ネガディヴ魔女の探偵譚    作:ちょうりしゅ

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閑話 とある職員の邂逅

 

 

 

 

 

件名 寝室について

[人型特別指定魔獣種に宛てがっていた部屋ですが、当人の強い希望により使用していない地下用具庫の隅に変更したいとの事です。]

 

 

返信 なんて? 

[なんで? そこ埃っぽいよね??]

 

 

返信 

[広いと落ち着かないとの事です。]

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 張本ユウヤは今年で23歳になる。

 努力の甲斐あってかそこそこ有名な大学への入学が叶い、そのまま魔法対策局に務める運びとなった。

 

 所属は魔導統計部。

 

 今は入って一年が経とうという頃。

 右も左も分からなかった仕事もだんだんとわかり始めてきた頃である。

 

「アレ取ってきてくれない?」

 

「はいッス!」

 

「はい、地下備品庫の鍵」

 

 そうして、やって来たるは魔法対策局地下の倉庫類が集まった区画。人の気配は無く、それなのに付いている蛍光灯がのっぺりとした廊下を映し出していた。

 

 そして思うのだ。

 

 ──なんか、寒くね? と。

 

 

 ◆

 

 思うに、温度というのは人の安全感知上、重要なファクターであるのだ。

 体温の低下を招く寒さは、それだけで生命維持に支障をきたしかねない。だから人は暖かい所を好むし、寒いところは嫌う。

 多くの物語で薄気味が悪い所は寒冷な表現がなされるのはそういう事情のためだろう。

 

 そしてここは寒い。

 空調のせいなのか、地下という石が温度を吸収する環境のせいか。

 

 

 火のないところに煙は立たぬ。

 温度の無いところに人はおらぬ。

 

 

 だから、その張り紙を見た時に彼は首を傾げることとなった。

 

『職員就寝中』

 

 それは張本の目的地である地下備品庫のドアーにコピー用紙に印刷され貼り付けられていた。

 少し塗料が剥がれて下地が見えるドアーに対して張り紙は真白でシワもなく新しかった。それがどうにもチグハグに思えた。

 

 はて、誰がこんな所で寝るというのか。

 疑問に思いながらドアノブを捻ると鍵が掛かっている。地下備品庫のキーは張本の手にあるのだから当然だが彼は苦笑した。

 

 鍵がここにあるって事は中に誰もいないじゃないか。

 中から鍵はかけられるタイプのドアーでは無いのだし、と。

 

 そして地下備品と書かれたキーホルダーの付いた鍵をシリンダーに差し込み回せば少しの抵抗の後にドアーは彼を歓迎するような音を立てて開放された。

 

 

「失礼しまーす」

 

 

 誰もいないと分かりつつもそう言って中に踏み込む。

 ひやりとした冷気が廊下よりもより一層流れ込んでくるようだった。

 暗闇の中壁を探りつつ電気を付ける。パッと明るくなった室内に目が少し眩み何度か瞬かせる。

 

 備品庫は人の気配が無かった。背丈よりも高い鉄製の枠組みの棚が所狭しと並び、学校の教室ほどの広さがある室内は棚とそこに置かれる荷物により迷路のような様相を呈していた。

 

 彼は手元の資料に目を滑らせる。

 E−14と書かれたそれを見つけ、棚の端に貼り付けられたシールと照合していく。

 Dの8……Eの1。目的の棚は奥まった所にあるようだった。彼は人一人分しかない棚によって作られた部屋の通路を通っていく。

 

 

 たった一人で廃墟の建物を進んでいる錯覚さえするようだった。

 

 

 やがて目的の棚に辿り着いた。

 そこは通路の行き止まりで、部屋の奥だった。蛍光灯の灯りも棚と荷物に遮られて薄暗い。

 

「おっ、あったあった。ここで──」

 

 その通路の行き止まりに、何かある。

 

 黒い布と灰色の塊が、静かに上下している。

 

 は、と息を呑んだ。

 理解できるものしかない世界に、唐突に訳のわからない物が入る。それは一瞬で緊張を引き起こした。

 

 

 チカチカと音を立てて電気が点滅して、その陰影に人の顔があることに気がついた。静かに伸びる睫毛、すらりと通った鼻、その顔つきにはどこか少女のような幼さも覗かせる。

 

 プリザーブドフラワーがふと頭に浮かんだ。

 色素の薄い女だった。

 

「え、と……」

 

 

 薄らと瞼が動く。

 ふわ、と何かが舞った。

 

