氷風のエエカトル   作:Damned

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#1 風を告げる鈴の音

 

 

 ──イグニスが憎い。

 愛する者を喪い、帰る場所も生きる意味も失った少年に残ったのは、たった一つの感情であった。

 

 家族を殺した、人の精神から生まれたデータが憎い。己の両足を奪ったあのAIが憎い。1と0の塊のくせに、意思があるなどとほざいたあのプログラムが、憎くて憎くて堪らない。

 

 どうして自分だけが生き残ってしまったのだろうか。どうして自分も共に行けなかったのだろうか。

 

 カチリと音を立てて繋がった、自分が進むべき道を歩むための足。それを見つめる碧眼の奥には、仄暗い感情の炎が渦巻いていた。

 希死念慮と復讐心がせめぎ合う身体を薬で抑制して、ただ完遂だけを考える。

 己の身体がどうなろうと、あの時死んだ命だ。生きている意味もなく、欲しがらず。胸中にあるのは、弟を殺した奴の事だけ。唯一の肉親は、人間の醜さを凝縮した悪魔のプログラムによって眠りにつくこととなった。

 

 ──イグニスが憎い。

 

 ──あいつらは、おれが殺さなくちゃならない。

 

 何度誓ったかも分からぬそれを繰り返しながら、少年は紺色の制服に袖を通す。

 今はただ、復讐を遂げる為だけに。

 

 

 

 

 

 

 ほんの少しだけ湿った風が、血色のいい頬を撫でる。

 昼間に雨でも降ったのであろうか──道の橋には水に濡れた跡が僅かながら残っていて、その分析が正しかったことを知る。

 

 日差しは八月末にしては柔らかく、半袖では若干の肌寒さを感じるほどだ。晴れた空には寝心地の良さそうな白い雲が浮かんでいる。ここ二年ほど、よく寝たことは無い……のだけれども。買い物の袋を持ち、犬を連れた女性や、忙しなく通り過ぎる学生を横目に、作楽冷泉(さくられいせん)は氷青色の目を細めた。

 

「……急速に成長し、活気づいている、とは聞いていたが」

 自分の身を撫でていくのは、なにも空気だけでは無い。

 

 最新のネットワークシステムが発展し、仮想世界でのデュエルが活発化したのがデンシティだ。そのデータの移動や書き換えが生み出しているのであろう()()()を、冷泉の身体はうっすらと感じ取っていた。

 ベランダのへりに肘をつき、外を眺めていた冷泉は、飽きっぽく部屋の中に引っ込む。室内には畳まれたダンボールが纏めて立てかけてあり、この部屋に越してきてから長い時間が経っていないことを示していた。

 

 明日からは九月。新学期が始まる時期であり、冷泉が知らない地に飛び込む日でもある。

 その前に、やりたい事があったのだ。部屋の整備が遅れたせいで前日になってしまったのが悔やまれるが、忙しくなってからよりはずっといい。

 腰までの黒髪を括るゴムを外し、ベッドへと上がる。柔らかいマットレスに身を沈め、冷泉は静かに呟いた。

 

「Into the VRAINS」

 

 その瞬間──目を閉じた先に映るのは、極彩色の輝き。

 

 

 

 ふ、と冷泉は瞼を開いた。

 その藤色の瞳に映るは街並み。行き交う人、会話の雑音、そして──空を滑るボード。

 

「久方ぶりですわね」

「あぁ。遅くなったな……すまん」

 女性の高音が耳に届く。僅かにだけ棘のあるそれに苦笑しながら、冷泉は問う。

 

「アバターへの異常はない。『テュファ』、そっちはどうだ」

「問題ありませんわ」

 

 冷泉からその声への評価は、『妙な成長を遂げた支援AI』。その返事に安心するが、手は震えていた。その世界に来るというのがそういう事だと理解していても。

 LINK VRAINS(リンクヴレインズ)。それがこの世界の名前である。現実と遜色のない精度を誇る、SOL(ソル)テクノロジー社が提供するVR空間。デンシティ内であればいつでも、どこでもログインできることもウリで、数ヶ月前には崩壊したというのに賑やかだ。むしろ、新たに作り出されたから人が多いのであろうが。

 

「怯えていやがりますの」

「……ああ。おれは怖いさ。だが……それ以上に義務を遂行したいと思ってる。それだけだ」

 纏ったスリーピース、青味のあるグリーンのネクタイを理由もなく締め直して、冷泉は歩き出した。眼前にある巨大な建造物──セントラル・ステーションを見上げながら。

 

 それがいけなかった。

 

「あなた!」

「ぐっ」

「わ……っ!」

 衝撃。テュファからの警告も寸前では意味をなさず、慌てて体勢を立て直す。

 

