心配でたまらないみたいなの。もし良かったら、これからもこの子をよろしくね?」
「まさか弟がこんなべっぴんさんを捕まえるとはなぁ。兄として冥利に尽きるってモンだ」
久しく会っていない両親とも会った。家を継いだ兄とも話した。
「いえいえ、私の方が世話になってばかりで──!」
サキュバスはなぜか愛想良く言葉を交わしていて、それがどうにも滑稽で面白かった。
それから、人気のない広場でベンチを見つけたので、二人並んで座る。
「あなたの家族、面白い人たちね」
サキュバスが、出し抜けにそう言う。
俺が何も言わないでいると、更に彼女は続けた。
「私がサキュバスであることを理解して、その危険性も把握して、その上で恐怖を呑み込んで私と言葉を交わしていたわ」
当然だ。
俺の家族は商人で、商人は利益に繋がるものを決して見逃さない。そして俺とサキュバスは、得難い魔導具を惜しむことなく安価で供給してくれるお得意様だ。
元々大きかった家を更に大きくすることに貢献した立役者を敬い感謝すれど、恐れ排斥する理由は無い。
「でも、人間は本能的に脅威を恐れる生き物よ。それをたかが商売の為だけに押し殺せるだなんて、それはすごいことだわ」
やっぱりあの人たちもあなたの家族なのね、と言われて、俺は何も返せなかった。
そうだ。俺の家族はすごい人たちだ。
家名に誇りを持ち、血筋に恥じないように生き、曲がることのない理念で生きている。あるいは死すらも恐れないのは、個人の死がやがて家の繁盛に繋がると信じているから。誰かが息絶えたとしても、この世界に確かに痕跡が根付いているから。
俺は、どうだろう。
この世界に残せたものは、なにかあるのかな。
誇りをもって見せびらかすことが出来るものが、なにかあるのかな。
「……なぁ、サキュバス」
「なにかしら?」
思わず、口を開いていた。
言葉は俺の意思に従わない。募る思いは勝手に漏れる。
「俺は、怖いんだ」
「……なにが?」
「死ぬのが」
死ぬのが怖い。
あの暗闇が怖い。
やがて消え去る未来が怖い。
全部、何も残らないという終わりが、何よりも怖い。
「それが嫌で嫌でたまらなくて、どうにかしたいと思って足掻き続けてきたんだ」
初めて、本心を吐き出した。
弱った心は相手が誰かなんて気にしなくて、俺の命を狙っているはずのサキュバスを相手に、全ての弱みをさらけ出した。
「でも俺は、何も残せていない。皆が世界に自分を刻み付けている間に、俺は固執したものに囚われて」
自分でも何を言っているか分かったものじゃない。
長年蓄積した鬱屈とした思いが胸をつくものだから、俺にも制御なんて出来ないんだ。
「生きた痕跡すら残せない俺が死にたくないと叫ぶのは、ハナから無理な話だったのか?」
俯き、こんこんと感情を吐き出し続けていると、おもむろに顔を覆う感触があった。
「大丈夫よ」
サキュバスが、俺の頭をその胸に抱きしめていた。
柔らかい温かさが俺を包み、穏やかな心地が荒んだ身魂を埋めつくした。
「あなたの痕跡は、少なくとも私に残っているから」
真っ暗に閉ざされた視界は、しかしいつものそれのように恐ろしくはない。
「悠久の命を持つ私が、あなたのことを忘れないわ」
少なくとも私が死ぬまではね、と言われて、それから頭を開放される。
触れた外気は冷たくて、どこか名残惜しさを感じた自分に驚いた。
睡眠ですら恐怖に負けて微睡みを感じられなくなった俺が、久しぶりに感じた心地良さに驚いた。
「だから、行けるところまで行ってみましょう?」
俺の頭を小突くサキュバスの笑顔はひどく澄んでいて、お前はこんな顔をするのかと、出会ってはじめて気が付いた。
「さぁ、立ち上がって。気高いひと」
「……あぁ」
悪魔ごときに、手を引かれて立ち上がる。
かつての俺が決して許さなかったその行為が、しかし今の俺には不快ではなかった。
やがて、家伝いにひとつの情報が舞い込んでくる。
時の神の力が産み落としたダンジョンに、うっかり不死の力が宿る魔導具が発生してしまったという神託が下りたのだ、と。
それを聞いたサキュバスは、俺よりも先に身支度を始めた。
呆然とする俺に向かって、彼女は笑ってみせた。
サクサク進むので立ち直りも早いです
ヒント:切れたままの誓約と魅了効果