 開かれた瞳には、吸い込まれそうなほどの灰色が広がっていた。

 

 

「あっ」

 

 ◆

 

 

 正体不明の女は三つ指をついて深々と頭を下げていた。

 張本がびっくりして腰を棚にぶつけてしまったからである。軽くではあったが音は大きかった。

 

「あの、頭上げて下さい。ホントなんでも無いんで」

 

 大袈裟な反応に張本は困った。こんな人目を引くような人に土下座まがいの姿勢を取られていると、ヘンな気持ちになってきてしまう。早急にやめてほしかった。主に彼の尊厳的に。

 

「あー、何でこんなトコで寝てたんすか?」

 

 どうにかこの陰気な謝罪モードを切り替えようと張本はかねてから気になっている質問をぶつけた。

 

「私みたいなやつがちゃんとした場所を一つ使ってしまうのは気が引けるので……」

 

 帰ってきたのは陰気な回答。

 うーん、と張本は表情に出さず頭を抱えた。

 

「所詮自分を罰して少しでも楽になろうとする卑しい考えなんです。すいません、ホント、こんな自分勝手で貴方を驚かせてしまって」

 そんなので罪は消えないのに、と。

 

 えへへ、とじっとりとした笑みであった。卑屈な香りのする笑みだった。

 仮にこの場に小花が居たとしたら、『足の下にいるミミズみたいな笑い方』と称しただろう。

 

 キニスは基本卑屈であった。

 

 ◆

 

「にしても、その格好アレですか」

 

 魔獣関連の人ですか、と張本は尋ねた。

 大抵浮世離れした雰囲気や格好の人は魔法系の人だったから。

 

「あぁー……まぁ」

 

 何とも煮え切らない返答。

 言いづらいことなのかと思い彼はそこで言葉を止めて肩を軽くすくめた。

 チャリと首元でネックレスが揺れた。

 

 そこでふと、目の前の人物が首元をじっと見つめるのに気がついた。

 

「あの、どうしました? なんか付いてます?」

 

「あっ! いえいえいえ……不躾にスミマセン」

 

 彼女は随分と申し訳なさそうに頭を下げた。

 

「ただ、灰の気配がしたので……」

 

 そしてそう続ける。

 その発言に張本の心臓が強く脈打ったように感じた。

 

 

 ◆

 

 

 

 言葉はモノを規定する、とまでは断言できないが確実に影響を及ぼす。ブルデューもそう提示したように。

 

 キニスは過去の、とある人物が再構成された存在である。

 消滅しかけた魂ごと乱暴にこねくり回され、引き延ばされ、切断され、ツギハギに作られた。その中で一つの概念を巻き込んだ。

 

 それは『灰』。

 

 人類が、生まれて切っても切り離せない死。有機物の終わり。灰。

 その概念と歴史を内包した存在になった。

 

 灰は歴史の終着点である。

 生物の終わりに燃えて灰となる。愛する人が物体となって、燃えて残った跡地にあるもの。遺骨と真っ白な灰。それはいつか信仰と結びつき、『終わり』の概念を得た。

 

 彼女は灰の概念と歴史から析出した存在に近い。代理者とも言い換えられる。

 

 どこまでも終わりで、燃え尽き、漂白され脱色され。

 そこには苦悩も後悔も、勇気も愛も殺意も憐憫も一緒くたに灰として抱かれる。穏やかで静かで、どうしようもない終わりだった。

 

 

「妹です」

 

 

 張本は特に隠し立てもする事なく、胸元に見えないようにしまっておいたペンダントをちょっと摘んで言った。

 

 サァっと目の前の女から顔色が引いていくのが分かった。

 あれは“思わぬ地雷を踏んでしまった”という顔だ。いやというほど見てきたし、それを見たく無いからわざわざ服の下に隠すようになった。尤も何故か見抜かれた訳だが。

 

「や、特に大それた事情はありませんよ」

 

 張本はどこか照れるように、恥じるように笑った。

 

「三年前に病気でそのまま。もともと身体が弱かったんで仕方ないです」

 

 その発言に空気が変わった。

 目の前で申し訳なさそうにしていた彼女が、どこがどう変わったのかうまく言えないがとにかく変わった。

 

「大それた事情はなくとも、あなたにとっては大事なものです」

 

 目だ。

 目つきが先ほどとは違う。

 

 卑屈そうな色を湛えていた瞳には静かな凪が広がっていた。

 死者をバカにしてはいけないと諭す者のように。

 