「す、すみません……」

 海外のヒーローのような装いの男。一般的に細いと言われるような冷泉のものとは違い、屈強そうなアバターである。

「いいえ、こちらこそ」

 男の謝罪に対し、冷泉の喉から奏でられるのは、涼やかなアルト。彼は一瞬固まったのち、「どうぞ、お先に」と慌てて道を譲った。

 

「ありがとう。ええと……」

「俺はブレイブマックスっす」

「へえ。強そうな名前だな」

「あざっす。俺、これでもPlaymaker(プレイメーカー)の親友っすから」

「ほーう。そりゃすげえや……でも、あんまりそういう事言わない方がいいんじゃないのかい?」

 

 プレイメーカー。ハノイの騎士との戦いを幾度となく繰り広げ、最終的にはリンクヴレインズを救った……らしい、この世界でも屈指の実力を持つ決闘者(デュエリスト)。しかし現在は、賞金首として情報を求められている……らしい。街のニュースで見ただけの冷泉は、大した情報を持たない。

 

「おっかない連中に捕まらないようにな。──ああ悪い、おれは『Lawihecatl(ラヴィエカトル)』。ここでは新参者でな」

「マジっすか。良かったら案内とか……」

「ありがとう。けど、大丈夫だ」

 また、と言って手を振る。

 

 ──ラヴィエカトル。それが、リンクヴレインズ(この世界)での冷泉の名であった。

 

 

 

「綺麗な人だったなぁ……」

 燐葉石のようなロングヘアに、それ自体が僅かに輝いているような薄紫色の瞳。

「中の人はどうか分かんねぇけど、いや、俺のアカウント名を褒めてくれるなんて綺麗に違いない」

 中身が男であることも知らず、ブレイブマックスはそう断言したのであった。

 

 

 

 

 

 

「ん、ん、ん、んんー……」

 喉を唸らせるような発声をしながら、冷泉は──ラヴィエカトルは、先程覚えた疑問を口に出す。

「アバターに異常ナシと言ったが、ありゃ撤回だ。……声帯の調整がおかしい」

 

「おほほ。気のせいですわよ」

「嘘をつくな、明らかに女声だろう」

「あーら二枚目なお声が好みですの?」

「それは肯定しかねるが、リアルと違っちゃ違和感がある」

「それじゃあリアルの声からデータを反映しますわ。ご自慢の美声を響かせやがりくださいませ」

 

 調整はほとんど時間を置かずに反映された。「自慢でもなんでもないが」と返す途中から、ラヴィエカトルの声はアルトからテノールへと落下する。

「テュファ」

「なんですの?」

「ありがとう。そしてすまない。これからもきっと、お前さんに頼る」

 

 テュファに肉体があったとすれば、きっと口元を緩めていた事だろう。

「わたくしは独立支援AI『テュファ』。ご遠慮なく申し付けてくださいまし」

「ならば……」

「ただし、嫌なことは嫌と言うAIですのでわたくし。その点はお忘れなきよう」

 それは果たしてAIなのだろうか。

 

 そう、返そうとした時。

 

「ぅ……あ……!?」

 強烈な『気配』が頭を貫いた。

「あなたっ」

 冷や汗がどっと溢れ出し、ラヴィエカトルは顔を覆って呻いた。脳味噌を掴んで揺すられるような感覚が全身を支配して、思わず膝をつく。

 

「はっ……はぁっ……あぁ……!」

 

 色も温度も光も、何も無い世界──ラヴィエカトルは──否、作楽冷泉は、この感覚を知っていた。

 

 ずっと、それを探していた。

 

 ずっと、怒りを抱き続けていた。

 

 四年前から。

 

 戦わなければ。立ち上がらなければ。

 

 でないと……

「シャキッとしなさいな、ラヴィエカトル!」

 混迷を極める意識を、テュファの一喝が引き上げる。

 

「は……!」

「ここで苦しんでいても解決しなくってよ、あなた。行くのではなくて?」

「……テュ、ファ」

 それだけで、彼の中にある悪寒と苦痛は和らいだ。やることは決まっている。

「あいつに追いつく」

 

 リンクヴレインズ内に存在する、幾つものホロスクリーン。

 

「オーライですわ。わたくしのあなた」

 その全てに、リンクヴレインズを救った英雄の姿があった。

 かくして、リアルからバーチャルに飛び込み、その見にスリーピースを纏った雪崩と風の名を併す者(ラヴィエカトル)は、データストームにその身を踊らせた。

 

 

 

 






一陣の風となって駆け抜ける人影

データの嵐が渦巻く仮想世界で

その住人は翠緑の疾風を見る

彼らが現れた目的とは?

次回『氷嵐の呼び声』

鳴り響く鈴音は、物語の幕開け



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