「照れないで、誤魔化さないで。私は笑ったり、しませんから」

 

「あ……」

 

 彼女は静かだ。

 ここは冷たい。

 

 生命の息吹とは遠いように思える。

 喉が渇く。

 

 引き返せば、それで終わりだ。

 必要な備品を取って、踵を返して、ドアーを開けて部屋を出れば。

 この奇妙な邂逅は終わる。この女とも喋る必要はどこにもない。

 それなのに。その筈なのに。

 

「最期に、妹が、ある雑誌が読みたいって言ったんですよ」

 

 口は勝手に喋り出していた。

 一度始まった動きは止める事はできず、ペラペラと舌は勝手に回った。

 

「俺はそん時、また今度なって言って。帰った」

 

 初対面のひとに何言ってんだろう、とかそんな疑問は不思議と感じなかった。ただ腹の中にあるずっと無視してきた大きなものに押されるように言葉が喉の奥から出てきていた。

 

「次の日も来る予定だったんだ。大学も早く終わって」

 

 呼吸。

 喉が痛い。

 

「どうして俺は……」

 

 

 手を強く握っていた。手の脈がどくどくと暴れていた。心は逆に静かに死んでいくような気がした。あの時の蓋をした瘡蓋がべりべりと剥がれて落ちて感情の傷口が空気に晒された。

 

「俺はあの時、先延ばしにしちまったんだ? なぁ。なんで、買ってやれなかった?」

 

「俺は、おれは……あの時、なにがしたかったんだ?」

 

 不思議な空気だった。

 まるで世界がこの地下の薄寒い備品庫だけで、自分と目の前の彼女しか居ないような。だから取り繕っていたメッキも消えた。

 

 あるのはただ、重く誰にも言えないような愉快ですら無い記憶。

 いつからか俯いていたようで灰色の地面しか視界には映っていたなかった。

 ぐるぐると視界が回る。吐きそうだった。

 過去の感情が一緒くたになって喉を逆流してきそうだった。

 

「落ち着いて」

 

 そっ、と頭を撫でられた。

 白魚のように細い指で丁寧に、梳くように。

 

 線香のような香りがふわりと包み込んだ。

 

「……」

 

 言葉を出そうとして、出ない。

 目の奥から別のものが溢れてしまいそうで必死に蓋をしていた。

 

「後悔の相手が死んでしまっては、その気持ちが晴れる事はなくて辛いですね」

 

 一度、二度と頭の上で手が往復する。

 ゆったりとした声が耳を通り抜けて響いてきていた。

 

「死人は決して許しの言葉を口にしてくれませんし、相手がどう思ってたか分かりようもない」

 

 いつの間にか膝をついて座っていた。

 目の前の彼女が屈ませたのかもしれないし、自分でそうしたのかもしれない。ただ彼女はそれに合わせてしゃがんでいる。

 

「出口のない地下道のようで、辛いですね」

 

 彼女の言葉は一つ一つが独特の響きを伴っていた。

 鈴が鳴るように、りん、りんと。

 

「貴方の心を軽くするような、魔法の言葉はありません。私はそれを持ち合わせていないのです」

 

 喋るたび言葉が重ねられるたび、暴れ狂っていた心臓は静かになっていった。一定のリズムを思い出したかのように規則正しく。

 

「灰は何も語りません。ただ、そこにあるだけです。私も同様に」

 

 

 ふわ、と白い砂のような物が巻き上がった。

 それは灰だった。

 

「いつかは、この灰も新しい生命の一助になります。巡り巡ってまた帰ってくる」

 

 彼女はそれを愛おしそうに、どこか自分の手足のように。

 不思議な手つきで触りながら灰を見ていた。

 

「貴方の後悔は貴方のもの。妹の灰は貴方のもの」

 

 そしてその視線がこちらを向く。

 夜半に焼け落ちた建物が、朝日に照らされて静かに燻りすら残さない残骸を感じた。

 つまりは静けさだった。

 

「背負っていきましょう。その重荷を下ろすことが出来ないのなら、しっかり持って灰になるまで」

 

「私も見届けますから」

 

 

 ◆

 

 

「おう、お帰り……って何だおまえ」

 

 顔つきが随分、こう、アレだな。

 困惑した様子で上司は言った。

 

 張本は照れたように頬をかいた。

 

「すげー良いヒトに会ったんすよ」

 

 しかも美人、と彼は続けた。

 上司はますます困惑した表情になった。

 

 

 

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